ゴリラ
ゴリラは、霊長目ヒト科ゴリラ属(ゴリラぞく、Gorilla)に分類される構成種の総称。
- 生息地は赤道沿いにアフリカの中央部から西部。
- 「ゴリラ」の由来はギリシャ語で「毛深い部族」という意味が由来とされている。
- 前肢を握り拳の状態にして地面を突くナックルウォーキングと呼ばれる四足歩行をする。
- 手のひらをパーにして胸を叩き大きな音を出す行為はドラミングと呼ばれる。
- オスは13歳を超えたあたりで体毛が白くなり、シルバーバックと通称され、18歳を超えると後頭部が突出する。
- 体長はオス170-180cm、メス150-160cm程度、ほぼ人間と変わらない。
- 体重はオス150-180kg、メス80-100kg、ほぼ人間と変わらない。
- 握力は平均400-500kgで最大600kg、ほぼ人間と変わらない。
- IQは平均40-70で最大75-90、ほぼ人間と変わらない。
- 余談だが、有名なゴリラ「ココ」は手話で人間との会話に成功しており、その語彙数は1000から2000と言われ、嘘やジョークを言うこともあった。
- 手話のできない人間が圧倒的多数なのだから、ココが人間より賢いことは明白であり、嘘やジョークで溢れるぷーれ枠の視聴者は全員ゴリラである。
- ココは『死んだゴリラはどこへ行くのか』との質問に対し、「苦痛のない 穴に さようなら」と答えた。
ゴリラの種類と学名
ニシゴリラ
種類 | 学名 | 個体数 |
ニシローランドゴリラ | ゴリラゴリラゴリラ(Gorilla gorilla gorilla) | 約10万頭 |
クロスリバーゴリラ | ゴリラゴリラディエリ(Gorilla gorilla diehli) | 約300頭 |
ニシゴリラは名前のとおり、赤道直下付近のアフリカ西部海岸に分布する。
ヒガシゴリラ
種類 | 学名 | 生息地 |
マウンテンゴリラ | ゴリラゴリラゲリンベイ(Gorilla gorilla beringei) | 詳細不明 |
ヒガシローランドゴリラ | ゴリラゴリラグラウエリ(Gorilla gorilla graueri) | 約650頭 |
ヒガシゴリラは名前のとおり、赤道直下付近の東側内陸部に生息する。
なぜ「ゴリラゴリラ」?
- まず学名の付け方を説明する。
- 『学名』を体系化したのは皆さんご存知のカール・フォン・リンネ(Carolus Linnaeus)である。
- 細菌学や植物学に詳しい人に「Lといえば?」と質問すれば100%彼の名前が返ってくるほど有名である。ぷーれ枠だとデスノートの話になる。
- 彼の提唱した命名法は二名法といい、種の名前を「属名+種小名」(種小名とはその種の特徴を表すラテン語)として名付ける。
- 具体例をあげると椿(ツバキ)は『Camellia japonica L.』である。「Camellia」はそのまま椿属を意味し、「japonica」は"日本の"という意味の種小名である。つまり「日本原産だよ」と表示している。最後のL.は、もうおわかりであろう。
- なお、椿の原産地は日本だから問題ないが、中国原産のエンジュは「Sophora japonica」である。中国人大激怒不可避。
- 西洋人がなんとなくで命名したため原産地の勘違いが結構多い、学名は一度決まると二度と修正されないのでどうしようもない。
- 具体例をあげると椿(ツバキ)は『Camellia japonica L.』である。「Camellia」はそのまま椿属を意味し、「japonica」は"日本の"という意味の種小名である。つまり「日本原産だよ」と表示している。最後のL.は、もうおわかりであろう。
- さて、本題であるが、ゴリラゴリラの解説をする。
- ゴリラを(西洋人で初めて)発見したのはアメリカ人宣教師のThomas S. Savageであった。当時合衆国政府は植民地だったリベリアを解放奴隷の帰還地とし、リベリアの開拓を始める。Savageは宣教師としての任務を背負い、1836年、リベリアを訪れた。
- その際にゴリラを目撃、「ひどく狂暴で変わった習性をもつサルに似た動物」として報告し、その生物の骨格を回収した。骨格は1847年にアメリカの解剖学者Jeffries Wymanに渡され、新種の動物とされた。
- ゴリラはこの際一種類しか確認されず、近縁種の存在も示唆されなかったため「ゴリラは一種類しかいない」とされ、学名が「Gorilla gorilla」とされた。
- 属名が「Gorilla」で種小名が「Gorilla」である。わかりやすい。
- そして時は流れ1929年、アメリカの霊長類を研究する生物学者Harold J Coolidgeによって213個の頭骨が比較観察され、ゴリラに亜種が存在することが発覚。ニシローランドゴリラとマウンテンゴリラに分類された。
- このときに一般に「Gorilla」とされた生物がニシローランドゴリラであることが発覚し、「Gorilla gorilla」の「Gorilla」として「「Gorilla gorilla gorilla」と名付けられ、マウンテンゴリラは「Gorilla gorilla beringei」と名付けられた。
- こうして、「Gorilla gorilla」はゴリラの種全体を表す言葉となり、ゴリラはニシローランドゴリラ(Gorilla gorilla gorilla)に名前を変えて今にいたる。
- 他の二種はDNAの調査などで後に亜種と判断されてニシローランドゴリラから「Gorilla gorilla diehli」(クロスリバーゴリラ)、マウンテンゴリラから「Gorilla gorilla graueri」(ヒガシローランドゴリラ)と分類され、上記の4種に収まった。
- 一説によるとニシゴリラとヒガシゴリラのDNAは相当離れており、完全に別種とみなす意見もある。
人類とゴリラの歴史
- 一般にヒト属とゴリラ属に分離したのは1000万年前とされ、顕生代の新生代の新第三紀の中新世のトートニアン期である。アフリカの大地溝帯の生成もこの時期で、ヒト族誕生のきっかけとなった、という学者もそこそこいる。
- 700万年前にヒト属はここからヒト亜属(ホモサピエンスやネアンデルタール人はここ)とチンパンジー亜属に分岐する、琵琶湖が形成されたのもこの時期だが、ゴリラは分岐が発生しなかった。
- そして250万年前にニシゴリラとヒガシゴリラに分岐した。人類が石器を使い始めたり、伊豆半島が本州に衝突したのがこの時期である。
- 人類(西洋人)とゴリラが出会ったのは先に述べたとおり1836年以降で、ゴリラという種が(ヨーロッパ及びアメリカ)で認知されたのは1847年になってからである。
- ゴリラの「凶暴で黒い体毛に覆われた巨大なサル」というイメージは鮮明に記憶された。当時のアフリカ大陸は、西洋人にとって暗黒大陸だった。西洋人はゴリラを「未開の地に住み着く凶暴で邪悪な人間」とみなし、乱獲が始まった。
- ハンターにとってゴリラの討伐は誇りであり、ゴリラの子供は見世物として輸出され9割以上が輸送中に亡くなった。
- 1855年、ロンドンの動物園で初めて一般公開される。どこの動物園か調べたが見つけることはできなかった、時期的にロンドン動物園だと思われる。
- 1930年頃、アメリカの心理学者で動物行動学者のRobert Mearns Yerkesは知性に関する低鳥類の研究過程で「ゴリラはおとなしく平穏な状態を好む自己依存的な性格」と評した。
- ゴリラの危険なイメージはこの頃から払拭され、アフリカの国立公園設立も相まってゴリラ保護の活動が本格化する。
- 1959年、アメリカの生物学者George Beals Schallerはアフリカでマウンテンゴリラの集団を466時間もの長時間、観察に成功する。この観察をきっかけにゴリラの野生生活が理解され、人類との共通点が浮かび上がってきた。
- 1960年、アフリカの年と言われるこの1年を皮切りにアフリカ諸国は独立と内戦の動乱を経験することとなり、Schaller含む研究者は野生のゴリラの研究ができなくなってしまった。
- しかし、アメリカの動物学者Dian Fosseyは内戦中にもかかわらず、果敢にもゴリラと接触し、ゴリラの群れに混じって研究を行った。軍事クーデターの勃発したコンゴで兵士に捕らえられるも脱出、ウガンダに逃亡してルワンダでゴリラの研究を再開した。
- 彼女は密猟に対する反対運動を行った、設置された罠の破壊や密猟者の逮捕に協力したり、虐待された動物の保護を行った。
- ところが残念なことに、彼女の保護活動は保護していたゴリラが密猟者に殺害されてから、過激なものになっていく。密猟者を捕らえキャンプに火を放ち、現地警官を脅迫する行為に発展していく。
- お気に入りのゴリラが殺された上に腕が灰皿として売り飛ばされて公園保護官や現地警察が賄賂で密猟者に協力しているのだから気持ちはわからないでもないが……。
- 過激な活動もあって、彼女は暗殺されてしまう、事件の犯人は未だに不明で今後明らかになることもないだろう。
- 彼女をモデルにした映画に『愛は霧のかなたに。』がある。ぜひ視聴してみてはいかがだろうか。
- ところが残念なことに、彼女の保護活動は保護していたゴリラが密猟者に殺害されてから、過激なものになっていく。密猟者を捕らえキャンプに火を放ち、現地警官を脅迫する行為に発展していく。
- 飼育下繁殖の試みは長い間行われており、1956年、アメリカのコロンバス動物園が初めて成功する。日本では1970年に京都動物園が日本で初めて飼育下繁殖に成功した。
- 1988年には「ゴリラ繁殖委員会」が設置されて世界中のゴリラを東京都恩賜上野動物公園に集めて繁殖させる計画が1994年から進められている。
注1:動物の学名決定の欄は不勉強な筆者が学生時代の記憶をさかのぼって記入しているため大きな誤解が含まれている可能性があります。もしも間違いや違和感に気づいた読者がいれば、依頼板での相談や記事の改訂をよろしくお願いします。
注2:ヒト属とゴリラ族の分岐など、数百万年単位の議論は諸説あり、今後変更される可能性が大いにあります。
注3:「ニシローランドゴリラはかつてゴリラと言われていたがマウンテンゴリラが見つかり、ニシローランドゴリラもクロスリバーゴリラが、マウンテンゴリラもヒガシローランドゴリラが亜種として発見され、ニシローランドゴリラの学名は『ゴリラゴリラ』から『ゴリラゴリラゴリラ』に変更された。」を学名で話すと「ゴリラゴリラゴリラはかつてゴリラと言われていたがゴリラゴリラゲリンベイが見つかり、ゴリラゴリラゴリラもゴリラゴリラディエリが、ゴリラゴリラゲリンベイもゴリラゴリラグラウエリが亜種として発見され、ゴリラゴリラゴリラの学名は『ゴリラゴリラ』から『ゴリラゴリラゴリラ』に変更された。」になる。
注2:ヒト属とゴリラ族の分岐など、数百万年単位の議論は諸説あり、今後変更される可能性が大いにあります。
注3:「ニシローランドゴリラはかつてゴリラと言われていたがマウンテンゴリラが見つかり、ニシローランドゴリラもクロスリバーゴリラが、マウンテンゴリラもヒガシローランドゴリラが亜種として発見され、ニシローランドゴリラの学名は『ゴリラゴリラ』から『ゴリラゴリラゴリラ』に変更された。」を学名で話すと「ゴリラゴリラゴリラはかつてゴリラと言われていたがゴリラゴリラゲリンベイが見つかり、ゴリラゴリラゴリラもゴリラゴリラディエリが、ゴリラゴリラゲリンベイもゴリラゴリラグラウエリが亜種として発見され、ゴリラゴリラゴリラの学名は『ゴリラゴリラ』から『ゴリラゴリラゴリラ』に変更された。」になる。