昔から、人の長所を見つけるのが得意だった。
それを本人に伝えると、優しい人だとよく言われた。
それを本人に伝えると、優しい人だとよく言われた。
何でそれが「優しい」って事になるんだろう?
私はただ、あなたが優れていると言っただけだ。
間違っても、私が優しいなんて事はない。そんな筈はない。
私はただ、あなたが優れていると言っただけだ。
間違っても、私が優しいなんて事はない。そんな筈はない。
だって私は、あの時。
彼女に「おめてとう」って言えなかったんだ。
言うことが出来なかったんだから。
彼女に「おめてとう」って言えなかったんだ。
言うことが出来なかったんだから。
◆
二年前。
オフ会だった。秋葉原のカラオケルームを六時間も押さえていた。
オフ会だった。秋葉原のカラオケルームを六時間も押さえていた。
別に誰も歌ったりなんかしない。そんな「陽側」のオタクは私たちの中に居なかった。
ただ誰にも邪魔されない空間が欲しかった。完璧なオタク女子会の空間が。
ただ誰にも邪魔されない空間が欲しかった。完璧なオタク女子会の空間が。
サラダやハニートーストを頼んで、お気に入りの同人誌を見せあって、隣の人にスマホを渡してガチャを回させ、結果に毒づき、スケブに落書きをして見せあった。その様子をツイッターに上げた。
それは楽しい時間だった。日常を忘れられる時間だった。
ただただアホでいれば良かった。一人のオタクとしていれば良かった。
現実が目を覚まして殴りかかってきた、その瞬間までは。
ただただアホでいれば良かった。一人のオタクとしていれば良かった。
現実が目を覚まして殴りかかってきた、その瞬間までは。
「……あ、そうだ。私、みんなに伝えたい事があるんだけど」
ひとしきり遊んだ後、エリリが口を開いた。
私が特に仲良くしている子だった。歳も近いけど、まだ大学生なんだっけ?
私が特に仲良くしている子だった。歳も近いけど、まだ大学生なんだっけ?
「なんだよエリリ、改まってさあ」
「へへー、ピヨにもまだ言ってないネタだからね」
「へへー、ピヨにもまだ言ってないネタだからね」
彼女は私の事をピヨと呼ぶ。
妹みたいに可愛がってるエリリだから、そんな馴れ馴れしさも逆に心地よい。
妹みたいに可愛がってるエリリだから、そんな馴れ馴れしさも逆に心地よい。
「これ、誰にもナイショだからねー? ホントは部外者に言っちゃダメかもだし。でも……みんなにはどうしても言いたかったからさ」
「なんだよぉ、恐いなあ」
「えッ。何まさかカレシでも出来た?」
「うっそ。オフパコか? オフパコなのか?」
「えッ。何まさかカレシでも出来た?」
「うっそ。オフパコか? オフパコなのか?」
エリリがもったいぶった言い方するもんだから、周りが騒ぎ始めた。
全員20↑。成人済みですから下ネタも問題なしです。
私もゲラゲラ笑った。エリリは大慌てで否定した。
全員20↑。成人済みですから下ネタも問題なしです。
私もゲラゲラ笑った。エリリは大慌てで否定した。
「ちょっw パコってねえよ!」
「じゃあ何なのさ」
「もう……! これ、見てよ」
「じゃあ何なのさ」
「もう……! これ、見てよ」
そう言ってエリリはスマホの画面を見せてきた。
他の全員が小さな画面を覗き込む。
他の全員が小さな画面を覗き込む。
「えっ」「これって」「マジで?」
そこに表示されていた一通のメール、そこに書かれていた内容を要約すると、こんな感じだった。
エリリさんの素晴らしいイラストに惚れまして、是非イラストのお仕事をお願いしたいです。
紛れもないプロデビューのオファーだった。
エリリさんの素晴らしいイラストに惚れまして、是非イラストのお仕事をお願いしたいです。
紛れもないプロデビューのオファーだった。
「…………」
私は黙った。まあ不自然でもなんでもない。
エリリのイラストはここ最近、三連続くらいでバズってたし、目をつける人なら目をつけるだろう。
エリリのイラストはここ最近、三連続くらいでバズってたし、目をつける人なら目をつけるだろう。
絵柄なのか、構図なのか、色彩なのか、とにかくエリリの絵は謎の色気がある。
狙ってのことか、最近はFGOとか流行りジャンルの美少女を半脱ぎにして描いてたから、ますます人の目にも留まったのだろう。
狙ってのことか、最近はFGOとか流行りジャンルの美少女を半脱ぎにして描いてたから、ますます人の目にも留まったのだろう。
「ひぇー! すっご!」
「プロ!? プロの先生ですか!?」
「マ? それマ?」
「おめでとう!」
「おめで!」
「おめ! これでオフパコし放題っすかね?」
「プロ!? プロの先生ですか!?」
「マ? それマ?」
「おめでとう!」
「おめで!」
「おめ! これでオフパコし放題っすかね?」
「――だから、パコらねえよ!w」
エリリはスマホを持った手をぶんぶんと振って否定して、でも嬉しそうに笑っていた。
だいたいこの子はアレだ、仕草だとか声だとか、そもそも可愛いんだよ。
それが絵にも現れてるのかもしれなかった。オーラってやつ?
だいたいこの子はアレだ、仕草だとか声だとか、そもそも可愛いんだよ。
それが絵にも現れてるのかもしれなかった。オーラってやつ?
「まあそういうワケで、やってみようと思うんだよね」
「……ふーん。いいんじゃん」
「……ふーん。いいんじゃん」
私は言いながら席を立った。化粧ポーチを探して手に取る。
「あれ? ピヨどこ行くの?」
「お便所」
「……せめてトイレって言いなよ」
「はは」
「お便所」
「……せめてトイレって言いなよ」
「はは」
私はドアを開けて個室を出た。
用を足して戻った時には、話題は今期の作画崩壊アニメに変わっていた。
用を足して戻った時には、話題は今期の作画崩壊アニメに変わっていた。
◆
でも、すぐにバレた。
私が感情をごまかした事なんて、エリリにはお見通しだった。
私が感情をごまかした事なんて、エリリにはお見通しだった。
「……ねえピヨ。何か気に障ることでもあった?」
帰り道、他のメンバーはJR、私とエリリだけが地下鉄。
二人きりになったタイミングで、彼女は複雑な表情でこちらを覗き込んだ。
二人きりになったタイミングで、彼女は複雑な表情でこちらを覗き込んだ。
「…………」
私は黙った。
返すべき答えは明らかなようであり、よく分からないようでもあった。
返すべき答えは明らかなようであり、よく分からないようでもあった。
「ピヨだけ……その、祝ってくれなかったからさ」
「……ああ」
「私、ピヨに言われるのを、まあ、一番……楽しみにしてたのに」
「……ああ」
「私、ピヨに言われるのを、まあ、一番……楽しみにしてたのに」
「ねえピヨ、言ってよ」
「え?」
「『おめでとう』って……言ってほしいんだ」
「え?」
「『おめでとう』って……言ってほしいんだ」
「は?」
彼女としては何気ない、素直な気持ちのつもりだったのかもしれない。
でもねエリリ。
私はその瞬間、ぞわっと悪寒が全身を駆け抜けたんだ。
でもねエリリ。
私はその瞬間、ぞわっと悪寒が全身を駆け抜けたんだ。
エリリだって知ってるでしょう。私がイラストレーターを目指してる事。
デッサンも色彩もツールも勉強して、枚数こなして人に見せて。
今は人の目に留まらないけれど、いつかいつか、と継続だけしてきた。
今は人の目に留まらないけれど、いつかいつか、と継続だけしてきた。
まあ、それでも「おめでとう」くらい言える人のほうが多いだろう。
でも私は、醜いから。
でも私は、醜いから。
昔から、人の長所を見つけるのが得意だった。
でも、それを喜んだことは一度もない。私は優しくはないから。
その人の美点を見つけては、ただ相手が優れているという事実を確認してきただけだ。
でも、それを喜んだことは一度もない。私は優しくはないから。
その人の美点を見つけては、ただ相手が優れているという事実を確認してきただけだ。
わかるかい。
あなたが優れている事なんて、あなたが成功する事なんて、私にはひとつも嬉しくないんだよ。
だから周り全員が賞賛しているあの空間でも、お祝いするのが人間として正解だと分かっていても、私にはそれが出来ないんだ。
だから周り全員が賞賛しているあの空間でも、お祝いするのが人間として正解だと分かっていても、私にはそれが出来ないんだ。
私には、「おめてとう」は言えないんだ。
何ひとつ、めでたい事などないのだから。
何ひとつ、めでたい事などないのだから。
「……私だって、絵は描けるのにねえ」
私の口から、自分でもよくわからない言葉が漏れた。
そうだ。私は絵が描けるんだ。
そうだ。私は絵が描けるんだ。
でも、周囲のクラスタは、コミュニティはもう、そのように見てはくれない。
あなたがいるから。
ずっと「私は絵の人だ」と思ってやってきたものを「違う」と突きつけられては、もうたまらない。
あなたがいるから。
ずっと「私は絵の人だ」と思ってやってきたものを「違う」と突きつけられては、もうたまらない。
「え? あ、うん。もちろんピヨも上手だよ、私が上達できたのだって、ピヨの――」
エリリが何か反応してくれている。でも私の耳には入らない。
私の全身は、さっきからの「ぞわぞわ」に支配されていた。
私の全身は、さっきからの「ぞわぞわ」に支配されていた。
なんて醜い感情だろう。自分でそれは理解している。
ヘドロを煮詰めたような、まるで歪で醜悪な――
ヘドロを煮詰めたような、まるで歪で醜悪な――
――怪物。
「……え?」
エリリの声が止まった。彼女の顔に影が落ちている。
私の背後に何かがいた。否、生み出されていた。
エリリを見下ろすほどの、巨大で真っ黒な、モンスター。
私の背後に何かがいた。否、生み出されていた。
エリリを見下ろすほどの、巨大で真っ黒な、モンスター。
のちに私は理解した。これが世に言う「魔人覚醒」。
多くは妄想の盛んな中二くらいの年代で目覚めるというが――
はは、笑っちゃうよね。R-18Gだって何の抵抗もなく見られる成人済みのくせに。
多くは妄想の盛んな中二くらいの年代で目覚めるというが――
はは、笑っちゃうよね。R-18Gだって何の抵抗もなく見られる成人済みのくせに。
「へへ」
「え……ウソ……ピヨ、ねえ、これって」
「え……ウソ……ピヨ、ねえ、これって」
私には、この怪物が自分から生まれたのだろう事が直感的に理解できていた。
でも不思議と、怪物を止めようという気には、全くならなかった。
怪物は無言で、腕を振り上げた。その腕からは鋭いカマが生えていた。
でも不思議と、怪物を止めようという気には、全くならなかった。
怪物は無言で、腕を振り上げた。その腕からは鋭いカマが生えていた。
「ひっ…………!!」
命までは取らなかった。
でも、彼女は右腕を喰われて、私とエリリの関係はそこで終わった。
でも、彼女は右腕を喰われて、私とエリリの関係はそこで終わった。
◆
個展を開く者。
ゲームのメインビジュアルを一人で任せられる者。
画集を出して貰え、あまつさえ重版するような者。
ゲームのメインビジュアルを一人で任せられる者。
画集を出して貰え、あまつさえ重版するような者。
そんな人らは、夜道では背中に気を付けたほうが良い。
私みたいのが、虚ろな目でふらついているから。
私みたいのが、虚ろな目でふらついているから。
目の前を女性が歩いている。
ああ、あなた昨日5万いいねされたんでしたっけ?
個展も全国3箇所で。サイン会には長蛇の列。
ついでに脚も細くてキレイだ。髪からも良い匂いがする。
個展も全国3箇所で。サイン会には長蛇の列。
ついでに脚も細くてキレイだ。髪からも良い匂いがする。
ぬうっ、と、私の背後から黒い影が現れる。
カマキリみたいなのと、ヒョウとオオカミ。計三体。
カマキリみたいなのと、ヒョウとオオカミ。計三体。
「へへ、へへへ」
私はタバコを携帯灰皿に押し付けながら笑った。
私は、ある程度、この感情をコントロールできるようになってきていた。
といっても、抑える方向じゃない。逆だ。
私は、ある程度、この感情をコントロールできるようになってきていた。
といっても、抑える方向じゃない。逆だ。
いつでも、好きなだけ垂れ流せるように。
怒ってばかりいる人は、より怒りっぽくなる。
感情も、道のできたほうに流れようとするのだ。
私の心にできた道は、「嫉妬」。
感情も、道のできたほうに流れようとするのだ。
私の心にできた道は、「嫉妬」。
「――行け」
怪物は俊敏だ。影のように気配もない。そして爪や牙は鋭く、たやすく人肉を絶つ。
絹を裂く悲鳴が裏路地に響く。
絹を裂く悲鳴が裏路地に響く。
「いっ……痛ッ……何!? い……嫌ぁ、嫌嫌嫌」
女性が転倒した。被害者は哀れだ。
すると、決まってこういう事を言う人がいる。
すると、決まってこういう事を言う人がいる。
「わ、私が何をしたの!? ねえ、私何も悪いことしてない!!」
――ああ。
その通りだ。
その通りだ。
あなたは何ひとつ悪くない。勝者はべつに罪を犯したわけではない。
ただ、嫉妬は敗者に許された権利だ。それを止める術はない。
それだけの話だ。
ただ、嫉妬は敗者に許された権利だ。それを止める術はない。
それだけの話だ。
私は、もう何もわからなくなっていた。
生み出された怪物は、彼女の腕と脚と髪を喰べた。
生み出された怪物は、彼女の腕と脚と髪を喰べた。
◆
「うッ……おごッ……おえェェェ……」
もうトイレに三時間は籠っている。
人を襲った日はいつもこうだ。
胃の中身をすべて吐き戻す。それでも不快感は消えてくれない。
人を襲った日はいつもこうだ。
胃の中身をすべて吐き戻す。それでも不快感は消えてくれない。
頭と胃とお腹が痛い。息が苦しい。
今すぐ死んでしまいたい。でもそうする勇気もない。
今すぐ死んでしまいたい。でもそうする勇気もない。
わかっているんだよ。私は醜い。なんて醜いんだ。
私だって人の長所を褒められる人間になりたかった。
人の成功を喜べる人間になりたかった。
そのほうが自然で、健全で、あるべき姿だ。
人の成功を喜べる人間になりたかった。
そのほうが自然で、健全で、あるべき姿だ。
でも、私はそうじゃなかった。
私の心は生まれついてのモンスターだ。
私の心は生まれついてのモンスターだ。
それでも、こんな人外にまで堕する事はなかった。
我慢して生きればよかった。
私は、道を間違えたのだ。
我慢して生きればよかった。
私は、道を間違えたのだ。
ターニングポイントは、もちろん、エリリのこと。
あそこで間違えなければ。
ちゃんとエリリに「おめでとう」と言えていれば。
私はこんな怪物にならずに済んだのに。
ちゃんとエリリに「おめでとう」と言えていれば。
私はこんな怪物にならずに済んだのに。
どうして。苦しい。吐き気がおさまらない。
ああ。
もう手遅れだと分かっていても。無理だと分かっていても。
思わずにはいられない。
もう手遅れだと分かっていても。無理だと分かっていても。
思わずにはいられない。
頼む。誰か。どんな手段でもいい。
私は毎晩、こう考えて枕を濡らしているんだ。
私は毎晩、こう考えて枕を濡らしているんだ。
あの過去を消すことが、できればいいのに――と。