ブルーレットおくだけとは、小林製薬から発売されている製品である。
概要
トイレの流すところに設置するだけで水が洗浄液になり、便器の汚れを一人でに落としてくれるという便利な製品。
しかしぷらりねは、それをあろうことかおいても全く役に立たない「4コマ」の上に設置してしまった。
それが、全ての始まりであった。
批評・評論ブーム
投稿されたそのブルーレットは別に大きな反響を呼ぶでもなく、水に流れていた。
ある日、いとととがnoteでやる気のない評論noteを書いた。なむさんやんぷとらなど多数の作家が評論noteを書いていたその最中に、どさくさに紛れるがごとく便乗したのがいとととであった。しかし、あたかもAIの代筆家を雇ったようなその薄っぺらい内容は、毒にも薬にもならず、トイレで水に流される汚物がごとく、むごたらしく歴史の闇にうずもれようとしていた。
そこに救いの手を差し伸べたのが我らがんぷとらである。彼はその記事に対するフラストレーションを発散するかのように、対抗してnoteの評論記事を書いた。するとトウソクジンも評論を書いた。そうして、あの「ブルーレット」を置いただけの作品に、謎に注目が集まる状況ができてしまったのである。
そして派生
4コマにブルーレットを置いたから何だというのか。
それを理解するため、様々な「おくだけ」が模索されている……。
作品
ぷらりね
純粋4コマの上にブルーレットをおいただけ、という「ブルーレットおくだけ」を発表し、問題を提起した。
いとととはこの作品を「上にブルーレットを置いただけで、当たり前のように存在する両者に新たな意味を与えた。独創的で、斬新で、レディメイドのようだ」として推認した。
一方、んぷとらは自身の評論の中で、この作品が4コマなのか5コマなのかという部分に論点をおき、深慮懊悩をみせた。
トウソクジンは添え4の見地から「添えるだけ」に通じるものがあるとして、ブルーレットの脇役としての価値を論じた。
雀100
最も最初の作品追随者である雀100は、「鏡餅置くだけ」「ブルーレット置く人のそばにいるだけ」「4コマ置くだけ」「ブルーレット飛ぶだけ」「100人乗るだけ」といった作品を発表している。
いずれも「おく」ではなく「置く」と、漢字で表記することへのこだわりを表現している深い作品だ。
いずれも「おく」ではなく「置く」と、漢字で表記することへのこだわりを表現している深い作品だ。
また、「添えられる」ことについての深い造詣が遺憾無く発揮されている。
アラヤマ
「ブルーレット置きすぎた」を発表。
全コマ分のブルーレットを配置するが、1個だろうが5個だろうが4コマにブルーレットは必要ない。
トイレに置いてくれ。
全コマ分のブルーレットを配置するが、1個だろうが5個だろうが4コマにブルーレットは必要ない。
トイレに置いてくれ。
C6E9D3FC
「オールブルーレット」を発表。とうとうブルーレットが力を発揮し、コマの中の汚れをこそぎ落としに向かった。
いらんて
いらんて
リタ伯爵
「ブルーレットおくだけ」「ブルーレット浮くだけ」を発表。
前者は奥行きを表現して「奥だけ」であることを示した。
後者は、ブルーレットが浮いている。ちっちゃい雪だるま氏は、次のように分析した。
前者は奥行きを表現して「奥だけ」であることを示した。
後者は、ブルーレットが浮いている。ちっちゃい雪だるま氏は、次のように分析した。
浮かないブルーレットは失敗したブルーレットだ
浮いたブルーレットは寂しがり屋のブルーレットだ
また五十音表アート「ブルーレット」も発表している。
んぷとら
「おくだけ」を発表。同じトイレの題材として、ブルーレットの代わりに糞便を設置した。
雀100は、この作品のせいでブームの終焉が早まったと考えている。
桜桃
「ブルーレットを砕け」「ブルー レッド 億 竹」を発表。流行に疎い彼らしく、ブームの終焉が近づいたと評されてようやく初めて二作も投稿した。
現状ダジャレ作品のみである。
現状ダジャレ作品のみである。