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Happy-go-lucky (幸運) Ⅴ

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Happy-go-lucky (幸運) Ⅴ ◆Live4Uyua6



 ・◆・◆・◆・


どうして彼女が泣いているのか。聞いても彼女は泣くばかりだけど、それでもクリスにはその理由がわかっていた。



クリス・ヴェルティンと玖我なつき。愛しあい強く結ばれあった二人が寝床とする、フロアの一角にあるスイートルーム。
ほの明るい照明の下で、昨晩と同じく二人は窓際のソファに腰かけ互いにその身を寄せ合っていた。

クリスが窓の外に見下ろす街並みは見る間に橙色と藍色の二色から墨を落としたような漆黒へと移り変わり、
今はちかちかと明かりが灯って、やはり昨晩と同じように宝石箱を広げたような景色を見せていた。

場所も時刻も有様も、どれも昨晩とは変わりないが、しかしひとつだけ、クリスの胸に顔をうずめるなつきだけが昨日と違い泣いていた。



カジノの喧騒より離れ食堂へと向かう廊下の途中でクリスは、迷子のように泣き自分を探して彷徨うなつきの姿を見つけた。
気づいて、そしてしがみついてきたなつきを抱きかかえて部屋へと戻り、泣き止むことのない彼女の頭を撫でてじっと時間を過ごしている。

とめどなく流される涙は窓ガラスを伝う雨粒のようにクリスを濡らし、か細い泣き声は雨音のようにクリスの世界を覆う。

泣いて、そして彼女は泣いて、泣いてとめどなく泣き、弱々しく幼児のように泣いて、また泣き止むことなく泣く。
泣き続ける彼女は一切の理由を語らなかったし、それをことさらに問い詰めることもしなかったが、しかしクリスはその理由を覚っていた。
九郎のような探偵でなくとも、幾分か鈍いと自覚のある自分であっても、それはそのことだからこそ、自分のことのようによく理解できると。

昨日の夕食の時の自分がそうであったように、食堂から出てきた彼女もまたそれに”気づいてしまった”のだろうと。

あの時、故郷を同じくするファルの作ったリゾットを味わい、クリスは故郷の――いや、過去の自身を目の前に幻視した。
一人、自室で食事をとる自分。
朝起きて、規則正しく学園に通い授業を受けてフォルテールを弾き、親しい人だけと言葉を交わし、そうでない人は避けて、また自室へと戻る自分。
数日前までは当たり前だった日常の中にいる自分の姿を見て、クリスはその有様に、今とはまるで違うその姿に驚いた。

どれだけこの島に来てから自分は、自分を取り巻く環境は変わってしまったのだろうか。

唐突に始まった殺し合い。赤い血を流し、傷つけ血を流させる。何もかもが初めてで、激情に駆られ凶器を振るうのも初めてであった。
そして親しい人を失うことも、もしかしたら初めてだったのかも知れない。リセの死と、トルタの死を知らされ、打ちのめされ、悲嘆に暮れた。
また唯湖という存在にも出会った。彼女は自分に興味深いと言った。しかし本当に興味を引かれていたのは自分の方だったと今はそう言える。
生きてはいないと言う彼女。心など持っていないと言う彼女。どうしてだろうか。それを否定したくてクリスは彼女と一緒に道を進んだ。
それから紆余曲折を経てなつきと出会い、いつも寂しそうな彼女の手を取り、引き寄せあい、強く結ばれ、そして今へと至る。

まるで激流のような数日で、だからこそ随分と流され、気づいた時には自分がとても遠いところまで来ていたのだとひどく驚いた。

激流の内でもがく最中は全く意識しなかったそれに、今こうして過ぎている穏やかな時間と、故郷の味という刺激により気づいてしまったのだ。
言い繕わずに表すならば、それは至極単純に物語の酔いから醒め”我に返っただけ”とそう言えるかもしれない。
それはそれで何が悪いということもない。むしろよかったのだろうとクリスは思う。
今現在の自分や周りにいる人々、それに自身の中に存在した強い感情と執着。決して掛け替えのないそれを自覚することができたのだから。

ただ、今を知り過去を振り返ったからこそ、たった数日の間でしかないはずのそれの”遠さ”に恐れを感じてしまった。

まるで今のこの自分はその遠い向こう側にいる自分が見ている夢なんじゃないかと思える程に、隔たりは強く、何もかもが違う。
そう考えてしまえば途端に現実感が失われる。本当に今の自分は自分なのか。これは本当に現実に起きていることなのだろうかと。
殺し合いの儀式が行われる島。目の前で飛び交う魔法。未来の技術。人の死を見て、自分もその殺し合いの中に飛び込んでいるという。
これが夢だと言うのならばそれを肯定する材料はいくらでもある。目を瞑り、次に開いた時、それが覚めていても、おかしくはない。

虚構か現実か。現実だとしても真実か。そんなことはわかっている。確かに解っているからこそ、”夢から覚める”のが怖いのだ。

今という現実もいつかは終わる。
それは自身の死かも知れないが、夢の中で果てられるというのならば、あの彼女がそれを選んだようにまだそれは幸せなのかもしれない。
だが、この夢が終わってしまったのならどうなるのだろうかと、それを考えてしまうと酷く落ち着かない気持ちになってしまう。
決着がつき、この”夢の世界”より離れた時、自分はどこに行くことになるのだろうか。それとも戻ることになってしまうのだろうか。

戻るべき世界などはありはしない。アリエッタに会わせる顔などないし、何より、この世界で手に入れたものを手放したくないのだから。

この夢が永遠に続いてもいいと思える自分にクリスは驚き、物悲しい笑みを浮かべる。
胸に抱くなつきや自身を取り囲む皆がかげない存在となったのは嬉しいことで、かつての自身と故郷が色褪せて感じるのは悲しい。
そしてこの夢もいつまでも続きはしない。わかっていても、夢に酔ったままでいればよかったのにと思えるほどにそれは怖い。

しかし、それに気づいたからといって、何ができるというわけでもない。愚かと言われても、未来に怯えることしかできないのだ。

なつきはまだ泣き止まない。この涙は一体いつから溜めてきたものなのだろうか。
静留の最期を看取った時からかもしれない。あれから彼女はひどく不安定で、思えば恐れを紛らわすために必死に酔おうとしていたのではないか。
確信はなくとも、おわりの予感に知らず知らず目を背けていたのかもしれない。誰もが、いくらかはそうであったように。

ならば、どうすればいいのか――?


手を握ろう。彼女を決して離さないように。ひとりぼっちにしないように。自分がひとりきりになってしまわないように。


今はいない静留の前でなつきは一人では生きられないと言ったのは他ならぬ自分だから、そうしようと、クリスはまたここに強く強くそれを誓う。
間もなく、ゆるやかな流れは再び激流へと変わるだろう。どこに流されるかわからない。けれど、この手だけは離さないでいようと――……。




「……――ありがとう、クリス。もう平気だ」

クリスが少しうとうととし始めた頃、ようやくなつきは泣き止みぐしゃぐしゃの顔をあげてにこりと微笑んだ。
目は腫れて頬には幾重もの涙の筋が残っていたが表情は憑き物が落ちたかのように晴々で、彼女の顔を見てクリスは安堵の息を零す。

「よかった。……でもごめんね。あの時に傍にいれなくて」
「ううん、もう平気だ。けど、クリスは昨日には気づいていたんだな……あの夕食の時に」

うん。と、クリスは首肯する。
どちらが敏いかではなく、クリスの方へときっかけが先に来ただけの話で、そしてあの時、クリスの隣にはなつきがいて手を握ってくれた。
もし今日のなつきのように一人だったら、おそらくは泣いていたのは自分の方だったかもしれないとクリスはなつきに伝える。

「あの時はありがとう、なつき」
「クリスこそ……、……けどそうか、そのせいで昨日から様子がおかしかったんだな」
「おかしかったかな?」
「あぁ、そうだ。私をほっておいて、どこかひとりでうじうじと悩んでいる様子だった。今日は……少し、寂しかった」

なつきは悪戯っぽく笑い、わざとらしく拗ねたように唇を尖らした。少女のように、とても楽しそうに。

「それは、ごめん。でも……」
「わかってる。それは大丈夫だ。そして、私ももう大丈夫。今ので、吹っ切れ……いや、違うかな。私はもう開き直った」

ずっと握ったままだった掌を胸元へと寄せ、ぎゅうと強く結びなつきは力強く笑う。眼には初めて会った頃の凛とした力強さが戻っていた。

「なつき……?」
「この先がどうなるかなんかわからないが、私はこの掌を握って……そして戦うだけだ。クリスと私のために、最後まで戦う」

自分がなつきの心の内を理解していたように、彼女もまたそうであったのだとクリスは理解し、微笑み、その掌を強く握り返した。

「僕も戦うよ」
「そうでないと困る。ふたりで、”いっしょ”でいられるために戦おう。――ははっ」

存在を確かめたいのなら手を繋ぎ、想いを伝えたいのならば言葉を交わす、それでも気持ちが伝わりきれないならば口付けを。

「なつきといっしょに」
「クリスといっしょに」

心は通じ合い、気持ちはその奥まで何一つ欠けることなく伝わっていた。だから、この時はふたりに口付けは必要なかった――……。




 ・◆・◆・◆・


「――それじゃあシャワーを浴びようか。私もこんなだし、ほらクリスの胸のところも」

ソファから立ち上がると、なつきは涙とよだれでぐちゃぐちゃになったクリスの胸元を指差してそう言った。
そして返事を待たずに服を脱ぎ始め、それをポイポイと床へと放ってゆく。

「うん、じゃあそうしようか」

なつきが脱ぎ散らかした服を拾い集めながらクリスも彼女の後に続き、そして浴室に向かおうとしたところで何かを思いつきなつきを呼び止めた。
クリスはベッドの脇に立て掛けてあった魔法の鞘を取り上げ、それを抱えて下着姿となったなつきの前へと戻る。

「ん……それは? 柚明が持っていたはずの……」
「うん、ユメイから僕にって預かったんだ。これで大切な人を守るといいってね。それで――」

エクスカリバーの鞘である全て遠き理想郷《アヴァロン》による治療を練習させてくれないかと、クリスはなつきにお願いした。
治療の練習とはそもそも怪我をしている相手がいなくてはできなくて、そしておあつらえ向きになつきは訓練によりいくつもの傷を負っている。
彼女の身体が傷ついたままなのを放っておくのもクリスとしては忍びないし、この先練習している時間がとれるかどうかもわからない。
となれば、今こそがアヴァロンの使い方を学ぶ絶好の機会だと言えるだろう。

「クリスが、してくれるなら……嬉しいけど……」

未知の経験を前にしてか、なつきは少し緊張した様子でベッドの上へと横になり、不安そうな瞳でクリスを見上げる。
対するクリスの表情は真剣そのもので、それを見てなつきは心臓をとくんとひとつ鳴らし、緊張に身体を僅かに揺らした。
片方の手に魔法の鞘を持ち、もう片方の掌をなつきの素肌の上にのせ、クリスは鞘へと魔力を流し秘められた治癒の力を活性化させる――


「……ん」
「ひぅ! …………ク、クリス」
「動かないでなつき。集中しているから……」
「うんわかっ……ひゃ!」
「なつき」
「ぅ、ぅうん……わかって、でも……くす、ぐっ…………んんん……っ」

 ~

「……ハァ、……ハァ」
「クリス、大丈夫……なのか……?」
「うん……ちょっと集中して……、く…………ぅ……」
「あっ、ん……んん……ふぁ、っ……クリス、ちょ……っ、これっ……」
「なつき、我慢して、……っ、……ハァ、ハァ……、少しずつ、解ってきたから」
「は……わかった、我慢……すっ、する!」

 ~

「もうすぐだから……なつきっ……く」
「ぁ……は、…………わか、った……がんばって……」
「……ハァ、…………ハァ」
「クリス……もうっ…………ぁああっ、やっ……うぅんっ…………!」
「なつき……これで、最後……っ!」
「ぅ、うん、クリス――っ!」


――半時ほどの時間が経過した後。、
ベッドの上には、治療の結果つるつるのお肌を取り戻し上機嫌のなつきと、汗をぐっしょりとかきベッドに沈むこむクリスの姿があった。

「確かに傷は治ったけど……クリス大丈夫か? 傷を治したのよりもクリスの方が消耗しているんじゃあ……」

なつきの声に応えるクリスの声はか細く、目は半ばまで靄がかかったかのように虚ろで、激しい動悸に肩は上下し、汗が全身を濡らしていた。
魔法の鞘による癒しの秘術は確かに効果があったが、しかしここまで消耗してしまうものなのかとなつきはクリスが心配になってしまう。

「……ほ、本当なら、これを使う時には……魔法の宝石を一緒に、って……言われてたんだけど」

クリスはアルよりの忠言を思い返し、それをなつきの前で口にした。
魔奏楽器であるフォルテールを弾く彼に魔力というものは備わっていたが、しかしそれは決して魔術を行使するに適したものではない。
性質としては、音に心を乗せる為のものであるからして非常に繊細で、わかりやすく言えばコントロールに特化した特殊なものだ。
なので、ロイガー&ツァールの様な自立した魔術式を操るのには適していると言えたが、逆に魔力そのものを必要とするものには適正がないと言える。

アルの断片が電波を送ると動き出す自動機械の様なものだとすると、宝具は流し込んだエネルギーを別のエネルギーへと交換する装置でしかない。
故に、なんらかの幻想による結果を求めるならばそれと同量の魔力を必要とすることになる。
なつきの傷を治す神秘を必要とするのならば、それに見合った魔力をと――して、結果としてはクリスの現在の有様がそれを表していた。
また、アヴァロンそのものが元来の魔力を備えていないことと、使い方がいささかイレギュラーなのもその一因であろう。

「だったら、どうして自分の力だけで?」
「も、勿体無いって……」
「そんな、あの貧乏探偵じゃないんだから。私は宝石よりクリスのほうが――」
「でも、初めてだったし、なつきの傷は僕の力で、治したいって……思って…………その」
「馬鹿だなぁ、クリスは……」

呆れたように呟き、なつきはくすりと息を漏らした。
そして愛しげに汗で濡れたクリスの髪をかくと、ぐったりとしたままの彼の隣へと自分の身体を横たえ、優しく掌を握って身体を寄り添える。

「なつき……シャワーは?」
「後でいい。一休みしてから、一緒に入ろう。……それから」
「うん。……うん?」
「お腹が減った。よく考えたら夕飯を食べ損なってた。だから、後で何か作って欲しい」
「あぁ、そういえば僕もまだ食べていなかったや。そうだね、後で夜食を……」

二、三言も交わすと、クリスの口から発せられるのは言葉からなつきの耳をくすぐる寝息へと変わった。
それを確認し、子供のようにぐっすりと寝るクリスの顔を覗き込むとなつきはにこりと幸せそうな笑みを浮かべる。
じぃっとそのまま彼の寝顔を見続け、そして額へと優しく唇を押し付けると、彼と同じ夢を見られるよう祈り、そっと目を瞑った――……。


 ・◆・◆・◆・


 サボタージュにサボタージュを重ね、気づけば一日が終わりを迎えようとしている。
 なんだか遊んでばかりいた気がするものの、美希という共犯者もいることだし、お咎めを受けたわけでもないので気にしないでおこう。
 などと、自室に戻ったファルは、ベッドの上でパジャマに着替えながらそんなことを思っていた。

 視点の矛先には、橙色のパジャマを着たやよいのあどけない姿がある。
 てきぱきと、明日着る予定の服を畳んでいるようだった。
 昼間は右手に嵌っていたプッチャンも、今は枕元に置かれている。
 寝るときは外すらしい。プッチャン自体に睡眠の概念があるのかどうかは知らないが。

(なんだか、密度の濃い一日だったわね)

 心中で丹念に思い描き、目まぐるしくも平和だった時を回顧する。
 今日という一日で思い知らされた、自分と彼女との違い。それを知って得られた安堵が、今も心に充溢している。

(ありがとうね、やよいさん)

 なにを相談したわけでもない。胸の内に潜めていたら、あたりまえのように見透かされて、そして救われてしまった。
 ひとかけらの邪気もない彼女の笑みは天然というほかなく、嫉妬心や嫌悪感が湧いてくるようなものでもない。
 ピオーヴァでは味わったこともない、完全無欠な、癒し、なんだと。

(……むぅ)

 そんなことまで考えてしまう。
 ファルは、寝る前だというのに赤く高揚し始めた顔を、手元の枕に埋めて隠した。
 同質の二人には気づかれていない。今日はこのまま寝てしまおうか。一睡すれば、高ぶった心も安定すると思うから。

「そだそだ、やよいさん。今日は美希と一緒のベッドで寝ませんか?」

 と思ったのだが、この部屋を寝床とする三人目の少女――山辺美希がそんな戯言を吐いたので、ファルはすぐに身を起こした。
 部屋の中に三つ並ぶベッド。ファルのベッドは右端にあり、隣の中央、やよいのベッドを見やれば、そこに美希が座っている。
 鮮やかな空色のパジャマを纏い、自分よりも小柄なやよいの体を、後ろからぎゅーっと抱擁しているようだった。

「ふぇ、美希さんと? 別にいいですけど、急にどうしちゃったんですか?」
「だってぇ、あのベッドの惨状を見てやってくださいよー。きっとポルターガイスト現象かなにかに違いないかも」

 横並びの左端、美希が使っていたベッドは、シーツがくちゃくちゃの皺だらけになっていて、とても人が寝られたものではない。
 このホテルにはメイドもベルボーイもいないため、ベッドメイクは自分でやらなければならないのだが、
 美希にはその手の技能もやる気もないようで、起床したときのままになっていたのだった。

「そんなわけなので、今宵は美希とやよいさんが一緒のベッドでパヤパヤしつつ――」
「そういうのは『自業自得』って言うそうよ。ねぇ、美希さん?」

 音もなく美希の背後に忍び寄り、ファルはその緩み切った両頬へ、指を伸ばす。
 むにゅ、と柔らかい音。
 摘まんで、音がぐにゅぐにゅに変わるまでそれをいじり倒した。

「いひゃはやひゃあひゃっ!? な、なにするんスかファルさん!?」
「あら、身に覚えがないのかしら。あなたはもうちょっと頭のいい子だと思っていたのだけれど?」

 意識的に作った黒い笑みが、美希を子猫のように震え上がらせる。
 美希はひーん、とわざとらしく怖がりながら、やよいの身に縋った。

「よよよ。じゃあファルさんは、美希にしわくちゃのベッドで眠れと言うんですね。おーいおーい」
「あの、私は全然迷惑じゃないですし、美希さんと一緒でも別に……」
「駄目よ。美希さんのことですもの。翌朝には、やよいさんがベッドの下に蹴落とされているかもしれないわ」

 冷血にものを言うファルだった。

「あ、それじゃあ私が美希さんのベッドを直してあげます! それなら問題ないですよね?」
「それも駄目よ。シーツが滅茶苦茶なのは美希さんの寝相の悪さのせいなんだから、自分でなんとかしなさい」
「おおう、底冷えするほどクールなご意見。やっぱり、美希の荒んだ心を温めてくれるのはやよいさんだけですね……ぎゅ」

 言って、美希はやよいに抱きかかろうとするが、寸前でファルに引っぺがされた。
 しかしなおも食い下がる美希。それでも阻止せんとするファル。
 四肢が絡まり、力と力が衝突し、ベッド上のキャットファイトへと発展するかというところで、

「やめてー! 二人とも、私のために争わないでー!」

 やよいのどこか嬉々とした絶叫が飛び、ファルも美希も驚き停止する。
 見ると、そこにはやよい……ではなく、彼女の声帯を借りるプッチャンが、ニヤニヤ笑みを浮かべる光景があった。
 二人のいさかいを止めるために、やよいが嵌め直したらしい。プッチャンはやよいの右手から、彼女の声を真似て言う。

「争いからはなにも生まれないわ。ついでに言うと、あなたたち二人とも私の趣味じゃないの。顔を洗って出直してきなさい!」
「えぇ!? 私、そんなこと思ってないですよっ」
「照れるな照れるな。たまにはやよいもビシッと言ってやりゃいいのさ」
「ううぅ~、本当に思ってなんかないのにぃ」

 やよいの声なのをいいことに、好き放題喋り続けるプッチャン。

 腹話術用のパペット人形であるプッチャンは、宿主の声帯を間借りしなければ喋られない
 本人の意思に関係なく喋ることが可能で、声色は当然、宿主のものと同じということになる。
 普段の言動は勇ましいが、発する声は幼く舌足らずで、このようにちょっと真似るだけで他人を騙せるのだ。

 すっかり怒りが鎮火してしまったところで、ファルは嘆息する。

「……まったく。それじゃあこうしましょう。やよいさんは私のベッドで寝てもらうから、
 美希さんは空いたやよいさんのベッドを使いなさい。これなら私たちに被害は及ばないでしょうし」

 と、極めて冷静な風を装って提案した。
 いやそれはおかしいと美希が反論する。

「それだと、まるで美希がやよいさんを追い出したみたいじゃないですかっ。
 美希としましても、ファルさんに迷惑はかけたくないですし。やっぱりここは、美希とやよいさんで一緒に寝ましょう」
「その判断は誤りだわ。やよいさんとしては、あなたのような寝相の悪い人と同じベッドになることのほうが問題よ。
 美希さんは一人で寝るべきね。となると、やよいさんには私のベッドに来てもらうしかない。これくらいわかるでしょ?」

 素直にシーツを直せばいいんじゃ、とか細く口にするやよいを無視して、二人の口論は加熱する。

「いやいや、その理屈もどうなんでしょうかね。と言いますか、やよいさんがファルさんと一緒というのは貞操的にも危険そうで」
「あら、パヤパヤなんて怪しいことをしようとしていたのはどこの誰だったかしら。自分を棚に上げるのはよくないわ」
「あはは、まっさかー。美希は純も純、純情純正純潔混じりっけなしのヴァージンっすよ? ファルさんとは違います」
「遠回しに私がけがれているみたいなことを言ってくれるわね。もっとも、挑発と言うにはずいぶん程度が低いようだけれど」

 表向きはさわやかに、しかし肌に突き刺さる威圧感は異様なほどに冷え切った、ファルの微笑みが舞う。
 しかしそこは美希もなかなかの手練。ファルの威嚇とも言うべき微笑みを、あはっと華麗に笑い返す。
 端に置かれたやよいだけが、ピリピリとした空気に耐え切れず戸惑っていた。

「あ、そうだ! だったらこうしましょう」

 それでも果敢に二人の間に割って入り、やよいが提案を述べる。
 高槻やよい流『たったひとつの冴えたやり方』が、とうとうとお説教のように垂れ流された。
 ファルと美希は黙って耳を傾け、そして――


 ・◆・◆・◆・


『川』という漢字がある。
 降水や湧水が地表の細長い窪みに沿って流れるものを指し、三画からなる。
 日本では、子を中心にして夫婦が並んで寝る様を『川の字になって』と言い表し、その中央二画目には、

「これで一件落着ですっ!」

 したり顔のやよいが、右側にファル、左側に美希を置いて横になっていた。

「……さすがに、狭い気がするのだけれど」
「そうですか? うちのお布団に比べれば、全然広いですよ」
「高級ホテルなだけあって、ふっかふかですもんねー。もふもふ」

 女子三人、一緒のベッドに入り仲良く寝ようとしている。
 ファルは複雑な面持ちだったが、隣のやよいが眩しいほどに笑顔なので、もはや文句も口にできない。
 美希も異存はないようで、むしろやよいを抱き枕代わりにしないか心配でもあったが、露骨な注意も躊躇われた。

 喧嘩するくらいなら、一つのベッドでみんないっしょに。
 なんともやよいらしい解決案に、ファルは苦笑を浮かべつつも従った。

「それじゃあ、明日もがんばりましょーっ。おやすみなさーい……」

 仰向けに寝そべり就寝の挨拶を述べるやよい。そして、直後には寝息を立て始めた。

「はやっ。あー、まあ今日一日まじめにトレーニングしてましたしね……疲れちゃってたのかな」
「うふふ。遊んでばかりいた私たちとは違うもの、やよいさんは。ええ、本当に……眩しいくらい」

 以前なら、おそらく近づこうともしなかっただろう日向の住人。
 万が一関わったとしても、嫌悪の対象として取り扱っていたに違いない。
 なのに今この胸にこみ上げてくる感情は、ファルとしては驚くほど純然な、好意と呼べるものだった。

 ……一日が過ぎ去ろうという今になっても、この想いは消え去らない。

 まやかしなどでもないのだろう。たぶん、明日以降も継続される。
 それが嬉しくもある反面、急な変化に戸惑い気味な自分がいることも自覚していた。
 そんな風な考え事を、延々と繰り返していた今日という一日。体はそれほどではなくとも、頭のほうは疲れ切っている。

「私たちもそろそろ寝ましょうか、美希さん」
「うーん、残念です。今晩はやよいさんといろいろお楽しみな夜になると思って――」

 気分がいいうちに寝てしまおう、そう考えていたファルだったが、ここでひとつ思い出した。

「そういえば、美希さん。ひとつお忘れじゃないかしら?」
「お忘れ? はて、なんでしょう?」
「言ったわよね? 今晩は、美希さんに女性としての“マナー”を教えてあげる……って」

 あー、と美希は虚空を眺めつつそれを思い出す。
 特訓をサボり、ウィンドウショッピングに興じていたときに、そんな冗談めいた会話をしていたのだ。
 学校の先輩の影響か女性としての慎みに欠け、さらりと下ネタを吐いてしまう彼女に、夜の教育的指導をしてあげようと、

「ファルさん? 纏う空気がそこはかとなく艶女(アデージョ)……あやや、なんだか貞操のピンチを予感します」

 ファルは間に挟まれたやよいを乗り越え、より美希のそばに近づこうとして、身を引かれる。
 が、逃すまいと美希の腕をがっしとつかみ、艶やかに笑った。

「怯えちゃって……ふふふ、可愛いのね。安心して、はじめは誰だって――」
「いや、その先はあえて聞かないでおきます! っていうかファルさん、顔がすっごくエロいことになってますよ!?」
「あまり騒いでは駄目よ。やよいさんが起きてしまうわ」
「む、むしろ起きてほしいっ。うにゃあーっ、美希が守り通してきたヴァージンが~っ」

「すかー」

 時折乱れる桃色の吐息をバックミュージックに、やよいは安眠の境地に至ったのだった。
 ファルと美希については、あえて語るまい。


Happy-go-lucky (幸運) Ⅳ <前 後> Happy-go-lucky (幸運) Ⅵ



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