電脳少女は死の夢を見るか
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電脳少女は死の夢を見るか
ㅤもぬけの殻となったヤシロンガーZーーもといT◎S☆N社の社内を紫音はゆっくりと巡っていた。そこは思い出の宝庫だった。人員が足りなくてもぬけの殻だった受付で、紫音はとあるアイドルからの脅迫状を拾った。広々としたレッスンルームで、紫音は愛奈と一緒に歌と踊りの稽古をした。セレモニー会場で、紫音は悲嘆にくれるパーティ参加者を歌で励ました。オフィスはほかの部屋よりずっと狭くて、ほとんど応接間みたいなもので、奥の席には社長が、ひっきりなしに鳴る電話の対応にあたふたする、八代弦八の姿が、紫音は彼の肩に寄りかかって、お前が我社の希望だと、言ってくれた笑顔が、笑顔が、笑顔が。
ㅤ行き場のない紫音を拾ってくれたあの笑顔が。
ㅤわがままを聞いてくれてアイドルにしてくれたあの笑顔が。
ㅤCD売上が好調なことを一緒に喜んでくれたあの笑顔が。
ㅤお前は何も悪くないんだと責任を負ってくれたあの笑顔が。
ㅤ「紫音」と呼んでくれたあの笑顔が。
ㅤ社長。
ㅤ八代弦八社長。
「…………ぐすっ」
ㅤ紫音は涙を流した。人工知能は涙を流さない。機能はあっても現象はない。だからそれは「思わず」ではなく、感極まってでもなく。完璧な意図に基づいて、さあ泣くぞと、流した涙だった。泣きたいと思って泣いた。それは偽りの涙であり、だからこそ紫音の本当の悲しみだった。歪ながら、純粋な気持ちだった。
「……ご主人様?」
ㅤ語りかけに、紫音は振り返った。懐かしい顔だった。
「やあ、漣ちゃん」
ㅤその泣きべそとは釣り合わない語調だった。いつものおちゃらけた紫音の発音のそれだった。紫音はまだ、泣き声の表現ができない。しかし漣はかつての主人の気持ちを十二分に理解しているようだった。駆け寄り、紫音をぎゅっと抱き寄せた。紫音は漣の胸の中で泣いた。どちらも明確な意思のもとに、これ以上なく意図的な行動だった。人の死を悲しむ機械(クロガネ)とそれを慰める機械(クロガネ)。見る人が見ればそれはくだらない茶番だった。わざとらしく、白々しい。まるで台本があるかのようなぎこちなさ。人でないものが人を演じているのだから当然だった。人ならざるものにとっては、これが精一杯の悲しみだった。
ㅤたっぷり1024分泣いた紫音は、ぽつりぽつりと漣に、もしくは誰にということも無く、語りだした。
「もっと社長のために、してあげられることあったのかなぁ……。突然アイドルやめて、ここを飛び出して、私って本当に自分勝手。私が楽しいからみんなも楽しいなんて、変な思い込み、しちゃってたのかも」
「だったら今だって、ご主人様は自分が悲しいから、みんなも悲しいと思ってるんですよ。社長が悲しんでいるなんて、誰が言いきれるんですか?ㅤ私はきっと、社長はご主人様のことを今も優しく見守ってくれていると思いますよ」
ㅤ死後の世界があるかどうかなんでどうでもよかった。それは慰めの言葉として、本当に純粋な暖かさだけを内包した言葉だった。だからは紫音は今のこと、そして未来のことについて考えを巡らせることが出来た。
ㅤ愛奈とあった日、鳳龍と久しぶりに再開して、彼と一緒にいたいと思ってここを飛び出した。今思えば弦八はずっとクローンの研究で頭がいっぱいで、人工知能ひとりがどこかに行ってしまったことなんかに気を配る余裕すらなかっただけなのかもしれないけれど、それでも紫音の鳳龍への気持ちを汲んでくれていたのだと信じたい。愛奈が探していたものを紫音も見つけて、それを追いかけただけなのだ。紫音は今が幸せだ。鳳龍がいて、愛奈や葵もとい咲綾や十三がいて、友人のそのまた友人たちも沢山いて、それが溢れていて、幸せだ。これからもずっと鳳龍と一緒にいて、ずっと幸せでーー。
「……………………………………………………………………………………………………………………………………」
ㅤずっと?
ㅤ違う。
ㅤずっとは、無理だ。
ㅤなぜなら鳳龍は人間で。
ㅤいつかは、必ず。
ㅤーー死ぬ。
「……ご主人様?」
ㅤ漣が見たそれは、それこそが、人工知能にとっての本当の“涙”だった。本人の意図の外側から自然に発せられる生理現象。発作。身体が、ホログラムが歪み、ザラつき、ノイズがまじる。処理能力が別に使われて、今到ってしまった考えにリソースを奪われて、そのほかが疎かになる。
ㅤフリーズするグラフィック、記録が飛んでしまうログ、ERROR、ERROR、応答がありません、応答がありません。
ㅤ鳳龍はいつか死ぬ。愛奈も咲綾も十三も、友達もみんな絶対に死ぬ。
ㅤ紫音が生まれてから6年。あっという間だった。この調子で時間よ、流れてみろ。10年、20年、50年、100年。あっという間だ。未来なんて直ぐに今日になる。
ㅤ鳳龍たちはいつか死ぬ。
ㅤいつか、必ず、直ぐに、死ぬ。
「やだ……っ、やだぁ……っ!」
ㅤ嫌だ、嫌だ、絶対嫌だ。
ㅤ紫音は、ただ。“永遠に幸せでいたいだけだった”。
ㅤどうする、何をする。いかにすれば、鳳龍を死なせずにすむ?ㅤ考えろ、計算しろ、全てのリソースを鳳龍の生還につぎ込むのだ。
「……漣ちゃん」
「は、はい」
「今すぐ鳳龍の所に行って、彼を守って」
「え?ㅤで、でもご主人様はあなたーー」
「いいから早く行くの!ㅤ命令だよ!」
ㅤ今までの紫音なら、絶対に使わない言葉だった。漣が機械(クロガネ)であるとしって、逆らえないということを踏まえた、差別的で、自虐的な言葉だった。漣は返事をするよりも早く、すぐに部屋を飛び出した。
ㅤ鳳龍を守らなくてはいけない。彼を死なせてはいけない。あらゆる危険を排除して、運命をも変えなくてはいけない。その方法を見つけなくちゃいけない。
「鳳龍、好きだよ。■してる」
ㅤログ機能がバグっていて、この独り言は紫音の記憶にすら残らなかった。紫音は鳳龍を生きながらえさせる術を探しに、電子の海へと飛び込んで、消えた。誰もいなくなったオフィスに、静寂だけがこだました。
ㅤ行き場のない紫音を拾ってくれたあの笑顔が。
ㅤわがままを聞いてくれてアイドルにしてくれたあの笑顔が。
ㅤCD売上が好調なことを一緒に喜んでくれたあの笑顔が。
ㅤお前は何も悪くないんだと責任を負ってくれたあの笑顔が。
ㅤ「紫音」と呼んでくれたあの笑顔が。
ㅤ社長。
ㅤ八代弦八社長。
「…………ぐすっ」
ㅤ紫音は涙を流した。人工知能は涙を流さない。機能はあっても現象はない。だからそれは「思わず」ではなく、感極まってでもなく。完璧な意図に基づいて、さあ泣くぞと、流した涙だった。泣きたいと思って泣いた。それは偽りの涙であり、だからこそ紫音の本当の悲しみだった。歪ながら、純粋な気持ちだった。
「……ご主人様?」
ㅤ語りかけに、紫音は振り返った。懐かしい顔だった。
「やあ、漣ちゃん」
ㅤその泣きべそとは釣り合わない語調だった。いつものおちゃらけた紫音の発音のそれだった。紫音はまだ、泣き声の表現ができない。しかし漣はかつての主人の気持ちを十二分に理解しているようだった。駆け寄り、紫音をぎゅっと抱き寄せた。紫音は漣の胸の中で泣いた。どちらも明確な意思のもとに、これ以上なく意図的な行動だった。人の死を悲しむ機械(クロガネ)とそれを慰める機械(クロガネ)。見る人が見ればそれはくだらない茶番だった。わざとらしく、白々しい。まるで台本があるかのようなぎこちなさ。人でないものが人を演じているのだから当然だった。人ならざるものにとっては、これが精一杯の悲しみだった。
ㅤたっぷり1024分泣いた紫音は、ぽつりぽつりと漣に、もしくは誰にということも無く、語りだした。
「もっと社長のために、してあげられることあったのかなぁ……。突然アイドルやめて、ここを飛び出して、私って本当に自分勝手。私が楽しいからみんなも楽しいなんて、変な思い込み、しちゃってたのかも」
「だったら今だって、ご主人様は自分が悲しいから、みんなも悲しいと思ってるんですよ。社長が悲しんでいるなんて、誰が言いきれるんですか?ㅤ私はきっと、社長はご主人様のことを今も優しく見守ってくれていると思いますよ」
ㅤ死後の世界があるかどうかなんでどうでもよかった。それは慰めの言葉として、本当に純粋な暖かさだけを内包した言葉だった。だからは紫音は今のこと、そして未来のことについて考えを巡らせることが出来た。
ㅤ愛奈とあった日、鳳龍と久しぶりに再開して、彼と一緒にいたいと思ってここを飛び出した。今思えば弦八はずっとクローンの研究で頭がいっぱいで、人工知能ひとりがどこかに行ってしまったことなんかに気を配る余裕すらなかっただけなのかもしれないけれど、それでも紫音の鳳龍への気持ちを汲んでくれていたのだと信じたい。愛奈が探していたものを紫音も見つけて、それを追いかけただけなのだ。紫音は今が幸せだ。鳳龍がいて、愛奈や葵もとい咲綾や十三がいて、友人のそのまた友人たちも沢山いて、それが溢れていて、幸せだ。これからもずっと鳳龍と一緒にいて、ずっと幸せでーー。
「……………………………………………………………………………………………………………………………………」
ㅤずっと?
ㅤ違う。
ㅤずっとは、無理だ。
ㅤなぜなら鳳龍は人間で。
ㅤいつかは、必ず。
ㅤーー死ぬ。
「……ご主人様?」
ㅤ漣が見たそれは、それこそが、人工知能にとっての本当の“涙”だった。本人の意図の外側から自然に発せられる生理現象。発作。身体が、ホログラムが歪み、ザラつき、ノイズがまじる。処理能力が別に使われて、今到ってしまった考えにリソースを奪われて、そのほかが疎かになる。
ㅤフリーズするグラフィック、記録が飛んでしまうログ、ERROR、ERROR、応答がありません、応答がありません。
ㅤ鳳龍はいつか死ぬ。愛奈も咲綾も十三も、友達もみんな絶対に死ぬ。
ㅤ紫音が生まれてから6年。あっという間だった。この調子で時間よ、流れてみろ。10年、20年、50年、100年。あっという間だ。未来なんて直ぐに今日になる。
ㅤ鳳龍たちはいつか死ぬ。
ㅤいつか、必ず、直ぐに、死ぬ。
「やだ……っ、やだぁ……っ!」
ㅤ嫌だ、嫌だ、絶対嫌だ。
ㅤ紫音は、ただ。“永遠に幸せでいたいだけだった”。
ㅤどうする、何をする。いかにすれば、鳳龍を死なせずにすむ?ㅤ考えろ、計算しろ、全てのリソースを鳳龍の生還につぎ込むのだ。
「……漣ちゃん」
「は、はい」
「今すぐ鳳龍の所に行って、彼を守って」
「え?ㅤで、でもご主人様はあなたーー」
「いいから早く行くの!ㅤ命令だよ!」
ㅤ今までの紫音なら、絶対に使わない言葉だった。漣が機械(クロガネ)であるとしって、逆らえないということを踏まえた、差別的で、自虐的な言葉だった。漣は返事をするよりも早く、すぐに部屋を飛び出した。
ㅤ鳳龍を守らなくてはいけない。彼を死なせてはいけない。あらゆる危険を排除して、運命をも変えなくてはいけない。その方法を見つけなくちゃいけない。
「鳳龍、好きだよ。■してる」
ㅤログ機能がバグっていて、この独り言は紫音の記憶にすら残らなかった。紫音は鳳龍を生きながらえさせる術を探しに、電子の海へと飛び込んで、消えた。誰もいなくなったオフィスに、静寂だけがこだました。