ドストエフスキーは実人生において破廉恥漢であり、その動物性のあくどさに嘔吐を催せしめるほどの鼻もちならぬ人物であつたかも知れぬ
しかしながらドストエフスキーは彼の文学の中においては決して鼻持ちならぬ破廉恥漢ではなく、その誠実な懊悩と数々の試煉の通過によって、あたかも愛の具現者の如く又生ける一人の聖者の如く高められた思想の中に、自らを失い救うことができている
『フロベール雑感』


ドストエフスキーの伝記というものは無数にある。
ところでもし、神様の御慈愛によってドストエフスキーがよみがえり自伝を書いて、又死んだとする。
他人の書いた伝記と、彼自身の自伝とが違っているのは当然だが、然し、自伝だから真実だとは誰も言えぬ。
ドストエフスキー自身ですら、そうは言えない筈である。
絶対の真実などいうものは、何処を探しても有る筈がない。
『ただの文学』
最終更新:2021年04月05日 14:58