文学には様々な意義があるが、その一つは哲学に考える対象を提供することだろう。文学が問い、哲学が考えて答えるのだ。
村上春樹が今年もノーベル賞を受賞しなかったのは、彼の作品群が哲学に何を問うてきたのかあまりはっきりしないからだと思う。私も彼の作品を娯楽として楽しんできたが、近ごろに彼がノーベル文学賞の受賞候補に挙げられることは意外だと思ってきた。
もちろん、村上作品に私どころかノーベル賞委員会の理解を超えた文学的価値が内在する可能性もある。
メアリー·シェリーの«フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス»は、世に出てから長らく、文学的価値という点ではさほど高く評価されてこなかった。しかし、動物のクローンを作れるようになった今、作品は文学として大きな意味を持つようになった。
«源氏物語»にはおそらく世界最古のウーマン·リブ文学作品であったが、作品のそういう部分に社会が注目するようになるまでには約1000年間を要した。