柔速出やる夫 にゅうそくで やるお |
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二つ名 |
白饅頭 |
生年月日 |
1973年6月16日(51歳) |
出生地 |
大日本帝国 沖縄県那覇市 |
出身校 |
東京都立大学法学部 |
前職 |
沖縄県議会議員 |
所属政党 |
(無所属) (→民主党) →日本革新党 |
称号 |
法学士 |
宗教 |
無宗教 |
イデオロギー |
自由民主主義 |
配偶者 |
あり(1999年 - 2008年) |
子女 |
1男 |
親族 |
祖父・柔速出やる蔵 |
衆議院議員 |
選挙区 |
旧沖縄全県区 →沖縄2区 |
当選回数 |
6回 |
在任期間 |
2009年8月30日 - 現職 |
その他の職歴 |
沖縄県議会議員 当選回数 3回 (1999年 - 2009年) 第3・4代 日本革新党代表 (2021年11月 - 現職) |
ほんとは与党でやりたいんだお…
でも国民党は金持ちと美人しか公認してくれないお…
だから民主党でやるお!
柔速出やる夫(にゅうそくで やるお、1973年〈光文48年〉6月16日 - )は、
日本の政治家。衆議院議員(6期)、沖縄県議会議員(3期)、
日本革新党代表(第3・4代)を歴任。
来歴
1973年6月16日、沖縄県那覇市で会社員の父と主婦の母のもとに長男として生まれる。父方の祖父・やる蔵は沖縄県議会議員で、やる夫が5歳のときに議長に就任していた。一家はそれなりに裕福だったが、倹約家の父の方針で自由に使える金は少なく、どちらかというと庶民的な生活を送っていた。1989年、沖縄県立那覇高等学校に入学、のちに盟友となる
美筆やらない夫と出会う。1992年、東京都立大学法学部に進学し、上京する。バブル崩壊直後の徐々に荒廃していく東京は若き日のやる夫にとって大きな影響を与えた。大学卒業後は商社の台湾法人に就職したが、1999年1月にやる蔵が死去したことで後を継ぐことを決意。同年4月の県議会選に出馬し、5位で当選する。秋には結婚し、2年後にはやる太をもうける。
2003年の県議会選ではトップ当選し2選。2007年には3選を果たす。2007年の参院選で民主党が躍進したことを受け国政進出を考えはじめ、改革のイメージが強い民主党へ入党する。2008年、妻の浮気が発覚し離婚、やる太を引き受ける。2009年8月、
第45回衆議院議員総選挙に旧沖縄全県区から民主党公認で出馬、1位で当選する。選挙後、予算委員および決算行政監視委員に任ぜられる。
民主党政権時は多くの1年生議員に埋没していたが、2012年1月の野田第一次改造内閣で環境大臣政務官に就任。12月の衆院選まで務めた。衆院選では民主党に強烈な逆風が吹く中、沖縄の革新系の支持を集めてなんとか4位で当選した(ほか4名は全て保守系)。3年3か月で政策の重要性を実感したやる夫は、基本を翼政会と共有しながらも民主党カラーを出していく独自の公約を練り、続く2014年の衆院選では2位で3選を果たした。同時に、党勢が低迷する現状を変えられない執行部に不満を募らせ、同期の
派速出できる夫ら数名で議員グループ「2nd ch」を立ち上げる。
2016年初頭の民主党再編で明確に袂を分かち、中道勢力が主体となった
日本革新党に参加、青年局長に就任する。
年譜
政策
選挙歴
当落 |
選挙 |
執行日 |
年齢 |
選挙区 |
政党 |
得票数 |
得票率 |
定数 |
得票順位/候補者数 |
当 |
第45回衆議院議員総選挙 |
2009年8月30日 |
36 |
旧沖縄全県区 |
民主党 |
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5 |
1/7 |
エピソード
出典
関連項目
最終更新:2024年12月08日 02:31