断片集 アリッサ・シアーズ
こんこん、とノックをひとつ。人はいるのにへんじがない。
アリッサはドアノブをかちゃり、へやに入る。せまくてまっ白でうす暗い。
アリッサはドアノブをかちゃり、へやに入る。せまくてまっ白でうす暗い。
「グリーアさん、グリーアさん、引きこもってばかりいると、みんなにきらわれるよ」
テレビにくぎ付けのおじいさんは、頭をとても重たそうに回す。
「ふぅ、アンドロイドを調整する時間になったのかな」
「ちがう、ちがう、ごはんもってきたの。さめない内に食べてね」
「ああ、そこのテーブルに置いてくれ」
「ちがう、ちがう、ごはんもってきたの。さめない内に食べてね」
「ああ、そこのテーブルに置いてくれ」
グリーアはお皿も見ないでがめんにムチュウ。アリッサはほっぺたをぷうっとふくらませる。
「もうっ、そうじゃないの。すぐにちゃんと食べてくれないと、アリッサが困るの。
パパから、みんなのケンコーに気をくばれって、言われてるんだから」
「ああ、すまないが、そのマニュアル染みた芝居を止めてくれないかね。どうも違和感を覚える」
パパから、みんなのケンコーに気をくばれって、言われてるんだから」
「ああ、すまないが、そのマニュアル染みた芝居を止めてくれないかね。どうも違和感を覚える」
アリッサはグリーアの深いため息を耳にして、
「ほぉ、酔狂だな。我は儀式遂行用の人型兵器だぞ。演技なしには癒しも激励も期待できないと思え」
純朴な微笑みを端正な嘲笑に変貌させた。ジョセフ=グリーアはその方がマシだと投げやりに呟く。
最新鋭のOSを持つ生体機械は老人の凝視するモニターを覗き込む。
最新鋭のOSを持つ生体機械は老人の凝視するモニターを覗き込む。
「また、深優・グリーアを観察していたのか。よもや、アレを殺し合いから救い出せると考えてはいまい」
神父は眉を顰め、顔に深い皺を刻む。そして、ゆっくりと、くたびれた、失望しきった声を搾り出す。
「そんなことは、無理だろう……できるわけがない」
紅眼の少女は彼の脳波、呼吸、汗腺、血流、筋肉を俯瞰。不敵に笑う。
「正常な認識さえあればそれで良い。だが、深優のモデルは汝の実娘、優花なのだろう。こうも執心だと少々疑念が沸くのだな。
身の潔白を晴らすのも兼ねて、気晴らしでもしたらどうだ。なんなら、我が一曲歌って見せようか?」
「悪いが、気分が優れない。少し放っておいてくれないか。もちろん、これからも自分の勤めは果たすつもりだ」
「そうか、とにかく食料を経口摂取しろ。栄養剤とは脳の刺激が違う。それから、精神安定剤の処方は今のままで構わないな?」
身の潔白を晴らすのも兼ねて、気晴らしでもしたらどうだ。なんなら、我が一曲歌って見せようか?」
「悪いが、気分が優れない。少し放っておいてくれないか。もちろん、これからも自分の勤めは果たすつもりだ」
「そうか、とにかく食料を経口摂取しろ。栄養剤とは脳の刺激が違う。それから、精神安定剤の処方は今のままで構わないな?」
グリーアはただ形式的な相槌で反応するのみ。そして、静寂。音響スピーカーから、草木の擦れる音だけが響いている。
少女は部屋を後にした。
・◆・◆・◆・
こんこん、とノックをひとつ。人はいるのに反応がない。
アリッサはドアノブを半回転させ、室内に足を踏み入れる。薄暗い照明の白い防音壁の個室へ。
アリッサはドアノブを半回転させ、室内に足を踏み入れる。薄暗い照明の白い防音壁の個室へ。
「ミスターグリーア。まだ、その調子か」
「今度は何の用かな」
「今度は何の用かな」
グリーアは視線をモニターに固定したまま、鈍い声で反応する。アリッサは再び、彼の前にランチを置いた。
「汝のモチベーションを高めにきた。我なりに考えた答えがこれだ」
グリーアは皿に盛られた料理を見て、焦点をアリッサに合わせる。彼女はエプロンの皺を伸ばしながら、表情を変えずに語る。
「食せ、毒は入ってないぞ」
彼は皺だらけの手でフォークを握り、絡め取ったパスタをゆっくりと咀嚼。
「悪魔のソース仕立てか。優花のレシピを深優のバックアップメモリーからトレースしたかな」
「深優はアリッサ優先で、刺激の強い食事は滅多に作らなかったのだろう」
「深優はアリッサ優先で、刺激の強い食事は滅多に作らなかったのだろう」
だが、アリッサはグリーアのストレス上昇を確認する。少女は少し首を傾げ、自分の小さな手を結んで開く。そして、真顔で、
「ん、香辛料の配分は同じはずだが、微妙に味の違いが出たか。
まあ、こうも体格が違うと調理の誤差は免れんのだ。そこは脳内補完で優花が作ったと思い込め」
まあ、こうも体格が違うと調理の誤差は免れんのだ。そこは脳内補完で優花が作ったと思い込め」
グリーアは目頭を軽く押さえてから、顔をモニターに向ける。
「悪気はないのだろうね。ああ、料理は懐かしかったよ、胸が締め付けられるほどに。
ただ、深優はまだ生きている。そういう気持ちにはなりたくないのだ」
ただ、深優はまだ生きている。そういう気持ちにはなりたくないのだ」
彼の視線の先にあるものはアリッサの興味を惹いた。それは線路脇にぐったりと倒れた深優。
「だが、時間の問題だな。『この深優』には早々に見切りをつければ気が楽だろうに」
グリーアは無言だ。だが、穏やかだった顔が僅かに険しくなる。少女は得意げに言葉を続ける。
「なに、アレにはバックアップが存在するのだ。ここで功績を挙げさえすれば、もしかすると、新たな研究プロジェクトを――」
「出て行ってくれ……」
ついに、老人の悲痛な哀願が少女の言葉を遮る。
「頼むから、出て行ってくれ。ああ、君にわかるまい。人間の気持ちなど、絶対にわかるまい。
だが、せめて、これ以上、私を苦しませないでくれ!」
だが、せめて、これ以上、私を苦しませないでくれ!」
男は瞳を閉ざしたまま。テーブルを握る彼の指は、力を入れ過ぎて血流が滞っている。
アリッサは軽く頭をかくと、ゆっくりと腕を組む。
アリッサは軽く頭をかくと、ゆっくりと腕を組む。
「む、逆効果であったか。そこは詫びよう。ただ、これは我の独断ゆえ、財団は恨まぬようにな。今後、汝の食事は他の者に運ばせる」
グリーアは無反応。彼は双瞳を閉ざし、少女からのあらゆるアプローチを遮断しているようだった。
少女は部屋を後にした。
・◆・◆・◆・
こんこん、とノックをひとつ。一番地を鎮める贄はあるのに返事が無い。
アリッサはマスターキーを挿入し、ジョセフ・グリーアの私室に踏み入れる。
アリッサはマスターキーを挿入し、ジョセフ・グリーアの私室に踏み入れる。
あの男は彼女の顔を見て安堵の息を漏らす。だが、すぐに唇を固く締め、緊張した趣を見せる。
「もう来ない筈ではなかったのかね」
「汝を反逆者として処刑するため、神崎の下へ連行する」
「汝を反逆者として処刑するため、神崎の下へ連行する」
アリッサは顔色ひとつ変えずに宣告する。グリーアはソファーから腰を上げ、軽く語気を強めて抗議する。
「私はずっとモニターを眺めていただけだ。そのせいでこの殺し合いの意味すら把握していない有様だ。
そのような老いぼれに反逆の機会などあったと考えるのかな。根拠無しに一番地に譲歩すれば君達も危害を蒙るだろう」
「だが、叛意は初めからあっただろう? 我の目を欺けると思うな」
そのような老いぼれに反逆の機会などあったと考えるのかな。根拠無しに一番地に譲歩すれば君達も危害を蒙るだろう」
「だが、叛意は初めからあっただろう? 我の目を欺けると思うな」
アリッサはグリーアに背を向け、モニターを観察する。HiMEに覚醒した深優は衛宮士郎と熾烈な戦闘を繰り広げている。
「ほぉ、面白いことになっている。もしかすると、アレは『第二幕』に到達できるかもしれん。
汝はその時の保険ゆえ、丁重に扱いたかったのだが。そうするには状況が大きく変わってしまった。ただ、気がかりなのは――」
汝はその時の保険ゆえ、丁重に扱いたかったのだが。そうするには状況が大きく変わってしまった。ただ、気がかりなのは――」
左肩に食い込む9mmパラベラム弾。赤い人工血液が飛散する。アリッサは後ろを振り返る。
M92が骨ばった手の中で小刻みに震えていた。
M92が骨ばった手の中で小刻みに震えていた。
アリッサは一振りの刀、real the wordのプロトタイプを虚空から抜き出す。
この場での殺害は正当防衛。これでグリーアの尋問にすずの言霊を使われずに済む。
一番地にシアーズの秘密を渡さずに済む。神崎をもう暫く欺くことができる。
一番地にシアーズの秘密を渡さずに済む。神崎をもう暫く欺くことができる。
「今の汝に望んだのは要するにそういうことだ。汝の蛮勇と聡明さに敬意を表し、殉職手当を三割増にしよう」
幼い少女は緋眼を輝かせていた。今までにない満面の笑顔だった。
彼女は部屋を後にした。