あくまで仙道の理論上の話ですが、道に合した人は個別性を失います。ですから、思考しなくなります。
つまり、仙道は"不老不死"という言葉に示されているように究極の生を目指す実践体系であると同時に、究極の死を目指す実践体系でもあります。
ゆえに、仙道を志す人は、仙道の目的そのもの以外に、仙道を行う自らの目的を持つ必要があります。
仙道の寓話には、入浴中の女性を覗いて、仙人が雲から落ちたという内容のものがあります。天仙が地仙に身を落とした物語でありながら、キリスト教における天使が地上の女に魅了されて堕天使となった物語のような悲壮感はありません。
むしろ、悟りのようなものを急いて求めるのではなく、まずは俗世間の楽しみをたっぷりと味わおう、という楽天性に満ちています。
悟るのも素晴らしいが、あえて悟らないままでいることにも、仙道は積極的な価値を認めているのです。