
概要
名称:民主セパルスカ連邦第四共和国
正式名称:Demokratyczna Czwarta Republika Separska
英語名称:Democratic Separska Federal Fourth Republic
略称:セパルスカ
漢字名:節晴栖加or節国
正式名称:Demokratyczna Czwarta Republika Separska
英語名称:Democratic Separska Federal Fourth Republic
略称:セパルスカ
漢字名:節晴栖加or節国
人口:3520万人
民族:東スラヴィカ人83%・ルス人3%・ゲロム人14%
公用語:スラヴィカ語・ゲロム語
大統領:Modelaski Sawemon(モデラスキ・サウェモン)
首相:Jurek Fiszer(ユーレク・フィッツァー)
行政首都:ボルシャーチウ(Bolsza Thiu)
立法首都:ルシン(Rusińsk)
司法首都:オーデブルク(Eaudeburg)
最大都市:ミドコフ(Midocorf)
国歌:人民讃歌
民族:東スラヴィカ人83%・ルス人3%・ゲロム人14%
公用語:スラヴィカ語・ゲロム語
大統領:Modelaski Sawemon(モデラスキ・サウェモン)
首相:Jurek Fiszer(ユーレク・フィッツァー)
行政首都:ボルシャーチウ(Bolsza Thiu)
立法首都:ルシン(Rusińsk)
司法首都:オーデブルク(Eaudeburg)
最大都市:ミドコフ(Midocorf)
国歌:人民讃歌
1988年に共産主義政権が崩壊して誕生した国。
古くから立地に恵まれ、それ故に領土を他国に蹂躙され、占領と独立の歴史を繰り返してきた。
現在は国内に存在する世界有数のガス田を利用し1人あたりGDP上位に君臨している。
2022年に連邦制を宣言し、現在は4つの共和国の連合となっている。
古くから立地に恵まれ、それ故に領土を他国に蹂躙され、占領と独立の歴史を繰り返してきた。
現在は国内に存在する世界有数のガス田を利用し1人あたりGDP上位に君臨している。
2022年に連邦制を宣言し、現在は4つの共和国の連合となっている。
【新国歌『凱旋歌』日本語訳】
おおセパルスカよ
そなたは人民の英雄だ
ロンスクからルシンまで
白と橙、青の旗をたなびかせよ
おおセパルスカよ
そなたは人民の英雄だ
ロンスクからルシンまで
白と橙、青の旗をたなびかせよ
ああセパルスカよ
5民族の連帯により
皆により繁栄せよ
伝統と秩序の調和よ
素晴らしきセパルスカよ!
5民族の連帯により
皆により繁栄せよ
伝統と秩序の調和よ
素晴らしきセパルスカよ!
歴史
先史時代
世界を代表する人類学の権威、セパルスカ国立大学人類学科のイザーク博士によれば、先史時代には我が国には既に人が到達し、冬には-20℃にもなる中を耐えながら獣を狩り暮らしていたという。
このような暮らしを6000年あまり続けていた我々の先祖だったが、ある時南部から伝わった(諸説あり)小麦の農耕により、我が国の文明は始まった。
農耕により移動生活の必要が消え失せ、定住しながら過ごす集落が発展したのである。
これにより集落を束ねる指導者が必要となり、
700年頃には800個あまりの小国が誕生した。
このような暮らしを6000年あまり続けていた我々の先祖だったが、ある時南部から伝わった(諸説あり)小麦の農耕により、我が国の文明は始まった。
農耕により移動生活の必要が消え失せ、定住しながら過ごす集落が発展したのである。
これにより集落を束ねる指導者が必要となり、
700年頃には800個あまりの小国が誕生した。
同君連合の成立
この大半を754年にセパヤ王国(未作成)として統一したのが古代セパルスカの英雄ケルンスキであり、以降数十年に渡りケルンスキの統治が始まる。
しかし、ケルンスキはもうひとつの大国テャシュカ(未作成)の女王、シェルヴィスカに惑わされ失脚してしまう。
これをチャンスと捉えたセパヤ王国ジュビロ騎士団のクーデターにより、ケルンスキは城もろとも燃やされセパヤ共和制が樹立。貴族による合議制とは言え、我が国初の王のいない政治が始まった。
しかし国王の存在しない政治に市民は不満を抱き、市民らは武器を持って城へ迫りテャシュカとの同君連合樹立を迫った。
騎士団はこれを拒み応戦したが、勢力拡大を目論むテャシュカの支援により市民・テャシュカ連合が勝利する。
これによりセパヤ=テャシュカ同君連合が成立、後のケロンスカ皇国が成立する。
しかし、ケルンスキはもうひとつの大国テャシュカ(未作成)の女王、シェルヴィスカに惑わされ失脚してしまう。
これをチャンスと捉えたセパヤ王国ジュビロ騎士団のクーデターにより、ケルンスキは城もろとも燃やされセパヤ共和制が樹立。貴族による合議制とは言え、我が国初の王のいない政治が始まった。
しかし国王の存在しない政治に市民は不満を抱き、市民らは武器を持って城へ迫りテャシュカとの同君連合樹立を迫った。
騎士団はこれを拒み応戦したが、勢力拡大を目論むテャシュカの支援により市民・テャシュカ連合が勝利する。
これによりセパヤ=テャシュカ同君連合が成立、後のケロンスカ皇国が成立する。
三家連合体制の成立
セパヤ=テャシュカ同君連合は海に目を向けており、1102年には羊皮紙が既に一般に使われており、同君連合は世界地図の作成に乗り出していた。
そのためには海に出る必要があったが、当時同君連合は海を持っていなかった。
その為海を持つ弱小国、ルス公国(未作成)に戦争を仕掛けるが、ルス公国はかつてケルンスキを殺めたジュビロ騎士団との同盟を結んでいた。
このためルス公国侵略は難航したが、「人情公」の名で知られる第18代ルス公「ルス・ヴェルム」が死んだことを知ると、ジュビロ騎士団も同盟を破棄したため、同君連合はルス公国に対し港の租借と同君連合参加を条件に講和会議を開いた。
第19代ルス公「ルス・シュテット」はこれを快諾し、1235年にセパヤ=ルス=テャシュカ連合が成立した。
そのためには海に出る必要があったが、当時同君連合は海を持っていなかった。
その為海を持つ弱小国、ルス公国(未作成)に戦争を仕掛けるが、ルス公国はかつてケルンスキを殺めたジュビロ騎士団との同盟を結んでいた。
このためルス公国侵略は難航したが、「人情公」の名で知られる第18代ルス公「ルス・ヴェルム」が死んだことを知ると、ジュビロ騎士団も同盟を破棄したため、同君連合はルス公国に対し港の租借と同君連合参加を条件に講和会議を開いた。
第19代ルス公「ルス・シュテット」はこれを快諾し、1235年にセパヤ=ルス=テャシュカ連合が成立した。
八十三年戦争とダングスク蜂起
皇帝はシェルヴィスカ家、ケルン家、ルス家から順番に出すのが定石であったが、1297年、ケルンスキ家の皇帝、ヤン・ケルンスキ2世がこれを破り次代皇帝に自身の息子を推薦。
これにより三家は疑心暗鬼となり、家同士の内戦状態となった。
これに憤慨した市民達は1380年についに蜂起し(ダングスク蜂起)、時の皇帝ラウラ・シェルビスカを拉致。皇帝の身柄と引き換えに、
これにより三家は疑心暗鬼となり、家同士の内戦状態となった。
これに憤慨した市民達は1380年についに蜂起し(ダングスク蜂起)、時の皇帝ラウラ・シェルビスカを拉致。皇帝の身柄と引き換えに、
- 三家を統合し1つの国とすること
- 各伯爵領に人民の合議制による議会を設置すること
ケロンスカ皇国(第一王政)の成立
1401年、三家は統合され新たに「ケロンスカ」の苗字を名乗った。
この頃セパルスカでは金の採掘が盛んになり、王家は巨万の富を手にした。
しかし1482年、金鉱が閉鎖されると経済は立ち行かなくなり、たちまち崩壊した。
にも関わらず2代目皇帝ヴィラエスカ・ケロンスカは軍備を維持するため国民に重税を課した。
これに市民は不満を抱き、首都ケロンスクで税の軽減を求める集会を行うが親衛隊に鎮圧された。
これにより市民とケロンスカ家の緊張が高まるが、大国であるネルレシアの仲介により1496年に
「法律を施行する議会(セイム)の設置」を条件に内戦は回避された。
セイムでは世界史上初となる憲法の他、税制に関しての法律を決定するなど当時の世界の先端を行く制度を整えていた。
この頃セパルスカでは金の採掘が盛んになり、王家は巨万の富を手にした。
しかし1482年、金鉱が閉鎖されると経済は立ち行かなくなり、たちまち崩壊した。
にも関わらず2代目皇帝ヴィラエスカ・ケロンスカは軍備を維持するため国民に重税を課した。
これに市民は不満を抱き、首都ケロンスクで税の軽減を求める集会を行うが親衛隊に鎮圧された。
これにより市民とケロンスカ家の緊張が高まるが、大国であるネルレシアの仲介により1496年に
「法律を施行する議会(セイム)の設置」を条件に内戦は回避された。
セイムでは世界史上初となる憲法の他、税制に関しての法律を決定するなど当時の世界の先端を行く制度を整えていた。
敗戦と第一共和国
1521年、セパルスカは拡大政策を取るリンベルク帝国の侵攻を受けた。国は総力を上げてこれに挑んだが、2週間で国土の27%が陥落。全国民自決をチラつかせた上での条件付き降伏により占領は免れたが、ルス公国はリンベルクの領土となり、セパルスカは武装を解除させられた。
これに不満を呈した市民達は1528年にケロンスカ親衛騎士団と協同し革命を開始。
ケロンスカの人々はかつての軍隊の装備を手に取り、王城へ侵入、その場で国王を捉え殺害した。
人民による革命はなされ、当時最先端の思想であった「立憲主義」を基軸に政治が成された。
1547年に制定されたセパルスカ憲法は世界初の民主主義憲法であり、現代の思想の根幹である表現の自由等の権利も記されている。
また、現在の国歌「人民讃歌(未作成)」もこの頃に作曲された。
国号は古代語(諸説あり)で「我々の土地」を意味する「セパルスカ」とされた。
このようにして世界初の共和国は誕生し、今後200年あまり続くこととなる。
これに不満を呈した市民達は1528年にケロンスカ親衛騎士団と協同し革命を開始。
ケロンスカの人々はかつての軍隊の装備を手に取り、王城へ侵入、その場で国王を捉え殺害した。
人民による革命はなされ、当時最先端の思想であった「立憲主義」を基軸に政治が成された。
1547年に制定されたセパルスカ憲法は世界初の民主主義憲法であり、現代の思想の根幹である表現の自由等の権利も記されている。
また、現在の国歌「人民讃歌(未作成)」もこの頃に作曲された。
国号は古代語(諸説あり)で「我々の土地」を意味する「セパルスカ」とされた。
このようにして世界初の共和国は誕生し、今後200年あまり続くこととなる。
ナショナリズムと第二王政
1785年、セパルスカは最新の発明品「自動車」を用いた戦法で格上であるミリオス王国に戦勝し、かつてのルス公国(未作成)の領土を奪還。さらに戦勝を重ね十八世紀初頭にはミリバイアドでもトップクラスの発言力を手にした。
このような風潮の中でセパルスカ主義(セパルシズム)と呼ばれる民族主義・復古主義思想が拡大し、国民は「ケルンスキの再来」を待ちわびた。
そんな中で勢力を拡大する極右政党「我らの指導者(未作成)」は王政の復活を呼びかけ、一般人の支持を取り付け政権を獲得。
政権はケルンスキの血を引くとされる人間「ウォロディミル・トレンスキ」を即位させ、立憲君主制による新体制「セパルスカ王国」の樹立を宣言した(第二王政)。
このような風潮の中でセパルスカ主義(セパルシズム)と呼ばれる民族主義・復古主義思想が拡大し、国民は「ケルンスキの再来」を待ちわびた。
そんな中で勢力を拡大する極右政党「我らの指導者(未作成)」は王政の復活を呼びかけ、一般人の支持を取り付け政権を獲得。
政権はケルンスキの血を引くとされる人間「ウォロディミル・トレンスキ」を即位させ、立憲君主制による新体制「セパルスカ王国」の樹立を宣言した(第二王政)。
8月革命と第二共和国
1898年に発行された社会主義の解説書、「資本論」がセパルスカで流行すると「王政を打倒し人民共和国を」と主張する共産主義者が現れ始めた。政権与党である右翼党は「治安維持法」を制定しこの動きを取り締まったが、経済格差による大衆の社会主義への希望から動きを抑えられず、ついには王族の1人が共産主義への支持を表明したことをきっかけに1905年にセパルスカ内戦が始まった。
10年以上に渡るこの戦いは共産主義者らの勝利であり、1017年には「セパルスカ人民共和国」の設立が宣言された(第二共和国)。
10年以上に渡るこの戦いは共産主義者らの勝利であり、1017年には「セパルスカ人民共和国」の設立が宣言された(第二共和国)。
世界大戦と共産主義政権
第一次世界大戦ではセパルスカは積極的にミリバイアド各地に軍を派遣し、戦間期には時の書記長アンジェイ・イェジ(未作成)によって大規模な軍拡が行われた。
この軍拡で我が国は第一線級の軍事力を手に入れたが、続く1938年での第二次世界大戦でその軍事力を発揮することは無かった。
イェジの死後、1958年に総書記に就任したミコワイ・ジャニッキ(未作成)は軍縮を進め、さらに西側諸国と国交を樹立するなど大胆な外交政策を打ち出したが、それを良く思わない政権幹部、クシュストフ・カチマレク(未作成)に射殺され、1973年にはクシュストフが総書記となった。
クシュストフは西側諸国との国交を断絶し、非合法に行われていた賭博や私有財産の取引を取り締まったため国民からの批判が相次いだ。
この軍拡で我が国は第一線級の軍事力を手に入れたが、続く1938年での第二次世界大戦でその軍事力を発揮することは無かった。
イェジの死後、1958年に総書記に就任したミコワイ・ジャニッキ(未作成)は軍縮を進め、さらに西側諸国と国交を樹立するなど大胆な外交政策を打ち出したが、それを良く思わない政権幹部、クシュストフ・カチマレク(未作成)に射殺され、1973年にはクシュストフが総書記となった。
クシュストフは西側諸国との国交を断絶し、非合法に行われていた賭博や私有財産の取引を取り締まったため国民からの批判が相次いだ。
オリーブ革命と第三共和国の成立
1988年、とうとう国民からの批判は最高潮に達し、首都ボルシャーチウでは市民らによる苛烈なデモ行進が行われた(オリーブ革命(未作成))。
これに対しクシュストフは警察ではなく正規軍の出動を命じたが、正規軍もこれを拒否し(6月ストライキ)、市民らは総書記府へと迫った。
彼らは総書記を殺害しクーデターに成功すると見られていたが、総書記府の前でオリーブのあしらわれた旗を掲げハンガーストライキを敢行するのみだった。
これに国内外の世論は感化され、「セパルスカに民主主義を」を合言葉にセパルスカ民主化運動は世界規模で拡大していった。
そしてハンガーストライキの開始から2日後、クシュストフはテレビに姿を現し「我々は敗北した。銃ではなく、人民の揺るがぬ意志に敗北した。」と民主化を宣言した。
かくしてセパルスカは「セパルスカ第三共和国」に国号を変更し、民主政治を開始した。
クシュストフは終身刑が言い渡されたが、後に釈放され、現在もセパルスカを代表する作家として活動している。
これに対しクシュストフは警察ではなく正規軍の出動を命じたが、正規軍もこれを拒否し(6月ストライキ)、市民らは総書記府へと迫った。
彼らは総書記を殺害しクーデターに成功すると見られていたが、総書記府の前でオリーブのあしらわれた旗を掲げハンガーストライキを敢行するのみだった。
これに国内外の世論は感化され、「セパルスカに民主主義を」を合言葉にセパルスカ民主化運動は世界規模で拡大していった。
そしてハンガーストライキの開始から2日後、クシュストフはテレビに姿を現し「我々は敗北した。銃ではなく、人民の揺るがぬ意志に敗北した。」と民主化を宣言した。
かくしてセパルスカは「セパルスカ第三共和国」に国号を変更し、民主政治を開始した。
クシュストフは終身刑が言い渡されたが、後に釈放され、現在もセパルスカを代表する作家として活動している。
連邦制の導入と第四共和国
2011年、オルドネルベ州内での独立を求める署名がオルドネルベ県内の27%に達した事もあり、当時の首相、ヴィクトル・オルリックは自治州制度を導入し、一級法を除く全ての法に従う必要のない、独自の立法府を持たせることでオルドネルベ独立運動の沈静化を試みた。1時は抑え込みに成功したように見えたが、2017年、過激なセパルスカ民族派による連続殺人事件(#トリスメウ8番通り事件 ※5を参照)が起こると同時に分離派の運動は盛り上がりを見せた。
2018年5月18日には蒼海国の蒼海都で秘密裏に政権メンバーによる会合が行われ、オルドネルベを独立させれば炭田の権益が失われることから、連邦制にしオルドネルベを自国内に置きつつこれまで以上の自治を与えることで合意した。
2022年3月19日には連邦制を盛り込んだ改正憲法の公布が行われ、国号は「民主セパルスカ連邦第四共和国」となった。
2018年5月18日には蒼海国の蒼海都で秘密裏に政権メンバーによる会合が行われ、オルドネルベを独立させれば炭田の権益が失われることから、連邦制にしオルドネルベを自国内に置きつつこれまで以上の自治を与えることで合意した。
2022年3月19日には連邦制を盛り込んだ改正憲法の公布が行われ、国号は「民主セパルスカ連邦第四共和国」となった。
地方行政

地方行政区画
セパルスカの地方行政は上から順に
- 共和国
- 州
- 市
- 郡
となっており、特徴的な体制を構築している。
各種地方自治体は
共和国
- セパルスカ共和国
- ルス共和国
- シュタッツィン共和国
- フノグスク共和国
州
- ヴォイツァウ州
- エリャンスカ州
- オーソスク州
- オデレイスク州
- ケロンスク州
- コーレブルク州
- サヴァンスク州
- シャストブルク州
- ボレツィ州
- ポドゥンスク州
- ルーヴィフ州
- ルスフスク州