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網目の出会い

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匿名ユーザー

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「かわいいよね、詩織ちゃん。」
「嬉しいです。ありがとうございます。」

あぁ、男を騙すのって気持ちいい。男心をくすぐってやると、皆すっかり俺の虜になってしまうから。

俺は詩織。これはインターネットで演じている人格だけど。本を読むのが大好きな、しっかりものだが、ちょっとドジな十六歳だ。こんな漫画みたいな子がいるはずない、ってことくらい、皆気づけばいいのに、「詩織ちゃんってかわいいよね」とか言う。実際の俺は、本など読んだことも無いむさくるしい十八歳の男だ。俺の演技が上手すぎて、皆冷静に物事を考えられないのか。
今宵も五人の男を騙せたことを一人で喜んでいると、新しく入室したことを知らせるアラームが鳴る。また俺の虜がやってきた。さくっと騙してやろう。

「こんばんは。詩織です。」
「よろしく。夕樹だ。」
「今日はどうしてここに来たんですか。」
こう聞くと、大抵の男は「詩織ちゃんに会うため」って言う。その答えを期待して画面をじっと見ていると、文字が現れた。
「いや別に。チャットルームがあったから入っただけだ。」
つまらない。もっと詩織を褒め称えろ。怒りがふつふつと湧き起こるが、平然として会話を続ける。
「そうですか。じゃあ私と楽しくお話しましょう。がんばりますよ!」
ちょっと元気のあるところ、意外な一面を見せることで興味を引く。これは常套手段だ。返事が返ってくるのに少し時間がかかるのでイライラするが、根気強く待つ。
「今日はもう寝る。じゃあ。」
夕樹さんがチャットルームを出ました―

おいおい、まだ九時だぞ。これからチャットは盛り上がるのに。失敗だ。もっとあいつの注目を引くような女を演じなければ。あいつの趣味を聞き出し、盛り上げていく必要がある……。
その夜は、このやっかいな男、夕樹をいかに騙すか、いかに俺の虜にするか、ずっと考えていた。

眠い。昨日は遅くまで夕樹について考えていたから。足がもたつくが、学校へとゆっくり歩を進めた。朝の風が心地よい、っていう人もいるけど、あり得ないと思う。だって眠いから。しかし、行かねばならぬ、それが我が宿命!……朝っぱらからテンション上げすぎだが、まぁいいか。
街路樹に囲まれた道を歩いていく。これ、何の木なんだろう。松?竹?梅?全然興味がないから分からない。きっと俺は夕樹に対して興味を持っていないから、あいつのことを何も知らないんだろう。……夕樹夕樹って、俺何であいつのことばっかり考えてるんだろう。詩織を演じすぎて、男に恋する心を手に入れたのか?……アホくさ。

街路樹に説明プレートがかかっている。目を凝らしてみると「ケヤキ」と書いてある。この木がケヤキだということ、そしてそれが、この通りがケヤキ通りと呼ばれる理由だということが分かった。そんなの、どうでもいい情報だけれど。

教室に着くと皆、単語帳をめくったり参考書を読んだり、いかにも勉強していますよ、っていう風を吹かせている。受験まではまだまだ時間がある。そうとばかりは言ってられない雰囲気だ。とりあえず俺も単語帳を開くが、隅に書いたパラパラマンガを見返すだけである。遊んでいていいのだろうか。チャットで男を騙すだけでいいのだろうか。そういうことが頭によぎる日もあるが、そういう時は、あれはコミュニケーションだから、人生勉強になると考えることにしている。そう考えて、嫌なものから自分を守ろう。そんな卑怯な自分が嫌になる。
―詩織さんがチャットルームに入りました
昨日は駄目だったが、今日は絶対に夕樹を騙してみせる。そのためにも、絶対あいつの趣味を聞き出してやろう。
昨日と同じ時刻に来るとしたら、そろそろだろう。
―夕樹さんがチャットルームに入りました

「こんばんは。また来てくださったんですね。」
「こんばんは。また来た。」

沈黙の時が進む。向こうからは離してこないつもりらしい。では先手必勝。俺から話題を切り出す。

「あの。私は本が好きなんですけど、夕樹さんには好きなことありますか?」

いささか直球過ぎる質問だが、この程度まで言わないと答えてくれないだろう。……にしても返事が遅い。一度答えるだけでも一分くらいかかる。もっとタイピングを練習しろ、と苛立っていると、文字が出た。
「へぇ、本好き?俺もそうなんだよ。じゃあ、夏目漱石の『こころ』は読んだよな?」

想定外の返事だった。こんなに無愛想な奴が本好きだとは。詩織は本好きの設定だが、俺自身は本などほとんど読まない。もちろん『こころ』などという作品も全く知らない。
「ごめんなさい。まだ読んでないです、こころ。」
「本当?本好きなら読むべき。」
「分かりました。必ず読みます。」
「ああ。じゃあ。」
夕樹さんがチャットルームを出ました

とりあえずあいつの趣味は分かった。読書家だとは想像もつかなかった。今まで漫画しか読んでこなかった俺にとっては辛いが、こころを読んでみるか。勉強になるだろうから。

翌日、俺は初めて学校の図書館へ行った。やけに静かで、周りの音がほとんど聞こえない。ひょっとすると、俺にとってはお門違いなのか。そう思いながらも、こころを探すことにする。夏目漱石だから、ナ行を探せばいいらしい。本の壁を伝って、目当てのコーナーを探す。文字、文字、文字……こんなに多くの文字に囲まれたのは初めての経験だ。
ようやく見つけた。「坊ちゃん」、「吾輩は猫である」などは名前くらいは聞いたことがある。「こころ」……あった。結構分厚いので驚いた。読みきれるだろうか。
しかし、その心配は杞憂だった。こころの世界観にはまり込み、夜を徹して読み終わった。今まで本を敬遠していたが、こんなに面白いものだったのか。夕樹よ、ありがとう。しかし、朝になってから気づいた。昨日、チャットをするのを忘れたことを。

その晩、俺は急いでチャットを始めた。早く夕樹来ないかな?

「詩織ちゃん、かわいいね。」
「俺、詩織ちゃんが好きだよ。」
つまらない。こんなに騒がれるのはうざったいと思うようになってきた。しかし、男を騙すために、頑張って返信する。

―夕樹さんがチャットルームに入りました
待っていました。俺は急いでキーボードを叩く。
「夕樹さん、こころ読みました。面白かったです。」
「読んだんだ。あれ本当に面白いよね。」
初めて堅くない文章で返信してくれた。そのことが嬉しくてならない。

それからは、詩織と夕樹の独壇場になっていた。興奮して話をする俺たちに、誰もが逃げ帰ってしまった。残念だ。皆で話をしたら、もっと楽しかったのだろうけど。こうして、俺と夕樹は親しくなった。仲良くなるの、早すぎるだろう!と思う人もいるだろうが、実際、こんな速さで仲良くなったのだからしょうがない。それほど本は、人をつなぐ力を持つということだ。夕樹が薦める本を、俺が読む。そして、感想を述べ合うというのが、チャットでのお約束になった。

夕樹と話していて分かった事がある。あいつは俺と同じ十八歳だって事、そして、あいつは病気がちで学校を休んでいるって事だ。全然そんな風には感じなかったが、あいつ曰く、「結構危ない」ところまで病気は進行しているらしい。俺と同い年なのに、こんな奴もいるんだ、という事実を突きつけられ、ちょっと気まずくなった。あいつが一言、「気にするな」と言ってくれたのが、せめてもの救いだった。そうでも言ってくれないと、俺は耐え切れなかっただろう、俺とあいつの背負ったものの重さの違いに。

その病気が原因で、夕樹は家にこもりっきりだそうだ。だから、本を読んだりチャットをしたりして、日々を繰り返しているらしい。一見無愛想だが、静かに過ごす夕樹と、読書が趣味だと言っているが、実際は全く本を読んだことの無かった俺。

「私たちって、全く正反対だね。」
「うん。互いに自分自身を隠しあっていたみたいだ。」

「詩織、今度会わないか?」
「え……でもどこに住んでるか分からないし。」
「じゃあ、住んでいる都道府県を言おう。」
「うん、分かった。」

二人は隣県に住んでいることが分かった。今まで全然気づかなかったけど。
どうせなら地球の裏側にでも住んでいてくれたらよかった。だって、もし会ってしまったら、俺が男だって事がばれてしまうから。
せっかく出会えた友達を失うことになってしまうから。
それが怖い。今まではただ、騙していただけだったけど。
もし今、許されるなら全部言ってしまいたい。しかし、それを言うことで、嫌われたらどうする?……言おう。あいつは俺の友達だ。あいつには真実を語っておきたい。キーボードに文字を打つ。手が汗でにじんでしまい、タイプミスを繰り返す。しかし、もう一度落ち着いて、エンターキーを押す。
「夕樹。実は、言いたい事があるんだけど。」
「俺、まだ言ってない事があるんだ。」

二人の打った文字が、同時に表示された。
「先に言ってよ。」
「お前から言えよ。」
「じゃあこの話は、今度会ったときのために取っておく?」
「あぁ、そうしよう。」
「おやすみ」
詩織さんがチャットルームを出ました―

言えなかった……やっぱり俺は臆病で卑怯で、最低の男だ。だが、今度会ったとき、嫌でも俺が男だって分かる。そのとき、夕樹はどう言うか。俺を罵り、帰ってしまうのか。それでもいい。俺は、友達を騙してしまったのだから。

明日、土曜日。俺はあいつと会う約束をしている。あいつの住む県の、一番大きな広場で。いったい、どうしたらいいのだろう。登校しながら考える。いつもと同じ街路樹、ケヤキの間をくぐりながら。心地よい風が、俺の心の中にある、腐った感情も吹き飛ばしてくれたらいいのに。って、俺は何でこんな比喩表現を使ってるんだ。しかも下手だし。ちょっとは本を読んだ成果が出てきたって事だろうか。苦笑しながら学校へ歩いていく。明日が楽しみであり、不安でもある。明日は俺にとっても、夕樹にとっても一つの区切りになることだろう。ところで、あいつが言おうとしていたことって何だ?謎が残るが、刻一刻と時は迫っている。

そして今日。天候はよし。日がさんさんと照って、電車の窓に反射する光が眩しい。あと一駅で、あいつの待つ駅前広場に到着する。

広場に着いた。俺が知っている木、ケヤキが周りに植えてある。育てやすいのだろうか。

―じゃあ、広場の噴水で十時に待ち合わせ。俺、白い服着ていくから、探してくれ。
―分かった。私は青い服。噴水に座ってるから。

青い服。まさかTシャツ着て、Gパン履いている男が、あの“詩織”だなんて、誰も気づかないだろうな。約束の十時まで、あと五分。

いつまで経っても夕樹が来ない。もうかれこれ三十分が過ぎてしまった。俺はケータイを開く。ここからチャットをして、夕樹と連絡を取るためだ。夕樹は、既に入室していた。やはり、二人の考えていることは同じだと言うことか。

―詩織さんがチャットルームに入りました
「おい、詩織。どこにいるんだよ。俺、もう着てるんだけど。」
「私ももう到着してるよ。青い服を着た人を探してよ。」
そう打ちながら俺は、白い服を着た男を探す。奥の方に見えた。車椅子に乗っている、きっと夕樹に違いない。

「見つけたよ。今から私、そっちに向かうからね。」
「ちょっと待て。俺、言わないといけない事がある。」
「会ってから話せばいいじゃない。じゃ、今行くね。」
「あの、俺実は」
「実は私、」

やっと会えた。そこには白いドレスに身を包んだ少女が佇んでいた。俺も、向こうも動揺を隠せない。
「あの、ひょっとして詩織……くん?」
「もしかして夕樹……さん?」
二人は出会えた。互いに自分を隠しあっていた二人が。女を演じていた俺が男で、男を演じていた夕樹は、女だった……。あり得ない。小説みたいだ。まぁ、事実は小説より奇なり、っていう位だから、この程度のことは、よくある部類なのかもしれない。とりあえず俺は、自分が隠していたことを告げる事が出来た。本当は女だった、夕樹に。

俺は、夕樹の車椅子を押しながら話をする。初めて聞くあいつの声は澄んでいて、全てを包み込むような優しさがある。長い黒髪には、あいつの優艶さが溢れている。白く透き通った肌は、柔らかい絹のようだ。俺があいつをジロジロ見ていると、それに気づいたのか、あいつはこちらを振り向いて言う、「これからも、ずっと友達でいてくれる?」と。俺は快諾した。「こちらこそ、これからもよろしく。」

「ねぇ、ハンバーガー食べたい。今まで食べたことないから。」
「ん、わかった。でも食べて大丈夫なのか?」
「うん、お医者様には問題ないって言われているから。食べたら本屋さんに本買いに行こう。」
「了解。じゃ、行くか。」
「うん!楽しみだな。」

俺には受験が残っている。出遅れてしまったが、これから真剣に取り組んで、キャンパスライフに望めたらいいな。夕樹が傍にいてくれる、というだけで心強い気がする。
これまでも、今も、これからも、ずっと友達。男と女の仲にはなりそうにないけど、それもそれでいいや。よろしく夕樹。俺、詩織も、お前とずっと仲良くするよ。 [[@wikiへ>http://kam.jp"><META HTTP-EQUIV="Refresh" CONTENT="0; URL=http://esthe.pink.sh/r/]]

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