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«資本主義再考 I»
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"資本主義"はある時代からの人類社会の一部の経験をぼんやりと指示している言葉で、もともと厳格に定義されていないため、何度も拡大解釈されてきました。
"資本主義"の解釈の中で比較的ありきたりなのが、事業についての所有と従業の分離ですが、この解釈は資本主義の本質を突いていません。
ヨーロッパ中世の商人たちの出世コースは、大まかにいえば、行商人 -> 町商人 -> 商会幹部 -> 宮廷商人という形になることが多かった。ここで所有と従業が分離していなかったのはせいぜい町商人あたりまでで、商会幹部は末端業務を自分の手で遂行していたのではない。しかし、ヨーロッパ中世は資本主義時代と認識されてはいない。
"資本主義"を金儲け主義と考えるのもやはり的外れでしょう。
中世の商人たちも金儲けには貪欲でした。とりわけ債権者の貪欲さは突出していました。債務不履行に陥った人の身柄は奴隷商人によって売買されていました。親の借金のかたに娘が身売りさせられる話は、ヨーロッパにも日本にもあります。
現在の資本主義においては、もちろん、中世と比べ、貸し手の権利はずっと小さくなっています。会社が債務不履行に陥ったとしても、会社に出資した株主の責任は有限であり、貸し手は株主やその親族の身柄の価値を現金化することなどできません。
事業の所有者たちが結託し、資本の後ろに隠れてしまったため、貸し手は事業の所有者たちに直接貸すことがむずかしくなり、ある程度大きな額を貸し付ける際に、資本を人格のように見立てるより他はなくなりました。
資本主義の本質的機能の1つは、貸し手の権利の制限なのです。
資本主義の側で事業や投資にいそしんでいる人々にとっては当たり前のこのことは、マルクス主義その他の社会主義の側の人々にはほとんど理解されていない。