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«II — 魂»
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地球は自転しています。赤道上に立っている人は、時速1,700kmくらいで移動しています。また、地球は太陽に対して公転しています。地球上にいる人は、時速2,600,000kmくらいの速さで太陽系内部を移動しています。さらに、そういう大きな動きに加えて、分子、原子、素粒子レベルで、あらゆる物質はせわしなく動いています。
常に動いているのが物質の重要な特性の1つです。
物質は何かに対して相対静止することはありますが、絶対静止することはありません。絶対静止した瞬間に、物質は消滅し、虚無に還元されてしまいます。
一方、虚無は空間内にありませんから、絶対静止しています。
さて、我々が現在住んでいるこの物質宇宙にはとてつもない大きさの質量があります。我々の視点から見て、虚無から巡り巡って物質宇宙が生じたのであれば、絶対静止している虚無には無限の可能性が備わっていることになります。
虚無にはありとあらゆる可能性が備わっているので、虚無は特定の方向性を持って森羅万象に介入するようなことはありません。
もちろん、本質が何であれ、人間も虚無に備わる無現の可能性の具現のかけらです。
ここまでは宇宙が無から始まったとする最近の宇宙物理学とだいたい同じでした。
ここから唯識論的法螺話を続けるには、1つの公理的な決めつけを持ちこまねばなりません。人間の本質を魂としましょう。
空間が生じた際、最初に魂が虚無から分離しました。いうなれば、魂は性質の面で虚無そのものに最も近いかけらであり、それぞれがほぼ無限に近い可能性を秘めています。しかし、魂は分離を経験し、空間を経験し、時間を経験しています。そして多くの魂は分離の瞬間の方を過去として定義しています。
虚無は数と量を超越しているので、虚無から魂がどれほど分離しようと、虚無そのものは減りません。虚無からは無制限の数の魂が生まれます。