4コマ無欠仮説は、現代4コマ黎明の実験期にあった議論、試論の一種。2022年10月、トランプによって唱えられ、広く議論を喚んだ。4コマを形成する枠線の一部に欠けがある場合、それがコマと認められないのではないか、という仮説である。
概要
1コマ

2022年10月7日、トランプはTwitter上に以上のような「1コマ」という画像を上げ、次の副題を付けて問いかけた。
これは4コマではありません。 皆さん、これは4コマと認められるでしょうか? 意見を持ったり、議論してみてください。
この時期は現代4コマという枠組みがまだ熟しておらず(現代4コマという名称は翌年3月に登場したものである)、追随者も殆どなかったが、その頃Togetterを通じて注目を集める手法をとっていたいとととの手によって、五件ほどの投稿のまとめが作成されると、Togetter上の閲覧と論客を喚起し、コメント欄を舞台に議論が起こった(なお、まとめられた五件のうち三件がトランプによるものであった)。
一般的な4コマに対する視点、いとととをはじめとする現代4コマの穿った視点が交錯し、初期の研究として存在感を放っている。なお、当時の元ツイート投稿は投稿者の永久凍結により2023年現在では失われた状態である。
主張
要するにこの非・4コマ作品では、いわゆる「純粋4コマ」を形成する長方形の枠線の一部が欠かれた不完全なものとすることで、「コマ」の同一性を排しているものとみなし、それが不完全なもの、4コマでないものとなっているのではないかと主張している。
提案者のトランプは、最初の主張に続けて次のように述べた。
もしこれにイラストソフトのバケツツールを使ったら 一枠を除いて全て塗りつぶされてしまうから、 やはりその枠以外はコマではないのではないか。
風穴一つでも空いている時、つまりコマ枠が密閉状態でない場合には、コマが機能を果たし切らず、厳密な4コマとしての要求を果たせないのではないか、と仮説したのである。現代4コマ有史以来、何が4コマ性を担保しているものであるのかの議論は絶えない。大ぶりな認識、繊細な判断、いずれも、4コマ性を判断するものさしが、人によって異なる不確実なものであることは現在まで示唆され続けている。
名称について、トランプはこの件について触れる時、無欠派、無欠主義など呼称が不安定化していたが、2023年12月16日の議論において「仮説」とすることとなっている。
意見
一部が途切れている程度ではコマ/四角形を脱却しているとは言い難い
表題作が4コマと認められるとし、トランプの主張を誤りと認める寛容な意見。この意見が最も多く、マジョリティを形成していた。
4コマのコマとして機能するのには、画像にあるだけの囲み線があれば十分だとする。その論拠として、「画像のものは十分に四角形として認識できる」「区切りや境界としての機能さえ果たせれば、欠けていても役割を果たすことができる」というものが示された。また、「ロコココ」のような形状でも、4コマに見えるという意見もあった。
「4コマ漫画では一部が突き破られたり、キャラクターがはみ出る場合がある」といった先行事例を挙げる者も多かった。
厳密にリアルな4コマでないものが4コマであると知覚できるという考えは、さまざまな主張において現在まで活発に取り上げられている概念である。
中身がないからコマとしての資格を有さない
4コマ漫画などにおいて、コマは中に何かを表現していることでコマ性を発揮するのであって、中身のないフラットな状態では不完全で、コマになっていないのだから、トランプの表題作は1コマですらないと主張した。
枠だけが判断材料ではない
上述の中身派を包括する主張。4コマはそれを取り巻く総体から相対的に割り出される概念であって、枠だけでそれを全て否定することはできないという意見である。
また、ジョン・ケージの現代音楽作品「4分33秒」に関する理論を引用して、「何らかのストーリー性や視線の誘導を行うような規定を行わない限りは、中身の有無に関わらず“ただの画像”になる」とする考察もあった(つまり逆にいえば、いかなる形態であっても時系列や流れを想起させていれば4コマ性を包有するだろう、ということを述べている)。
コマではない何か別のもの?
ルネ・マグリットが作品「イメージの裏切り」で「パイプではない」と言ったパイプのような絵のように、作者が4コマでないと言っている以上、実はほかのもの(例えば、折れ曲がった棒や、針金)でしかないのではないか、という主張。議論時、いとととだけが主張していた。
しかし後年のいとととは回顧において、仮に針金など異質の物体であったとしても、4コマであるかどうかの事実は別に存在していただろうことを指摘している(針金を表現に用いた4コマ、とすることは可能である)。
どうでもいいから漫画を描け
中身派に近いが、単に4コマかどうかなどの現代4コマ議論より中身のある4コマを読ませてくれという、実にもっともな意見である。
ごめんなさい。
関連作品・主張
已己巳己
4コマ印象派
無欠仮説においては、4コマ性を欠いているものとして感知される。
象形4コマ / 会意4コマ
文字を4コマと捉える運動。前者は「文字の中にあらかじめコマの要素として認められる4つの枠線」があることを必要条件とし、後者は「コマとして不完全な要素にコマを差し込むなどの変形を加えて4コマを形成させる」というはたらきをもつ。どちらも欠けに不寛容であり、無欠仮説で提起されている側面を持つ。
5コマ
2023年3月にいとととにより発表された作品。5つのコマ枠の連なりを「4コマ」と題して投稿し、なぜそれが4コマと認められるかの理由を問いかけた。無欠仮説同様にTogetter上にまとめが作られ、また仮説以上の大きな反響を呼ぶこととなっている。
無欠仮説が4コマの不足を認められないかというネガティブな見地に焦点をあてていたのに対し、5コマは超過の場合に許容出来るかというポジティブな議論を展開したため、現代4コマにおける4コマ観の戸口拡張に影響。いわゆる「これも4コマ」の観念を広める機会となった。