ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini, 1883年7月29日 - 1945年4月28日)は、イタリアの政治家・独裁者であり、ファシズム運動の創始者として知られる。1922年から1943年までイタリア王国の首相(のちに事実上の独裁者)を務め、ファシスト体制を確立した。彼は「ドゥーチェ(指導者)」の称号を用い、20世紀の全体主義体制の先駆的存在となった。
概要
ムッソリーニはエミリア=ロマーニャ州に生まれ、若年期には社会主義運動に関与した。第一次世界大戦前にはイタリア社会党の有力な活動家であり、機関紙『アヴァンティ!』の編集長も務めた。しかし参戦問題をめぐって党内と対立し、イタリアの参戦を支持したことから除名された。この転向は、階級闘争よりも国家的統合と行動主義を重視する彼の思想的変化を示している。
第一次世界大戦後の社会不安、経済混乱、労働争議の激化のなかで、ムッソリーニは1919年に戦闘者ファッシを結成した。黒シャツ隊と呼ばれる準軍事組織を用い、社会主義者や労働運動に対する暴力的弾圧を行いながら支持を拡大した。1922年の「ローマ進軍」を経て首相に任命され、その後段階的に議会制度を解体し、一党独裁体制を確立した。
ムッソリーニ体制は、国家を至高の価値とするファシズム思想に基づいていた。個人や階級は国家に従属するものとされ、自由主義や議会制民主主義は否定された。統制経済的要素を含むコーポラティズム体制が導入され、労使関係は国家主導で再編された。また、教育、報道、文化は徹底的に統制され、指導者への忠誠と国家への献身が強調された。
外交面では、ムッソリーニはローマ帝国の再興を掲げ、拡張主義政策を推進した。1935年にはエチオピアに侵攻し、国際連盟から制裁を受けた。やがてアドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツと接近し、1936年に「枢軸」を形成、1939年には鋼鉄協約を締結した。第二次世界大戦では枢軸国側として参戦したが、軍事的失敗が続き、国内の支持を失っていった。
1943年、連合軍のイタリア上陸とともに体制は崩壊し、ムッソリーニは国王によって解任・逮捕された。その後ドイツ軍によって救出され、北イタリアにイタリア社会共和国を樹立したが、実質的にはドイツの傀儡政権であった。1945年4月、スイスへ逃亡を図る途中でパルチザンに拘束され、処刑された。