第一次魔導大戦
第一次魔導大戦(だいいちじまどうたいせん)は、黒歴史『魔導大戦ストライクウィッチーズ』シリーズ作品の舞台となった架空の戦争の名称。
作中の勢力であるGAC連盟軍が先進国主導の地球統一国家建国政策に反発し、2211年9月13日に全世界へ向けて宣戦布告したことに始まり、約15ヶ月後の2212年12月25日にGACが世界連合との停戦条約に調印したことによって終結した。
作中の勢力であるGAC連盟軍が先進国主導の地球統一国家建国政策に反発し、2211年9月13日に全世界へ向けて宣戦布告したことに始まり、約15ヶ月後の2212年12月25日にGACが世界連合との停戦条約に調印したことによって終結した。
アニメ『魔導大戦ストライクウィッチーズ』は、この戦争のアフリカ戦線で行われた一連の戦闘を描く作品である。その後に製作されたOVA外伝作品『少女たちの鎮魂歌』及び、小説『魔導大戦ストライクウィッチーズ外伝/Lost Children』、『魔導大戦ストライクウィッチーズ外伝/Reach the Crown』によって補足がなされ、現在に至っている。
1 背景
地球の勢力図は20世紀には安定し、23世紀まで300年近く大きな変化を見せていなかった。
22世紀初頭には新たな発見がほぼ完全に途絶え、閉塞感、倦怠感が世界を覆い、人類は文化、科学の両面で目覚しい進展を果たせずにいた。
22世紀初頭には新たな発見がほぼ完全に途絶え、閉塞感、倦怠感が世界を覆い、人類は文化、科学の両面で目覚しい進展を果たせずにいた。
そんな中、西暦2211年9月9日、国際連合会議にてアメリカ・フランス・イギリスの三国が提案した世界統一国家の建国決議案が可決する。
先進国主導のもと、世界的な人口のコントロール、重要な資源産出地域の共同管理などの政策が決定されたが、これらは実質的に希少資源の輸出に依存する発展途上国に対する先進国の強引な併合計画であった。
これに猛反発する国々の中から、アフリカ大陸共同体(Great African Community)、インドネシア共和国、西オーストラリア共和国の三国が秘密裏に軍事同盟を結成。
彼らは世界で未だその存在が明るみに出ていない、発展途上国で突然変異的に出生する超能力者「魔法使い」を世界中から集め、連合に属する国々へ軍事行動を起こす準備を進めていた。
先進国主導のもと、世界的な人口のコントロール、重要な資源産出地域の共同管理などの政策が決定されたが、これらは実質的に希少資源の輸出に依存する発展途上国に対する先進国の強引な併合計画であった。
これに猛反発する国々の中から、アフリカ大陸共同体(Great African Community)、インドネシア共和国、西オーストラリア共和国の三国が秘密裏に軍事同盟を結成。
彼らは世界で未だその存在が明るみに出ていない、発展途上国で突然変異的に出生する超能力者「魔法使い」を世界中から集め、連合に属する国々へ軍事行動を起こす準備を進めていた。
2 年表
- 2211年9月9日
国際連合会議にてアメリカ・フランス・イギリスの三国が提案した世界統一国家の建国決議案が可決。
GAC(アフリカ大陸共同体)、インドネシア共和国では急進派が権力を掌握し、GACを中心に西オーストラリアを加えた三国連盟(GAC連盟)を秘密裏に結成。
GAC(アフリカ大陸共同体)、インドネシア共和国では急進派が権力を掌握し、GACを中心に西オーストラリアを加えた三国連盟(GAC連盟)を秘密裏に結成。
- 2211年11月28日
GAC連盟が全世界に向けて宣戦布告。インドネシア共和国、西オーストラリア共和国も参戦の意思を表明し、GAC連盟の存在が明るみに出る。
- 2211年12月20日
日米英の共同による連合軍のアフリカ侵攻が開始。
- 2211年12月24日
連合軍、サハラ砂漠北部を進軍中にGACの魔法使い部隊による夜襲を受けて全滅。サハラ砂漠会戦。
- 2212年1月1日
日の出会議。世界各国から集められた学者による討論が行われる。
その中で相沢祐一の提案した「ストライカーユニット開発計画」が承認される。
その中で相沢祐一の提案した「ストライカーユニット開発計画」が承認される。
- 2212年1月3日
インドネシアによるアジア大侵攻が開始。魔法使いの圧倒的な戦闘力を前に、連合軍は一方的な被害を被る。
- 2212年2月3日
西オーストラリア共和国・GAC国内にて穏健派勢力による和平派反乱が発生。
- 2212年2月5日
インドネシア軍、マレー半島を制圧。
- 2212年2月17日
インドネシア軍、カンボジア半島を制圧。
- 2212年2月21日
インドネシア軍、フィリピンを制圧。
- 2212年3月3日
連合軍、プロトタイプ・ストライカーユニットを完成。
世界初の公認適合者、相沢ポルカが特務少尉に任官。
連合各国で魔法研究機関の設立。
世界初の公認適合者、相沢ポルカが特務少尉に任官。
連合各国で魔法研究機関の設立。
- 2212年3月4日
二号適合者、相沢トモカが特務少尉に任官。
世界的に民間から適合者を採用する試験を実施する動きが広まる。
世界的に民間から適合者を採用する試験を実施する動きが広まる。
- 2212年5月3日
インドネシア軍、中国を制圧。
- 2212年5月5日
連合軍内でアフリカ・オーストラリアを中心にストライカーユニット及び適合者の実戦配備が進み、各前線で適合者部隊の創設。
アジア戦線では日本を最終防衛ラインとし、日本列島を防衛基地とする計画が発動。極東対魔迎撃魔女師団「マレブランケ」創設。
アジア戦線では日本を最終防衛ラインとし、日本列島を防衛基地とする計画が発動。極東対魔迎撃魔女師団「マレブランケ」創設。
- 2212年5月14日
GAC、国内の軍事クーデターを鎮圧。
強硬派の筆頭ルフィード・サルシール大将が権力を掌握し、国内の全権を統括するGAC臨時大総統に就任。
強硬派の筆頭ルフィード・サルシール大将が権力を掌握し、国内の全権を統括するGAC臨時大総統に就任。
- 2212年6月初旬
GAC、インドネシア軍の支援及びアラブ諸国への進出を目的としてスエズへの侵攻を画策。
この動きを察知した連合軍はヘルムート・ボーデンシャッツ中将を司令官とした大部隊を編成し、スエズの防備を固める。
この動きを察知した連合軍はヘルムート・ボーデンシャッツ中将を司令官とした大部隊を編成し、スエズの防備を固める。
- 2212年6月19日
第一次スエズ攻防戦。GAC軍、スエズ基地への攻撃を開始。
局地戦としては史上初となる両軍500人以上の魔法使いを投入した戦闘が繰り広げられる。
局地戦としては史上初となる両軍500人以上の魔法使いを投入した戦闘が繰り広げられる。
- 2212年6月21日
連合軍の皇フィオナ率いる適合者部隊による本陣奇襲を受け、GAC軍司令官ファキレ・アードン中将が死亡。
GAC軍、スエズより撤退。
GAC軍、スエズより撤退。
- 2212年6月27日
西オーストラリア共和国が国内の反乱を鎮圧。
新たに西オーストラリア指導者の任に就いた魔法使い、ユリア・ダスクオーンによる西豪大粛清が始まる。
新たに西オーストラリア指導者の任に就いた魔法使い、ユリア・ダスクオーンによる西豪大粛清が始まる。
- 2212年7月2日
日本列島攻防戦。インドネシア軍、日本攻略作戦を開始。
- 2212年7月9日
西オーストラリア軍、エアーズロック周辺に魔導要塞「タルタロスの門」を構築。
- 2212年7月18日
第一次タルタロス攻防戦。連合軍、「タルタロスの門」への攻撃を開始。
- 2212年7月20日
第二次スエズ攻防戦。GAC軍、スエズへ電撃侵攻。
連合軍、スエズ基地を放棄。
連合軍、スエズ基地を放棄。
- 2212年8月3日
アラブ挟撃戦。GAC・インドネシア軍によるアラブ侵攻。
- 2212年8月12日
連合軍、アラブ全域の放棄を決定。
- 2212年10月27日
連合軍、戦力の再編を完了。大魔元帥号の創設。カレトヴルッフ作戦開始。
- 2212年10月29日
アラブ包囲戦。連合軍、アラブ地域を奪還。
- 2212年11月5日
第三次スエズ攻防戦。連合軍、スエズ基地を奪還。
- 2212年11月12日
第二次タルタロス攻防戦。連合軍、「タルタロスの門」への攻撃を開始。
- 2212年11月14日
連合軍、「タルタロスの門」の破壊に成功。エアーズロック周辺を制圧。
- 2212年11月16日
パース侵攻。連合軍、西オーストラリア共和国首都パースへの攻撃を開始。
20時11分、西オーストラリア指導者ユリア・ダスクオーンが戦死。
20時40分、西オーストラリア軍降伏。パース市での戦闘中止。
23時00分、連合軍元帥覇道宗義、西オーストラリア臨時首相と会談。連合と西オーストラリア共和国の間で和平成立。
20時11分、西オーストラリア指導者ユリア・ダスクオーンが戦死。
20時40分、西オーストラリア軍降伏。パース市での戦闘中止。
23時00分、連合軍元帥覇道宗義、西オーストラリア臨時首相と会談。連合と西オーストラリア共和国の間で和平成立。
- 2212年10月21日
関ヶ原の戦い。連合軍、西日本を奪還。
- 2212年11月10日
アジア反乱。連合軍のアジア侵攻に合わせ、インドネシア領アジア全域で反乱が発生。
- 2212年11月25日
ニューデリー和平会談。連合とインドネシア共和国の間で和平成立。
- 2212年12月20日
魔女の釜総力戦。中央アフリカを舞台に連合軍とGAC軍の総力戦が開始。
- 2212年12月24日
ユニヴァース「リザレクション」の最終発動により世界から魔法の存在が消滅。
GAC軍降伏。
GAC軍降伏。
- 2212年12月26日
バンギ会談。連合とGACの間で和平成立。第一次魔導大戦終結。
3 経過
3-1 緒戦期
3-1-1 サハラ砂漠会戦
サハラ砂漠会戦は、GAC連盟の宣戦布告を受けて結成された先進各国の連合軍によるアフリカ征伐作戦における初戦であり、世界に魔法の存在が認知される機会となった一戦である。第一次魔導大戦の開幕戦とも位置づけられている。[要出展]
3-1-1-1 アフリカ征伐
地球統一国家建国政策に反対する国々による武力行使を予測していた先進国連合は、GAC連盟の宣戦布告に対して日米英の合同によるアフリカ征伐作戦を開始する。
第一目標を北アフリカ諸国に定め、2211年12月22日、征伐軍の第一陣としてアルフレッド・ランゴ大佐を司令官とする陸戦部隊がスエズ基地を進発した。
第一目標を北アフリカ諸国に定め、2211年12月22日、征伐軍の第一陣としてアルフレッド・ランゴ大佐を司令官とする陸戦部隊がスエズ基地を進発した。
3-1-1-2 夜襲
2211年12月24日、GAC軍はサハラ砂漠北部を行軍する連合軍陸戦部隊に対し、「混沌の魔王」タチアナ・アカ・マナフ率いる精鋭13名にて夜襲を決行する。これを受け、魔法の力を初めて目の当たりにする連合軍は大混乱に陥った。
混戦の中で連合軍の指揮を執っていたアルフレッド・ランゴ大佐が戦死し、指揮を引き継いだエゼロア・レーニス中佐が一時撤退を試みるも、混乱の収拾がつかぬまま、総勢僅か53名の魔法使いによって兵員5000名以上を数えた連合軍部隊は全滅した。
混戦の中で連合軍の指揮を執っていたアルフレッド・ランゴ大佐が戦死し、指揮を引き継いだエゼロア・レーニス中佐が一時撤退を試みるも、混乱の収拾がつかぬまま、総勢僅か53名の魔法使いによって兵員5000名以上を数えた連合軍部隊は全滅した。
3-1-1-3 日の出会議
勝利を確信していた連合軍はこの事態を受けてアフリカ征伐の一時中断を決定し、残された情報から敵兵器の解析を図るべく、各国の軍事学者を招集して討論会を開かせた。
しかし、集まった学者達による討論は明確な答えが出ないまま時間だけを消費する結果となり、6日が経過すると一般的にオカルトと揶揄される分野からも専門家までもが招かれる事態となった。
この中から、魔法研究家の相沢祐一博士が魔法の存在を提唱し、「ストライカーユニット開発計画」を提案する。半信半疑ながらも議長はこれを承認、計画は実行に移される事となる。
しかし、集まった学者達による討論は明確な答えが出ないまま時間だけを消費する結果となり、6日が経過すると一般的にオカルトと揶揄される分野からも専門家までもが招かれる事態となった。
この中から、魔法研究家の相沢祐一博士が魔法の存在を提唱し、「ストライカーユニット開発計画」を提案する。半信半疑ながらも議長はこれを承認、計画は実行に移される事となる。
3-1-2 アジア大侵攻
アジア大侵攻(あじあだいしんこう)は、インドネシア共和国によるアジア攻略作戦及び、同国と連合軍の間でアジア地域を戦場にして行われた、一連の戦闘の総称。
2212年1月3日にインドネシア軍がマレー半島南端部の都市を攻撃したことに始まり、2212年5月3日に同軍が中国の制圧を完了したことで終結した。
2212年1月3日にインドネシア軍がマレー半島南端部の都市を攻撃したことに始まり、2212年5月3日に同軍が中国の制圧を完了したことで終結した。
3-1-2-1 マラッカ沖会戦
2212年1月7日、インドネシアより総勢438名の魔法使いがマラッカ海峡を横断し、マレー半島各部に飛来した。連合軍は既にパール・F・ミラー元帥の指揮する空母18隻、駆逐艦42隻から成る大艦隊をマラッカ海峡に配置しており、これを迎え撃った。
2212年1月7日10時15分、インドネシア軍を捕捉した連合軍は航空機を展開するとともにありったけの対空ミサイルを一斉に発射し、合計300発以上のミサイルがインドネシア軍の魔法使いを直撃した。命中の報とともに大歓声が連合艦隊を包んだが、しかし、その喜びも長くは続かなかったのである。
「赤子の指をひねるように」とはまさにこの時のために使われるべき言葉であった、と死神の見えざる手を逃れた幸運な者は語る。エーテル磁場によって一切の攻撃を無効化したインドネシア軍の魔法使い達は航空戦力を20分と経たぬうちに撃滅し、連合軍艦隊へと襲いかかった。空母「クイーンエリザベス」が船体を縦に斬り割られて轟沈したのを皮切りに、「ジョージワシントン」「アドミラルクズネツォフ」「シャルルドゴール」の3隻が突如炎上、船内からの大爆発によって撃沈。「インヴィンシブル」は雷に打たれ炎上しつつ3分間の航海ののち撃沈。「エンタープライズ」「クイーンエリザベス」は船体に無数の被弾を受けて蜂の巣となり、5分間の航行ののち撃沈。「サンパウロ」は海上に出現した渦の中に消えて粉々となった。もはや戦場は一方的な虐殺の展開される地獄と化し、連合の誇る60隻の大艦隊はわずか35分で完全に敗滅した。インドネシア軍の戦死者数は0、連合軍空母18隻が大破撃沈、駆逐艦42隻大破撃沈。戦死者数7894名。
マラッカ沖における会戦はインドネシア軍の完全勝利に終わり、航空戦力の常識を超えた機動に加え、エーテル磁場による現行兵器に対する完全防御を持つ魔法使いの反則的な戦闘力を、連合軍は再認識させられる事になったのである。
2212年1月7日10時15分、インドネシア軍を捕捉した連合軍は航空機を展開するとともにありったけの対空ミサイルを一斉に発射し、合計300発以上のミサイルがインドネシア軍の魔法使いを直撃した。命中の報とともに大歓声が連合艦隊を包んだが、しかし、その喜びも長くは続かなかったのである。
「赤子の指をひねるように」とはまさにこの時のために使われるべき言葉であった、と死神の見えざる手を逃れた幸運な者は語る。エーテル磁場によって一切の攻撃を無効化したインドネシア軍の魔法使い達は航空戦力を20分と経たぬうちに撃滅し、連合軍艦隊へと襲いかかった。空母「クイーンエリザベス」が船体を縦に斬り割られて轟沈したのを皮切りに、「ジョージワシントン」「アドミラルクズネツォフ」「シャルルドゴール」の3隻が突如炎上、船内からの大爆発によって撃沈。「インヴィンシブル」は雷に打たれ炎上しつつ3分間の航海ののち撃沈。「エンタープライズ」「クイーンエリザベス」は船体に無数の被弾を受けて蜂の巣となり、5分間の航行ののち撃沈。「サンパウロ」は海上に出現した渦の中に消えて粉々となった。もはや戦場は一方的な虐殺の展開される地獄と化し、連合の誇る60隻の大艦隊はわずか35分で完全に敗滅した。インドネシア軍の戦死者数は0、連合軍空母18隻が大破撃沈、駆逐艦42隻大破撃沈。戦死者数7894名。
マラッカ沖における会戦はインドネシア軍の完全勝利に終わり、航空戦力の常識を超えた機動に加え、エーテル磁場による現行兵器に対する完全防御を持つ魔法使いの反則的な戦闘力を、連合軍は再認識させられる事になったのである。
3-1-2-2 インドシナ半島における主な戦闘
3-1-2-3 フィリピン無血攻略
マレー半島、インドシナ半島における戦闘の情報はフィリピンに駐在する連合軍にも伝わっており、一方的な虐殺を恐れたフィリピン守備隊では将兵の逃亡が相次いだ。
そのような状況の中でフィリピン防衛にあたっていた連合軍司令官、ハイティ・サオロ大佐は徹底抗戦の意を示したが、降伏を主張する下士官との間で意見が衝突し、ついには降伏派の反乱を招く。
連合軍同士で戦火が交えられた結果、降伏派が司令部を占拠し、フィリピンに駐在する連合軍は2212年2月21日にインドネシア軍に対して降伏の申し入れを行い、インドネシア軍襲来を待たずしてフィリピンは陥落した。
そのような状況の中でフィリピン防衛にあたっていた連合軍司令官、ハイティ・サオロ大佐は徹底抗戦の意を示したが、降伏を主張する下士官との間で意見が衝突し、ついには降伏派の反乱を招く。
連合軍同士で戦火が交えられた結果、降伏派が司令部を占拠し、フィリピンに駐在する連合軍は2212年2月21日にインドネシア軍に対して降伏の申し入れを行い、インドネシア軍襲来を待たずしてフィリピンは陥落した。
3-1-2-4 中国における主な戦闘
3-1-3 和平派反乱
和平派反乱(わへいは・はんらん)は、GAC及び西オーストラリア国内で2212年2月3日に蜂起した和平派によるクーデター、またはそれを引き金として発生した西オーストラリアの大規模な内乱の呼称。
2212年6月27日にユリア・ダスクオーンが西オーストラリア共和国の再統一を宣言したことによって終結した。
2212年6月27日にユリア・ダスクオーンが西オーストラリア共和国の再統一を宣言したことによって終結した。
3-1-3-1 和平派の一斉蜂起
GAC連盟に参加した三国では軍部の急進派が支持を得て権力を掌握していたが、その内情は非常に不安定であった。
特にGAC・西オーストラリアでは穏健派の軍人や閣僚も多く、魔法使いの中にすら急進派が強引に行った宣戦布告に批判的な者が少なくはなかった。
インドネシア共和国が連合に対する本格的な侵攻を開始すると、これら穏健派勢力に属するGAC・西オーストラリアの軍人や閣僚が密かにクーデターを画策し、国内の権力を掌握して連合との和解を図ろうとする動きが広がっていく。
特にGAC・西オーストラリアでは穏健派の軍人や閣僚も多く、魔法使いの中にすら急進派が強引に行った宣戦布告に批判的な者が少なくはなかった。
インドネシア共和国が連合に対する本格的な侵攻を開始すると、これら穏健派勢力に属するGAC・西オーストラリアの軍人や閣僚が密かにクーデターを画策し、国内の権力を掌握して連合との和解を図ろうとする動きが広がっていく。
3-1-3-2 GACにおける内乱
インドネシア共和国のアジア侵攻に合わせてスエズへの攻撃を決定した急進派の機先を制し、2212年2月3日にGAC国内各地で和平派軍人によるクーデターが発生。
クーデターには幾人かの有力な魔法使いも参加していたが、穏健派勢力の中に内通者が存在していたこともあって首都での蜂起は失敗に終わる。
その後も約3ヶ月間に渡って各地で穏健派によるゲリラ的な活動が続けられたが、反乱に直接・間接的に参加した者の多くが拘禁、処刑され2212年5月14日にはGAC国内の反乱が完全に鎮圧された。
この反乱によってGACに目立った損害は出なかったが、GAC軍のスエズ侵攻を3ヶ月近く遅らせる結果となったことは歴史的に大きな意味を持っていると言える。
クーデターには幾人かの有力な魔法使いも参加していたが、穏健派勢力の中に内通者が存在していたこともあって首都での蜂起は失敗に終わる。
その後も約3ヶ月間に渡って各地で穏健派によるゲリラ的な活動が続けられたが、反乱に直接・間接的に参加した者の多くが拘禁、処刑され2212年5月14日にはGAC国内の反乱が完全に鎮圧された。
この反乱によってGACに目立った損害は出なかったが、GAC軍のスエズ侵攻を3ヶ月近く遅らせる結果となったことは歴史的に大きな意味を持っていると言える。
3-1-3-3 西オーストラリアにおける内乱
2212年2月3日のGAC和平派蜂起に合わせ、同日に西オーストラリア内の穏健派勢力が蜂起した。
GACやインドネシア共和国とは異なり、部族国家的な体制を取っていた西オーストラリアでは勢力が真っ二つに分かれ、特定部族同士での確執なども表面化する、さながら中世的戦国時代のような様相を呈する内乱へと発展した。
この機に乗じて連合軍内部では西オーストラリアへの侵攻、もしくは和平派との協力を唱える声が出たが、インドネシア軍のアジア侵攻に続いてGACのスエズ攻撃など、各所の対応に追われる連合に介入の余裕は無く、これらの案が実行に移される事はなかった。
西オーストラリアの内乱はデザン族の魔法使い、ユリア・ダスクオーンが西オーストラリア再統一を果たす2212年6月27日まで続き、国内の大きな弱体化を招いた。
GACやインドネシア共和国とは異なり、部族国家的な体制を取っていた西オーストラリアでは勢力が真っ二つに分かれ、特定部族同士での確執なども表面化する、さながら中世的戦国時代のような様相を呈する内乱へと発展した。
この機に乗じて連合軍内部では西オーストラリアへの侵攻、もしくは和平派との協力を唱える声が出たが、インドネシア軍のアジア侵攻に続いてGACのスエズ攻撃など、各所の対応に追われる連合に介入の余裕は無く、これらの案が実行に移される事はなかった。
西オーストラリアの内乱はデザン族の魔法使い、ユリア・ダスクオーンが西オーストラリア再統一を果たす2212年6月27日まで続き、国内の大きな弱体化を招いた。
3-1-4 第一次スエズ攻防戦
第一次スエズ攻防戦(だいいちじすえずこうぼうせん)は、GACがアラブ進出を目的とし、2212年6月19日に連合軍の前線防衛基地であるスエズ基地を攻撃したことによって始まった戦闘の呼称。
2212年6月21日にGAC軍がスエズ周辺より撤退したことで終結した。
2212年6月21日にGAC軍がスエズ周辺より撤退したことで終結した。
3-1-4-1 連合軍のスエズ防衛作戦
2212年6月、国内の和平派反乱を鎮圧したGACはアラブ諸国への進出を目的としてスエズへの侵攻を画策する。
この動きを察知した連合軍はヘルムート・ボーデンシャッツ中将を総司令官とした総勢503名から成る適合者部隊を編成し、スエズの防備を固めた。
この中にはのちに三大魔元帥となる皇フィオナ、妃・アムリタ・アネッサ、覇道誡藍の3名や、菱月ウィルル、篝アルバトロス、燈儀カノーシスらの他、終戦の英雄、相沢姉妹の姿もあった。
この動きを察知した連合軍はヘルムート・ボーデンシャッツ中将を総司令官とした総勢503名から成る適合者部隊を編成し、スエズの防備を固めた。
この中にはのちに三大魔元帥となる皇フィオナ、妃・アムリタ・アネッサ、覇道誡藍の3名や、菱月ウィルル、篝アルバトロス、燈儀カノーシスらの他、終戦の英雄、相沢姉妹の姿もあった。
3-1-4-2 開戦
2212年6月19日19時55分、「紫電」ファキレ・アードン中将率いるGAC軍がスエズ基地より約40kmの地点まで接近し、連合軍の適合者458名が迎撃のために出撃する。
同日21時13分に連合軍の一隊とGAC軍が戦闘を開始したことを機に、互いに援軍部隊を交戦地点へ投入する形となり、両軍入り乱れての乱戦となった。
同日21時13分に連合軍の一隊とGAC軍が戦闘を開始したことを機に、互いに援軍部隊を交戦地点へ投入する形となり、両軍入り乱れての乱戦となった。
3-1-4-3 最古の凄まじき七人(エルダー・セブンス)
第一次スエズ攻防戦に参加していたGAC軍914名の魔法使いの中に、最古の凄まじき七人(エルダー・セブンス)の姿もあり、ストライカーユニットを使用した実戦に不慣れな連合軍適合者を相手に縦横無尽の活躍を示した。
中でもトーニャ・エルネスト・チェルノボーグが最も多くのスコアを記録し、連合軍内では「夜の魔女」と恐れられた。
中でもトーニャ・エルネスト・チェルノボーグが最も多くのスコアを記録し、連合軍内では「夜の魔女」と恐れられた。
3-1-4-4 ハルバード隊の本陣奇襲
2212年6月19日23時26分、野戦での不利を悟った連合軍はスエズ基地へと後退し、その防備を固める。
これに対してGAC軍は基地の包囲を開始。この動きを阻止するために出撃した連合軍部隊との小競り合いが多発したが、2212年6月20日中にはGACのスエズ基地に対する包囲がほぼ完成し、基地の陥落は時間の問題かと思われた。
そのような状況の中で、連合軍の皇フィオナ准将がGAC本陣に対する奇襲作戦を提案し、防衛司令官ヘルムート・ボーデンシャッツ中将がこれを承認。この作戦は一部を除いて味方にも知らされず、秘密裏に実行に移される。
これに対してGAC軍は基地の包囲を開始。この動きを阻止するために出撃した連合軍部隊との小競り合いが多発したが、2212年6月20日中にはGACのスエズ基地に対する包囲がほぼ完成し、基地の陥落は時間の問題かと思われた。
そのような状況の中で、連合軍の皇フィオナ准将がGAC本陣に対する奇襲作戦を提案し、防衛司令官ヘルムート・ボーデンシャッツ中将がこれを承認。この作戦は一部を除いて味方にも知らされず、秘密裏に実行に移される。
2212年6月20日23時15分、皇フィオナ准将率いる「ハルバード隊」、妃・アムリタ・アネッサ中佐率いる「バルムンク隊」から成る少数部隊がスエズ基地より密かに出撃した。
静寂のストライカーユニット「雪風」によりGAC軍の索敵網を突破した連合軍の奇襲部隊は2212年6月21日0時22分にスエズ基地より約30km地点でGAC軍の部隊と遭遇し、戦闘を開始。この部隊こそがGAC司令官ファキレ・アードンが所属する本陣を守る部隊であった。
ファキレ・アードンは本陣奇襲を受けて包囲部隊を戻すように指示するが、連合軍の妃・アムリタ・アネッサがその能力であらゆる通信を遮断していたため、GACの包囲部隊は司令官の危機に気付かぬまま、両軍多数の遊軍を出す決戦となった。最古の凄まじき七人(エルダー・セブンス)もそれぞれ包囲部隊を率いてスエズ基地周辺に布陣していたため、この戦闘に参加することはなかった。
静寂のストライカーユニット「雪風」によりGAC軍の索敵網を突破した連合軍の奇襲部隊は2212年6月21日0時22分にスエズ基地より約30km地点でGAC軍の部隊と遭遇し、戦闘を開始。この部隊こそがGAC司令官ファキレ・アードンが所属する本陣を守る部隊であった。
ファキレ・アードンは本陣奇襲を受けて包囲部隊を戻すように指示するが、連合軍の妃・アムリタ・アネッサがその能力であらゆる通信を遮断していたため、GACの包囲部隊は司令官の危機に気付かぬまま、両軍多数の遊軍を出す決戦となった。最古の凄まじき七人(エルダー・セブンス)もそれぞれ包囲部隊を率いてスエズ基地周辺に布陣していたため、この戦闘に参加することはなかった。
2212年6月21日0時33分、混戦の中で皇フィオナがファキレ・アードンとの戦闘に突入。将同士による魔法戦の末に皇フィオナが勝利し、ファキレ・アードンが戦死。目的を達した連合軍の奇襲部隊は基地へと引き揚げた。
3-1-4-5 GAC軍の撤退
当初、GAC軍の指揮を引き継いだエルクリー・ナレド准将は司令官の戦死を隠匿しようとしていたが、戦闘に直接参加した兵士らから情報が流れ、夜が明ける頃にはGAC軍全将兵の知る所となった。
司令官が戦死したとはいえ未だ戦況はGAC軍が優位な立場にあり、エルダー・セブンスの面々をはじめとする多くの将兵が作戦の続行を主張したが、司令官代理となったエルクリー・ナレド准将は戦意を失っており、結局GAC軍はスエズからの撤退を決定する。
2212年6月21日中にGAC軍が戦域からの撤退を完了し、これをもって第一次スエズ攻防戦は終結した。
司令官が戦死したとはいえ未だ戦況はGAC軍が優位な立場にあり、エルダー・セブンスの面々をはじめとする多くの将兵が作戦の続行を主張したが、司令官代理となったエルクリー・ナレド准将は戦意を失っており、結局GAC軍はスエズからの撤退を決定する。
2212年6月21日中にGAC軍が戦域からの撤退を完了し、これをもって第一次スエズ攻防戦は終結した。
3-1-5 西豪大粛清
西豪大粛清(せいごうだいしゅくせい)は、西オーストラリアの指導者ユリア・ダスクオーンが敵対勢力の排除及び国内の改革を目的として2212年に行った大規模な政治弾圧の呼称。ユリア・ダスクオーンがこの政策によって直接的または間接的に出した死者数は40万人に上った。
3-1-5-1 和平派弾圧
2212年6月27日、西オーストラリアの内乱を制して独裁者となったユリア・ダスクオーンは、連合との徹底抗戦を掲げ、文官武官問わず自らに非協力的な姿勢を示す者の排除を目的として政治家や軍人を逮捕拘禁し、非合法的な手法を取って行われた暗殺を含め約600名を中央から排除・追放した。
権力の座を固めたユリア・ダスクオーンの弾圧は民衆へも及び、「反乱を企てている、もしくは企てる可能性のある者」15万人以上が密告や治安維持局の判断に基づいて証拠もなく不当に逮捕され、その家族など90万人以上があらゆる権利を剥奪されて奴隷階級へと落とされた。
権力の座を固めたユリア・ダスクオーンの弾圧は民衆へも及び、「反乱を企てている、もしくは企てる可能性のある者」15万人以上が密告や治安維持局の判断に基づいて証拠もなく不当に逮捕され、その家族など90万人以上があらゆる権利を剥奪されて奴隷階級へと落とされた。
3-1-5-2 魔豪主義と三階級体制
ユリア・ダスクオーンは改革の中で、「より強き者が弱者を全面的に支配する権利を有する」という自らの思想に基づき、臣民を魔法使い/一般市民/奴隷の三階級に格付け、最高階級である魔法使いに様々な特権を与えるとともに、奴隷の烙印を押された人々に対しては非人道的な弾圧を行った。
この三階級社会体制はのちに「ユリアのピラミッド」と呼ばれ、20世紀代前半期における最悪の政策のひとつに数えられる事となる。
ユリア・ダスクオーンの敷いた三階級社会体制は2212年10月16日に連合との講和が成立するまで続いた。
この三階級社会体制はのちに「ユリアのピラミッド」と呼ばれ、20世紀代前半期における最悪の政策のひとつに数えられる事となる。
ユリア・ダスクオーンの敷いた三階級社会体制は2212年10月16日に連合との講和が成立するまで続いた。
3-1-6 日本列島攻防戦
日本列島攻防戦(にほんれっとうこうぼうせん)は、2212年7月2日にインドネシア軍が連合領である日本列島への上陸侵攻を開始したことによって始まった同地を巡る一連の戦闘の呼称。
2212年2212年10月21日に関ヶ原の戦いで連合軍が勝利したことによって終結したが、表記上、本項では2212年2212年7月19日に終結した安土城跡要塞攻防戦までを取り扱う物とする。
2212年2212年10月21日に関ヶ原の戦いで連合軍が勝利したことによって終結したが、表記上、本項では2212年2212年7月19日に終結した安土城跡要塞攻防戦までを取り扱う物とする。
3-1-6-1 マレブランケ
インドネシアのアジア大侵攻により、アジアに所有する領土の9割までを失っていた連合軍は日本列島を最終防衛ラインとして各地の要塞化を進め、それらを防衛する部隊として極東対魔迎撃魔女師団「マレブランケ」を創設。
日本列島はインドネシアのアメリカ進出を防ぐ最後の砦であるにも関わらず、戦力の乏しい連合軍は激化するアフリカ戦線を支えることで手一杯となっており、マレブランケは適合者96名とその他の兵員38万人で編成された、対魔迎撃魔女師団とは名ばかりの間に合わせ部隊であった。
日本列島はインドネシアのアメリカ進出を防ぐ最後の砦であるにも関わらず、戦力の乏しい連合軍は激化するアフリカ戦線を支えることで手一杯となっており、マレブランケは適合者96名とその他の兵員38万人で編成された、対魔迎撃魔女師団とは名ばかりの間に合わせ部隊であった。
3-1-6-2 熊本城要塞での攻防
2212年7月2日、東シナ海より九州南部へと上陸したインドネシア軍による日本侵攻が始まる。
これに対し連合軍は当初より予定されていた防衛プランに則り、九州南部を放棄、熊本城要塞を防衛拠点として防備を固めた。
マレブランケの司令官である獅童令以下、実質的な戦力である96名の適合者全員がこの戦闘に参加したが、500人以上の魔法使いを投入したインドネシア軍の攻勢に成す術もなく、同日中には連合軍の熊本城要塞放棄が決定された。
これに対し連合軍は当初より予定されていた防衛プランに則り、九州南部を放棄、熊本城要塞を防衛拠点として防備を固めた。
マレブランケの司令官である獅童令以下、実質的な戦力である96名の適合者全員がこの戦闘に参加したが、500人以上の魔法使いを投入したインドネシア軍の攻勢に成す術もなく、同日中には連合軍の熊本城要塞放棄が決定された。
3-1-6-3 安土城跡要塞攻防戦
連合軍は戦力の温存を是として本州近畿地方まで後退し、安土城跡要塞に全戦力を結集する。
マレブランケはインドネシア軍の攻勢を受けて連合軍の上層部に日本列島の危急を伝えるとともに援軍を要請したが、派遣されたのは竜崎聖中佐以下、僅か21名の適合者のみであった。
連合軍内では野戦か篭城戦かに意見が別れ、期待していた援軍が得られなかったことで自暴自棄となっていた獅童令は冷静な判断力を失っており、ただでさえ敵に劣る戦力を篭城と野戦隊に二分するという愚を犯す。
結果、2212年7月17日に京都市街で行われたインドネシア軍迎撃戦にてマレブランケに所属する適合者59名と一般兵20万人以上がインドネシア軍の包囲殲滅作戦によって戦死し、戦力を半減させた連合軍は安土城跡要塞を維持できず、2212年7月19日には要塞を放棄して関東へと逃れた。
この戦いによって半死状態となった連合軍のマレブランケに対してインドネシア軍はほとんど被害を出していなかったが、、2212年7月20日にGAC軍がスエズを陥落させたことでアラブ地域の共同挟撃作戦が提案され、日本に侵攻したインドネシア軍の戦力は反攻に対処するための防衛部隊を残して引き揚げた。
マレブランケはインドネシア軍の攻勢を受けて連合軍の上層部に日本列島の危急を伝えるとともに援軍を要請したが、派遣されたのは竜崎聖中佐以下、僅か21名の適合者のみであった。
連合軍内では野戦か篭城戦かに意見が別れ、期待していた援軍が得られなかったことで自暴自棄となっていた獅童令は冷静な判断力を失っており、ただでさえ敵に劣る戦力を篭城と野戦隊に二分するという愚を犯す。
結果、2212年7月17日に京都市街で行われたインドネシア軍迎撃戦にてマレブランケに所属する適合者59名と一般兵20万人以上がインドネシア軍の包囲殲滅作戦によって戦死し、戦力を半減させた連合軍は安土城跡要塞を維持できず、2212年7月19日には要塞を放棄して関東へと逃れた。
この戦いによって半死状態となった連合軍のマレブランケに対してインドネシア軍はほとんど被害を出していなかったが、、2212年7月20日にGAC軍がスエズを陥落させたことでアラブ地域の共同挟撃作戦が提案され、日本に侵攻したインドネシア軍の戦力は反攻に対処するための防衛部隊を残して引き揚げた。
3-1-7 第一次タルタロス攻防戦
第一次タルタロス攻防戦(だいいちじたるたろすこうぼうせん)は、西オーストラリア軍基地であるタルタロス要塞に対し、2212年7月18日に連合軍が要塞の占拠またはその破壊を目的として攻撃を開始したことによって始まった戦闘の呼称。2212年7月19日に連合軍がエアーズロック周辺より撤退したことで終結した。
3-1-7-1 魔導要塞タルタロス
魔導要塞タルタロスは、西オーストラリア軍が築いた対連合軍前線防衛基地である。
オーストラリア中央部に位置するエアーズロックを囲うようにして建設され、基地面積は47k㎡に達する。
24の区画に分けられた要塞全体がエアーズロックを触媒とする巨大な魔導器の役割を果たしており、起動すれば48k㎡周囲の大気中に存在するエーテル粒子濃度を11倍に引き上げることが可能となっている。
これにより防衛側の迎撃火力を著しく増強することができるが、触媒であるエアーズロックにかかる負荷が過大であるため崩壊の危険が高く、劇中では未完成の機能であるとされていた。
オーストラリア中央部に位置するエアーズロックを囲うようにして建設され、基地面積は47k㎡に達する。
24の区画に分けられた要塞全体がエアーズロックを触媒とする巨大な魔導器の役割を果たしており、起動すれば48k㎡周囲の大気中に存在するエーテル粒子濃度を11倍に引き上げることが可能となっている。
これにより防衛側の迎撃火力を著しく増強することができるが、触媒であるエアーズロックにかかる負荷が過大であるため崩壊の危険が高く、劇中では未完成の機能であるとされていた。
3-1-7-2 ユリア・ダスクオーンの陣中指揮と連合軍の誤算
タルタロス要塞攻略戦の指揮官には第一次スエズ防衛戦での活躍から魔法戦指揮の適性を認められたヘルムート・ボーデンシャッツ大将(中将から昇進)が任命され、適合者784名から成る攻略部隊が編成された。
「戦力過小である」としてヘルムートは適合者戦力の増強を要求したが、「内乱を経て統一された西オーストラリアは未だ烏合の衆であり、最高指導者となったユリア・ダスクオーンの悪政もあってその志気は低く、きっかけがあれば容易に瓦解する」という見解が連合軍上層部で占められていたため却下された。
上層部の不見識に憤慨したヘルムートは格好だけ付けて見せ、出来る限りの生還者をもって撤退するという作戦方針を固める。
「戦力過小である」としてヘルムートは適合者戦力の増強を要求したが、「内乱を経て統一された西オーストラリアは未だ烏合の衆であり、最高指導者となったユリア・ダスクオーンの悪政もあってその志気は低く、きっかけがあれば容易に瓦解する」という見解が連合軍上層部で占められていたため却下された。
上層部の不見識に憤慨したヘルムートは格好だけ付けて見せ、出来る限りの生還者をもって撤退するという作戦方針を固める。
2212年7月18日15時18分に連合軍はタルタロス要塞より東南の15kmの地点まで侵攻し、遠巻きに要塞を見るようにしてタルタロス第6・第7区画の半包囲体勢へと移行。日が陰る頃になっても連合軍が攻撃を開始しなかったため、要塞に駐屯する西オーストラリア軍は夜陰に乗じて奇襲を加える方針を固めて夜を待った。
2212年7月18日23時13分に連合軍右翼部隊と西オーストラリア軍の魔法使い190名から成る奇襲部隊が接触。これをもって第一次タルタロス攻防戦の幕開けとなった。
横に大きく伸びきった陣形になっていた連合軍が各個撃破の対象になるかに見えたが、奇襲を予測していたヘルムートは右翼を後退させつつ左翼部隊を迎撃部隊の後背へと急進させ、西オーストラリア軍の奇襲部隊に対する半包囲を完成する。ヘルムートのとった鶴翼陣形は要塞に対してではなく、誘い出した迎撃部隊を包囲するための陣形であった。
思わぬ逆撃を受けた西オーストラリア軍奇襲部隊は混乱状態に陥り、要塞防衛の指揮を執っていたユリア・ダスクオーンが救出のために魔法使い349名を率いて出撃。奇襲部隊の背後へ回っていた連合軍左翼の更に後背へと肉薄する。
この時点まで最高指導者たるユリア・ダスクオーンは首都に残留している物と考えられており、ヘルムート・ボーデンシャッツすらもこの一騎当千の魔法使いと戦火を交える事態になるとまでは予測していなかった。
連合軍は本隊与力を投入し、ユリア率いる救援部隊の側面へと回り込もうとしたが、それより早くに左翼が崩されてしまう。奇襲部隊と合流を果たした西オーストラリア軍は勢いを落とさずにそのまま前進を続け、一直線に串刺しにするような格好で連合軍の包囲円陣を完全に突破する。
連合軍がこれと対峙して退路を断つためにはタルタロス要塞を背後に回す以外に無く、自軍を挟み撃ちの危険に晒す愚を悟ったヘルムートは野戦の続行を断念し、合流した敵が反撃の態勢を整える前に素早く後退を完了させた。
連合軍はタルタロス要塞より30km地点まで後退した地点に再度陣を敷いたが、野戦での戦力低下を理由に再攻撃を行うことなく、2212年7月19日中に要塞周辺から撤退し、第一次タルタロス攻防戦は終結した。
横に大きく伸びきった陣形になっていた連合軍が各個撃破の対象になるかに見えたが、奇襲を予測していたヘルムートは右翼を後退させつつ左翼部隊を迎撃部隊の後背へと急進させ、西オーストラリア軍の奇襲部隊に対する半包囲を完成する。ヘルムートのとった鶴翼陣形は要塞に対してではなく、誘い出した迎撃部隊を包囲するための陣形であった。
思わぬ逆撃を受けた西オーストラリア軍奇襲部隊は混乱状態に陥り、要塞防衛の指揮を執っていたユリア・ダスクオーンが救出のために魔法使い349名を率いて出撃。奇襲部隊の背後へ回っていた連合軍左翼の更に後背へと肉薄する。
この時点まで最高指導者たるユリア・ダスクオーンは首都に残留している物と考えられており、ヘルムート・ボーデンシャッツすらもこの一騎当千の魔法使いと戦火を交える事態になるとまでは予測していなかった。
連合軍は本隊与力を投入し、ユリア率いる救援部隊の側面へと回り込もうとしたが、それより早くに左翼が崩されてしまう。奇襲部隊と合流を果たした西オーストラリア軍は勢いを落とさずにそのまま前進を続け、一直線に串刺しにするような格好で連合軍の包囲円陣を完全に突破する。
連合軍がこれと対峙して退路を断つためにはタルタロス要塞を背後に回す以外に無く、自軍を挟み撃ちの危険に晒す愚を悟ったヘルムートは野戦の続行を断念し、合流した敵が反撃の態勢を整える前に素早く後退を完了させた。
連合軍はタルタロス要塞より30km地点まで後退した地点に再度陣を敷いたが、野戦での戦力低下を理由に再攻撃を行うことなく、2212年7月19日中に要塞周辺から撤退し、第一次タルタロス攻防戦は終結した。
両軍戦死者数はオーストラリア軍魔法使い146名、連合軍適合者71名。
初手の夜襲を逆手に取られ、包囲陣突破後の挟撃の機会を逃したユリア・ダスクオーンは、ヘルムートの手腕を高く評価して「是非とも幕下に招きたい」と発言したという。
初手の夜襲を逆手に取られ、包囲陣突破後の挟撃の機会を逃したユリア・ダスクオーンは、ヘルムートの手腕を高く評価して「是非とも幕下に招きたい」と発言したという。
3-1-8 第二次スエズ攻防戦
第二次スエズ攻防戦(だいにじすえずこうぼうせん)は、2212年7月20日にGAC軍が連合軍スエズ基地を攻撃したことによって始まった戦闘の呼称。GAC軍にとっては同基地に対する二度目の攻略戦となる。
3-1-8-1 GAC電撃侵攻
スエズ基地再攻の機会を伺っていたGAC軍は、連合軍のタルタロス要塞攻略作戦に伴うスエズ基地の戦力低下、及び基地司令であるヘルムート・ボーデンシャッツ大将の不在を察知、ただちに最大戦力をもってスエズへの侵攻を開始した。
2212年7月15日、トリポリよりGAC軍第一、第三、第四、第八、大九魔法大隊、総勢1204名からなる本隊が進発。翌7月16日、ジブラルタル海峡の防衛に就いていた第二、第六魔法大隊、総勢385名がチュニスより地中海上空迂回ルートを設定、スエズ後背を突くための本命として密かに進発した。一軍によって総勢1000名を超える魔法使いが実戦で運用される例はこれが史上初めてであった。
ヘルムート司令不在の間はのちの大魔元帥である皇フィオナ准将が代行を務めていたものの、兵員の不足による索敵網の緩みは如何ともし難く、サハラ砂漠を横断するルートより侵攻したGAC軍本隊を早い段階で捉えることには成功したが、沿岸の対空網を縫うように地中海上空を迂回した別働隊を最後まで察知することが出来ず、これが結果的に連合軍敗北の要因となってしまう。
2212年7月15日、トリポリよりGAC軍第一、第三、第四、第八、大九魔法大隊、総勢1204名からなる本隊が進発。翌7月16日、ジブラルタル海峡の防衛に就いていた第二、第六魔法大隊、総勢385名がチュニスより地中海上空迂回ルートを設定、スエズ後背を突くための本命として密かに進発した。一軍によって総勢1000名を超える魔法使いが実戦で運用される例はこれが史上初めてであった。
ヘルムート司令不在の間はのちの大魔元帥である皇フィオナ准将が代行を務めていたものの、兵員の不足による索敵網の緩みは如何ともし難く、サハラ砂漠を横断するルートより侵攻したGAC軍本隊を早い段階で捉えることには成功したが、沿岸の対空網を縫うように地中海上空を迂回した別働隊を最後まで察知することが出来ず、これが結果的に連合軍敗北の要因となってしまう。
3-1-8-2 緒戦の経過
2212年7月20日14時55分、サハラを横断したGAC軍の本隊がスエズ基地より30kmの地点まで接近、斜線陣を敷いて攻撃態勢を整えた。連合軍のスエズ基地防衛の任にあたっていた適合者は第一次スエズ攻防戦の頃に比べ、一時は1048名と大きく増強されていたが、同時期に行われたタルタロス攻略作戦に戦力を引き抜かれた影響で、ここでは581名まで減少しており、第一次スエズ攻防戦とほぼ同等の戦力で約2倍に増強された敵軍と戦うを強いられたのである。
基地の支援火力を最大限に利用すべく、エーテルコーティング外縁装甲に沿うようにして横一線に展開した連合軍の総指揮を執るのは基地司令代行、皇フィオナ准将。左翼指揮は菱月ウィルル大佐、右翼指揮はエルヴィン・焔・クローネンバーグ大佐が執り、後詰め、遊撃部隊を兼ねる基地防衛部隊を指揮する任には燈儀カノーシス中佐があたった。編成は中央本隊156名、右翼144名、左翼96名、基地防衛部隊185名。
2212年7月20日15時30分、「混沌の魔王」タチアナ・アカ・マナフ率いるGAC左翼部隊が急進、勢いに任せて連合右翼に突撃し、これをもって第二次スエズ攻防戦の幕開けとなった。
150名に満たぬ連合右翼に対してGAC軍の左翼は438名。熱狂的な勢いで押しまくるGAC軍によって戦闘開始より10分も経過せぬうちに連合右翼は壊乱し、突破されたかのように傍目には見えた。が、これこそが「守護者」エルヴィン・焔・クローネンバーグ大佐必勝の策であった。
あえて左右に部隊を割って基地の外壁に取り付かせたGAC軍の背後に素早く展開した連合軍は基地防衛部隊と連携し、最小限の動きによって前後からの挟撃を実現したのである。
これによりGAC軍は数の圧倒的有利から来る中級指揮官たちの油断と、高すぎる士気によって極端に視野が狭くなっていた事が災いし、GAC軍最強を謳われる戦術指揮能力を誇るタチアナ・アカ・マナフですら収拾のつかぬ混乱に陥った。
思わぬ挟撃を受けて混乱する左翼を救うべくGAC軍は本隊より「悪疫」ドゥルジ・エッダ、「暴君」トーラス・タルウィ、「大海嘯」サーイヴァル・ザリチュ率いる358名の魔法使いを戦線に投入したが、この判断は連合に一歩遅れ、既に右翼のカバーに入っていた皇フィオナ准将率いる本隊によって阻まれる結果となる。
150名に満たぬ連合右翼に対してGAC軍の左翼は438名。熱狂的な勢いで押しまくるGAC軍によって戦闘開始より10分も経過せぬうちに連合右翼は壊乱し、突破されたかのように傍目には見えた。が、これこそが「守護者」エルヴィン・焔・クローネンバーグ大佐必勝の策であった。
あえて左右に部隊を割って基地の外壁に取り付かせたGAC軍の背後に素早く展開した連合軍は基地防衛部隊と連携し、最小限の動きによって前後からの挟撃を実現したのである。
これによりGAC軍は数の圧倒的有利から来る中級指揮官たちの油断と、高すぎる士気によって極端に視野が狭くなっていた事が災いし、GAC軍最強を謳われる戦術指揮能力を誇るタチアナ・アカ・マナフですら収拾のつかぬ混乱に陥った。
思わぬ挟撃を受けて混乱する左翼を救うべくGAC軍は本隊より「悪疫」ドゥルジ・エッダ、「暴君」トーラス・タルウィ、「大海嘯」サーイヴァル・ザリチュ率いる358名の魔法使いを戦線に投入したが、この判断は連合に一歩遅れ、既に右翼のカバーに入っていた皇フィオナ准将率いる本隊によって阻まれる結果となる。
時を同じくしてGAC右翼と連合左翼による戦闘も開始しており、390名から成るGAC右翼部隊に対して僅か96名の連合左翼は驚くべきことに、敵と同数以上の大軍にて包囲を目的とするとされる鶴翼陣形にてこれを迎え撃った。正攻法に則って紡錘陣にてGAC軍が接近、中央突破を図るべく連合の鶴翼に収まりかけるやいなや、連合軍は鶴の翼の左右を切り離して、戦闘域より離脱してしまうほど大きく、不恰好に両翼をL字型に伸ばす格好を取り、もはやそれは鶴翼陣形と呼べる物ですらなくなっていた。戦術の常識を逸脱した動きを見せる連合左翼にGAC右翼を率いる「夜の魔女」トーニャ・エルネスト・チェルノボーグはおおいに戸惑ったが、何らかの意図をもって切り離された両翼も所詮は小勢、前面に展開したままの敵もやはり小勢であるからには、苦し紛れの単なる陽動に過ぎぬと判断し、前進攻撃を続行するように命じる。その直後、菱月ウィルル大佐のストライカーユニット「スペシャルウィーク」によってGAC軍と連合軍の間に横たわる不毛の砂漠に天高く生い茂る樹林が出現。妃・アムリタ・アネッサの「雪風」による広域ジャミングを作動させつつ、連合軍は素早く樹林の奥へと潜んだ。
これを切り拓くには時間を要し過ぎ、上空を通過すれば森に潜んだ連合の狙撃を受ける……GAC軍がとった選択は至極単純、ごく常識的な「敵ごと樹林を焼き払う」という物であったが、この選択こそ連合軍が最も望んだ行動であり、大きな落とし穴が用意されていた。
「グラディウス隊」のティアナ・ボーデンシャッツ少佐の能力によって、戦場をごく微弱に吹いていた北東の風が、突然、南西への強風へと変化し、樹林を焼く大火からもくもくと上がり続ける黒煙と悪臭はGAC軍の左翼から本隊へと横たわった。この上、ティアナ・ボーデンシャッツはその黒煙が敵陣を周回するように「風の檻」を完成させたのである。「たかが煙」ではあるが、風によって通過せずに循環し続け、なおかつ次々と新たに芽吹いては一瞬で成長する樹木に飛び火して勢いを増す黒煙はたちまちにGAC軍を灰色の世界へと閉じ込めた。もはや陣形を維持するどころではなくなったGAC軍の魔法使いたちは各々の判断によって散開し、それぞれに黒煙の外へと逃れたが、既に彼らは緻密に計算された半包囲のもとに置かれており、連合軍の敷いた不恰好に広すぎる鶴翼陣の意味を知ることとなった。
これを切り拓くには時間を要し過ぎ、上空を通過すれば森に潜んだ連合の狙撃を受ける……GAC軍がとった選択は至極単純、ごく常識的な「敵ごと樹林を焼き払う」という物であったが、この選択こそ連合軍が最も望んだ行動であり、大きな落とし穴が用意されていた。
「グラディウス隊」のティアナ・ボーデンシャッツ少佐の能力によって、戦場をごく微弱に吹いていた北東の風が、突然、南西への強風へと変化し、樹林を焼く大火からもくもくと上がり続ける黒煙と悪臭はGAC軍の左翼から本隊へと横たわった。この上、ティアナ・ボーデンシャッツはその黒煙が敵陣を周回するように「風の檻」を完成させたのである。「たかが煙」ではあるが、風によって通過せずに循環し続け、なおかつ次々と新たに芽吹いては一瞬で成長する樹木に飛び火して勢いを増す黒煙はたちまちにGAC軍を灰色の世界へと閉じ込めた。もはや陣形を維持するどころではなくなったGAC軍の魔法使いたちは各々の判断によって散開し、それぞれに黒煙の外へと逃れたが、既に彼らは緻密に計算された半包囲のもとに置かれており、連合軍の敷いた不恰好に広すぎる鶴翼陣の意味を知ることとなった。
周知の通り、第二次スエズ攻防戦は連合軍の大敗という結果に終わるものであるが、緒戦における連合軍の奮戦において特筆すべき点として第一次スエズ攻防戦より頻発していた小競り合いによって経験を積んだ当時無名の中級指揮官を中心とする適合者達の活躍が挙げられるであろう。
3-1-8-3 夜の魔女、再び
2212年7月21日0時40分頃より両軍が後退、戦局は一時的な膠着を見る。数の上では未だGAC優勢であるものの、局地的勝利を重ねた連合軍の意気は上がり、各部隊長を召集しての会議にて「援軍到着まで現状を維持」の方針を堅くした直後、事態は急変する。
2212年7月21日4時15分、「夜の魔女」トーニャ・エルネスト・チェルノボーグが単身にて基地西南部C-14ブロックに侵入、これを迎撃する「フランベルジュ隊」が壊滅。右翼の総指揮を執る「守護者」エルヴィン・焔・クローネンバーグ大佐以下、適合者37名が戦死。2212年7月21日4時30分、誰も予測し得なかった事態に混乱する連合軍を次なる一手が襲う。スエズ基地後背、味方の勢力圏方面より地中海ルートを迂回した「咎人」ティルテュティナ・タローマティ率いる別働隊が急襲、これに呼応して基地正面に布陣するGAC軍が全面攻勢を開始する。
これら状況の推移から完全敗北を悟った皇フィオナ司令代行はスエズ基地の即時放棄を決定。妃・アムリタ・アネッサ大佐の「バルムンク隊」、篝アルバトロス中佐率いる「グラディウス隊」、自身を含む「ハルバード隊」を殿軍とし、菱月ウィルル大佐率いる「クレイモア隊」を先鋒に撤退作戦を開始した。
四方を数倍の敵に囲まれ殲滅の危機に瀕する中、2212年7月21日5時55分、ようやくGAC軍の一角を崩した連合軍は散り散りとなって連合勢力圏を目指す。
2212年7月21日4時15分、「夜の魔女」トーニャ・エルネスト・チェルノボーグが単身にて基地西南部C-14ブロックに侵入、これを迎撃する「フランベルジュ隊」が壊滅。右翼の総指揮を執る「守護者」エルヴィン・焔・クローネンバーグ大佐以下、適合者37名が戦死。2212年7月21日4時30分、誰も予測し得なかった事態に混乱する連合軍を次なる一手が襲う。スエズ基地後背、味方の勢力圏方面より地中海ルートを迂回した「咎人」ティルテュティナ・タローマティ率いる別働隊が急襲、これに呼応して基地正面に布陣するGAC軍が全面攻勢を開始する。
これら状況の推移から完全敗北を悟った皇フィオナ司令代行はスエズ基地の即時放棄を決定。妃・アムリタ・アネッサ大佐の「バルムンク隊」、篝アルバトロス中佐率いる「グラディウス隊」、自身を含む「ハルバード隊」を殿軍とし、菱月ウィルル大佐率いる「クレイモア隊」を先鋒に撤退作戦を開始した。
四方を数倍の敵に囲まれ殲滅の危機に瀕する中、2212年7月21日5時55分、ようやくGAC軍の一角を崩した連合軍は散り散りとなって連合勢力圏を目指す。
3-1-8-4 「ユニヴァース」
大勢決したのち、狩人の立場となったGAC軍の追撃は熾烈を極めた。敵どころか味方の位置も把握できぬまま敗走する連合軍部隊は次々と各個撃破の餌食となっていく。この状況下で皇フィオナ准将の下した決断は、殿軍、即ち自らが率いる部隊を撤退する全軍から切り離し、足を止めての攻防を敵に強いる事で前方を進む友軍の生還率を少しでも上昇させるという物であった。
接地して敵からの肉眼での視認を避け、狙撃や急襲によって上空を通り過ぎようとする追撃部隊を背後より攻撃するという暗殺者めいた戦法は一定の成果を挙げたが、逃亡を放棄した以上、徐々に敵の包囲網はその網目を狭くしていく。殿軍全体の8割近くを失い、絶対絶命の危機を迎えた彼女たちを救ったのは、妃・アムリタ・アネッサ大佐のストライカーユニット「雪風」が放った光。
「ユニヴァース」、その存在が史上初めて戦場で確認された瞬間であった。全ての魔法はその効果範囲内において効力を消失し、次々と落下していくGAC軍の魔法使いが砂漠に大量の赤い花を咲かせる。魔法の力を失ったGAC軍に戦闘手段は残されておらず、ごく局地的にではあるが、この場は連合屈指の白兵戦巧者であり、刀剣型のストライカーユニット「シルクジャスティス」を操る皇フィオナ准将の独壇場となった。
接地して敵からの肉眼での視認を避け、狙撃や急襲によって上空を通り過ぎようとする追撃部隊を背後より攻撃するという暗殺者めいた戦法は一定の成果を挙げたが、逃亡を放棄した以上、徐々に敵の包囲網はその網目を狭くしていく。殿軍全体の8割近くを失い、絶対絶命の危機を迎えた彼女たちを救ったのは、妃・アムリタ・アネッサ大佐のストライカーユニット「雪風」が放った光。
「ユニヴァース」、その存在が史上初めて戦場で確認された瞬間であった。全ての魔法はその効果範囲内において効力を消失し、次々と落下していくGAC軍の魔法使いが砂漠に大量の赤い花を咲かせる。魔法の力を失ったGAC軍に戦闘手段は残されておらず、ごく局地的にではあるが、この場は連合屈指の白兵戦巧者であり、刀剣型のストライカーユニット「シルクジャスティス」を操る皇フィオナ准将の独壇場となった。
3-1-8-5 愚策の代価
2212年7月27日3時50分、皇フィオナ准将以下26名がUAEドバイ基地に生還。これをもってスエズ撤退作戦、ならびに第二次スエズ攻防戦は終結した。
第二次スエズ攻防戦に参加した連合軍適合者581名のうち実に7割以上が戦死・行方不明となり、中でも連合軍トップクラスのエリート部隊である「フランベルジュ隊」の全滅、「バルムンク隊」「ハルバード隊」の壊滅は連合軍にとって大きな損失となった。
この時期に重要な前線基地であるスエズ基地の戦力を引き抜いて行われたタルタロス攻略作戦の失敗、続くスエズ基地の陥落という大失態を演じた軍に対して連合の首脳部は遺憾の意を示すとともに、連合軍においては大規模な人員整理を行う事を発表。
新たに設立が決定したオーストラリア方面軍司令に「現場派」の筆頭格である覇道宗義大将を昇格、元帥とした上で抜擢、第三方面軍司令にはヘルムート・ボーデンシャッツ大将を呼び戻し、それぞれの方面軍司令に全面的な指揮監督権を与えて現場ごとに指揮系統を完全に独立。連合軍の現トップであるジェルア・セイニレート大元帥は降格処分として更迭、「ジェルア派」と呼ばれた前時代からの重鎮達を一掃するとともに、新時代の戦場を知らぬ老人の寄り合いと化していた円卓元帥制(大本営の十二元帥による合議制)を無期限の停止とした。
タルタロス攻略戦、スエズ撤退戦の直接指揮を執ったヘルムート・ボーデンシャッツ大将、皇フィオナ准将両名においては一切の責任を問わない物とし、周知の通り、これらの処置は後の世まで連合の勝利に結びつく英断として語り継がれる事になる。
なお、この軍上層部の人事異動をのちに記述する「カレトヴルッフ作戦」の開始点であるとする意見もあることを明記しておく。[要出展]
第二次スエズ攻防戦に参加した連合軍適合者581名のうち実に7割以上が戦死・行方不明となり、中でも連合軍トップクラスのエリート部隊である「フランベルジュ隊」の全滅、「バルムンク隊」「ハルバード隊」の壊滅は連合軍にとって大きな損失となった。
この時期に重要な前線基地であるスエズ基地の戦力を引き抜いて行われたタルタロス攻略作戦の失敗、続くスエズ基地の陥落という大失態を演じた軍に対して連合の首脳部は遺憾の意を示すとともに、連合軍においては大規模な人員整理を行う事を発表。
新たに設立が決定したオーストラリア方面軍司令に「現場派」の筆頭格である覇道宗義大将を昇格、元帥とした上で抜擢、第三方面軍司令にはヘルムート・ボーデンシャッツ大将を呼び戻し、それぞれの方面軍司令に全面的な指揮監督権を与えて現場ごとに指揮系統を完全に独立。連合軍の現トップであるジェルア・セイニレート大元帥は降格処分として更迭、「ジェルア派」と呼ばれた前時代からの重鎮達を一掃するとともに、新時代の戦場を知らぬ老人の寄り合いと化していた円卓元帥制(大本営の十二元帥による合議制)を無期限の停止とした。
タルタロス攻略戦、スエズ撤退戦の直接指揮を執ったヘルムート・ボーデンシャッツ大将、皇フィオナ准将両名においては一切の責任を問わない物とし、周知の通り、これらの処置は後の世まで連合の勝利に結びつく英断として語り継がれる事になる。
なお、この軍上層部の人事異動をのちに記述する「カレトヴルッフ作戦」の開始点であるとする意見もあることを明記しておく。[要出展]
※ 3-1-9 アラブ挟撃戦以降についてはサイズオーバーのため第一次魔導大戦・二を参照。