系譜
- 父はポイアス。
解説
- 別名はピロクテーテース、ピロクテーテス。
- 彼は少なくとも2つのソフォクレスの劇の題材となっており、アイスキュロスとエウリピデスにも扱われた(現在残っているのはソフォクレスだけ)。「イリアス」において、彼がレムノス島へ置かれたこと、蛇に噛まれたこと、アカイア勢に呼び戻されたことなどが描かれた。ピロクテテスをオデュッセウスとディオメデスが呼びに行った話は失われた叙事詩「小イリアス」で語られた。
- トロイア戦争の開始前、アカイア勢はピロクテテスをレムノス島に置いていった。このことについて少なくとも4つの説があるが、共通しているのは、彼が脚をケガして、膿んで悪臭を放ったということである。(1)ヘラが送った蛇がピロクテテスを噛んだ。(2)彼がヘラクレスの埋葬場所を足で踏んで示したらその足が傷ついた。(3)テネドス島でアキレウスがアポロンを怒らせたので、アカイア人が犠牲を捧げると、祭壇から蛇が出てきてピロクテテスを噛んだ。(4)クリュセ島でニンフの神殿に踏み入ってしまったため足を傷つけられた。
エピソード
レムノス島へ置いていかれる トロイア遠征の途上、彼はテネドス島で足を蛇に噛まれ、傷が膿んで悪臭を放った。アカイア勢は彼をレムノス島に置いていった。彼の軍勢はメドンが引き継いだ。彼はこの仕打ちを恨んだ。それから10年間、彼は島に一人残された。
戦線に復帰する プリアモス王の息子ヘレノスは、アカイア軍に捕まり、トロイアに勝つための条件を言わされた。その一つが、ヘラクレスの弓矢を使うことだという。早速、オデュッセウスはレムノス島へピロクテテスを迎えに行った。ピロクテテスの傷はすっかり癒えていた。ピロクテテスは戦線に復帰し、多くのトロイアの英雄を殺した。その中にはプリアモスの息子パリスもいた。戦後、彼はイタリアへ行き、ペティーリア市を創設し、ブルッティ人の始祖となった。