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«唯物論と唯識論»
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哲学的な意味での唯物論における"物"は、時空間上に位置を持っています。
ユダヤ教やキリスト教の"神"は"天"という空間にいるので、哲学的な意味では"物"であり、万物の起点が"物"である以上、ユダヤ教やキリスト教は唯物論宗教ということになります。キリスト教をベースとした中世スコラ哲学でも、例えば、個々の人間の存在は一般イデアに依存せず、それ自体として存在し、私たちの心にある人間についての概念は"唯の名前に過ぎない"という唯名論としても表現されています。
日本の神話が唯物論神話であることは、もはや、いうまでもなさそうです。
伝統的な宗教も、最近の"スピリチュアル"も実は大差がない。霊魂やヒーリング効果が何かに宿るならば、時空間上に位置を持っているのだから、"物"ということになります。
"物"の存在の確認において、堅牢な一般合意 ― 科学的な証明など ― を要求するのが"強い唯物論"であり、通俗的な意味での"唯物論"になります。一方、堅牢な一般合意を要求しないものが"弱い唯物論"であり、通俗的な意味での"宗教"や"スピリチュアル"になります。
唯識論~唯物論のスケール上に宗教の神格を配置すると、多分、以下のようになります:
唯識論
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- 老子の"道" ― 位置、数と量、形体を完全に超越し、森羅万象の営みに介入しない。再帰的に定義されている。
- プロティノスの"一者" ― 位置、数と量、形体を完全に超越し、森羅万象の営みに介入しない。列挙的に定義されている。
- ウィルバーらの"ワンネス"
- アリストテレスの"第一動者" ― 森羅万象("円環")の最外部に位置し、量と形体 を超越し("大きさと部分をもたない")、森羅万象を起動し続ける。
- ムハンマドの"アッラー" ― 森羅万象を創造かつ維持し、暗に部分を有し、人間の営みに介入する。
- モーセの"イェホヴァ" ― 森羅万象を創造し、暗に部分を有し、人間の営みに介入す る。
- キリストの"父なる神" ― 森羅万象を創造し、父性を有し、明らかに部分を有し、人間の営みに介入する。
- ギリシア神話の神々 ― 森羅万象から生まれ、人間と同様に個性と性別を有し、人間の営みに介入し、また、人間からある程度の影響を受ける。
- 日本神話の神々 ― 森羅万象から生まれ、人間と同様に個性と性別を有し、人間の営みに介入し、また、人間からかなりの影響を受け、徐々に劣化する。(ついでにいうと、天皇位の継承に血統が絶対なのも、日本の思想体系に強い唯物論が色濃いことを示唆している。)
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唯物論
唯物論