理論と実践

理論と実践――哲学者の死体と生涯の全著作とが驢馬の背に、左右釣り合いを取りながら運ばれる光景――すなわちこれらを分けてはいけない。
理論はもし正しいのなら、実践される――神の理論を見よ――万物は実践である。もちろん我々が一度に、あるいは一人で両方を扱う必要はない。両者が対立していると考えるのが悪いのだ。そうすると、当然、理論は対立原理になり、実践は革命家になる。うまく立ち回るものは、両者をひそかに対立させる。

この世界、ただひとつの世界においては、数多くの理論がたった一回の実践である場合もあるし、数多くの実践がひとつの理論になる場合もある。

すぐれた理論は二つのかけ離れた実践を総合する――逆もある。しかも、観念的に離れた実践だけでなく――時間的に離れた、つまり未来、過去、現在における実践を。これに対し、実践はすべて何らかの理論を内包している。正しい理論はロゴスである――ロゴスを預かるものは預言者である。実行するものは使徒である。一人でこれをこなす必要はない。

実践をより自由にするために理論がある。そしてまた、実践は理論の自由な発現でなければならない。































おいおい
最終更新:2008年11月20日 20:45