【元ネタ】史実
【CLASS】ライダー
【マスター】
【真名】井伊直政
【性別】男性
【身長・体重】163cm・45kg
【属性】秩序・善
【ステータス】筋力C 耐久B 敏捷D 魔力C 幸運A 宝具B
【クラス別スキル】
対魔力:D
一工程(シングルアクション)による魔術行使を無効化する。
魔力避けのアミュレット程度の対魔力。
騎乗:C
騎乗の才能。大抵の乗り物、動物なら人並み以上に乗りこなせるが、
野獣ランクの獣は乗りこなせない。
【固有スキル】
戦闘続行:B
瀕死の傷でも戦闘を可能とし、決定的な致命傷を受けない限り生き延びる。
カリスマ:E
軍団を指揮する天性の才能。統率力こそ上がるものの、兵の士気は極度に減少する。
魅了:D
異性を惹きつける見目の美しさ。
直政と対峙した女性は彼に対し、強烈な恋愛感情を懐く。
相手の心理状態や感情によっては抵抗できる。
【宝具】
『井伊の赤備え』
ランク:B 種別:対軍宝具 レンジ:0~50 最大捕捉:500人
「戦国屈指の精鋭部隊」「徳川家臣団最強の部隊」と恐れられた軍勢。
全員がEランク相当の
単独行動スキルを持って出現する。
対軍宝具などの広域攻撃を除き、全体で16度の攻撃に耐えることができる。
基本的にダメージはそのまま蓄積するが、致命傷や行動に差し支える程度までは決して至らない。
井伊の赤備えと、重装備で毎回傷だらけになりながらも16度の戦いで一度も敗北しなかった直政の逸話のミックス。
【解説】
戦国時代の武将。徳川氏の家臣。井伊の赤鬼。人斬り兵部。
徳川四天王・十六神将・徳川三傑の一人とされており、家康の天下取りを全力で支えた功臣として、現在も顕彰されている。
武田氏との戦いで数々の戦功を立て、その勇名を轟かせた。
22歳で元服を終え、直政と名乗ると、同年、家康の養女で松平康親の娘である花と結婚。
その後、旗本先手役に任ぜられて、家康子飼いの武将である
本多忠勝や
榊原康政の同僚となる。
武田氏が滅亡した後、北条氏との交渉で徳川方の使者として政治的手腕を発揮し、
家康が武田氏の旧領である信濃国、甲斐国を併呑すると、武田家の旧臣達を多数与力に付属され、
山県昌景の朱色の軍装または小幡赤武者隊を復活させて井伊の赤備えと呼ばれる精鋭部隊の大将となった。
直政は家臣に非常に厳しく、少しでも戦で失敗をした者がいれば容赦せず処罰し、
一軍の将となっても自ら先陣に立って戦うことを好むなど激烈な性格で、短所も多かった。
そのため、戦の際に陣に留まって指揮を執ることはほとんどなく、筆頭家老である木俣守勝がその役目を果たしたという。
小牧・長久手の戦いでは初めて井伊の赤備えを率いて池田恒興を討ち取るなどの武功を挙げ、一躍天下に名を知られるようになる。
小田原の役では数ある武将の中で唯一夜襲をかけて小田原城内にまで攻め込んだ武将としてその名を天下に轟かせる。
関ヶ原の戦いでは家康本軍に随行し、本多忠勝と共に東軍の軍監に任命され、東軍指揮の中心的存在となった。
そこで、家康の四男・松平忠吉と共に東軍の先鋒を任されていた福島正則を差し置いて先鋒を務めた。
この戦いで
島津豊久を討ち取った。しかし、義弘の軍を追撃している際に敵の銃弾が右肘関節に命中し、落馬してしまう。
1602年、長年の家康に対する奉公による過労と関ヶ原で受けた鉄砲傷が癒えないまま、破傷風が元で死去。
井伊の赤備えは、戦国屈指の先鋭部隊として天下に名を轟かせていたが、
家臣達の中には直政による厳しい軍律に耐えられなくなり、本多忠勝の下に去る者達も多かったという。
気性が激しく、家臣のわずかな失敗も許さずに手討ちにすることも少なくなかったため、「人斬り兵部」とも称されたという。
一時期滅亡していた井伊氏をわずか一代で再興させ、さらに江戸幕府の譜代大名の筆頭にまで成長させた。
生涯に参加した57回の戦で軽装備であったにもかかわらず、一度も傷を負わなかった本多忠勝に対して、直政は重装備であったが、戦で常に傷を負っていたという。
一方で生涯に参加した戦は16回であり、いずれの戦でも直政が負けたことは一度もないと言われている。
ある時、家康は直政の家臣達を1つの場所に集めて、直政の衣服を脱がせて体に残っていた戦傷の一つ一つを涙ぐみながら説明したという。
直政は正室である東梅院に対してはかなりの恐妻家で、誰よりも負けず嫌いであった直政もこの唐梅院だけには頭があがらなかった。
徳川家康性欲処理班衆道部部長。銀河美少年。
ホモっ気のない家康を一目惚れさせた傑物。美男子であるがゆえにどこぞで奥様方にも大人気だったとか。
最終更新:2016年09月28日 21:34