彷徨える大罪



◆ ■ ◆



ワゴン車周辺に、彼――北条悟史の姿は無かった。
そこにあったのは、異様なまでに青白い肌の色をした、男の死骸だけである。
男の顔は、目を背けたくなるほどグシャグシャに潰れている。
例えるならそれは、クシャクシャに丸めた赤い画用紙のようだ。

鷹野三四は、目の前の光景に対して首を傾げざるおえなかった。

――――どういう事だ?何がどうなっている?

悟史はこの車に撥ね飛ばされ、今現在も横たわっている筈だ。
(見るも無残な状態になっているほど破損した車が、その証拠である。)
にも関わらず、彼の姿は何処にも見当たらない。 いや、姿どころか足跡すら存在していなかった。
逃げたとは思えなかった。 
仮に逃げたとしても、こんな短時間で姿が見えなくなる位置にまで移動出来るとは思えない。
と言うよりも、そもそも足跡自体が無いのだから、逃げたとは到底考えられなかった。
では、煙になって消えたとでもいうのか? ……いや、それこそ有り得ない話である。


ポリポリと首を掻きながら、鷹野は舌を打った。
実験対象である北条悟史が居なければ、『アレ』の持つ特性が分からないではないか。
鷹野は手提げバッグから小さな黒い箱を取り出す。片手で持てる程度の重さだ。




差出人不明の小包。 誰が、何のためにこれを自分の元に送ったのかは分からない。
唯一分かっている事があるとすれば、それはこれが『サイレントヒル』から届いたという事である。



◇ □ ◇



鷹野にその小包が送られてきたのは、つい最近――遂に自らに立ち塞がる障害を全て排除し、いよいよ『滅菌作戦』を行なおうとしていた頃――の事である。
『アメリカ』の『サイレントヒル』から届いた、と配達人は言った。 つまりは国際郵便である。
最初は単に届け先を間違えただけだと思っていた。 アメリカに自分の知人は居ない筈だ。いや、居ないと断言出来る。
それに、彼女は『サイレントヒル』などと言う名前など、聞いた事も見たことも無かった。
しかし宛先欄には、「鷹野三四様へ」と乱雑に、だがはっきりと書かれている。
それは、これが紛れもない自分宛の荷物である事を証明していた。


小包には、差出人の名が書かれていなかった。  
こうなると、ますます怪しい。
見知らぬ土地から送られた差出人不明の小包。これを怪しいと言わずして何と言うのか!?
爆弾でも入っているのではないのだろうか。……いや、それならこんな無駄に凝った演出などしないだろう。
では、何が入っているというのだ。 鷹野には全く想像出来なかった。

とりあえず、開けてみない事には始まらない。
鷹野は小包を慎重に、かつ丁寧に開け始めた。
その手は、小刻みに震えているようにも見えた。
今思えば――その時の彼女は、無意識的に自らの身に起こった『オカルト』に興奮していたのかもしれない。

小包に入っていたは、液体で満たされた注射器と、書類、そして手紙。 それぞれ一つずつ入っていた。

――――怪しい。怪しすぎる。
『怪しい』としか言い様がない。 いや、最早『怪しい』を通り越して『不気味』の領域にまで入っていた。
……だが、自らに被害を与えるような物ではないようだ。 鷹野は内心で安堵の息を吐いた。


入っていた手紙には、気品を感じさせる字でこう書かれていた。


――――――――――――――――

寄生虫 プラーガ


新たに発見された大変珍しい寄生虫『プラーガ』です。
今回は特別に鷹野様にのみお送りします。


1・プラーガはデリケートな生物です。注射器の外には出さないで下さい。


2・プラーガは人体に寄生する事で初めてその能力を発揮します。


3・プラーガに寄生された人(『ガナード』と呼ばれています)の人格はプラーガに乗っ取られます。
  被験体を選ぶ際には十分な注意を。 被験体は「死んでも他人が影響を受けない人」が好ましいでしょう。


※プラーガの詳細は同梱の資料をご覧下さい。


近い内に、鷹野様を『サイレントヒル』に御招待しようと考えています。
風情溢れる素晴らしい街です。 きっと忘れられない思い出が出来るでしょう。
楽しみに待っていて下さい!


サイレントヒル一同より

――――――――――――――――


注射器の中に新種の寄生虫『プラーガ』が入っている。
正直言って、あまりにも嘘臭すぎて信じることなど到底出来なかった。 
これは「新しい寄生虫を見つけたからとりあえず人体実験してみて下さい」、と言っているようなものである。
なんて馬鹿な話だろうか。小学生の嘘の方がまだマシに見えるほど、低レベルな冗談だ。

だが資料――正確に言うとレポートだが――はかなりよく出来た代物だった。
それには『プラーガ』に関する情報が細かく書かれていたのである。
それには鷹野も、中々面白いものを書くじゃないかと、少し関心した。
まるで本当に『プラーガ』という寄生虫が存在しているかのに書かれていたそれに、彼女は僅かながらに興味を抱いた。

だが、所詮興味は興味に過ぎない。実際に実験を行う気にはならなかった。
資料もよく出来てはいるが、所詮そこまで。鵜呑みにできるわけがない。
やはり『プラーガ』など架空の存在に過ぎないのである。



次の日。
またしても『サイレントヒル』から小包が届いた。
昨日届いた物より一回り大きい物である。それに比例して、重さも増している。
送り主の欄には、やはり何も書かれてはいない。
鷹野はまたか、と、呆れの混じった溜息をついた。
こんな悪趣味な真似をして、何が楽しいのだろうか?
全くもって、彼女には理解できなかった。


入っていたのは、プラスチック製の黒い小箱、そして手紙。これまた、一つずつ入っている。


――――――――――――――――

特別大サービス!
今回はもう一つ『あるもの』をプレゼントします!


1・とりあえず箱を外に出してみて下さい。箱を自動的に開き、『あるもの』は外に放出されます。


2・外に撒かれた『あるもの』は、しばらく後でその『恐るべき特性』を発揮するでしょう。


注意!
決して自分で箱をで開けようとしないでください!
そうした場合の命の保証は出来ません。


サイレントヒル一同より

――――――――――――――――


小箱の中身は、何故かぼかされていた。
『あるもの』とは一体何なのだろうか。
正体を知らされてはいけない程、危険な代物なのか。
はたまた、自分を驚かせたいがために、あえて正体を隠しているのか。
だが、どちらにせよ、その内容からは最早騙す気すら感じられなかった。

下らない。あまりにも下らない。――――本当に下らない!!

こんな事をして何が楽しいんだ!?理解出来ない。……いいや、理解したくもない!
大方、これの送り主は自分を馬鹿にするつもりで手紙を書いているのだろう。……そうに決まっている!
そうでなければ、こんな馬鹿げた真似などしない筈だ!

とにかく、こんなふざけた物は二度と見たくなかった。
すぐに廃棄して、小包の事など忘れてしまおう。
『不愉快な贈り物』を捨てるために、鷹野は未だに机の上に置いてあった、もう一つの小包に手を伸ばし――――


――――いや、待てよ。


ふと、彼女の頭の中に小さな『好奇心』が生じた。
悪魔の囁きにも似たなそれは、瞬く間に全身を駆け巡り、膨れあがっていく。
やがて、それは彼女から『小包を捨てる』という選択肢を奪い去り、『一つの決断』を代わりに置いて行った。


――――仮に、仮にだ、あくまで仮定の話だとして――――これらの話が本当だったとしたら?
――――手の中にある『馬鹿な冗談』が『冗談』では無かったとしたら?
――――注射器の液体の中に、本当に生物が存在していたとしたら?
――――『あるもの』が本当に『恐ろしい特性』を持っていたとすれば?


まだ『滅菌作戦』の実行までには時間がある。
暇つぶしには悪くないだろう。



――――予定は変更だ。この悪趣味な悪戯に、付き合ってやることにしよう。






『北条悟史』。
彼が入江診療所の地下に眠っている事を知っているのは『入江機関』の者だけである。
鷹野は『入江機関』の最高権力者であるから、当然その事を知っている。
表向きは行方不明になっている彼は、『死んでも他人が影響を受けない人』に最も近い存在だった。
後にも先にも、どうせ殺す命である。どう使っても構わないだろう。


今、診療所に入江京介の姿はない。
それもその筈。 もう彼はこの村――否、この世界には存在していないのだから。
カードキーを使い、専用の治療室に向かう。
そこにやはり、彼は居た。
純白のベッドの上で、スヤスヤと眠っているではないか。
妹は既に殺されてしまったというのに、随分と呑気なものだ。
まぁ、外界から遮断されたこの場所で眠り続けているのだから、当然と言えば当然か。
悟史の目の前に立ち、箱から注射器を一本取り出す。

――――罪悪感は感じない。感じる理由が無い。

注射器を彼の腕に刺し込み、ポンプを親指で押す。
液体はすんなりと体内に入り込んでいった。 
この時点で、まだ彼の肉体に変化は無い。
だが、資料に書かれた事が真実なら、必ず彼の身に何かが起こる筈だ。
例えば、急に暴れだす、目が赤くなる等の、目に見える特異な変化が。
何も起こらなかったのなら、その時は銃で被験体の頭を撃ち抜けばいい話だ。
使用済みの実験動物(モルモット)に、存在価値など全く無いのだから。

寄生虫の次は、例の小箱だ。
もう一つの小包を持って、診療所の外に出る。
空は随分と暗くなっており、小さな星があちこちで宝石の様に輝いていた。
診療所をグルリと回って裏側に移動し、小包から例の小箱を取り出す。
吸い込まれそうな黒色をしているそれは、得体の知れない不気味さを帯びていた。
手紙に書かれている通りに、それを固い地面の上に置いておく。
手紙にはこれで良いと書いてあったが、はたして本当なのだろうか。


診療所に戻った鷹野は、患者用のベッドに横になった。
彼女は、今日はこの場所で休息を取る事に決めたのである。
此処の主は、もう何処にも居ないのだ。 自分がどう使おうが、文句は言われないだろう。
それに、今日は何故だか体が重い。小石が大量に詰まったリュックを背負っているような感覚がするのだ。
一刻も早く、この疲労感から開放されたかった。
――――もう眠ろう。 明日も早い。
そう思いながら、彼女はゆっくりと瞼を閉じ、眠りについたのであった。




翌日。
朝だというのに、太陽の光が全く感じられない。
――どうやら、今日は晴れてはいないようだ。
淡い眠気を残しながらも、鷹野はベッドから腰を上げた。
少ししたら被験体の様子を見に行こう。 何か変化があれば良いが。 

起きてからしばらくして、妙に事に気付く。
――静かだ。 あまりにも静かだ。 ……静かすぎる。
蝉の鳴き声すら聞こえない。この時刻ならまだ鳴いている筈だが。
被験体の様子を見る前に、外の様子を見てみることにしよう。
身支度をして、診療所の入り口の扉を開けた。


扉の向こうでは――――異様な風景が広がっていた。
白い霧が常に充満しており、周りには西洋の建物が立ち並んでいる。
人間の気配など、微塵も感じられなかった。
雛見沢――それどころか、日本とはあまりにもかけ離れた光景であった。
例えるなら、そこは小説で見たアメリカの田舎町を思わせるような――――


――――――――ガシャンッ!!


金属の激突音と、それがひしゃげる音によって、鷹野は我に返る。
それと同時に彼女は、被験体――北条悟史の事を思い出した。
被験体に寄生した『プラーガ』の『能力』とやらを見なければならないのだ。
――こうしてはいられない!

彼女は駆け足で治療室に向かった。
だが――――ベッドの上には、誰も居なかった。
拘束具は破壊されており、辺りには欠片が散らばっている。
つい昨日までそこに居た少年の姿は、何処にも見当たらない――――!
――これは、これはどういう事だ!?
鷹野は自分の目を疑った。
被験体が逃げ出したとでも言うのか。――――四肢を固定している、あの金属製の拘束具を無理やり破壊して!?

有り得ない。 北条悟史にそれほどの怪力があるとは到底思えない。
いや、待て。『怪力』……? 資料でそんなワードを見たことが――――


『ガナードは高い生命力と常人離れした怪力を所持している』


そうか…………なるほど! そういう事だったのか!
資料に書かれていた事が正しいのなら、プラーガに寄生された悟史は圧倒的な怪力を所持している事になる。
――――悟史がその怪力で拘束具を破壊していたとしたら? 
……ありえる。十分にありえる!――――いや、その可能性しか無い!


――――間違いない。……プラーガは本物だ!


「アハ…………ハハ…………ハハハハハハ!」

最初は唯の出鱈目だと思っていたが――まさかこれ程までの能力を有していたとは!
全くもって予想外である! 驚いた! ここまで驚いたのは久しぶりだ!

……と、ここで鷹野は重要な謎を一つ、思い出す。
――――拘束具から開放された北条悟史は何処に行った?

鷹野はあの時聞いた、車の衝撃音を思い出す。
恐らくあれは、悟史が車に轢かれた音だろう。
霧の中をさまよっていたら、偶然車に衝突してしまったのに違いない。

そういえば、『ガナードは高い生命力も持っている』とも書かれてあった。
だとしたら、彼は車に撥ねられた程度では死なないはずだ。
――――起こしに行ってあげようじゃない。
いくら生命力が高いからといって、恐らく彼一人では起きる事は難しいだろう。
フフフ、と口元に不吉な笑みを浮かべながら、鷹野はワゴン車の元へと歩いていった。




しかし、そこに北条悟史は居なかった。
そこにあるのは、無残な姿をさらしているワゴン車だけである。






■ ◇ ■

冷静になった鷹野は、片手に手紙――一つ目の小包に添えられていた物だ――を持ちながら考えていた。
思えば――北条悟史はどうやって外に出たのだろうか。
あの時は若干興奮していたせいで気付かなかったが、
扉は全て――カードキーが必要な扉を含め――全て『開けられていた』のだ。
無理矢理開けた形跡は、何処にもなかった。
開けっ放しにした覚えはない。全て鍵を閉めた筈である。

――――誰が、どうやって?

そもそも、ここは何処なのだろうか。
霧に汚染されたその風景は、明らかに雛見沢のそれではない。
西洋の建造物が立ち並ぶこの場所は、まるで――――


『近い内に、鷹野様を『サイレントヒル』に御招待しようと考えています。』


手紙には、くっきりとそう書かれていた。
――――ああ、成程。自分は招待されたという事か。例の『アメリカ』の『サイレントヒル』とやらに。

「タダで旅行が出来るなんて私も運が良いわね……」

でもこんなに霧まみれじゃ、風情もクソもないわね、と言って、皮肉めいた苦笑を浮かべた。
仮に景色が綺麗でも、こうも視界が悪くては意味が無い。
いや、そもそもこんなゴーストタウンにそんな物があるとは、到底思えなかった。

それにしても、つくづく迷惑な話だ。
「旅行に行きたいです」なんて私は一度も言っていないのに。 旅行になど行きたくないのに。

      ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
――――否、行くわけにはいかないのだ!


自らの悲願が遂に叶おうとしていたのだ。 にもかかわらず奴らは私を呼んだ。――呼びやがったのだ!
嗚呼、なんて、なんて腹立たしい事だろうか!
――――こうしてはいられない。
一刻も早く此処から雛見沢に帰還しなくては。
もう目的の達成は眼と鼻の先まで来ているのである。
こんな場所で油を売っている暇など無い。――――全く無いのだ!


【E-2/ワゴン車周辺/一日目夕刻】


【鷹野三四@ひぐらしのなく頃に】
[状態]健康、自分を呼んだ者に対する強い怒りと憎悪、雛見沢症候群発症?
[装備]???
[道具]手提げバッグ(中身不明)、プラーガに関する資料、サイレントヒルから来た手紙
[思考・状況]
基本行動指針:野望の成就の為に、一刻も早くサイレントヒルから脱出する。手段は選ばない。
1:此処(サイレントヒル)について知っておきたい。
2:プラーガの被験体(北条悟史)も探しておく。
3:『あるもの』の効力とは……?
※手提げバッグにはまだ何か入っているようです。
※『何か』が撒かれました。



そういえばこのワゴン車。『山狗』が使っているのと同じ車種ではないか。
先程見たあの少女も、古手梨花によく似ていた。
青白い死体も、赤坂とか言う警察官と特徴が一致している様に見える。
…………まさか。
いや、そんな筈がない。有り得ない。そんな事があってはならない。
古手梨花は確かに『死んだ』。
自らの野望に横槍を入れたあの忌々しい学生共は、一人残らず消し去った筈だ。



『雛見沢の人間までもが此処に来ている』など、唯の思い込みだ。そうに決まっている。



◇ ■ ◇

真っ赤な目をしきりに動かしながら、金髪の少年は歩く。
時々体を震わせ、獣の様なうめき声を上げる。
ゴホゴホと咳き込むかと思えば、口から少量の血を地面に撒き散らした。


少年は、此処が何処なのかを知らない。
気付いたら殺風景な部屋でベッドに寝かされており、
気付いたら拘束具を無理矢理破壊して歩いており、
気付いたら真っ白な霧の中にいて、
気付いたら車が突っ込んできて、その衝撃で吹き飛ばされ、
気付いたらまた違う場所を、トボトボと一人で歩いていたのだ。


――――わからない。

何故自分は此処に居るのか。

一体全体、自分は此処で何をすればいいのだ。

――――わからない。わからない。わからない。

それにしても頭がいたい。

痛い。いたい。痛い。いたすぎて頭がわれてしまいそうだ。

――――わからない。わわからない。わかららい。わかかからない。

ぼぉ、とする。視界がゆがんで見える。

まるで自分がじぶんでなくなっていくようだ。

助けてくれ。こんなのいやだ。

――――わわらない。わかかわない。わかららなない。わかかからない。わわかからい。かないいい。



おしえてくれ。 



ぼくはどうすればいんだ。



※ガナードと化した北条悟史が、何処かをさ迷っている可能性があります。




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邪神達の胎動 鷹野三四 Sensible solution = Realistic Conception

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最終更新:2012年06月22日 23:27