概要

ベルザフィリス建国記とは、ディアルルーディアによる、ベルザフィリス国建国のいきさつをまとめた戦記。
蜉蝣戦記の中の一部だが、軍勢を率いての戦いではなかった為、戦闘一覧とは別途に扱われる。

ディアル ルーディア


ベルザフィリス建国

アニスの戦いで大敗を喫し、シーザルス国への帰路も閉ざされたディアルは、ルーディアを伴ってアル国最南端の城ベルス城にたどり着いていた。
688年7月、山賊頭のベヌロゥズを配下としたディアルは、旅商人に姿を変えてベルス城の城主を人質にとり、城を内部から占領。
城主はアル国の暴君ルドリア派であり人心は離れていた為、既に城下町の長老をはじめとする実力者の知己と協力を得ていたディアルの決起に、民衆は進んで協力した。
更に、ディアルは周辺地域の小城も次々と説得により自軍になびかせ、ベルザフィリス国の基礎を築き上げる。

年は変わり689年4月3日、ディアルは、説得と知略をもって、戦わずに領土を拡大させていく。
多少の小競り合いはあったものの、「一度でも大敗したらそれまで」という圧倒的国力差から、このときがディアルにとって、最も緊張を強いられた時期であった。

幸いな事にアル国はロッド国との戦いを続けていた為、ディアルベルザフィリス建国に対して辺境の小さな反乱程度の認識しかなく、まともに相手にしていなかったが、流石に周辺地域までも支配下に置かれたことに国主ルドリアは怒り、海路から進撃を開始した。

この時点でベルザフィリス国は、国と呼ぶことすらおこがましい規模で、当然艦艇などというものは持っていない。
そんな中、漁師ザガという男が、ディアルに翌日の海が荒れることを告げる。
これを聞いたディアルは、ザガを将軍に抜擢すると抜刀隊を結成させ、嵐に乗じて停泊中のアル国艦隊旗艦を奪い、旗艦からの偽情報で艦隊そのものを乗っ取ってしまう。
後にイェーガの投降により更なる艦艇を手に入れたため、これらを統合してムーン艦隊に部隊に編入した。

更に勢いにのったベルザフィリス国は、4月6日にメヌズロゥ城攻略作戦を実行する。
まずは山賊から今や将軍となっていたベヌロゥズディアルの元から脱出する。
新興勢力、しかも寄り合い所帯であったベルザフィリス国から山賊崩れが脱出したことに誰も疑いをもたず、メヌズロゥ城の守備軍もこれを受け入れようとしたが、城主はさすがに疑念を持ち、彼らを城外に待機させる。

しかし、逃亡兵を追撃にきたディアル本隊が城に迫ってきたとの報告を受けると、そのまま逃亡兵を城に入れて城門を閉じた。
これに対してディアルは城に攻撃を仕掛けるが、兵の数も少なく城に迫ることができない。
メヌズロゥ城軍は勝機を見出したと城外に討って出るが、そこでベヌロゥズによって空き城を奪われてしまう。

こうして人材、兵力、艦艇、そして最低限お互いを援護できる拠点数箇所を手に入れたディアルは、正式に建国宣言を発令。
ベルザフィリスが国として正式に認知されたのは、この日からだといわれている。


ディアルの死

ディアルが建国したベルザフィリス国は、出自に拘らず優れた人材を次々と採用し、国力、兵力共に急成長を遂げていた。
アル国も、この頃になるとさすがにベルザフィリス国のことを辺境の反乱とは言えなくなるが、ロッド国との戦いが激化していたこともあり、どうしても対応が後手に回っていたが、この段階でもルドリアは、本気で取り掛かればいつでも踏みつぶせると考えていたため、本格的な討伐隊の派遣を行わなかった。

691年9月17日、連日の激務に疲れた身を癒そうと、ディアルルーディアは、僅かな供を連れて狩りに出向いていた。
だが、この日の夜、ディアルは突然吐血すると、そのまま病状に伏せる。
放浪時代に、誤解から殺害してしまった狩人の娘の怨霊にうなされたという噂も実しやかに流れていたが、真相は謎である。

ディアルの症状は、一向に回復することなく悪化し、9月26日深夜、妻ルーディア、養子ガイヴェルドに看取られて息を引き取った。
遺言により国主の座はルーディアに引き継がれることとなる。
国を継いだルーディアが最初に行った事は、先王と同じく人材の召集であった。
彼女は、一代の賢人と呼ばれたグレシアを説得して軍師として迎えることに成功する。

一方、ディアルの死を聞きつけたアル国は、歓喜した国主ルドリアがここにきて自ら出陣を決意、ルドリアの南征が実行される。
配下にアル国四天王ザグルスフェルドメネシスレディナスを揃えての万全の態勢であった。
しかし、二つの小城を落とした所でベルザフィリス国軍の伏兵に遭遇、渓谷を長蛇の列になっていたアル国軍は完全に遮断され、互いに連絡もとりあえずに壊滅していく。


関連項目





最終更新:2024年08月19日 20:22