網膜音楽は韻を踏んでいるとは、発言である。
概要
網膜音楽という字面をこの記事の筆者が見たときに「網膜音楽は韻を踏んでいる」と気づき、言葉として口に発した。
考察
押韻すると、カテゴライズされる
かつてトランプは押韻された母音をカテゴライズすることで文章に4コマ性を付与する「押韻主義」を主張しかけたことがあった。HIPHOPすぎたため界隈にはあまり受容されなかったが、サウンド・アート4コマとしての視点に立つと、詞という概念からサウンド性に向き合う同概念を引き出して考察出来る。

『1バース目』トランプ、2023
カテゴライズしてnコマに再定義すると、一つの4コマ個体から別の形質が抽出されて認められる。このとき、異なる『サウンド・アート4コマ』に到達する場合があろう。音楽もそのほかの認知概念も、外的情報に基づいて脳の中で組み立てられた電子的運動にすぎず、すなわちカテゴライズと音楽性(音響性)は、人の脳の中で地続きに語ることが出来るわけだ。
4コマは時系列に沿った変化を表し、コマという属性の中に何かの形質を従属させるというのが通説であるが、桜桃が提唱した「楽譜は4小節で一塊とするので4コマである」という音楽との係りにしても、さきに述べられた押韻主義にあっても、同等の価値観のうえにある。
このように考察すると、『網膜音楽は韻を踏んでいる』という発言は4コマの核心を突いた格言の一つといえる。
会意4コマとしての韻
- 『韻』の『員』部にはコマが4個確認できる。
- 『音』は『立』と『日』の間にある余白の部分を含めれば4コマ。
しからば、韻という概念は4コマに相当する。押韻の『甲』も4コマだし、多分めっちゃ4コマな概念なのである。
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