第二章
ゆっくりショップの朝は早い。
朝日が差し込んで一体のゆっくりの目が覚める。
「ゆー、ゆっくりしていってね。ゆっくりしていってね!」
後は、もう連鎖的に「ゆっくりしていってね!」の唱和が広がっていく。
全然ゆっくりできない金曜日が、いつものように始まる。
ゆっくり達に餌を与え終わり、うんうんの世話を終えると、開店時間まで少し手が空く。
その空いた時間で、私は事件の概要をもう一度追うことにした。
別に、この事件を私が解決してやる! とか息巻いているわけではない。
次に他の連中と事件の話をするとき、自分だけがろくに理解していないというのは さすがにまずいだろう、
と思ったまでのことだ。
れいぱーありすによる飼いゆっくり連続強姦致死事件。
おそらくマスコミが大々的に報道した、初めてのゆっくり関連の事件だろう。
とはいえ、初めての事態であるので、マスコミが把握している情報は大したものではないし、その内容もとんちんかんだ。
やれゆっくりは命を持った饅頭で食べられるだの
(基本的に野生や野良のものは食わない方がいい。何を食って生物濃縮しているか知れないので)、
でかいものは十メートルになるだの(何食って生きてるんだ? そもそも見たのか?)
捕食種が人間を襲って食べるだの。(人間みたいなまずいものを食うわけがないだろう)
要するに、マスコミに先を越される心配はない。
ただ、彼らの報道の中には多少正しいものもあった。ゆっくりそのものに対する、意見がバラバラであることだ。
やれ保護せよだの、やれ排除せよだの、うんざりする識者の喧々諤々の議論、
というより一方的主張の乱れ撃ちがあるということだ。
警察の発表では、れいぱーありすの犯行だろう、という程度の情報しか出ていない。
そんなことは全国津々浦々のゆっくりを知る者たちなら、とっくの昔に全て推測できている。
そもそも、警察はあまり熱心にこの事件を調べていないようなのだ。
ゆっくりごときに住居に侵入されたのは、飼い主の不注意によるものだ、という偏見があるのではないかと思われる。
第一、れいぱーありすと言っても、他のありすと見た目が区別されているわけではない。
はっきりそれがれいぱーと分かるのは、現行犯の時だけだ。
警察がやれることと言えば、野良ゆっくり、特にありす種を駆除するくらいのものだろう。
ゆっくりに関して素人の警察に、駆除活動などうまくできるとは思えない。
目撃者がきわめて少ないことが、この事件を長期化させている理由だ。
全ての犯行が、家主がいない時間を見計らって行われている。なおかつ、人通りの少ない住宅街で、進入しやすい住居がターゲットだ。
ガラスが割れる音は聞こえるだろうが、今の世の中、他人の家の中に入ってまで様子を探るような人もいない。
私も、例え隣家でまるで殺人でも起きたような悲鳴が聞こえたとしても、のこのこと様子を探りに行けるわけがないのだから。
それに、事件現場が広域であることも常軌を逸している。
普通、ゆっくりというものは、ゆっくりプレイスなる縄張りをもつものだ。これは山でも都会でも変わらない。
たまに都会に出てくる野生のゆっくりもいるが、それでも住みやすい場所を見つければそこに居着く。
そのことを考えれば、複数のれいぱーありす群による犯行と考えるのが自然ではあるが、それにしても犯行時期が近すぎる。
今のところ、同一犯なのか、複数のれいぱーありす群が同じ時期にやっているのかも分からない。
読み進めるごとに、これは面倒くさい事件だ、という思いが強まっていく。
ゆっくりに関するノウハウを持っていないマスコミや警察にはとうてい無理だろう。
かといって、私は気乗りしないし……他の連中が勝手にやってくれるだろう。
開店時間が来る。と言っても、普通のペットショップがそうであるように、お客さんがひっきりなしにやってきて、
あれを買うこれを買うでてんてこ舞いになるわけではない。
打ち明ければ、ゆっくりを売ることはメイン事業ではあるが、メインの利益源ではないのだ。
どういうことかというと――ちょうど都合良く客がきた。
「昨日、うちのちぇんがタンスの角にぶつかって、傷がついちゃったんです」
と、若い女性が手にしたペットハウスをこちらに渡す。
中ではバレーボール程度の大きさのちぇん(銀)が「いたいよー、わからないよー」と泣いている。
「分かりました、けがの様子を見ますので、少々お待ちください」
と言って、すぐ横のスタンド付きテーブルに、ちぇんを取り出す。
見ると、ガムテープがちぇんの傷口に張られている。私はそれを慎重にはがす。
が、ちぇんに痛みが走ることは否めない。完全にはがすのに五分もかかった。
側面についた傷はかなり深く、このままだと中身が完全に漏れ出て、半日もしないうちに死に至るだろう。
とりあえず応急処置の用意を始める。
小麦粉(中力粉)を少量の水に溶き、柔らかい粘土状になる頃に、ちぇんの傷口に塗りつける。
そして、オレンジジュースをいくらか飲ませる。終わる頃にはちぇんの泣き声はぐずる程度に静まっていた。
「ちぇんは、大丈夫でしたか?」
「ええ、とりあえずの応急処置は済ませました。ですが、傷が深いのできちんと治した上で、一日様子を見た方がいいと思います。
預けていただけるなら、明日の昼あたりに元気なちぇんをお返しできると思いますが」
「はあ、それなら……いくらでしょう?」
「先ほどの応急処置分で五百円、一日お預かりして治療をするとなると、三千円ですね。計三千五百円です」
「……そんなに」
「応急処置のままだと、安静にしてても完全に回復するのに一ヶ月はかかってしまうんです。それに、傷が開く可能性も高いんです」
「……じゃあ、しかたがないですね」
と言って女性は財布のひもをゆるめる。私は深く頭を下げた。
女性が店を出た後、再び手持ちぶさたとなった私は、ちぇんに話しかける。
「あの女に蹴られたな。で、口止めされているんだろう」
ちぇんは私の顔を見上げる。
「おにいさん、わかるのー?」
「ゆっくりがタンスの角にぶつかった程度で、腹がそんな内側にへこむことはないからな」
それに、あの女性は妙に歩みがアンバランスだった。
おそらく、ゆっくりの体に餡子やクリームなどの重い流動体がたっぷり詰まっていることを考慮に入れず、
つま先で強く蹴ったのだろう。それをやれば、いくらゆっくりの体が柔らかいとはいえ、突き指の危険性は高い。
ちぇんは身の上話を始める。
もともとは、別の人の家でらんさまといっしょにゆっくりしていた。そのうち子供ができて幸せそのものだった。
ところが、子供が生まれるといきなり飼い主は冷淡になった。その理由は。
「らんが一体も産まれなかったんだろう」
「にゃっ、どうしてそんなにわかるのー?」
「良くあることだからな。その頭の悪い飼い主は分かってなかったようだが」
そんな簡単に六桁台のレアゆっくりが手に入るのなら、ゆっくりショップ業界は新規参入を待つまでもなく壊滅だ。
それで、バランスの悪い出産しかできない親はいらないということで、この近くに子供共々、捨てられた。
幸い、毛つやが良かったので次の飼い主に拾ってもらえたのだが、生まれたての子供は夜の冷え込みの中で全滅していた。
それでも次の飼い主がいい人間なら多少は慰められたのだろうが。
「でもいつもはいいおねえさんなんだよー、すっごくおいしいすいーつっておかしをわけてくれるし、
たまにここににたおみせにいってべつのらんさまとあわせてくれるんだよー、
でもときどきひどいことをするんだよ……あついぼうをおしつけてきたり、
しっぽをもってぶらさげたり、けったりするんだよ……いいひとになったりわるいひとになったり、どうしてかな……わからないよ」
「それは、私にも分からないな」
「らんさまにあいたいよ……でも、いつあえるのか、わからないよー……」
おそらく、もう二度と会えることはないだろう。
ゆっくりを捨てる人間は、自分の居住地からかなり離れたところで捨てる傾向があるからだ。
バッジや証言を詳しく調べれば分かることもあるが、当然ながら元飼い主は捨てたことを認めたがらず、大概もめ事に発展する。
それに、その身の上話を聞いたところで、何をしてやれるでもない。
私は一介のゆっくりショップの店員にすぎず、女性はお客様なのだ。
提案はできても、強制をすることはできない。
うちにもらんが一体いるが、このちぇんに会わせるのは良くないと判断する。
そんなことをしたところで、一時の虚しい慰めにしかならない。
何らかの病気を持っているなどと偽って、こちらで引き取る手も使えないだろう。
少なくとも女性にはちぇんを愛する心もあるのだ。愛憎入り交じるというやつだ。
このタイプが一番、ゆっくりを手放したがらない。
それに――まあ、外道な話ではあるが、このちぇんを返した方が、儲けになるのだ。
まがりなりにもあの女性はちぇんを治す金を全額払った。これでこの店のリピーターになってくれればしめたものだ
。見ての通り、ゆっくりの傷の修復にはさほど費用はかからない。
応急処置の五百円だって他店と比べれば安いが、原価と労働時間を考えればぼろ儲けだ。
確かに全快させるには、一日が必要だが、それでも実際に治療にかける時間はそう長くない。
それで三千円。決して他店と比べて法外な値段ではない。
……新規参入の話が出るのもむべなるかな。
さらに外道きわまる話として、そのリピーターになった女性が、例え勢い余ってちぇんを殺してしまったとしても、
またうちの店で新たなちぇんを買ってくれる可能性もあるわけだ。
もちろん、治療は誰にでもできることではない。
応急処置はともかく、全快治療をやるには、少なくとも菓子職人見習い二年目くらいの技量は必要だ……と思う。
中には、適当な治療で、全快したとぬかして多額の治療費を請求するゲスもいるようだが、
今のご時世、そういうところから真っ先に潰れていくのは世の習いだ。
先日、れいぱーありす捕獲を手伝え、と言われた面々が不満を漏らしたのはこのこともある。
普通にゆっくりを売るだけならバイトでもいいだろうが、治療をやるには専門のスタッフが必要なのだ。
そして、そのスタッフが、ショップの店長くらいしかいないというわけだ。
利ざやの大きい治療ができなくなるのだから、反発を受けるのも当然だろう。
「本格的な治療は今夜だからな」
と言って、ちぇんを店の奥に連れて行った。そこには、昨日子供を産んだゆっくりたちがいる。
「ゆ! けがしたちぇんだね! ゆっくりしていってね!」
「にゃーん、みんなやさしいんだね、わかるよー」
動き回らないように、狭い水槽に入れた。
店に戻り、時折、ゆっくりたちの様子を見る。
ありす種が売れないのは、時期が悪いので仕方がない。事件が解決してほとぼりが冷めるのを待つしかない。
逆に言えば、ほとぼりが冷めればまた再び売れる見込みはあるのだ。
それより気になるのは、れいむ種の売れゆきが鈍ってきていることだ。
上級のれいむでさえ、一割、二割引してようやく買い手が現れるといった程度だ。
このまま売れ残りが続けば、上級はともかく、中級以下の売れ残りはことごとくれみりゃ行きだろう。
そのくせ、れいむはゆっくりの中で一番多い。れいむ種はゆっくりのなかでも子沢山だ。
他のゆっくりとのつがいでも、れいむ種が母体となるケースが最も多い。
突発的な繁殖能力ではありす種にかなうものはいないが、継続的な繁殖活動は、れいむ種が秀でている。
仮に三ヶ月に一回、十体の子供を作るのがありす種だとすれば、一ヶ月で三~五体の子供を作るのがれいむ種なのだ。
それゆえに、ゆっくりのスタンダードとして例示されることが最も多い。
まりさほどに乱暴でなく、ありすほどに気取ることもなく、ぱちゅりーのように脆弱でもない。
値段を考えても、飼いゆっくりの入門編には極めてふさわしい、と思うのだが。
個性がない、と思われているのかも知れない。よく言えばポピュラー。悪く言えば……凡庸。
ショップを長年営んでいると、同じれいむ種でも様々な違いがあることが分かるのだが、
一般人にとっては、みんな同じ顔にしか見えないのだろう
。黒人も白人も黄色人種も皆、異人種のことを「似たり寄ったりの顔」と評するように。
もちろん、状況に甘んじているわけにはいかない。
昼過ぎに、一人の珍妙な来客があった。
「うぃっしゅ! 青写真ができたんで、見せに来ました」
そう言って入ってきたのは臨時バイトかつうちの広告担当である五代くんだ。
隣の家に住んでいる。今、芸術学校に通っている。小遣い稼ぎにたまにうちで働いているのだ。
言葉遣いは変だが、気のいい青年だ。
「こんな感じでどうすか? めちゃくちゃパネエっしょ?」
と見せられたのは、店のポスターだ。
ポスターに描かれているのは、れいむ、まりさ、ぱちゅりー、ちぇん、れみりゃ等々の姿である。
そこにありすの姿はない。事前に写真を彼に渡して、れいむを真ん中に目立つようにしてくれと頼んである。
デザインは申し分ない。ゆっくりたちの持つ、ふてぶてしい感じのうざ可愛さがよく出ていると思う。
が、ちょっと何というか……妙に耽美的な感じがしないでもない。
「これ、君が描いたの?」
「あ、いや、絵のほうは姉ちゃんが描いたんすよ。俺の姉ちゃん漫画描いてるもんで。何かやばいっすか?」
「へぇ、漫画家か、サインでも端っこに描いてくれればいいのに」
「いやいや、そんなジャンプとかマガジンとかみたいなすげえメジャーって訳でもないですから。で、どうっすか?」
「申し分はない、と思うよ。このまま刷ってもいける……とは思うんだけど……」
「何すか?」
「ちょっと今、予定が不規則でね、枚数を刷るのは少し後になると思うんだ。
だからとりあえずポスターのデータだけ持ってきてくれるかな」
「ああ、いいっすよ」
「ご苦労さん。データ持ってきたら、給料渡すから」
まあ、こういう風に商売をやるものとしての努力も、それなりにやっているのだ。
近所の人たちにとって、飼いゆっくりがマンネリ化している以上、商圏を広げる必要に迫られて、というわけだ。
せめてバイト一人を、継続的に雇える程度には繁盛したいという思いもある。
その程度の野望しか持ち合わせていないともいえるが。
その日は、八時の閉店時間までに結局五人の客が来店した。
中級のまりさ(約三週間、銅)が一体二千五百円で売れた
。なぜか長谷川町子作みたいな風貌をしていたので、売れるかどうか心配だったのだが。
治療を目的とした客が三人だった。先ほどのちぇんと、ぱちゅりー、そしてゆうかだ。
そして、土曜は遊びに行くからとゆっくりを預けに来た人がいた。
親一体につき一日千円、子供五百円で預かる。胴付きれみりゃの一家、計三匹が預けられた。一日二千円だ。
ゆっくり預かり業も、最近ペットショップが行うようになってきている。
必要は発明の母というやつだ。あのれいぱーありす事件も、需要増に一役買っている。
店をしまい、ゆっくり達に夕食を与え、自分の夕食を手早く済ませると、いよいよ本格的な治療の開始だ。
ゆうか、ぱちゅりー、ちぇんの順で始める。傷の重い順だ。
まず、ゆうか(金)から。飼い主が目を離しているときに花壇を手入れしていたところを、
たまたま開けっ放しにしていた門から進入してきたゲスまりさ一家に暴行されたという。
幸い飼い主が駆けつけたので、何とか死を免れることができた。飼い主は捕まえたゲスまりさ一家も一緒に持ってきていた。
私は飼い主を、預かっているれみりゃ一家の部屋に案内した。
まあ、良くある話だ。れみりゃの餌代が浮いてちょっと助かる。
二階の和室にゆうかを持って入る。ここにはゆっくりはいない。ここがゆっくりの手術室である。
ゆうかのいびつな凹凸のある体の、あちこちが裂けて餡がはみ出していた。
できれば元の、傷一つない丸っこい体に戻して欲しいということだった。
これだと五千円になりますね。と言うと、飼い主はためらいなく一万円札を取り出した。
ありがとうございます。ゆうかがかなりのレア種であることを知っているのだ。
始める前に、水と小麦粉と餡子と塩を用意する。
そして、丹念に手を洗い、使い捨てタオルで手を拭いた後、アルコール消毒をする。
では、手術開始。
まず、ゆうかの体を、一つの傷口を除いてサランラップでぐるぐる巻きにする。
一つの患部を治療する際に他の傷口が広がるのを防ぐためだ。もちろん手術中にゆっくりが大声を上げることを防ぐ意味もある。
私は、水で小麦粉を溶く。まず、糊のように薄く溶いた粘液を作る。
次に饅頭の皮を作る。そのことは応急処置の時と同じだ。だが、今回はより精度を上げる。
ゆうかの皮の厚さを測った上で、それと全く同じ柔らかさ、厚さになるように作っていく。
十数分で、思い通りのものが出来た。ここからはスピード作業だ。
「痛いが、我慢しろ」
そして私はあぐらをかいて懐にゆうかを抱きかかえると、傷口を塞いでいた応急処置の皮をむしり取った。
その患部には体当たりによる凹みがある。それを片手でつまみ、押し上げる。わずかな空洞に、餡子を隙間無く入れる。
ゆうかが声ならぬ絶叫をあげる。
刹那、私の手には先ほどの皮が握られ、それを傷口に押しつける。そして間髪を入れず、糊を傷に塗っていく。
すると、傷も凹みも目立たなくなる。その後、妙な雑菌が入らないよう、塩水で患部を洗う。
息を吐き、同じ要領で三つの傷を塞ぐ。ゆうかが失神する寸前に、十分ほど休憩を挟む。
サランラップをはぎ取る。気付けば、私の額に汗がにじんでいる。
オレンジジュースを持ってくる。自分でも飲んでから、ゆうかにあたえた。
「どうしてこんないたいことするの……」
「早くゆうかを治さないと飼い主さんに私が怒られるんだ」
「ゆ……きずはさっきふさいだのに?」
「そのままだと、元気になるのに一ヶ月はかかる。それに、凸凹した体も中々治らない」
「でも、いっかげつあればなおるんでしょ?」
「もちろん治る。だが、その間はろくに動けない。花の世話なんかはまず無理だな」
「ゆうぅ……おはなさんのせわができないなら……がまんしてはやくなおすよ」
覚悟があるのなら、話は早い。手術も予想より早く終わるだろう。
そしてその通りだった。
次のぱちゅりー(金)は、チラシを読んでいる最中に、すぐそばに置いてあった本の山が雪崩を起こしたという。
本にのしかかられた部分も結構な重傷だったが、それよりも飼い主が気にしたのは体についた模様だった。
粗悪なインクを使ったチラシに長時間押しつけられたために、印刷がぱちゅりーの皮に写ったのだ。
特価200円! の鮮明な文字が裏返っていた。
「明日、娘の友達が来るんですよ、自分のゆっくりを一緒に持ってくるらしいんです。それなのに、こんなもの見せられないでしょう?」
五千円を請求した。
飼い主を見れば、ゆっくりの性格も大体分かる。
「ゆっふん! おにいさんがぱちゅりーのおいしゃさんなのね!
はやくこのはずかしいいれずみをけしてね! あと、ぱちぇのからだについたきずをちゃんとやさしくなおしてね!
つやつやのぴかぴかにするのよ! もちろんぱちぇのなかのくりーむにはせいじょういしいでうっている、
さいこうきゅうのくりーむとぐらにゅーとうをつかわなきゃだめよ! むきゃきゃ!」
冷蔵庫からメグミルクの、普通のスーパーで売っている生クリームを取り出してきた。
期限を三日すぎているが、問題ない。
砂糖は、棚の中に置いてあるグラニュー糖――の横にあるアスパルテームのコーヒーシュガーを二本取る。
手術は、印刷のある部分をナイフで刮ぎ取って、代わりの皮を押しつけた。
言葉にすれば簡単だが、ぱちゅりーの皮は薄く、またぱちゅりー自体が痛みを非常に嫌うため、
もちろん、丁寧に手早くやったのだ。そのほかの傷も同様である。
砂糖を加えたクリームを注射器で詰め込んで形を整えればはい出来上がり。
ラップを巻いたままのぱちゅりーを水槽に戻し、最後にちぇんに取りかかる。
やることは先ほどの二匹よりも容易い。こぼれた分のチョコクリームを詰め込んで、大きな傷を一つ塞ぐだけだ。十分もしないだろう。
「これがおわったら、おにいさんともおわかれなんだねー、わかるよー」
「ま、何かの縁があればまた会えるかもな」
そして、再会の機会はそう遠くない未来に訪れるかもしれない。
そんなことを考えたが、もちろんおくびにも出さなかった。
そして、土曜日。
一週間の中でもっともゆっくりできない一日の始まりだ!
開店してから一時間で、数人の客が訪れていた。子供だけで来た場合は、ゆーぶつえん代わりにされているだけだが、
親子連れや、若い女性には見込みがある。
「どうです? 特に初めてゆっくりを飼う方には、このれいむ種が特におすすめですよ」
「……でも、高いんでしょう? ほら、あれなんか八万ってありますし」
「まあ、確かに珍しい特徴を持ったものや、しつけの行き届いたものは値が張る傾向がありますが、
小さいものではお手頃な値段のものもありますよ」
「安いのは性格に問題ありって聞いたけど」
「それも、産まれて一ヶ月しないものであれば、うまくしつけて育てれば上級並みのいい子にすることも出来ますよ」
「ゆっくち! ゆっくち! いっちょにゆっくちちようにぇ! おねえちゃん!」
そして二週目の子れいむ(銅)が水槽と飼育の手引きを含め、五千円で売れた。
商売うめえ! 俺商売むっちゃうめえ! とゆっくり風自画自賛したくなった。
この仕事を始めて、良かったと思えること。
それは、ああいう若い女性を相手にしても、物怖じせずに喋れるようになったことだ。
まあ、客と店員以上の関係に発展することなど一切無いのだけれど。
昨日治療のため預かっていた三体のゆっくりも、それぞれの飼い主の元へと帰って行った。
ゆうか、ぱちゅりー、ちぇんと、飼い主の手に戻った。
「またゆっくりおはなさんをそだてられるよ! ありがとう!」
「むっぎゅううう! はやくかえりたいのだわ! ごほんをよんでゆっくりしたいわ!」
「おねえさん……」
と、ちぇんはおずおずと飼い主の女性に近づいた。
彼女はそれを抱き寄せる。柔らかな隆起の目立つ胸元に抱きかかえられたちぇんが何ともうらやましい。
「すいません、お手数おかけして」
「いえいえ、仕事ですから。むしろ商売としては手数がかかった方がいいくらいですよ」
今度は、タンスの角にぶつかることが無ければいいですね。と言おうか迷った。
が、そんな皮肉を言ったところで、得るものはない。第一、プライバシーの侵害につながる。
外に出た彼女が、小さい声で「ごめんね……」と言っているのが聞こえた。
ま、それでいいではないか。少なくともあの飼い主はゲスじゃない。
昼の、繁盛する時期が過ぎると、やるべき仕事も決まってきていた。
今日の入院患者は計七体だ。中には、野良めーりんを拾ってきて新しく飼いたいので見た目をどうにかしてくれ、という依頼もあった。
売れたゆっくりは、計四体。先述の子れいむ、子ちぇん(二ヶ月、去勢済、銀)、
親れみりゃ(七ヶ月、胴なし、金)とその子供二体(二週目、胴なし、銅)のセット。
しめて十万六千円の売り上げだ。なかなかのものである。
こういう日はどうしても顔がゆるむ。
夕方になり、ゆーぶつえん見学のガキどももあらかた帰っていった。
正直に言えば邪魔者でしかないのだが、追い返すわけにもいかない。
預かっていたれみりゃ一家も無事返却。
「れみ☆りゃ☆うー♪」うー♪」」とれみりゃ一家がぴったり一致した動きで、こっちにのうさつぽーずを決めてきた。
「どうです、可愛いでしょう? 今度のゆっくりムービーコンテストにエントリーしてみようかなと思うんです」と飼い主が言った。
また当店をご利用ください。と私は頭を下げる。
平日は夜の客が多いが、休日は逆になる。
ゆっくりたちの夕食を用意しなければ。そういえば昨日、一房三百円のバナナをものの試しに買っていたんだった。
それを一本、味見する。
……うめえ、と思わず声が漏れた。これほんとにバナナ?
ちょっとこれはゆっくりたちに奮発するのをためらうお味だ。
……………………
やっぱり、いくら売り物だからといって。例え今日は気分がいいからといって。
贅沢を覚えさせていい理由にはならない……よな。
手は二本目の皮をむいていた。はっ、いつの間に!?
あまりにバナナが旨かったので、その来客に気付かなかった。
「ゆっくりを買いたいんですけど」
「むぐっ、はいはい、すいません、いらっしゃいませ、何にいたしましょう?」
だが、その来客の顔を見て、私の笑みは凍る。
小学校中学年くらいの少女。見間違えることはない。
まりさとぱちゅりー一家を殺された家の、娘さんだった。
そして彼女の求めるゆっくりは。
「ありすはいないの?」
日曜の仕事が終わっても、どうにも気分が晴れなかった。
もちろん客向けの愛想笑いは忘れないのだが、どうにも人に対面していないときに、表情が曇ってしまうようだった。
「おにいさん、ゆっくりしてね!」と店のゆっくりたちに気遣われてしまった。
面目も何もあったものじゃない。
――少女は、ありすを求めていた。それも、ありったけの。
「……お金は持ってるの?」
「これ、お小遣いの全財産」
そう言って彼女は無防備にも、財布を取り出して私に手渡した。
一応、中を確認させてもらう。そして彼女に返す。
……お金持ちってのは、いるもんだなあ……
「これだけお金があったら、ありすにこだわらなくても、
れいむ、まりさ、ぱちゅりー、そのほか、この店にあるゆっくりって名前のつくものは何でも買えると思うんだけど、どうかな?」
彼女の視線は冷たかった。
「どうして、この店にはありすを置いてないの」
あからさまに憎しみのこもった口調だった。
「人気が無いからね。うちは貧乏だから人気の無いものを置いておく余裕が無いんだ」
と私は言う。
「うそつき」
と彼女は言った。あまりにも単刀直入すぎて、思わず心臓が跳ねた。
「隠してるんでしょ! 私のまりさとぱちゅりーを殺したありすを!
だからそんな風に他のゆっくりを買えって言ってるんでしょ! おじさんのうそつき! 人でなし! 鬼!」
そう怒鳴って、彼女は出て行った。
私はすぐに、ご両親に連絡を取った。
『えっ、うちの娘が……そんな……』
両親にも、娘がありすを求めている理由が分かったようだ。
「申し訳ありません。私があの場でありすが犯人だなんてうかつに言ってしまったせいです。
まさか娘さんが聞いているとは思わなかったんです」
『ど、どうしたらいいんでしょう!?』
「どうもありません。普通に接するのが無難だと思います。
間違っても新しいゆっくりを飼おうなどと言わない方がいいでしょう。
出来たら、ゆっくりとか、ペットという単語を一切使わないくらいがいいんじゃないでしょうか。
もちろん、娘さんが遠くのゆっくりショップに行かないよう、お気をつけてください」
そして、うちの近所(と言っても、二、三駅分くらいは離れているが)にある、他のゆっくりショップにも連絡を取った。
ありすを売るなとはさすがに言えないが、ありすを不自然に求めたがる女の子がもし来たら、
出来たら売らないでやって欲しい、と事情を話した。
ほとんどの店はあきれた口調で、まあ考慮しときますよ。といった程度の返事を返した。
そして、そのうちの何店かは、もし娘さんが来て札束を見せびらかしたら、売ってしまうのだろうなあ、と思った。
それを咎めることは出来まい。それは商売だから。
むしろ、私が今やっていることの方がイレギュラーなのだ。
……何をやっているんだ私は。店じまいを考えている貧乏人のくせに。
ゆっくりショップの店員には、ある不文律がある。
「人がゆっくりを買う理由を詮索するべからず」
ショップから売られた以上、そのゆっくりをどう処遇するかは、飼った人間次第だ。
愛でるも食べるも虐待するもほったらかすも、その権利は所有者に帰属する。
例え山奥を散々歩き回って見つけ、苦労の末に捕獲し、丹念にしつけて育てた、
百万円代に達する特上級のレアゆっくり(ゆかりん、てるよふ、えーき等々)であっても、
それを買った人間が虐待をするのは止められない。
ショップ店員がそこに口出しするのは越権行為だ。
私がやったのは、グレーゾーンの行いといえるだろう。
ただでさえ、同業者からはみ出し者扱いを受けているのに、ますます変なやつと思われるようになるだろう。
まあ、他人からどう思われているかなど、とっくの昔に気にしなくなっているので、どうでもいいのだが。
ただ、問題はそれのみにとどまらない。
その娘さんが来る前に、あるお得意様からメールでの注文が来ていた。
ありすが欲しい、という。
そのお得意さんは何とも素直なことに、ありすを虐待するために購入したいです、と書いていた。
「だって、ゲスは制裁しなきゃ、ますます調子に乗るでしょう?」
私は彼の元に、処分品から適当な個体を二つ見繕って配送していた。
一つは体型がいびつで、口の悪い個体。
もう一つは中級品ギリギリの、なかなかコストパフォーマンスのいい個体だ。
二体とも、自分が売れることを喜んでいた。
「「ようやく、このありすのとかいはなみりきにきづいた、はくばのおうじさまなにんげんさんがあらわれたのね!」」
それが別れの言葉だった。
……ほんと、何やってるんだ。
グレーゾーンの上にダブルスタンダードだ。
私は頭を抱えた。これがあの娘にばれたらただじゃ済まないだろうな。
さっき、他人の評価は気にしないと思ったばかりなのに……
いかん、こんなところでじっと考えていると、ますますどつぼにはまっていく気がする。
そういうときはどうしたか?
昔は山へちょくちょく行ったものだ。レアなゆっくりを見つける興奮を味わうために。
今は――
私は五代君に連絡を取る。
「明日一日、店番を頼みたいんだけど、来てくれるかなっ?」
「いいともー! じゃなくて、いいっすよ。ちょうど学校が長い休みなんで」
「ああ、じゃあ、これからちょくちょく店番をお願いすると思うんだ」
「マジっすか。どうしたんすか? なんか超やばい病気っすか?」
「ちょっとノイローゼ気味なんで、気分転換にレアゆっくりを捕まえに行きたいんだよ」
「あー、いいんじゃないっすか? ここんところ全然休んでなかったっしょ?」
なんかすげえいい子だ。きっと親の教育が良かったんだろうな。口調を除いて。
五代君には、平日の店番をお願いすることにした。
朝の開店時間までの仕込みは私がする。
午前十時の開店から、午後六時までで、時給七百円。
特に、上級ゆっくりの世話は丹念にするように頼んだ。
うんうんなどしたら、すぐ取り去ってきれいにしなければならない。
それで体が汚れていたらすぐきれいにして欲しい。
あと、やるべきことは一通り、マニュアルに書いておいてある。
「じゃあ、よろしくね」
「ういっしゅ!」
そういうわけで、自分のミスの尻ぬぐいをするため、私はれいぱーありす探しを始めることにしたのだった。
最終更新:2022年05月19日 12:16