今日も目覚めた。どんよりとした、重苦しい湿気まじりの眠りからの目覚め。頭の後ろが軽く痛む。目が上手く開かない。 いつもと変わらないアパートの六畳半。雑多な物たちがそこいら中に散らかされ、どんよりした憂鬱が漂う部屋。枕元に置いてある置き時計は午後の一時近くを指している。昨日は確か二時半くらいに寝たから、10時間ほど寝ていたことになる。いつもとかわらない眠りと目覚め。
回らない頭のまま、充電機に差しっぱなしの携帯電話のサイドボタンを押す。この携帯電話は、着信があるとディスプレイに「情報あり」と表示される。ここ最近は着信なんか全然ないのだけど、いつもの癖だ。僕だって誰かに必要とされているのじゃないかって期待はまだ持っている。昔何かの小説で読んだのだけど、人の生きる価値はどれだけ他人に必要とされるかで決まるらしい。要するに他人に必要とされない人間は死んでいるのと同じってことだ。それなら僕はもうここ2週間は死んでいることになる。でも誰かが生き返らせてくれるんじゃないかって期待して、僕は毎日、目覚めると携帯電話をチェックする。死んでしまうことを思えば、ほとんど使わない携帯電話に高い基本料金を支払うのも安いものだ。現代はコミュニケーションもただでは済ますことはできない。
けれども今日も、ディスプレイには冷たく時間が表示されただけだ。
「12:48」
はいはい、そうですか。ちょっと寂しくなる。僕は結局今日も死んだままだ。
部屋に漂う憂鬱がますます濃くなる。いつも憂鬱は目覚めと共に密度を増し、眠る瞬間まで増え続ける。そして次の日目覚めてもその憂鬱の密度は濃いままで、さらに積み重ねられていくのだ。ある時、ちょうど今日みたいに晴れ渡った空を窓から見て、窓の外がこんなにも清々しく見えるのは、この部屋が世界中の憂鬱を吸い取っているおかげじゃないだろうかなんて思ったみたこともある。でも実際は窓の外にも同じ密度で憂鬱は漂っている。ただ、みんな見えない振りをしているか、もしくは見えないって無理やり信じ込もうってしているだけだ。だから僕みたいに自虐的なほどにしっかり見つめてしまうタイプの人間は煙たがられて半ば無視される。誰だって「世界は憂鬱に満ちている」なんて思いたくはない。
なんとなくそんな事を考えながら煙草に火をつける。孤独は人に、考えなくてもいいこと、時には考えるべきではないことさえ考えさせてくれる。
煙を胸いっぱいに吸い込む。少し肺が痛む。ここ最近やけに肺が痛む。一抹の不安を頭から払いながらさらに煙を吸う。煙草は時々、僕に生きていることを実感させる。体に悪いことをするってことは、すなわち死に近づくってことだ。死に近づくにつれて、人は生を強く感じるようになる。煙草は生を味わうために生を削るツールだ。他の人にとってはどうかは知らないが、少なくとも僕にとってはそういう役割だ。どんな食べ物だって味わったらその分減る。自分自身を味わうにはその分自分自身を削らなきゃ駄目なのだ。そして、自分自身を回復する、もしくは増幅させる術をもたない僕は、どんどん磨り減っていく。きっと死の間際まで。
二本目の煙草を吸いながら、今日することをぼんやり考える。特にしなければならないことはない。大して友達もいない、22歳の一人暮らしの無職男に、しなければならないとなんてない。こまごまとした用事(トイレの電球を替える、ガス料金を振り込むとかね)はあるけど、別に今日は片付ける気にはならない。そういう用事はせっぱつまってからでいい。今、電球を替える必要なんてない。暗くても用は足せるのだ。こういっただらしなさの集積が、今の僕を形作っているんだろう。
今日すべきことはないということを確認すると、いつものようにうんざりした気持ちになる。一日は僕には長すぎる。一体何をしたらいいんだろう。今日もまた、寝るまでの間の時間を潰さなきゃならない。それは真っ白な画用紙を隅から少しずつ鉛筆で黒く黒く塗りつぶしていくような感覚で、意味なんてなくて果てしなくむなしい作業だ。毎日毎日一ページずつ画用紙は黒く塗り潰されていって、真っ黒な画用紙だけがどんどん積み重なっていく。後から見返してもそれは全部何一つ面白みもなくて、ただ様々な負の感情だけが滲み出しているんだろう。いくら繰り返しても、予定のない日の目覚めは慣れない。
僕はうんざりしたまま、とりあえず飯を食べに行くことにした。あまり食欲はないが、他にすることもないのだ。だが、このままでは外には出られない。昨夜はテレビを見ながらビールを何缶か飲んで、風呂にも入らずそのまま寝てしまった。8月の真っ只中の暑い夜は、そんな僕に嫌になるほどの臭いと体中の不快感をプレゼントしてくれた。まずはシャワーを浴びて頭を洗わなければならない。せっかくの夏の夜の心遣いには申し訳ないが、これでも身だしなみには気を遣うほうなのだ。
玄関傍にあるせまい浴室のドアを開ける。トイレと洗面台とバスタブが一つの部屋に詰め込まれている、いわゆる「三点ユニットバス」だ。むわっとした湿気が体を包み込む。換気扇が壊れて動かないこの部屋はいつだって最高の湿度で出迎えてくれる。僕はいつも、沢山の水分に囲まれながら、小便をし、顔を洗い、シャワーを浴びる。水カビがそこいらにこびりついている小さな洗面台には、取っ手付きの大きめの白いコップが一つと、淡い緑色の石鹸容器が一つ、それから旅行用のコンパクトな茶色のシャンプー&リンスが一つ置いてある。白いコップには毛先が広がった安っぽい赤の歯ブラシと、オレンジ色と水色でデザインされた歯磨き粉のチューブが一本ずつ。そして石鹸容器には肌色をしたおろしたての真新しい石鹸が一つ。改めて見ると、この部屋には様々な色のものが存在している。銀色の金属のタオル掛けには赤色と黄色と黒色のストライプ模様のタオルが掛けられているし、床のマットは白色だ。でもなぜだろう。僕のイメージではこの浴室は一貫して淡い灰色だ。確かに壁のタイルは全て灰色で、この浴室は大半が灰色を占めているのだが、僕にとってはそれ以上に灰色だ。それはもうイメージの問題なのだ。中年のサラリーマンが残業終わりに疲れきって乗る最終電車の景色を全て混ぜ合わせたような、そんな感じの灰色だ。おおげさに聞こえるかもしれないけど、本当に僕にはこの浴室がそれくらい疲れきって見える。誰にだってそういうイメージの色ってあるはずだ。不登校児にとって、教室の机と椅子の色は悲しみと辛さを併せ持った色に見えるだろうし、また、思春期にピンクの服を着た女の子に告白をした経験がある人には、ある種のピンクはその女の子を彷彿させる甘酸っぱい色になる。もちろんこうした明確な出来事に起因せず、多種多様な過去の経験が複雑に組み合わさってある種の色に特定のイメージをもってしまう場合もあるだろう。同じ色でも100人いれば100通りのイメージがあるのだ。僕にはこの浴室で何かいやな過去があったというわけではないし(もちろんいい思い出なんてのも存在しない)、どうしてこのようなイメージを持つのかは定かではないが、とにかく僕にとってこの浴室は疲れきった灰色なのだ。注意して見ないと、歯ブラシが赤いことやコップが白いことに気がつかないほどに(たまに、本当にごくたまに部屋の外で必要に迫られて、この浴室の歯ブラシやコップなどの色を思い出さなくてはならないとき、僕は真剣に全てのこうした備品が灰色ではないかと思ってしまうこともある)一貫した灰色なのだ。
まあ、いい。とにかく僕はシャワーを浴びなければならない。僕はいつも考えすぎる。何かあるとすぐにそれに関する様々な要因に意味を探してしまい、意味が見つからないと混乱する。そしてそれは、はたから見ると異常に見える場合もあるらしく、22年間、僕の人生を通り過ぎていった人たちの(大半とは言わないが、決して少なくはない)一部は、「お前は一度病院で頭を見てもらったほうがいい」という言葉を残して去っていったし、また、別のある人たちは(これは決して多くはないが)「君の考えではある意味で的を得ているよ。でも、口に出して言わないほうがいい」と本気で忠告してくれた。
そしてそれは自分でもよく分かっている。昔、孤独に耐え切れず人間関係を上手くやろうと思った時期があって、だから僕はこの癖を隠しとおしてみた。そしてそれは実際とても上手くいって、友達と呼べる人たちも沢山できた。けれども、楽しかった最初の頃をのぞくと、それは精神的にはたんなる苦痛でしかなかった。心で思ったことと別のことを口に出し続ける毎日。周りの空気にあわせて発言、笑い方、行動を選び、やりたくないことを沢山して、話したくないことを沢山話す。勿論誰だって多かれ少なかれそういうことはしている。それが人間関係なのだ。だが、僕はあまりにも内心が現実とかけ離れていた。隠さなければならない内心があまりにも大きすぎた。ムササビが鳥の仲間になろうとして、空を飛べる振りをしても、ムササビは木々の間を滑空するのが精一杯なのだ。時には他の、雀や鳩といった鳥たちと同じ高さを飛べることもできるかもしれない。でも、あまりに空は高すぎる。限界というものがあるのだ。そして哀れなムササビは、無理をしすぎてその薄い翼まで破れてしまうことになる。僕はさらに内にこもることになってしまった。そして、内心を隠してできた友達も、所詮上辺だけだ。僕が限界に気づく頃にはとっくに消えていた。
さあ、シャワーを浴びよう。赤い蛇口と青い蛇口を同時に、そして青いほうを若干多めにひねり、温度を調節する。生ぬるいお湯が勢いよく飛び出し、汗ばんだ体を心地よく刺激する。灰色の浴室の、灰色のバスタブの、灰色のシャワーから出る、灰色の水。
僕は頭から足の先まで灰色に染まりながら、肌色の石鹸を体中に擦り付ける。石鹸は白い泡を立てながら体中をすべり、皮膚に染み込んだ汚れを浮かす。僕はシャンプー&リンスの容器の蓋を開け、どろりとした茶色の液体を左手に出す。濡れた頭髪は茶色の液体を喜び、シャカシャカと音を立てながら頭皮の汚れをこれまた浮かせる。そして最後に、汚れは泡に混じってシャワーの水で流れていく。僕は体中から全ての汚れと不快感と灰色を追い出して、本来の自分に戻れた気分になる。
だが、シャワーを止めて、(「本来の自分」って一体なんだろう)と思った瞬間、浴室のぼわっとした熱気を皮膚が受け止め、すぐに気持ち悪く汗ばんでくる。僕はタオルを取り、体を拭きながら浴室のドアを開ける。熱気が逃げて少し涼しい空気が入り込んでくる。