邂逅




「ありえねーよ! マジありえねーって!」



振り向かずただひたすらに逃げる。久しぶりの全力疾走に肺が軋む。
重くまとわりつく濁った霧の中を掻き分けるように走りながら阿部倉司は住宅街の
裏手と思われるほうを目指す。
無人の公園を突っ切り、洋画の中でしか見たことが無いような大型ガレージが左右に並ぶ道路を駆け抜ける。



なぜこんなことになったのかが分からない。新しく決まったバイトに出勤する途中だったはずなのに、
路地を曲がった次の瞬間自分の目の前に現れたのは、霧に包まれた見慣れない繁華街と、そこにひしめく歩く死者の群れだった。
まるで夜見島の悪夢を数倍悪化させて再現させたような状況に、阿部は一も二も無く逃げ出した。




 逃げ出してから十数分も経っていないだろうが、もう何時間も走り続けている気がする。酸素不足で息が上がる。禁煙しとけばよかったと後悔した。
 もう限界だと思ったその時、右手に見えたのは開けっ放しのガレージ。
 行き過ぎかけた体を入り口のふちをつかんで止め、中へ文字通り転がり込んだ。勢いあまって年代もののトラックに腰をぶつける。



「いってッ! ハァ…ハァ…、ンだってんだよクソッ!」



 トラックの陰に隠れながら息と思考が落ち着くのを待つ。周りを見てみると床には自動車整備に使うジャッキ、後ろの棚においてあるいくつかの箱は工具だろうか。
トラックについているナンバープレートの表示はは見慣れた日本のそれではなかった。
 状況を確認するうちに気分が少し落ち着いてくる。なぜ自分はこんなことに巻き込まれているのか――




 同棲相手だった多河柳子殺害の容疑を晴らさんと乗り込んだ夜見島で悪夢のような夜が明けた後、阿部の前に突きつけられたのは、
警察による逮捕ではなく、「多河柳子という人物は最初から存在しない」という『事実』だった。
 誰に訊いても柳子のことを知るものは居らず、一緒に撮ったはずの写真に写っていたのは自分一人。
 激しく混乱し、悲しみながらも、島で出会った作家、三上の愛犬ツカサを支えにどうにか立ち直り再起を図ろうとした矢先、この怪異に巻き込まれてしまった。





 「ついてねぇなんてレベルじゃねぇよなコレ…」



 上着のポケットからタバコとライターを取り出す。先刻の後悔はもう忘れていた。
 来たことの無い町、それもどうやら日本ではない場所、そこにいたのは無数の怪物。
 夜見島の連中のように武器を使うわけではなさそうだったが、通りを埋め尽くすほどの数は脅威だ。武器を持っていたとしてもあの中に突っ込むのは遠慮したい。
 タバコをふかしながらこれからどうするかを考える。状況は不明、原因も分からず、回りは化け物だらけ。それでもなおも考える。
 沈思。
 黙考。
 やがて出た結論は、
 (ま、なんとかなんだろ)
 夜見島でも駆けずり回っているうちに何とかなったのだ。今度も上手くいくかもしれない。
 楽観的にそう考え、ふと思い出した。
 夜見島にいる間だけ使えたあの力、もしかしたらまた使えるかもしれない。




 夜見島で三上はあの力を「視界を借りる」と表現していた。
 あの時のように目を閉じ意識を周囲にめぐらせてみる。脳裏に奔るノイズのようなイメージ、やがてそれが突然クリアになった。



(おお、上手くいった――ってげっ!?)



 緩慢に左右に揺れる視界。おそらく化物のものであろう視界に開けっ放しのガレージが映っている。
 つまり阿部の隠れている場所が。視界の持ち主との距離は約20メートル程か。



(来んなよ!こっち来んなよ!)



 必死に念じる。ふらふらと揺れていた視界はその甲斐あってかやがて脇の細道へと逸れた。そのまま視界は路地をゆっくりと進んでいく。
 阿部は安堵のため息をつく。どうやら戻ってくるつもりは無いらしく、視界は路地を抜けた別の通りを映し始める。
 しばらく視界をのっとったまま様子を見ようと思った矢先、再び硬直した。
 通りを抜けた化け物の視界、道路の端に金髪の少女と思しき人影がかがんでいる。こちらに背を向けていて気づいていないようだ。
 人間らしく体の動かし方に化物のような不自然さやぎこちなさが無い。
 全身が総毛立つ。あの少女はこのままいけば間違いなく殺されるだろう。ならどうする?危険を冒してまで助けるか?あったことも無い少女のために?




 一瞬逡巡する。だが、



 「ああもうしょうがねぇなクソッ!」



 視界ジャックを切り上げ立ち上がる。
 この阿部倉司という男、チンピラめいた風貌に反して根は人の良いところがある。
 幸いというか、自分はこの手の怪現象に対しては経験がある。あの動く死体――仮にゾンビと呼ぼう――一体ぐらいならどうとでも出来るはずだ。
 背後にあった工具箱をひっくり返し、床に散らばった中からバールとパイプレンチを拾い上げると外へ飛び出す。ゾンビが向った路地を曲がり、視界ジャックで『観た』通りへ。
 曲がり角の向こうにフラフラと揺れる人影。間違いなくあのゾンビだ。
 阿部はそれを確認するとレンチをズボンのベルトにねじ込みバールを両手で握りながら雄たけびを上げて通りへと飛び込む。



 「おらあああああああ!?」



 だが、通りに入った瞬間、阿部は自分が甘かったことを思い知った。
 驚いた表情でこちらを見る金髪の少女、それはいい。だがゾンビが三体もいるのは完全に予想外だった。
 さっきの視界ジャックの際に、視界を切り替えて他の敵を確認することを忘れていた。危機的状況からしばらく離れていたが故の、阿部の痛恨のミス。
 だがすでに六つの濁った視線が阿部を捉えている、もはや後戻りは出来ない。





 「何やってんだ逃げろこのバカ!」



 少女に怒鳴ると、腹を括って一番近いゾンビの脳天に渾身の力でバールを叩きつける。重い手ごたえとともに腐敗した体がアスファルトに沈む。
そのまま間近に迫っていた二体目のこめかみをなぐりつけた。が、初撃で上体が泳いでしまい、相手をわずかによろめかせただけに終わる。



 「ウゼーんだよ!」



 なおもつかみ掛かってくる二体目の腹を蹴り飛ばし距離を稼ぐが、その時にはすでに三体目の間合いに入ってしまっていた。
うめき声とともに伸ばされた腕をバールで払いのけようとするが、逆にバールを掴まれてしまう。とっさに右手でレンチを抜いて顔面を殴るも
不自然な体勢で片手では十分なダメージが与えられない。ならもう一度と振り上げたレンチまで掴まれてしまい、そのまま拮抗状態に陥る。 
眼前のゾンビの黄色くぬらりと光る歯が阿部の肉を食いちぎらんと迫る。さらにそのゾンビの肩越しに先ほど蹴り飛ばした二体目が立ち上がるのが見えた。



 (や、やべ……!)



 「頭下げてッ!!」



 至近距離で立て続けの破裂音。同時に目の前のゾンビが右側頭部から中身を撒き散らしながら倒れこむ。破裂音は止まらない。
近づいてくるもう一体のゾンビの体に数ヶ所の穴が開き、やがて前のめりに倒れこんだ。
 阿部が荒い息をつきながら傍らを見るとそこには拳銃を構えた少女の姿があった。
 少女は銃を下ろして大きなため息をつくと非難がましい視線を送ってきた。



 「いきなり突っ込まないでよ、あんな混戦になったら援護も出来ないじゃない」



 「なっ……!おまっ……!」



反論しようとするが酸素不足で上手く頭が回らない。かまわず少女は数歩進み、そこで振り返ってぶっきらぼうに告げた。



 「でも今のは一応助けてくれるつもりだったのよね。ありがと」



 「お、おう……」




 ヘザーと名乗った少女は阿部が想像していたよりも修羅場をくぐっていたらしい。少なくとも見た目にはこの異様な状況に大きく動じているということはないようだった。
 今も確認のつもりなのか倒れたゾンビにガスガスと蹴りを入れている。



 「お前タフだなー……」



 「前にも似たようなことがあったからね、少しだけ慣れてるわ。慣れたくなんかなかったけど」



 いろいろと底の知れない少女だ。



 「そっか……。にしてもその銃どこで拾ったんだ? やっぱあれか、アメリカ人はみんな銃とか持ってんのか?」



 「ああこれ?向こうで警官のゾンビに襲われそうになったから石で殴り倒して、ね。ちょっと借りたわ。」



 (……このガキたくましすぎだろ)



 化物の武器を奪うというのは阿部も夜見島でやっていたことだが。
 一通り確認が終わったのか、ヘザーが阿部のところへと戻ってくる。



 「じゃあそろそろ移動するわよ。ここは危なそうだし」



 一瞬素直にうなずきかけて阿部は我に返った。



 「ちょっと待てよ!?何でお前が仕切ってんだよ!?ってか俺が一緒に行くなんていってねぇだろ!?」



 「でもあなた頼りなさそうだし、どこかで死なれたら寝覚めが悪いわ」



 思わずキレそうになるがかろうじてこらえる。情けない話だが、助けるつもりで逆に助けられたのは事実だ。それに年下の女にマジギレなんてかっこ悪すぎる。
 そう思って気持を落ち着けようと――



 「何ボーっとしてるのよ。さっさといくわよ」



 「だからなんでおめーが仕切んだっつーの!」



 無理だった。





 ヘザーは阿部がぶつくさ文句を言いながらもついてきたのを確認すると再び前を向いて
歩き出す。
 ガラの悪い男だが、見ず知らずの自分を助けに来てくれるあたり、きっといい奴なんだろう。とりあえずは信用できそうだ。 
 当面の最大の問題は――



 (この霧に怪物たち、まさかまた教団が?)



 しかしあの時、クローディアとヴィンセントは死に、神を倒したことですべての因縁に終止符を打ったはずだった。だがこうして今また怪異に巻き込まれている。
 今の自分にはもう神は宿っていない。教団の残党がいたとしてももう利用価値は無いはずだ。別の何かが原因なのだろうか。自分の知らないような更に深く邪悪な何かが――



 (負けちゃ駄目だ!)



 弱気になりそうな自分を叱咤する。相手が何であれ関係ない。必ず私は日常を取り戻してみせる。絶対に。
 ヘザーは白く濁る霧を精一杯睨みつけた。





 白色の闇は深くいまだその底を見せようとはしない――







【C-6住宅街/一日目夕刻】
【ヘザー@サイレントヒル3】
 [状態]:健康
 [装備]:SIG P226(装弾数7/15 予備弾30)
[道具]:L字型ライト
[思考・状況]
基本行動方針:戦闘はなるべく回避
1:阿部と情報交換
2:ラジオと武器を探す
3:他に人がいるなら探す





【阿部 倉司@SIREN2】
 [状態]:やや疲労
 [装備]:バール
[道具]:パイプレンチ、タバコ、ライター
[思考・状況]
基本行動方針:戦闘はなるべく回避
1:ヘザーと情報交換
2:他に人がいるなら探す
3:まともな武器がほしい


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最終更新:2012年06月20日 20:32