『ファシズムの心理構造』(La Structure psychologique du fascisme)は、フランスの思想家ジョルジュ・バタイユが1933年に発表した政治思想論文であり、ファシズムを単なる経済的・制度的現象としてではなく、社会の深層にある心理的・象徴的構造から分析しようとした試みである。本論考は、バタイユが展開した「同質性(homogénéité)」と「異質性(hétérogénéité)」という主要概念を軸に、近代社会の秩序とその危機、そしてファシズムの台頭を理論化した。
概要
バタイユによれば、近代社会は同質性によって組織されている。同質性とは、事物や人間が共通の尺度で測定され、比較可能であり、機能や効率という基準によって評価される状態を指す。そこでは主体は対象を理解可能なものとして把握し、意味づけ、制度的秩序の内部に位置づけることができる。とりわけ近代産業社会においては、資本制的生産がこの同質性の基盤を形成し、利益、合理性、規律、生産性が社会的価値の尺度となる。社会は計量可能なもの、交換可能なものを中心に構成され、個人もまた機能的単位として把握される。
しかしこの同質的秩序は、常にそれと共約不可能な要素を排除することによって成立している。バタイユが異質性と呼ぶものは、主体によって対象化できず、自己同一性をもたず、過剰で曖昧な力を帯びた領域である。それは合理的把握を拒み、概念化しきれない「余白」として存在する。バタイユの議論はジークムント・フロイトの無意識概念とも共鳴しており、情動、衝動、死、神聖、汚穢といった要素がこの異質性に属する。社会的には、規範から逸脱する下層民の荒々しさや、祝祭、暴力、犠牲などがその表現形態とされる。
同質性と異質性は対立的関係にある。同質的社会は、自らの秩序を維持するために異質なものを排除し、抑圧し、あるいは無害化しようとする。科学や学問もまた、異質なものを分析し分類することで、同質性の枠組みに回収する「知の暴力」を行使しているとバタイユは指摘する。しかし異質性は完全には消去されず、社会的危機の局面において噴出する潜勢力として残存する。
この観点から、バタイユはファシズムを分析する。1930年代初頭、世界恐慌によって揺らぐヨーロッパ社会において、既存の経済的・議会的秩序は不安定化していた。ファシズムは、崩れゆく同質的秩序を再編成するために、抑圧されていた異質性を動員したとバタイユは論じる。下層民の情動、暴力性、非合理性は、指導者を中心とする象徴的構造に吸収され、新たな統合の原理へと転化される。
その中心に位置づけられるのが「至高性(souveraineté)」である。ベニート・ムッソリーニやアドルフ・ヒトラーは、超越的権威を体現する存在として提示され、民衆の異質なエネルギーを一元的に束ねる象徴的焦点となった。軍隊的規律と宗教的情動が融合し、指導者の命令は否定と再生の力として作用する。ここでは異質性は解放されるのではなく、至高の審級のもとで組織化され、再び同質的秩序へと回収される。
バタイユはさらに、ファシズムと共産主義のあいだにも構造的類似を見いだす。両者はいずれも社会的危機において異質な力を動員しながら、最終的にはそれを統合的秩序へと再編する点で共通しているとされる。そこでは至高性の錯覚が利用され、運動は自己を絶対的原理として神聖化する。この分析は、ファシズムを単なる右翼的反動としてではなく、近代社会の同質的構造と異質的衝動との緊張関係から生じる現象として位置づけるものである。