フラメンコにはカンテは無くてはならないものです。
興味がある・歌ってみたい人もいることと思いますが、普段日本で触れる音楽とは異質で、難しい印象だと思います。
興味がある・歌ってみたい人もいることと思いますが、普段日本で触れる音楽とは異質で、難しい印象だと思います。
でも「ダメ元」くらいの気持ちでチャレンジしてみてもらいたいです。それくらい価値・意味のあることだと思います。踊りやギター、パルマの上達にもつながると思います。
ここでは考え方の「入り口」みたいなことを示せたらと思います。
まず聞いてください
聞かないと歌えません。とにかく何度も聞いて、空耳で覚えるくらいでようやく歌えます。
繰り返し聴いても苦にならないような、好きな歌・歌い手=カンタオール/カンタオーラがみつかるとよいと思います。
歌うために探すというよりは、好きで聞いているうちに歌えるようになっちゃった方がよいです
繰り返し聴いても苦にならないような、好きな歌・歌い手=カンタオール/カンタオーラがみつかるとよいと思います。
歌うために探すというよりは、好きで聞いているうちに歌えるようになっちゃった方がよいです
読まない
ネットとかで歌詞が見つかる場合も多いですが、よく聞く前から、とにかく歌おうとして歌詞を見る・読むのは良くないです。目の情報より耳です。(読み書き偏重教育の弊害)。スペイン語勉強している人でも気をつけてください。勉強のスペイン語と、歌うことのスペイン語はある意味全然違います
読むと、だいたい変な歌い方になります。
読むと、だいたい変な歌い方になります。
楽譜ではない・完コピ?
音程とかリズムとかを「西洋音楽的に」分析しすぎない方がいいです。
楽譜のある、作曲された音楽とちがって、不条理・カオスな部分も多いです。
完全コピーはゴールではないです。
楽譜のある、作曲された音楽とちがって、不条理・カオスな部分も多いです。
完全コピーはゴールではないです。
カウントしすぎない
表拍のパルマにベシャ乗りとか、ダサいです。パルマに合わせすぎない、踊りにも合わせすぎない方がいいです。だいたい変な歌い方になります。
一見関係ないようでも色々聞く
自分が歌いたい歌を繰り返し聴くのは大事かもしれませんが、同じ歌い手の他のうた、同じ形式の他の人のうた、同じ地域や一族の歌を聴くことも大事です。
伝統的なものでは同じ歌を他の人が歌っている場合も多いです。
伝統的なものでは同じ歌を他の人が歌っている場合も多いです。
アンダルシア方言
標準語ではありません。口語です。ヒターノ独特の言語もあります。あと芸風的に、おっちゃん弁・おばちゃん弁みたいでもあります。文法がおかしいとかもあります。
語学ではない
外国語学部の人が多いかもしれませんが、語学的な、通じる・伝えるための語学みたいに、はっきり言おうとか、ちゃんとした言葉、何言ってるかわかりやすい言葉というのとはちょっと違うことになります。
ネイティブの人でも何言ってるかわからないことはあるらしい。(日本の歌で日本語でもありますよね)。
ちゃんと喋れるひとが歌が上手いわけでも、面白く話せるわけでもないですよね
ネイティブの人でも何言ってるかわからないことはあるらしい。(日本の歌で日本語でもありますよね)。
ちゃんと喋れるひとが歌が上手いわけでも、面白く話せるわけでもないですよね
朗読やセリフ、お笑い
カンテは音楽というより詩の世界、文学かもしれません。歌詞=レトラはほぼ完全に定型詩ですし。言葉の面白さや美しさが大事な世界です
ただ、淡々と正しく読む言葉よりも、旨み、面白みがフラメンコに大事です。抑揚やリズム、起承転結、オチ、「間(ま)」みたいなものが大事です。そういう意味では朗読やセリフ、お笑いに近いです。
ただ、淡々と正しく読む言葉よりも、旨み、面白みがフラメンコに大事です。抑揚やリズム、起承転結、オチ、「間(ま)」みたいなものが大事です。そういう意味では朗読やセリフ、お笑いに近いです。
意味よりも
歌詞の本当の意味は、本人にしかわからないという話もあります。すくなくとも直訳しても謎なことが多いです。ダブルミーニングとか、意味深だったりで。
あと普通に方言とかで謎単語もあります。
意味が謎でも、言葉が美しい・面白いという良さも「詩」にはあります。
あと普通に方言とかで謎単語もあります。
意味が謎でも、言葉が美しい・面白いという良さも「詩」にはあります。
声質
地声です、基本的には裏声は使いません。ハスキーな印象があるかもしれませんが、彼らは地声がハスキーなんです。無理にハスキーぶるのは不自然なのでやめた方がよいです。
自分の自然な声で歌いましょう。
自分の自然な声で歌いましょう。
発声
ボーカリスト的な発声とか鍛錬しようとするのはハードル高いですし、限界がありますよね?。
現地の人はもともとが腹式呼吸ってはなしもありますし、ボーカルとしての訓練とか練習っていう精神性ではないと思います。
現地の人はもともとが腹式呼吸ってはなしもありますし、ボーカルとしての訓練とか練習っていう精神性ではないと思います。
「ひとまず」ですが、日本的な「恥ずかしい」とか、「照れ」とか、ものをはっきり言わない、そんな「気持ち」を取っ払う・解放されるだけでけっこう声はでます。
「歌う」っていうスイッチを押すと、緊張してかえって声が小さくなる人も多いです。まして上手にとか、舞台とか、踊りのためとかならなおさらです
普段おしゃべりしたり笑ってる時の方がだいたい声が出てますので、そういうリラックスした気持ちに近づくのが第一歩かと思います。
「歌う」っていうスイッチを押すと、緊張してかえって声が小さくなる人も多いです。まして上手にとか、舞台とか、踊りのためとかならなおさらです
普段おしゃべりしたり笑ってる時の方がだいたい声が出てますので、そういうリラックスした気持ちに近づくのが第一歩かと思います。
とりあえずいっぺん高めで
フラメンコのギターは、カポタストでキーを変えられますので、歌いやすいキーを探します。私たち日本人には、大きな声をだすことの「恐怖」みたいなものが大きいので、最初は声を張れないことが多いです。いったん無理やり声を張るために高い目のキーにしてみてください。
踊りのバックではない
踊りのためにうたう場面が多いとは思いますが、カンテの基本はカンテのソロです。
ソロのカンテも、踊りのためのカンテも、根は一緒ですが、踊りのために歌うには特殊な技術がいるのは確かだと思います(踊り用のタイトなパルマやコンパス、いつ歌うかという読み、どんな歌が合うかといったセンス)。現地の、そういう特殊技術をもった人にも、ベースにはソロのカンテの美学?がまず有ってのことです。
踊りのために歌うことにとどまらず、ソロもやってみた方がいいと思います。また逆に、踊り歌に手を出さずにソロでのみ歌う人がいても良いと思います。カンテだけで成立しますし、フラメンコには踊られない曲種もたくさんあるのですから。