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アイラSS 第三一回
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匿名ユーザー
時は数刻遡る。
地球政府より下ったネスト抹殺の任務を引き受けるため、依頼人との会合を済ませたフェイがキリマンジャロの基地に戻った時には、全てのスタッフが退去を済ませた後だった。事務室は電気を落とされ、住居区には主に置いていかれた家具だけが置かれており、綺麗に整理されて機材の撤収されたガレージには、いつも慌しく駆け回っているスタッフの姿は見られず、ウィンを初めとする職人たちのだみ声も聞こえなかった。ただ、乾いた空気に漂う油の臭いだけに喧騒の余韻を感じられた。
三機のACを保管できるハンガーからサムのアナザーワンが姿を消し、また常に投げ出されている工具や機体のパーツが撤去されているので、ひどく見晴らしが良くなっていて、見慣れた敷地とは別物に思えるほど広く感じられた。ふと屋根を見上げると天井が異常に高く、頭がくらくらして倒れそうになるほどだった。
「こんなに広かったのか」
などと呟きながら、フェイは目当ての地へ足を運ぶ。
ガレージの一端、10m四方に区切られたスペースには、彼が目にしたことのないACが聳え立っていた。
人を模した二本の脚や、鮮やかな蒼をベースに各所に純白のアクセントを加えるカラーリングにこそブルーバードの名残を残しているが、シルフィはおろかフェイの知るどんなACとも異なる小柄な四肢の基礎フレームが、それがコンコードが規定する標準規格のACとは一線を画す何者かであることを証明していた。強度に不安を覚えさせる細身の骨格は、しかしパーツの接続部や関節と言った稼動部分を除いてくまなく全身を覆った装甲板によって補強され、そのため重量二足型のACに近い頑強な外観を取っていた。
明らかにブルーバードとは異なる機体であるが、フェイはそれが紛れもなくブルーバードであると一目で理解できた。何故なら、蒼い機体の足元に一人の影を見出したからである。
「遅かったじゃない」
すらりとしたシルエットは女性のそれだった。迷彩柄のジーンズに黒いランニングシャツといういつも通りのラフな服装に、背中の中ほどまで伸ばされ、扇状に柔らかく広がった黒髪がミスマッチし、奇妙なたおやかさを演出している。
「こんな状況で焦ったら負けだろ」
彼女は機体に預けていた背中を浮かせ、そのままつかつかとフェイの前まで歩み寄った。そして彼の胸をぽん、と軽くゲンコツで叩き、
「十分、間に合ったよ」
と言って笑った。
「一度アンタとミーティングしてみたかったんだ」
フェイは頷きながら胸元に置かれた彼女の手を取り、下ろした。爪の先は油で汚れ、ひびが入るほど痛んでいながら、それでもなお白く細い指に女性らしさを保つ不思議な手は、まさしくアイラの右手だった。
そう、そこにいたのは紛れも無くアイラ・ルークスカイで、だからこそ蒼い機体はブルーバードに違いなかった。例え誰一人として人影が見えなくなったとしても、あらゆる機材が撤去され空っぽの一室になったとしても、彼女がそこにいる限り、ガレージからチームの面影は色褪せたりしない。
アイラに聞かされるまでもなく、フェイは彼女の正体に薄々勘付いていたし、アリスの計画も察しがついていた。だからチームの面々がガレージを去らなければならない理由にも、すぐに思い当たった。
「アリスは何が何でも私に言うことを聞かせたがる」
ジャスティスを起動するにはアイラの協力が不可欠だ。だが、どんな手段を使ってでも計画を成功させなければいけないアリスに、自由の化身である彼女に選択権を委ねるなど出来ないだろう。あらゆる材料を用意して取引を強要してくるはずだ。
だからアイラは先手を打ち、自らの一番大切なものをアリスの手が届かないところまで逃がしたのだ。すなわち、チーム・ルークスカイの仲間たちを。
「それで」
紙コップに注いだ琥珀色のコーヒーを口に運びながら、圧力をかけないよう注意しながら、フェイは尋ねる。
「お前は、ジャスティスを使うのか?」
まるで疑うように問い詰めたことが情けなくて、フェイは思わず目を逸らして俯く。沸き起こってきた自己嫌悪の念は、コーヒーの後味を忘れさせるほどに苦々しかった。
確かにはっきりと答えて貰わなければならないことだった。取引の材料を奪うことで、アリスが仕掛けてくるであろう脅迫を退けることは出来ただろうが、それだけでは何も解決したことにならない。ネストを滅ぼさない限り、アリスの執念は鎮まることを知らず、また第二、第三の手を講じてジャスティスに手を掛けようとするだろう。
つまり、フェイはこう問い詰めたわけだ。「ジャスティスの他にネストを倒す手があるのか?」と。それは暗に、考えなしに要請を拒否するだけなら只の我が侭だ、と非難する意味を含んでいる。
アイラは何も悪くないのに。ただ、一人の男の妄執に振り回されているだけなのに。
触れたくない、でも追求せざるをえない、そんな思考の袋小路を前に、フェイは改めて彼女が背負ってきた宿命の重みを実感する。
アイラはすぐに答えなかった。待っていたのだ。フェイが落ち着きを取り戻し、もう一度その目を向けてくれるまで。
フェイが恐る恐る視線を上げ、二人の目線が交錯した時、彼女はぽつりと呟くように答えた。
「私は、このチームが好きだから」
その表情には何の色も浮かんでいなかった。彼女の顔色を伺うことを生業としているフェイですら、それは初めて目にする素顔であった。
アイラはいつも何らかの感情を表現していた。全てを見透かしているような不敵な笑みであったり、自由を誇示する激しい怒りであったり、人間らしさに興じる無邪気な喜びであったり…どんな時でも紋切り型の意志表示を見せながら、その裏に誰も予想のできないような策略や想いを秘めていた。
だから、感情という仮面を外した今のアイラが発する言葉は、嘘偽りのない彼女の真意に他ならなかった。
「好きになっちゃったから。だからジャスティスは使わない」
アイラはきっぱりと言い切った。
もしジャスティスを使えば、ロストフィールドもろともネストをこの地球から消滅させることは可能だろう。だが、歴史から抹殺された兵器に手を出した者を政府が放っておくはずがない。実行犯のアイラや責任者のアリスは彼らに追われる立場となり、例え命を奪われないにしても自由な活動など許されない身となるだろう。そうなれば、チームは解散を迎え二度と結成されない。
それは、アイラにとって絶対に選べない選択だった。
「ジャスティスを使わずに、私はネストと戦う」
アイラに残された道は他に残されていなかった。今、一時的に解散されたチームを再び結集させ、今まで通りの生活を取り戻すには、ジャスティスを使わず、且つアリスの目的を達成させてやるしかない。
「そのために私はコイツを作った」
アイラは詰め所の外に立つ、蒼い機体を見上げながら言う。『旧世代の亡霊』のデータを流用し、チームが総力をあげて組み上げたAC。これが彼女の切り札だった。
「勝てるのか?」
話が現実的な戦況判断になると、アイラの顔には表情が戻り、明後日の方向を見つつ手元ではフェイの淹れたコーヒーと缶コーヒーを混ぜ合わせながら考える素振りを見せるといういつもの姿を披露した。そんな彼女にフェイは安心を抱きつつも残念な気分に陥るという、不思議な矛盾を覚えるのであった。
「無理だね」
出来上がったコーヒーカクテルのひどい味に顔をしかめながら、アイラは断言した。
「あれで勝てるならアリスがもうやっている」
計算通りに蒼いACが稼動すれば『旧世代の亡霊』を上回る戦闘力を発揮するはずだが、所詮は単体のACである。ロストフィールドに眠る数十、数百のナインボールを相手に立ち向かえる道理がない。
そうした現実的な戦況の予測に加えて、アイラが言い切ったのはアリス・シュルフという人間が持つ執念の深さをよく理解しているためである。
「あいつほどネストと向き合ってきた奴はいない。あれが勝てないって言うなら、誰も勝てないんだよ」
アイラは彼の強さを認めていた。いや、否定できるはずもなかった。何しろ彼女という存在自体が、そうした妄執の産物と言って過言ではないのだから。
「だから、さ」
彼女は毒々しい中身の入ったカップをテーブルに置き、立ち上がった。
「あいつがどうしてもジャスティスを使うって言うなら、それもいいかなって思ってる。私は嫌だけど、あいつのやってきたことをふいにしたくない」
彼女は外を向いていたので、フェイの座っている位置からは表情を確認することが出来なかった。だが、検める必要もなくアイラが今どのような顔をしているのか、彼には見当がついていた。
きっと、人形のように整った風貌を強調するように無表情なのだろう。彼女がアリスを敬う気持ちは、おそらく本物だろうから。ジャスティスなど使いたくない。だが、使わせてやりたい。人一倍聡明な頭脳を持ちながら、そんな矛盾を口にせざるを得ないほどに。
「私はただ、その必要がなくても済むならって。そう、何とかしてやりたいんだ」
キリマンジャロ基地の地下十階、第一会議室でアイラの意向を知ったアリスは、驚愕に押されて後ずさり、やがて膝から崩れ落ちた。両腕はだらんと下がり、フェイに突きつけていた銃口も地面を向いている。
「馬鹿な!」
アリスは真っ青な顔で、声を震わせながら疑問を漏らした。
「話が無茶苦茶だ! ジャスティスを使いたくないならば私にその起動装置を渡すなど矛盾しているではないか。スタッフをいったん退避させた上で私を始末し、後はネストなど無視して活動を続ければ、それで解決ではないか!!」
そしてぎっ、とフェイの目を睨みつけて叫ぶ。
「アイラがそれに気付かないはずがない! 違うか!? フェイ・ウーシャン!!」
答えを訴える姿は、まるで救いを求めて手を突き出す亡者のようだった。
フェイは静かに彼の目を見つめながら、アイラから託された答えを告げる。
「アイラはきっと、貴方を殺せません。自分がジャスティスを使わない自由を勝ち取ったように、貴方からジャスティスを使う自由を奪いたくない。そう思うはずです」
それがアリスへの止めとなった。
アリスは知っていた。アイラは、ルークスカイは、己の自由を求め続け、同じように誰かの自由を守り続ける。時に相反する二つの自由を、それでも共に抱えようと、もがき、足掻き、羽ばたくことをやめない。それが、レイヴンとして生まれ育ってしまった者の背負う、どうしようもない性なのだと、アイラと、そしてセッツの生き様を目の当たりにしてきた彼は、確かに知っていたはずなのだ。
アリスは理解してしまった。アイラは確固たる意志を持って死地へと向かったことを。そう、誰にも侵すことの出来ない、自由意志の下に。
「だが」
だが、
「だからと言って私が涙を流し計画を諦めるとでも思うのか!?」
ようやく掴んだ人生の終着点を放り投げるほど、彼の執着は薄くない。テーブルを掴み、力ずくて体を支えると、ひったくるようにスカイウォーカーを手に取り蓋を開けた。
筆箱程度の小さなディスプレイにはプログラムの文字が羅列されており、最後の一行で起動の承認を求められていた。アリスの人差し指がyキーを押した瞬間にジャスティスから発射されたエネルギーがロストフィールドを焼き尽くし、全てが終わる。
アリスの求め続けた結末が、まさにそこにあった。
「アイラなど、ルークスカイなど、私にとって手段に過ぎない! ネストを倒すために必要だったから、都合が良かったから、利用していただけなんだよ!!」
彼はなおも声を張り上げる。悲願の達成を迎え入れるために。躊躇いという最後の抵抗を振り払うために。
「そんな難しい話じゃないでしょう!?」
しかしアリスの高揚を切り裂くように、フェイのあげた声が第一会議室に響いた。
「アイラは最後に足掻かせてほしいだけだ! 戦って、負けたら、ジャスティスを使うのはそれからでもいいじゃないか!!」
「何もしない奴が偉そうな口を聞くな!」
するとアリスも叫ぶ。ありったけの声量を持って、本心を、計画と目的に雁字搦めとされた魂を言葉に乗せて。
「私に渡せばこうなるのはわかっていたはずだ! アイラが決死の覚悟で最後の抵抗を図っていると知りながら、どうして言われるままに従ったのだ!? 所詮お前は部外者だ、仕事のパートナーというだけの関係だ! だから本当はアイラが生きようが死のうがどうでも良いのだろう!? 違うと言うならば、どうしてアイラを行かせたのだ!? たった一人でネストに勝てるはずがない、確実に死ぬ道を、どうして進ませた!? お前は、アイラを死なせたいのか!?」
言葉が、心を縛る鎖を断つ。
「私は…」
複雑に絡み合ったしがらみから解き放たれ、後に残るは彼の抱える本当の答え。
「死なせたくない」
人はそれを真心と呼ぶ。
アリスは手にした銃を床に叩きつけると、すかさずスーツの裏地に隠していたポケットから一台のコンピュータを取り出した。
スカイウォーカーと酷似している黒いそれは、アリスがスカイウォーカーを元に組み上げた模倣品で、ファンタズマのような無二のソフトこそ持ち合わせていないものの、同等のハッキングツールを備え、同機の特殊性をほぼ再現していた。
彼はそれを起動させると、脇で眺めるフェイなど見向きもせず、ただがむしゃらにキーを叩き情報を何処かに転送していた。その横顔は赤く火照っており、先ほどまでの死人の容姿から蘇ったかのような印象を与えた。
音を立ててリターンキーを叩いたところで通信は終了し、アリスは大きく息を吐いた。
「こいつはスカイウォーカーのコピーだ。オリジナルと同じように単独でネットワークへの侵入を可能とし、ACと接続することも出来る。そして」
アリスは閉じていた目を開く。フェイに向けて大声で叫んだ際、興奮で流れた涙が電灯の光を反射して煌いていた。
「今、接続している相手はネストのナインボールだ」
フェイは答えなかった。アリスはそれを気にかけることもなく告白を続ける。
「ネストは完結したネットワークを備えていて、外部からの接触は断たれている。だが、スカイウォーカーのように単独で接続の可能なツールを使えば通信は可能だ。私は、これを使ってあいつらを操ってきた」
例えば、ナインボールを上回る戦力を持ったACを開発している場所を教え、襲撃させるように誘導した。プログテック本社の崩壊は彼が招いたのだ。
「ネストの行動基準自体は単純だからな。意のままにとは言わないまでも、こちらに都合の良いよう情報に制限をかければ、味方につけることは難しくない」
アリスはそこまで話すと、曲がっていた背を伸ばし、皺のついた服を払いながら立ち上がると、フェイに向かってこう指示する。
「スカイウォーカーを使えばアイラと直接通信できるはずだ。伝えてくれ、ネストに偽の情報を流した。間もなくナインボールが出払うはずだから、指定した時刻に」
『あいつら、もう出撃しているよ。念のため、五分待ってから突入する』
が、言い終わるより先に、スカイウォーカーから流れてきた声がアリスを遮った。
「なっ!?」
思わず絶句するアリス。驚きあまり、勢い込んで身体を乗り出しスカイウォーカーを覗き込むと、先ほどまでプログラムが羅列されていたディスプレイの一面には、ACのコックピットと缶コーヒーを唇で挟んだアイラの姿が映し出されていた。
『協力に感謝する、ってね。フェイもご苦労様』
「どういたしまして…二度とやらないぞ、こんな仕事。本当に殺されると思った」
『黙っていれば良かったのに』
「そのつもりだったけど、いざってなると見過ごせなかった」
『あっそ』
いつも通り、本当に日常的な流れで会話のキャッチボールが行われる。しかしアイラはともかく、フェイにとってそれは精一杯の強がりなのだろう。スカイウォーカーに搭載されたカメラに映る上半身こそしっかりと構えているものの、テーブルの陰に隠れた両足が小刻みに震えて止まないのを、アリスは捉えていた。
「乗せられたわけか」
二人のやり取りから、アリスは自分が策にはめられたことを自覚した。いや、それは策などと上等な名前で呼ぶには希望的観測に過ぎる妄想だ。彼が口にした言葉通り、アイラ諸共ジャスティスでロストフィールドを消し去る道を選んでいたら、全ては無駄なあがきに終わっていたのだから。
アイラと言えど、ネストの圧倒的な戦力を前にして一人で対抗できるはずがない。そもそも彼女の力量はナインボール三機分と先日実証されたばかりである。しかしネストの中枢に辿り着くには百機に及ぶナインボールを掻い潜らねばならない。そのためには敵を誘導する協力者の存在が不可欠であり、それが可能な唯一の人間がアリスだった。
かくしてアリスを出し抜くためにアリスの協力を仰ぐという矛盾がアイラの前に立ちはだかった。彼女はそれを破るために、自らの命を差し出したのだ。
アリスがあくまでネストの打倒を優先し、ジャスティスを発射すれば彼女諸共何もかもが塵に帰る。だが、彼がアイラの命を惜しめば、心血を注ぎ育て上げてきた娘に対してわずかでも愛情が生きていれば、彼女がネストを破るわずかな可能性に賭け、発射を思いとどまる可能性は残されていた。
それはアリスの中の人間性に賭ける行為であり、彼自身にとってはアイラと共に生きてきた二十年余りの人生が試される瞬間でもあった。そして、アリスはアイラを見捨てることが出来なかった。彼が戦い抜いた二十年は、ネストが与えた絶望と復讐心に勝ったのである。
「いいだろう」
アリスはスカイウォーカーの前に立ち、画面に映るアイラと目を合わせた。いつからか対立することになっていたにも関わらず、彼女が嫌な顔をしなかったことが彼には嬉しかった。
「こうなったらとことん協力しよう。突入したら内部構造をスカイウォーカーに送り続けてくれ。こっちはナインボールの動きを随時報告する」
仮にアイラがロストフィールドを去れば、アリスは即座にジャスティスを発射する。だから彼女は決着がつくまで決して退かないだろう。
だとすれば、アリスに出来るのはその背中を押して可能な限りの支援を送ることだけだった。
『了解。久々のオペレーティング、任せた』
アイラは軽快に答える。その揚々とした態度に不安はない。
だが、
「アイラ」
それでもアリスは聞かずにはいられなかった。
「本当に良いのか? どんなに上手くナインボールを避けたとしても、衝突は避けられないし、たぶん最深部はアレが守っている。勝ち目はゼロに等しいぞ」
『冗談っ!』
しかしアイラはそれを鼻で笑い飛ばした。
『アンタがこうして味方してくれることの方がよっぽど考えられなかった』
明朗と、
『フェイが命賭けで私を助けてくれるなんて思っていなかった』
力強く、
『あとは私がやってやる』
アイラは宣言する。
『今の私なら、何だって出来る。これだけの奇跡が起きた、今だったら』
事実。
アリスはこの場でジャスティスを撃ち込んで然るべきだった。彼にはそれだけの理由と執念がある。
フェイはチームを見限ってガレージから立ち去るべきだった。彼はたまたま派遣されてきただけの部外者に過ぎず、命を賭ける義理など持ち合わせていない。
それを覆し、決して立つことのならなかった舞台へとアイラを送り出したのは、この上なく曖昧で不確実な人の気持ちが成した業である。
アイラは既に絶望的な確率を潜り抜け、奇跡を起こしている。
あとは彼女自身が、その手で決着をつけるのみ。
シルフィの行く手を赤いACが遮った。
「ターゲット、補足」
抑揚のない機械的な声で事務的な報告を行いつつ、右手に握ったパルスガンの照準を合わせる姿には迷いも躊躇いも闘志や殺意すら、人間味というものがまるで感じられなかった。
それはまさしくナインボールの姿だった。
シルフィは真っ直ぐにナインボールに向かって加速する。相手に見せ付けるように右手のライフルを下ろし、前身の機体から引き継いだ左手のムーンライトを構えた。
ナインボールは逃げない。狙っていたパルスガンの射撃を中断し、左肩に担いだグレネード砲による迎撃へと移行する。パルスガンでは破壊力に欠け、突進してくるACに致命傷を与えられない可能性がある。敵に回避するつもりがないのならば、可能な限り強力な攻撃を見舞うのが最も合理的な判断と言えた。
だからナインボールは皆、一様に同じ対応をする。その合理性がアイラに付け込む隙を与えた。
シルフィの背中に青白い光が灯ると、ワンテンポ遅れて基地内を揺るがす爆音がナインボールの機体に響いた。それと同時に、いや音速を超えて、シルフィの身体がナインボールに衝突した。
それでもシルフィは止まらない。なおも前進をやめない同機の出力に押され、まるで人間同士ががぶり四つに組み合った格好のまま、ナインボールは後方の壁に押し付けられた。
AC戦にはありえない展開を前にしてナインボールの対応が遅れる。機械であるが故に最も効率的な判断を常に下すことが可能な反面、思考ルーチンに存在しないパターンに対しては処理の遅れてしまうことがナインボールの欠点であった。
そう、ナインボールの持つ常識ではACがACを圧倒するほどの出力を発揮するなどありえない。OBが開発されたのはネストが歴史から姿を消した後で、ナインボールの理解の外なのである。
要は、ナインボールはOBに対応する術を持っていないのだ。
自機をはるかに上回る馬力で壁に押し込まれ、赤い装甲が軋みをあげる。一方、最新の技術で加工されたシルフィの装甲板はびくともしなかった。両者の強度の差は、この二十年で人類が歩んだ進化そのものと言えた。
ようやっとナインボールがブレードで目の前の敵を払うことに思い至った時には手遅れだった。シルフィが生み出したムーンライトの刃はナインボールのコアを貫き、これを行動不能へと追い遣ったのである。
もう何機目とも知れぬナインボールを撃退したアイラは、休むことなくその足を進める。
何しろここは敵の根城だ。アリスがいくら無数の偽報を送り霍乱しても、現場で戦闘が起きればこちらの位置を悟られてしまう。早急に場所を移し、姿を隠す必要があった。
ロストフィールドは地中に埋まった円柱状の塔となっていた。中央部にはACすら搭乗できる輸送用エレベータが設置され、地上との出入口となっている。ネストの中枢であるメインコンピューターは最深部に据え置かれており、向かうにはこのエレベータを使う他にないのだが、こちらの存在がバレている以上、自ら袋小路に追い込まれるような真似は出来ない。
シルフィは通気口と思われる小道に入り(シリーズに共通する横道だけどACが通れる横道ってどんなんだろう?)、レーダーを確認する。スクリーンには敵の存在を意味する赤い光がうようよと集まってきて、シルフィを包囲しようとしていた。
「アリス、あいつらをエレベータに誘導して」
アイラはガレージのアリスに指示を送る。中枢に向かうアイラがエレベータを使うのは自然な行動で、相手も無視できないだろう。
『了解。だが、どうするつもりだ? さすがにもうかわしきれない』
アリスの問いには答えず、アイラは操作用のパネルを動かして、ここまで記録してきたロストフィールドのマップをスクリーンに映す。はっきりと構造がわかるのは実際に通ってきた道筋だけではあるが、エレベータの場所が判明している以上、その真下にある中枢との位置関係は把握出来た。
アイラはムーンライトを展開する。そして、OBの光と同じ青白い刃をコンクリート作りの床に突き刺した。高温のエネルギーは岩をも溶かす。刃を振るうごとに地面は抉れ、鉄筋が剥きだしになったところをシルフィのライフルが撃ち抜くと、同機の周囲数mが崩れ落ちた。基地内は階層構造を取っているので、上下をし切る天上および床はさほど厚みを持っておらず、ACならば容易に切り崩せたのである。
「このまま中枢まで掘り進む」
とても侵入者とは思えない乱暴な手口にアリスと、その隣にいるフェイまでもがあんぐりと口を開ける。だが、それはネストに取っても同じことだろう。常識以外の発想に対応できない性を持つ彼らに、この行動は予想できないはずだ。
現に、床を崩すほどの爆音が生じたにも関わらず赤い点はなおもエレベータを周回しており、偵察の一機すら遣そうとしない。彼らにとって予測のつかない事態は存在しないも同然なのだ。
『こんなことが…』
アリスは言葉を失くす。難攻不落と思われたロストフィールドが、このような幼稚な方法で無力化されるとは、人間の常識では考えられるはずもなかった。
「ま、中枢は気付いているだろうから、このまま終わるわけないだろうけど」
アイラは言う。目の前のトラブルに対応できないのは尖兵だけの話である。彼らを統括する中枢のコンピュータは、基地の隅で起きている異変を当然察知しているだろう。ただ、一番確実で手っ取り早い全ての兵力を差し向けるという行動に、機械の思考では大胆に過ぎる策と判断され、思い至らないだけなのだ。
指示なくしては行動を変えられない前線の兵と、確実性を優先する余り金縛りにあう司令塔。皮肉なことに、それはまさしく優秀な部隊ならではの人間が持つ特徴と合致していた。
その後も数機のナインボールを全く同じ手順で退けながら、真っ直ぐにアイラは中枢へと向かう。不気味なほど事は順調に進んでいると言って良い。侵入にあたってアイラの用意した奇策は両の指の数を上回るが、最も単純な手で理想的な戦果をあげることが出来ていた。
だが、彼女は同時に気付いている。追い込まれている相手が正攻法をやめないと言うことは、戦況をひっくり返す手札が存在していることを意味すると。
そして彼女は知っている。かつてセッツ・ルークスカイを最も追い詰め、アリスを恐れさせた禍々しい凶器を、ネストが備えていることを。
読者方は見たはずだ。ナインボールを破るべく設計された『旧世代の亡霊』たちが、成す術もなく無残に打ち捨てられていく惨状を。
天使の名を持つ赤い悪魔、ナインボール・セラフの存在を。
十数回目となる掘削を完了させてシルフィが下の階層へと降りると、そこには1km四方にも及ぶ広大な空間が広がっていた。
明かりの類は見当たらなかったが、床や壁面を縦横無尽に走るケーブルが薄緑色に発光していたため視界の確保には困らない。ACのカメラを回し、周囲を見渡すと半球型に切り取られた天井を持つ、ちょうどアイザック・シティのアリーナに近い形状を取った部屋であることがわかった。
そう、そこはアリーナと同じ用途を持った、AC同士が戦うために作られた一室だった。
戦士の名は、片やブルーバード・シルフィ。ナインブレイカーの宿命を背負わされた少女の駆る、新機軸のACだ。
そしてシルフィの相手は部屋の中央で仁王立ちの構えを取り、排除すべき宿敵の到来を待っていた。
『戦闘モード起動』
規格通りのコンピュータが発する報告と共に、くすんだ両目に紅い光が灯る。背中に負った巨大な翼から熱風が吹き出し、動力の起動音が空気の振動を通してアイラの身体に響いて聞こえた。
「上等じゃん」
アイラは体をシートに固定していたベルトを外し、全身を持って機体を操作する、戦闘態勢に入る。咄嗟の反応が出来るよう操縦桿を両手で握ったまま、空いた左足を使ってOBを促すレバーを上げた。
シルフィのジェネレータが回転速度を上げ、セラフの起動音をもかき消す甲高いノイズが場に響き渡る。
「決着つけようか、ナインボール・セラフ!」
青白い爆炎を上げ、ブルーバード・シルフィが飛翔する。
『敵AC確認、排除する』
黒い翼を広げ、ナインボール・セラフは迎え撃つ。
奇しくもその名を同じくする鉄で出来た二体の天使が、自由と秩序、そのカラーリングのごとく相反する理念を賭けて今ぶつかり合う。
二代に渡るルークスカイとネストの因縁は、ここに決着の時を迎えようとしていた。