【元ネタ】戦国時代
【CLASS】アーチャー
【マスター】
【真名】真田信繁(幸村)
【性別】男性
【身長・体重】150cm・40kg
【属性】混沌・善
【ステータス】筋力B+ 耐久C 敏捷A 魔力C 幸運D 宝具C++
【クラス別スキル】
対魔力:D
一工程(シングルアクション)による魔術行使を無効化する。
魔力避けのアミュレット程度の対魔力。
単独行動:B
マスターからの魔力供給を断っても自立できる能力。
ランクBならば、マスターを失っても二日間は現界可能。
【固有スキル】
軍略:C+
一対一の戦闘ではなく、多人数を動員した戦場における戦術的直感力。
自らの対軍宝具の行使や、逆に相手の対軍宝具に対処する場合に有利な補正が与えられる。
兵力劣勢の戦況下に置いては効力が上昇する。
仕切り直し:B
戦闘から離脱する能力。
また、不利になった戦闘を戦闘開始ターン(1ターン目)に戻し、技の条件を初期値に戻す。
風雲児:A
当人の意思とは関係なく周囲の流れが荒れるスキル。
その場にいるだけで、全ての判定のクリティカル域、ファンブル域が増加する。
要するにダイスロールが劇場型になるということ。この効果は敵味方を区別しない。
【宝具】
『真田丸(さなだまる)』
ランク:C++ 種別:対軍宝具 レンジ:5~50 最大捕捉:1000人
手薄な大阪城の南方を守るために、アーチャーが普請した曲輪が宝具化したもの。
あらかじめ確保した霊脈上に砦として設置する特異な宝具。
設置された砦には火縄銃で武装した『赤備え』が籠城しており、接近した敵に対し銃撃を加える。
また、敵の数が多いほどに砦や兵士の性能が上昇するという特性があり、
敵勢が一万以上ともなれば、
一騎当千の城兵と対城宝具にも耐えうる城壁を備えた強力無比の宝具となる。
ただし、冬の陣終結後に取り壊された逸話から、戦闘終了とともに『真田丸』は自壊してしまう。
【weapon】
『宿許筒』
半自動の装弾機構を備えた、全長約60センチの馬上筒。堺の鉄砲鍛冶・芝辻の作。
宿許というのは連射式のものを指し、これは最大で八連射を可能とする。
発射ごとに火ぶたが開閉、1発分の火薬と弾丸を装填するという仕組みを持つ。
信繁はこの短銃で家康を撃とうと試みるも、敵の攻撃に馬が驚いた拍子に取り落とし、失敗に終わったという。
【解説】
戦国時代の武将。
真田昌幸の次男。
天下人・豊臣秀吉が倒れ、
徳川家康と
石田三成が天下の行く末を巡って衝突する形勢となると、
父と共に石田三成らが属する西軍に味方し、
徳川秀忠率いる別働隊を相手に善戦した。
しかし、西軍本隊が関ヶ原の戦いで大敗したことを知って降伏。
東軍についていた兄・信之とその舅である
本多忠勝の口添えで死罪だけは免れ、流罪となった。
父の死後、徳川家と豊臣家の関係が悪化し激突必死の情勢になると、信繁は豊臣家の本拠・大阪城に入城。
しかし、籠城案に反対したものの容れられず、ならばと大阪城の弱点を補う真田丸を普請するも「徳川方に寝返る下準備ではないか」と疑われたという。
これは信繁が父の武名を除けば無名と言っていい存在で、かつ徳川方に兄がいたことが原因だったと言われる。
(ちなみに信繁は兄やその子らを気遣って真田家の旗印である六文銭は用いていなかったという)
大阪冬の陣では真田丸に篭っての防衛戦で敵の突撃を撃退し武名を高めたが、戦い自体は講和となり、真田丸も取り壊された。
大阪夏の陣では、濃霧の為に遅参し後藤又兵衛らを討死させるという失態も演じているが、
殿軍を務めて
伊達政宗の軍勢を散々に打ち破る功績も挙げている。
とはいえ豊臣方の劣勢は明らかであり、信繁らは諸将と起死回生の作戦を練る。
しかし、
毛利勝永の寄騎が先走ったことで作戦は瓦解。
作戦崩壊を悟った信繁は死狂いとなって突撃を敢行するが、これが功を奏し、
毛利勝永と激闘を繰り広げていた家康本陣を恐慌状態に陥らせることに成功した。
真田勢は縦横無尽に暴れ回り、一時は家康に自刃を覚悟させるほどに追い詰めるが、
徳川勢が混乱から立ち直ると、兵力差もあって形勢は逆転。
信繁は隠れて傷ついた身体を休めていたところを発見され「わしの首を手柄にされよ」と討ち取られたという。
家康を追い詰めたその忠勇は「日本一の兵」として伝説となり、真田幸村の名で江戸時代の民衆にも広まった。
【蛇足】
多分別クラスの方が強い。
最終更新:2016年06月20日 22:11