「陽徳院様。小十郎、参上仕りました」
「こちらへ」
湯飲みに水を入れ、小十郎は寺の書房に入る。雑然としていてもいい匂いが漂っている。女の匂いだ。
庵主である陽徳院以外の僧がいないせいだろう。書房はどこか閑散としていて、侘しい。
「どうぞ」
水を渡すと、陽徳院は微笑んで口をつけた。おいしい、といって目元を綻ばせる。
シワが目についた。もうそんな年なのか、と思うと感慨深い。
いつまでも若く美しく、そして愛らしい姫君であるような気がしていた。
「政宗様の話とは、どのようなものでしょうか」
「本来ならば、貴方様から話されるまでお待ちするべきなのでしょう。
けれど、今を逃すと、生涯聞けぬような気がしたので」
小十郎は自分の湯飲みを床に置いた。背筋を正し、寂しげに微笑む陽徳院を見る。
濃い睫毛が震え、目を閉じた。
「十二の時、伊達に輿入れいたしました」
陽徳院は数珠を取り出し、手を合わせた。
「嫁いだとき、枕を交わすような年ではありませんでした。数日でお亡くなりになられ、
竜樹様が政宗様となられました。女同士で枕を交わすような趣味は、お互い持っておりませんでした。
幼い姉妹が、一緒に寝るような……そんな、毎日でした」
「それは」
「あの方は、ある日を境にどんどん女らしゅうなられていった。少しずつお話を聞きました。
とても楽しそうでした。真田という殿方が、どれほど素敵な方なのか、毎日お話しくださいました。
わたくしは……真田様に、嫉妬したのです」
「姉妹のようなものでしたでしょう。姉……あるいは妹を取られたような、そんな気がしたのでしょう。
当然の感情です」
まさか、女同士で恋愛をしようなどと思ったのだろうか。そういう二人ではなかったはずだ。
確かに、少々どころではないくらい仲のいい二人だったが。
「そうですわね。ただの、小さな嫉妬です。政宗様が大人になられたことを、素直に喜べなかった。
……どんどんお綺麗になられて、わたくしの着物に興味をもたれるようになって。少しずつ、女になられていった」
これは前振りだ。核心に迫る前に、当時のことを思い出して語っているだけだ。
そうやって、どうやって核心に迫るかを考えているのだ。
そして「それ」はすぐそこまできている。
「いつ、でしたでしょうか。青い反物を購われました。わたくしの打ち掛けに仕立てられたのですが、
とても派手な模様でしたので……ほら、わたくしは背が低いですし、模様に着られてしまうんですの。
どうしても、下品になってしまって」
あの着物だ。青く派手な柄の打ち掛け。政宗によく似合った柄。あれは、伊達が滅亡したときの
どさくさでどこかに行ってしまった。
「それで、それを、着られることなど分かっていても、わたくしは政宗様に合わせて仕立て直しました。
……あの辺りから、政宗様はどこかおかしくなられました」
小十郎は目を閉じた。
狂ったように政宗を抱いた。あの時から、政宗は眠らなくなり、どんどん心をすり減らした。
寝るときも傍にいた陽徳院が、気づかぬはずはない。
「小十郎様を避けるようになって。……奥州に真田様が来られるまで、ずっと、どこかおかしゅうございました。あれは」
小十郎は平伏した。
「申し訳ありませぬ。……こればかりは、言えませぬ」
「わたくしにとって、政宗様はかけがいのない妹であり、夫であります。たった一度、
亡者となられた方と唇を交わした、ただそれだけを思い出に生涯を過ごせるほどの、大切な方なのです。
……何か、あったのですね」
「はい」
「お顔をお上げください」
小十郎は渋面を崩さぬまま顔を上げた。
陽徳院は笑っていた。静かで柔らかな笑みは、観世音菩薩や弥勒菩薩を連想させる。
膝を使って小十郎の前まで移動すると、小十郎の手を取った。
そのようなことをされたことがないので、小十郎は体を跳ねさせる。陽徳院は悪戯っぽい笑みを浮かべ、手を撫でる。
「詳しくはお聞き致しませぬ。けれど、酷いことをなされたのでしょう?
そのような事をなさって、何になるというのです。まったく、殿方は勝手ですわ」
「申し訳ありません」
「ほんとうに、しょうがないお人です」
「申し訳ありません」
ずっと謝りたかった。頭を垂れて、跪いて許しを乞いたかった。政宗はそれをさせず、小十郎を許した。
いつものように笑って、小十郎、と名を呼んできた。
それで申し訳が立たなくなったのは、己を貶め、楽になりたいから。
――愚かなことだ。
「この手は、大地を育むためのものでしょう?」
そう言って手の甲に口付けを落とす陽徳院は、とても美しいと思った。
こいひとよ8
「こちらへ」
湯飲みに水を入れ、小十郎は寺の書房に入る。雑然としていてもいい匂いが漂っている。女の匂いだ。
庵主である陽徳院以外の僧がいないせいだろう。書房はどこか閑散としていて、侘しい。
「どうぞ」
水を渡すと、陽徳院は微笑んで口をつけた。おいしい、といって目元を綻ばせる。
シワが目についた。もうそんな年なのか、と思うと感慨深い。
いつまでも若く美しく、そして愛らしい姫君であるような気がしていた。
「政宗様の話とは、どのようなものでしょうか」
「本来ならば、貴方様から話されるまでお待ちするべきなのでしょう。
けれど、今を逃すと、生涯聞けぬような気がしたので」
小十郎は自分の湯飲みを床に置いた。背筋を正し、寂しげに微笑む陽徳院を見る。
濃い睫毛が震え、目を閉じた。
「十二の時、伊達に輿入れいたしました」
陽徳院は数珠を取り出し、手を合わせた。
「嫁いだとき、枕を交わすような年ではありませんでした。数日でお亡くなりになられ、
竜樹様が政宗様となられました。女同士で枕を交わすような趣味は、お互い持っておりませんでした。
幼い姉妹が、一緒に寝るような……そんな、毎日でした」
「それは」
「あの方は、ある日を境にどんどん女らしゅうなられていった。少しずつお話を聞きました。
とても楽しそうでした。真田という殿方が、どれほど素敵な方なのか、毎日お話しくださいました。
わたくしは……真田様に、嫉妬したのです」
「姉妹のようなものでしたでしょう。姉……あるいは妹を取られたような、そんな気がしたのでしょう。
当然の感情です」
まさか、女同士で恋愛をしようなどと思ったのだろうか。そういう二人ではなかったはずだ。
確かに、少々どころではないくらい仲のいい二人だったが。
「そうですわね。ただの、小さな嫉妬です。政宗様が大人になられたことを、素直に喜べなかった。
……どんどんお綺麗になられて、わたくしの着物に興味をもたれるようになって。少しずつ、女になられていった」
これは前振りだ。核心に迫る前に、当時のことを思い出して語っているだけだ。
そうやって、どうやって核心に迫るかを考えているのだ。
そして「それ」はすぐそこまできている。
「いつ、でしたでしょうか。青い反物を購われました。わたくしの打ち掛けに仕立てられたのですが、
とても派手な模様でしたので……ほら、わたくしは背が低いですし、模様に着られてしまうんですの。
どうしても、下品になってしまって」
あの着物だ。青く派手な柄の打ち掛け。政宗によく似合った柄。あれは、伊達が滅亡したときの
どさくさでどこかに行ってしまった。
「それで、それを、着られることなど分かっていても、わたくしは政宗様に合わせて仕立て直しました。
……あの辺りから、政宗様はどこかおかしくなられました」
小十郎は目を閉じた。
狂ったように政宗を抱いた。あの時から、政宗は眠らなくなり、どんどん心をすり減らした。
寝るときも傍にいた陽徳院が、気づかぬはずはない。
「小十郎様を避けるようになって。……奥州に真田様が来られるまで、ずっと、どこかおかしゅうございました。あれは」
小十郎は平伏した。
「申し訳ありませぬ。……こればかりは、言えませぬ」
「わたくしにとって、政宗様はかけがいのない妹であり、夫であります。たった一度、
亡者となられた方と唇を交わした、ただそれだけを思い出に生涯を過ごせるほどの、大切な方なのです。
……何か、あったのですね」
「はい」
「お顔をお上げください」
小十郎は渋面を崩さぬまま顔を上げた。
陽徳院は笑っていた。静かで柔らかな笑みは、観世音菩薩や弥勒菩薩を連想させる。
膝を使って小十郎の前まで移動すると、小十郎の手を取った。
そのようなことをされたことがないので、小十郎は体を跳ねさせる。陽徳院は悪戯っぽい笑みを浮かべ、手を撫でる。
「詳しくはお聞き致しませぬ。けれど、酷いことをなされたのでしょう?
そのような事をなさって、何になるというのです。まったく、殿方は勝手ですわ」
「申し訳ありません」
「ほんとうに、しょうがないお人です」
「申し訳ありません」
ずっと謝りたかった。頭を垂れて、跪いて許しを乞いたかった。政宗はそれをさせず、小十郎を許した。
いつものように笑って、小十郎、と名を呼んできた。
それで申し訳が立たなくなったのは、己を貶め、楽になりたいから。
――愚かなことだ。
「この手は、大地を育むためのものでしょう?」
そう言って手の甲に口付けを落とす陽徳院は、とても美しいと思った。
こいひとよ8




