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匿名ユーザー

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興奮した様子の男が、暗い地下室で、青い瞳を輝かせながら鼻息を荒くしていた。その視線の先には表面をアルミで覆われた、自動車のような箱があった。
 自動車のような、と形容したが、実はまるで違っている。自動車の最大の特徴であろうホイールやタイヤ、つまりは車輪に価するものはなくただ外側にアクリル、内側がガラスの窓の配置が自動車のそれと同じように付いているだけだった。内装は少し硬そうな皮のソファが、やはり自動車のシートのように前後に二人ずつ座れるように配置されており、また前列の中央部には箱の天井に向かってレバーが三本と、丸い大きなアナログカウント式の計器が一つと、デジタルカウントの計器が二つある。
 男は鼻息をやや落ち着かせ、また深呼吸を繰り返した後に地下室に響く大きな声で叫んだ。
「ついに、できた!」
それから男は百八十度振り返り、手探りで地下室を出る扉のほうへ歩きだした。途中、金属の板を踏んだり、手にインクボトルが当たってそれをこぼしてしまったりしたような感触があったが、彼は構わずわずかに上から漏れる光へ向かった。

一九八九年、フランス。
エコール・ポリテクニークで物理学を学び、現在はとある企業の研究機関で働いて男は生計をたてていた。
いや、男の給与は同年代の男性の所得の平均以上であるし、男はその機関での研究を心から楽しんでいたので生計をたてる、という表現に含まれるニュアンスからするといささか間違いかもしれない。
とある企業とはずばり、自動車メーカーである。彼の所属している研究所は、本来は部品に使う新素材を開発するための機関であるため、彼が専攻していた物理学というよりは材料工学の分野の知識が必要とされたが、気がついたら彼はその研究所にいた。そこに理由などなく、当然ながら誰の意志も関係ない。彼はただ、研究がしたかっただけなのだ。
つまり彼にとって科学における分野というものは関係なく、研究をして新たな知識を得ることを楽しんでいるのである。彼自身それを真理へ近づくための方法と、自らの周囲に事ある毎に言っていた。

さて、いい加減男がなぜ興奮しているかを説明しなければならないだろう。
結論から述べると、男はある世紀の、いや、人類の歴史に言葉や文字と共に最大の発明と後世に伝えられるであろう大発明を成し遂げた。実は、そのものの発想自体はある小説家が自著の中で記したのが始めだが、少なくとも男にとってそれが本物として、実物として完成させられたのは発明の部類に入るのだ。
タイムマシン。人々はこの機械をそう呼ぶだろう。時を旅するための機械、誰もが夢に見て、誰もが幻想だと吐き捨てる。
そんなマシンを男が造ろうと思ったのは、もはや彼自身、狂気の域に入っているからかもしれない。研究所の試料保管室であの緑色に光る物質を、建てつけが悪く、話によると数十年もの間開かれていない引き出しの中から見つけたのは六年前のことだ。プラトナーライトとラベルが貼られたその小瓶に入っていた物質は、前述のように淡い緑色の光を発していて、初めはそれを見た瞬間にいそいで放射線の検知装置を研究室の取りに行ったが、それが危険でないことを知ると男は、新しいおもちゃを与えられた子供のようにその物質の研究を始めた。
少し調べると、この物質はどうやら現在ではウランやプルトニウムに取って代わられてしまった、核エネルギーを取り出すための物質、カロリニウムから合成できる物質だとわかった。これまで数人の学者がこの物質の有用性を発見しようと努力してきたが、ついに人類にとって何ら有用性がないと判断され、世間から忘れ去られた。それがこのプラトナーライトなのだ。しかしこれまでこの物質について研究してきた学者たちはどうも、化学的性質だけを見てきたようである。つまり、他の物質と混ぜあわせたり、外部からエネルギーを加えたりするといった実験方法であった。その点で特質すべきプラトナーライトの特徴といえば、加熱して小さな爆発を起こすということだけで、その爆発も、もっと他に、簡単に手に入る物質のほうがより大きな威力を持っているために注目されなかった。
しかし男はこの物質を光学的観点から観察を始めた。つまりレーザー光などを照射したり、レンズとして使ってみたりしたのだ。すると驚くべき事――科学、特に物理学の分野において恐るべきことが起こった。プラトナーライトを通った光は時間を飛び越えていたのだ。
「これについては計算上の問題だし、簡単に説明できるものじゃない……ただその事実を発見した時は、神にでもなった気分だったよ」
男は"彼"にそう言った。

タイムマシンは唸りをあげた。
プラトナーライトを混ぜ込んだ直径十センチメートルほどの金属核を持ったガラス球が、マシンの外周に沿って設けられたリニアレールの上を滑る音だ。すでにプラトナーライトの効果によってマシンの周囲の光の様子が変化し始めている。レバーを少し動かせば、人類の夢、時間旅行は可能になる。
 「さて、準備は……」
男は急いで研究室に戻って、バッグの中に必要と思われる物を詰めてきた。食料に関しては、パンとチーズ、水があれば満足できる。記録のためのカメラと、紙とペン。下着とシャツ、着替えの白衣。予備のプラトナーライトのガラス球。そして最も大切な、『小説』。これこそ、全ての始まりである。この小説を読まなければ、男は時間旅行を企てようとは思わなかっただろう。小説から発想を得るというのは至極子供のようなことだが、それを現実としてしまうところ、男の才能と狂気は計り知れないものだ。
そして男はそれらの物を大事に詰めた鞄を後部座席に置き、マシンに乗り込んだ。内部からはプラトナーライトによって外の風景がぼやけて見えた。デジタル式の計器にはガラス球を動かしている、リニアレールの電磁石を造るためのバッテリーの残り電力が表示されている。一応、マシンには発電装置が設置してあるが、もしもの時の当てになるほどではない。しかし男は未来において、電気がなくなるとは考えてもいないので、マシン自体を動かすパワーについてはさほど心配していなかった。
男はレバーを少し押した。デジタルカウントの時間計は、秒単位、分単位、時間単位、日単位にスイッチ一つで切り替えられる。今スイッチは秒単位に設定されていて、その数値はマシンに乗り込んだ男の感覚で一秒間に三十程度の速さで増加していった。男は数値が丁度百二十になったところでレバーを戻した。ガラス球は運動を停止して、あたりの光も通常に戻った。研究室の壁にかかった時計の長針は、男の腕時計よりもぴったり二分間進んでいる。秒針も約四秒ずれていることから実験は成功したのだ。

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