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8103●土光臨調
80年7月17日に発足した鈴木内閣の最大の課題は財政再建であった。田中内閣以来、国債残高は急激にふくらみ、その利払いが財政を圧迫していた。中曽根行政管理庁長官のリードによって、臨調方式の行革プランづくりが決まり、臨調の会長には財界から土光敏夫が選ばれた。
土光は、鈴木から、首相のリーダーシップで答申を必ず実施すること、増税なき財政再建をやり遂げること、の言質をとった。大蔵省は、悲願である大型間接税の導入をしばし棚上げし、「小さな政府」による歳出削減のレールづくりに協力した。
80年7月17日に発足した鈴木内閣の最大の課題は財政再建であった。田中内閣以来、国債残高は急激にふくらみ、その利払いが財政を圧迫していた。中曽根行政管理庁長官のリードによって、臨調方式の行革プランづくりが決まり、臨調の会長には財界から土光敏夫が選ばれた。
土光は、鈴木から、首相のリーダーシップで答申を必ず実施すること、増税なき財政再建をやり遂げること、の言質をとった。大蔵省は、悲願である大型間接税の導入をしばし棚上げし、「小さな政府」による歳出削減のレールづくりに協力した。