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9604●日米安保共同宣言
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9604●日米安保共同宣言
96年4月17日、クリントン米大統領が来日し、橋本首相と会談が行われ、その場で両首脳が「日米安全保障共同宣言」に署名した。
日米安保体制は、ソ連を共通の仮想敵としていたが、ソ連崩壊・冷戦終結によってその存在意義を「再定義」する必要が生まれた。宣言は、日米安保を「アジア・太平洋地域において安定的で繁栄した情勢を維持するための基礎」と位置づけ、日米安保の役割を従来の「日本・極東」の防衛から「アジア太平洋地域」の安定へ様々な軍事分野での協力へ拡大するとし、具体的には「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)の見直しを約している。
これが97年9月の「新ガイドライン」策定、99年5月の「周辺事態法」制定として制度化し、自衛隊と米軍の一体化は加速度的に進んだ。まさに共同宣言は、日米安保体制の転換点となったのである。
★1996年
96年4月17日、クリントン米大統領が来日し、橋本首相と会談が行われ、その場で両首脳が「日米安全保障共同宣言」に署名した。
日米安保体制は、ソ連を共通の仮想敵としていたが、ソ連崩壊・冷戦終結によってその存在意義を「再定義」する必要が生まれた。宣言は、日米安保を「アジア・太平洋地域において安定的で繁栄した情勢を維持するための基礎」と位置づけ、日米安保の役割を従来の「日本・極東」の防衛から「アジア太平洋地域」の安定へ様々な軍事分野での協力へ拡大するとし、具体的には「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)の見直しを約している。
これが97年9月の「新ガイドライン」策定、99年5月の「周辺事態法」制定として制度化し、自衛隊と米軍の一体化は加速度的に進んだ。まさに共同宣言は、日米安保体制の転換点となったのである。
★1996年