フランシス・フクヤマの«歴史の終わり»は日本語版で上巻、中巻、下巻で構成さ
れ、上巻はいわば政治学の過去の経緯とその中でのカント、ヘーゲル、コジェー
ヴらの業績の紹介を含んだ総括的な概論を中心とするものであり、フクヤマの政
治哲学の神髄はむしろ綿密に論理を展開していく中巻と下巻にあります。
れ、上巻はいわば政治学の過去の経緯とその中でのカント、ヘーゲル、コジェー
ヴらの業績の紹介を含んだ総括的な概論を中心とするものであり、フクヤマの政
治哲学の神髄はむしろ綿密に論理を展開していく中巻と下巻にあります。
私が所持しているのは三笠書房版ISBN4-8379-の0550, 0551, 0552です。
中巻最終ページより引用:
` トクビルが述べたような市民の連合体や共同体は往々にして、自由主義的な原
` 理ではなく、宗教や民族性、その他の非合理的な原理に基づいていた。だから
` こそ、政治上の近代化が成功するためには、諸権利や制度的取り決めという枠
` 組みのなかに、諸民族の遺風や国家の不完全な勝利といった前近代的要素を残
` しておくことが必要とされるのである。
` 理ではなく、宗教や民族性、その他の非合理的な原理に基づいていた。だから
` こそ、政治上の近代化が成功するためには、諸権利や制度的取り決めという枠
` 組みのなかに、諸民族の遺風や国家の不完全な勝利といった前近代的要素を残
` しておくことが必要とされるのである。
フクヤマは経済のグローバル化について決して楽観的ではない。
また、フクヤマは«歴史の終わり»を著した後の世界が、歴史の終わりを迎えた
脱歴史世界とまだそこに至らない歴史世界に二分されることを予想し、下巻を丸
ごと二分された世界についての考察に充てています。つまり、フクヤマはそもそ
も経済のグローバル化そのものについて否定的な態度を取っていることになりま
す。
脱歴史世界とまだそこに至らない歴史世界に二分されることを予想し、下巻を丸
ごと二分された世界についての考察に充てています。つまり、フクヤマはそもそ
も経済のグローバル化そのものについて否定的な態度を取っていることになりま
す。
そして、フクヤマは脱歴史世界へと足を踏み入れた先進国に実に鋭い警告を突き
付けています。
付けています。
下巻第123ページより引用:
` アメリカその他のリベラルな民主主義諸国は、共産主義社会の崩壊によって自
` 分たちの生きる世界が地政学上の古い世界からますますかれはなれているとい
` う事実を、そして、歴史世界の原則と方法が脱歴史世界には適さないという事
` 実を、しっかり認識しておかなければならないだろう。
` 分たちの生きる世界が地政学上の古い世界からますますかれはなれているとい
` う事実を、そして、歴史世界の原則と方法が脱歴史世界には適さないという事
` 実を、しっかり認識しておかなければならないだろう。
ソビエト連邦の崩壊をリベラルな民主主義諸国の人民たちはほぼ手放しで喜んで
いましたが、フクヤマはむしろそれを新たな試練の始まりと捉えています。
いましたが、フクヤマはむしろそれを新たな試練の始まりと捉えています。
同ページより引用:
` 脱歴史世界にとって重大な問題は、競争力と技術革新の促進、内外赤字の調整、
` 完全雇用の維持、深刻な環境問題に対する相互協力といった経済的な問題とな
` るはずだ。
` 完全雇用の維持、深刻な環境問題に対する相互協力といった経済的な問題とな
` るはずだ。
この予想も完璧に的中しています。日本においては、会社は中国のそれらとの競
争に悩み、政府は国内の財政赤字に悩み、労働市場は増大する非正規率に悩み、
そして、温暖化対策は重大な案件になっています。
争に悩み、政府は国内の財政赤字に悩み、労働市場は増大する非正規率に悩み、
そして、温暖化対策は重大な案件になっています。