1077年といえば、ヨーロッパ中世が最も中世らしかった時のこと。神聖ローマ帝国皇帝ハインリヒ4世が、ローマ教皇グレゴリウス7世に謝罪したカノッサの屈辱事件は、教皇の権威の高まりを示す事件として一般には知られている。
ところが、
〝ハインリヒ4世はドイツに戻ると直ちに反対派の諸侯を制圧し王権を確立した。その後、再び叙任権をめぐって両者は争うが、今度はハインリヒ4世が軍勢を率いてイタリアに乗り込みローマを囲んだ。教皇は辛くも包囲を脱出し、1085年にイタリア南部のサレルノで客死した。〟
最終的にはハインリヒ4世が勝利している。
第2次世界大戦でドイツは敗北し、東西に分割されてしまった。これはカノッサの屈辱以上に屈辱的だったはずだが、謝罪外交を続けたドイツはベルリンの壁を崩壊させることに成功し、ヨーロッパはヒトラーが夢見た広域統合に向かっている。
ベルリンの壁崩壊により、1990年代ヨーロッパには謝罪外交ブームが起こった。特に、君主制ゆえに広域統合外交で蚊帳の外に置かれがちなイギリスは謝罪外交に注力した。首相は150年以上も前のジャガイモ飢饉についてアイルランドに謝罪し、北アイルランド問題を沈静化させた。オーストラリアでイギリス連邦からの離脱を目指す共和制派運動が起こったが、エリザベス女王が1992年にアボリジニーに謝罪をして以来、共和制派運動が勢いを取り戻したことはない。
内藤誼人が書いたビジネス書«パワープレイ»でも、謝罪を行うことで相手を心理的に揺さぶり、主導権を握る方法が紹介されている。謝罪はビジネスの技能の1つともなった。