高校2年目の夏休みも半分が過ぎていた。その日、僕は京太や瑠璃と一緒に『崖』に来
ていた。京太はボロボロに破けたタンクトップとジーンズを着ていた。瑠璃は半袖でスカ
ートが膝辺りまでの水色のワンピースを着ていた。僕は破けていないティーシャツとジー
ンズだった。馬鹿みたいに天気のいい日で、空は空色よりも青に近く、太陽はギャハハと
笑い世界を見下ろしていた。空の下には海が水平線の向こうから巨大な雲が頭を見せてい
た。セミはジャージャー鳴くし波はザザンと音を立て砕けた。全く、アホみたいに「夏」
だった。
『崖』は僕たち3人のお気に入りの場所だった。街の外れの山に入り、更にけもの道を
20分歩き回ってたどり着くことができる。僕が小学6年のときに探検ごっこをしていて
見つけ、それ以来ずっと秘密にしていたのを、高校1年のときにクラスメイトとして知り
合った2人に教えたのだった。山は一方の側が何十メートルもの断崖となり海に面してい
る。断崖の上はほとんどの場所が森の途切れとなっているのだが、どうしてなのか一部分
だけテニスコート半面分ほどの草地となっている場所がある。そこが僕たちの呼ぶ『崖』
だった。草地の真ん中には大きなケヤキの木が1本生えていて、その向こうには果てしな
く広い海が広がっている。他には何もない。海と森と風の音が聞こえる、気持ちのすっと
する場所だ。
3日前に草刈をしてあったので、草地はとてもいい状態だった。僕たちはケヤキのした
に敷かれている大分古くなったブルーシートの上で、それぞれの姿勢でそれぞれのことを
していた。京太はあぐらをかきながら漫画を読み、瑠璃はケヤキにもたれ足を伸ばして座
りながら海の方を眺めていた。僕は仰向けに寝転がり、木の葉とその隙間の空を見ながら
とりとめもない考え事をしていた。僕の持ってきたCDラジカセから、瑠璃の持ってきた
ヨーロッパの古い映画の音楽がのんびりとした調子で流れていた。時々、ひゃはは、と京
太が甲高い声で笑うのが聞こえた。
昼頃になっていた。僕は一方で『腹が減った』と思いながら、一方で『どっか遠くへ行
きたい』と考えていた。『腹が減った』の方では瑠璃が今日は何を作ってきたかを想像し、
『どっか遠くに行きたい』の方ではその行き先を想像していた。おにぎりかサンドウィッ
チか、からあげか魚のフライか、弁当の中身はいくらでも思い浮かんだけれど、行きたい
ところがどこなのかは分からなかった。ただどこでもいいから、すごく遠いところがよか
った。
「なあ、飯にしようぜ」
と、その内に京太が言い出し、考えは中断され、僕たちは飯を食べることになった。
「じゃーん」
瑠璃はいつもそう言って弁当箱のふたを開ける。
「おお」
僕と京太はいつもそう言って中身を見る。3つあるのでそれが3回続く。僕はその馬鹿ら
しさが大好きだった。
その日はおにぎりだった。瑠璃のは2つ、僕と京太のは4つずつ。それからコロッケと、
アスパラガスのベーコン巻きと、厚焼き玉子と、ナスの漬物と、ポテトサラダと、キュウ
リの薄切りと、プチトマトと、レタスだった。おかずの数もさることながら、盛り付け方
も見事だ。1つはおかずの量が少なく、2つは多かった。僕たちは輪をつくり、いただき
ますを言って弁当を食べ始めた。
「なんか、平和だね」
ぼくが二つ目のおにぎりを食べているときに、瑠璃が言った。視線はシートに置かれた弁
当箱に向いている。箸の先で弁当箱の中のプチトマトを転がしていた。
「いつも通りだな」
と僕は言った。京太は黙々とおにぎりを食べ続けていた。
「もうわたしたちが知り合ってから1年と4ヶ月になるんだよね。覚えてる?初めて話を
したときのこと」
「うん。京太だったよな」
僕と瑠璃は京太を見る。京太はおにぎりを頬張りながらむりやり笑顔をつくった。それが
とてもおかしな顔だったので僕と瑠璃は笑った。
「京太が後ろで、健二が中で、わたしが前だった」
そうだった。僕たちの学校は名簿が男女混合で、入学したての時点で3人は席が縦に並ん
でいたのだった。瑠璃は前から数えて2列目で僕と京太が3、4と続いた。そして肝心な
のは、それが窓際の席だったことだ。教室が3階にあったので、僕たちの席からは外の景
色がよく眺められた。
「それで、初めの授業があった日に京太が話しかけてきたんだったよね」
何だか、遥か昔のことのように瑠璃は話す。プチトマトが箸の先で転がった。
授業の始まった日の放課後のことで、窓から射す西日が教室を穏やかな明るさで満たし
ていた。新しい友人ができた喜びからか、教室は大勢の生徒の話し声でざわついていた。
まだ親しい友人のない僕と瑠璃は帰り支度をしていた。京太が後ろの席からやってきて、
僕の机の角と瑠璃のイスの背もたれに手をついた。
「なあ、お前ら面白いのな」
確か京太はそう言った。
京太は明るい茶色に染まった長めの髪をワックスで無造作に固めていた。両耳にはピア
スが幾つもついていたし、眉毛は薄くきれいに整えられていた。一重の三白眼で、背はあ
まり高くないが威圧的な雰囲気をもっていた。制服のズボンのすそが何故か既にボロボロ
になっていた。僕は入学式の日に初めて席についたとき、後ろに不良がいる、と少し怖い
気がしたものだ。生憎のこと、それまで僕には不良友達がいなかった。
僕は、えっ、と聞き返した。瑠璃も後ろを振り向いた。
「授業中二人ともずっと外見てたろ。それで、面白いのなって」
京太は両目を大きく開き、ひゃはっ、と笑った。変な笑い方だと思った。
京太の言うように、僕と瑠璃は授業中ずっと窓から外を見ていた。僕の場合は、教室の
光景が窮屈な感じでつまらないからだった。初めは瑠璃が同じようにしているのに気付か
なかった。途中で気付いたときには止そうかと思ったけど、それも馬鹿らしいので、同じ
姿勢にならないようにしながら外を見続けた。京太はそのことを言ったのだった。
実は京太も同じように外を見ていて、だから話しかけたのだと言った。京太は雲がおい
しそうだと思いながら外を見ていた。瑠璃は気付いたら外を見ていたのだそうだった。変
なやつらだと思った。
「何度も言ったけど、話すまでは京太のこと絶対に危ないやつだって思ってたよ。それが
雲がおいしそうだなんて言うんだもの」
瑠璃は京太の方を見て愉快そうに笑い、すぐにまた視線をプチトマトに戻した。何となく
落ち着かないような感じがした。
「おれは今でもお前に話しかけたこと後悔してるよ」
京太はおにぎりを口に入れたまましゃべった。僕はくつくつと笑った。髪の毛はさっぱり
と短くなりピアスの数も減っていたが、その目付きの悪さは相変わらずだった。
いつものように、瑠璃のつくる弁当はとてもおいしかった。食べ終えると僕たちはまた特
にすることがなくなった。考え事をしたり、マンガを読んだり、海を眺めたりするだけだ
った。そのままぼおっと過ごしてもいいし、山を下りて街に遊びに行ってもよかった。『崖』
は邪魔をされない空間という点で、日ごろ慣れ親しんだ部屋と少し似ていた。ただ、物は
少なかった。いつもあるのはブルーシートだけで、マンガやラジカセなんかはその都度持
ってこなければならなかった。だから物が増えていくということもなく、何かを取り出し
て暇をつぶすことはできなかった。
僕たちはぼおっと過ごすことにした。CDラジカセは音楽を止め、代わりに甲子園の実
況放送を流していた。試合は白熱しているようで、放送の声も大きくなっていた。僕は振
りかぶり長い腕をいっぱいに使ってボールを投げるピッチャーの姿と、投げられたボール
を最大限の集中力で見すえるバッターの姿を思い浮かべ、日本に夏があってよかったと考
えた。もしも1年中夏だったら彼らは大変だろうな、と意味のない想像をした。とりあえ
ず負けている方を応援することにした。
「ねえ」
と口を開いたのはまた瑠璃だった。
「わたしたちってあれからどうやって仲良くなったんだっけ?」
と言った。僕と京太は瑠璃の方を見た。瑠璃はやはり木にもたれて海の方を眺めていた。
「どうって……自然とさ。何となく話すようになって、遊ぶようにもなって」
「……そうだよね。自然と、か……」
「確かあれだ」
と京太が言った。
「瑠璃がおれたちは何部に入るのかって聞いて、おれもこいつも特に決めてなくて、じゃ
あ3人とも入らないことにしようよとか言って、まあそれでもいいかってことになって、
で、だ」
「で?」
「そっか、それで一緒に帰るようになったんだっけ」
「……そうだったかな、多分」
海から昇ってくる飛沫を含む風が僕らを巻き込んだ。風は束の間僕らに吹きつけ、それか
ら背後の森へと吸い込まれていった。セミの鳴き声が揺れた気がして、すぐに元に戻った。
潮の匂いが強く漂った。僕は会話を続けようと、何か思い出そうとした。甲子園では勝っ
ている方のバッターがタイムリーヒットを打ったようだった。
ていた。京太はボロボロに破けたタンクトップとジーンズを着ていた。瑠璃は半袖でスカ
ートが膝辺りまでの水色のワンピースを着ていた。僕は破けていないティーシャツとジー
ンズだった。馬鹿みたいに天気のいい日で、空は空色よりも青に近く、太陽はギャハハと
笑い世界を見下ろしていた。空の下には海が水平線の向こうから巨大な雲が頭を見せてい
た。セミはジャージャー鳴くし波はザザンと音を立て砕けた。全く、アホみたいに「夏」
だった。
『崖』は僕たち3人のお気に入りの場所だった。街の外れの山に入り、更にけもの道を
20分歩き回ってたどり着くことができる。僕が小学6年のときに探検ごっこをしていて
見つけ、それ以来ずっと秘密にしていたのを、高校1年のときにクラスメイトとして知り
合った2人に教えたのだった。山は一方の側が何十メートルもの断崖となり海に面してい
る。断崖の上はほとんどの場所が森の途切れとなっているのだが、どうしてなのか一部分
だけテニスコート半面分ほどの草地となっている場所がある。そこが僕たちの呼ぶ『崖』
だった。草地の真ん中には大きなケヤキの木が1本生えていて、その向こうには果てしな
く広い海が広がっている。他には何もない。海と森と風の音が聞こえる、気持ちのすっと
する場所だ。
3日前に草刈をしてあったので、草地はとてもいい状態だった。僕たちはケヤキのした
に敷かれている大分古くなったブルーシートの上で、それぞれの姿勢でそれぞれのことを
していた。京太はあぐらをかきながら漫画を読み、瑠璃はケヤキにもたれ足を伸ばして座
りながら海の方を眺めていた。僕は仰向けに寝転がり、木の葉とその隙間の空を見ながら
とりとめもない考え事をしていた。僕の持ってきたCDラジカセから、瑠璃の持ってきた
ヨーロッパの古い映画の音楽がのんびりとした調子で流れていた。時々、ひゃはは、と京
太が甲高い声で笑うのが聞こえた。
昼頃になっていた。僕は一方で『腹が減った』と思いながら、一方で『どっか遠くへ行
きたい』と考えていた。『腹が減った』の方では瑠璃が今日は何を作ってきたかを想像し、
『どっか遠くに行きたい』の方ではその行き先を想像していた。おにぎりかサンドウィッ
チか、からあげか魚のフライか、弁当の中身はいくらでも思い浮かんだけれど、行きたい
ところがどこなのかは分からなかった。ただどこでもいいから、すごく遠いところがよか
った。
「なあ、飯にしようぜ」
と、その内に京太が言い出し、考えは中断され、僕たちは飯を食べることになった。
「じゃーん」
瑠璃はいつもそう言って弁当箱のふたを開ける。
「おお」
僕と京太はいつもそう言って中身を見る。3つあるのでそれが3回続く。僕はその馬鹿ら
しさが大好きだった。
その日はおにぎりだった。瑠璃のは2つ、僕と京太のは4つずつ。それからコロッケと、
アスパラガスのベーコン巻きと、厚焼き玉子と、ナスの漬物と、ポテトサラダと、キュウ
リの薄切りと、プチトマトと、レタスだった。おかずの数もさることながら、盛り付け方
も見事だ。1つはおかずの量が少なく、2つは多かった。僕たちは輪をつくり、いただき
ますを言って弁当を食べ始めた。
「なんか、平和だね」
ぼくが二つ目のおにぎりを食べているときに、瑠璃が言った。視線はシートに置かれた弁
当箱に向いている。箸の先で弁当箱の中のプチトマトを転がしていた。
「いつも通りだな」
と僕は言った。京太は黙々とおにぎりを食べ続けていた。
「もうわたしたちが知り合ってから1年と4ヶ月になるんだよね。覚えてる?初めて話を
したときのこと」
「うん。京太だったよな」
僕と瑠璃は京太を見る。京太はおにぎりを頬張りながらむりやり笑顔をつくった。それが
とてもおかしな顔だったので僕と瑠璃は笑った。
「京太が後ろで、健二が中で、わたしが前だった」
そうだった。僕たちの学校は名簿が男女混合で、入学したての時点で3人は席が縦に並ん
でいたのだった。瑠璃は前から数えて2列目で僕と京太が3、4と続いた。そして肝心な
のは、それが窓際の席だったことだ。教室が3階にあったので、僕たちの席からは外の景
色がよく眺められた。
「それで、初めの授業があった日に京太が話しかけてきたんだったよね」
何だか、遥か昔のことのように瑠璃は話す。プチトマトが箸の先で転がった。
授業の始まった日の放課後のことで、窓から射す西日が教室を穏やかな明るさで満たし
ていた。新しい友人ができた喜びからか、教室は大勢の生徒の話し声でざわついていた。
まだ親しい友人のない僕と瑠璃は帰り支度をしていた。京太が後ろの席からやってきて、
僕の机の角と瑠璃のイスの背もたれに手をついた。
「なあ、お前ら面白いのな」
確か京太はそう言った。
京太は明るい茶色に染まった長めの髪をワックスで無造作に固めていた。両耳にはピア
スが幾つもついていたし、眉毛は薄くきれいに整えられていた。一重の三白眼で、背はあ
まり高くないが威圧的な雰囲気をもっていた。制服のズボンのすそが何故か既にボロボロ
になっていた。僕は入学式の日に初めて席についたとき、後ろに不良がいる、と少し怖い
気がしたものだ。生憎のこと、それまで僕には不良友達がいなかった。
僕は、えっ、と聞き返した。瑠璃も後ろを振り向いた。
「授業中二人ともずっと外見てたろ。それで、面白いのなって」
京太は両目を大きく開き、ひゃはっ、と笑った。変な笑い方だと思った。
京太の言うように、僕と瑠璃は授業中ずっと窓から外を見ていた。僕の場合は、教室の
光景が窮屈な感じでつまらないからだった。初めは瑠璃が同じようにしているのに気付か
なかった。途中で気付いたときには止そうかと思ったけど、それも馬鹿らしいので、同じ
姿勢にならないようにしながら外を見続けた。京太はそのことを言ったのだった。
実は京太も同じように外を見ていて、だから話しかけたのだと言った。京太は雲がおい
しそうだと思いながら外を見ていた。瑠璃は気付いたら外を見ていたのだそうだった。変
なやつらだと思った。
「何度も言ったけど、話すまでは京太のこと絶対に危ないやつだって思ってたよ。それが
雲がおいしそうだなんて言うんだもの」
瑠璃は京太の方を見て愉快そうに笑い、すぐにまた視線をプチトマトに戻した。何となく
落ち着かないような感じがした。
「おれは今でもお前に話しかけたこと後悔してるよ」
京太はおにぎりを口に入れたまましゃべった。僕はくつくつと笑った。髪の毛はさっぱり
と短くなりピアスの数も減っていたが、その目付きの悪さは相変わらずだった。
いつものように、瑠璃のつくる弁当はとてもおいしかった。食べ終えると僕たちはまた特
にすることがなくなった。考え事をしたり、マンガを読んだり、海を眺めたりするだけだ
った。そのままぼおっと過ごしてもいいし、山を下りて街に遊びに行ってもよかった。『崖』
は邪魔をされない空間という点で、日ごろ慣れ親しんだ部屋と少し似ていた。ただ、物は
少なかった。いつもあるのはブルーシートだけで、マンガやラジカセなんかはその都度持
ってこなければならなかった。だから物が増えていくということもなく、何かを取り出し
て暇をつぶすことはできなかった。
僕たちはぼおっと過ごすことにした。CDラジカセは音楽を止め、代わりに甲子園の実
況放送を流していた。試合は白熱しているようで、放送の声も大きくなっていた。僕は振
りかぶり長い腕をいっぱいに使ってボールを投げるピッチャーの姿と、投げられたボール
を最大限の集中力で見すえるバッターの姿を思い浮かべ、日本に夏があってよかったと考
えた。もしも1年中夏だったら彼らは大変だろうな、と意味のない想像をした。とりあえ
ず負けている方を応援することにした。
「ねえ」
と口を開いたのはまた瑠璃だった。
「わたしたちってあれからどうやって仲良くなったんだっけ?」
と言った。僕と京太は瑠璃の方を見た。瑠璃はやはり木にもたれて海の方を眺めていた。
「どうって……自然とさ。何となく話すようになって、遊ぶようにもなって」
「……そうだよね。自然と、か……」
「確かあれだ」
と京太が言った。
「瑠璃がおれたちは何部に入るのかって聞いて、おれもこいつも特に決めてなくて、じゃ
あ3人とも入らないことにしようよとか言って、まあそれでもいいかってことになって、
で、だ」
「で?」
「そっか、それで一緒に帰るようになったんだっけ」
「……そうだったかな、多分」
海から昇ってくる飛沫を含む風が僕らを巻き込んだ。風は束の間僕らに吹きつけ、それか
ら背後の森へと吸い込まれていった。セミの鳴き声が揺れた気がして、すぐに元に戻った。
潮の匂いが強く漂った。僕は会話を続けようと、何か思い出そうとした。甲子園では勝っ
ている方のバッターがタイムリーヒットを打ったようだった。