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田中角栄に実刑判決
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dunpoo
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8312●田中有罪判決と総選挙
83年10月12日、東京地裁は、田中角栄の収賄を認め懲役4年の実刑判決を下した。野党は、田中の議員辞職勧告決議案を提出し、解散を要求した。中曽根首相は、野党と世論に押され、しぶしぶ田中邸を訪問し、「一人の友人としてできうる限りの助言」をした。しかし田中に辞職の意志は毛頭なかった。国会は一ヶ月あまり空転した。首相は自民党への風当たりの強いこの時期の解散を避けたかったが、衆参両院議長の斡旋で、11月に解散となった。
12月18日の総選挙はやはり自民党の大敗となった。36議席減らして250議席と、過半数割れであった(直後に無所属当選者9名を追加公認して辛うじて過半数を維持した)。しかしその中で、田中派だけは2減にとどまり、田中自身も無所属で立候補して過去最高得票で当選した。社・公・民はそれぞれ議席を伸ばした。新自クは前回の12から8に議席を減らした。
福田と三木は中曽根の退陣を求めたが、中曽根は、「いわゆる田中氏の政治的影響を一切排除する」という総裁声明で切り抜け、一方で新自由クラブとの連立交渉をまとめた。
83年10月12日、東京地裁は、田中角栄の収賄を認め懲役4年の実刑判決を下した。野党は、田中の議員辞職勧告決議案を提出し、解散を要求した。中曽根首相は、野党と世論に押され、しぶしぶ田中邸を訪問し、「一人の友人としてできうる限りの助言」をした。しかし田中に辞職の意志は毛頭なかった。国会は一ヶ月あまり空転した。首相は自民党への風当たりの強いこの時期の解散を避けたかったが、衆参両院議長の斡旋で、11月に解散となった。
12月18日の総選挙はやはり自民党の大敗となった。36議席減らして250議席と、過半数割れであった(直後に無所属当選者9名を追加公認して辛うじて過半数を維持した)。しかしその中で、田中派だけは2減にとどまり、田中自身も無所属で立候補して過去最高得票で当選した。社・公・民はそれぞれ議席を伸ばした。新自クは前回の12から8に議席を減らした。
福田と三木は中曽根の退陣を求めたが、中曽根は、「いわゆる田中氏の政治的影響を一切排除する」という総裁声明で切り抜け、一方で新自由クラブとの連立交渉をまとめた。