1:
つくづく、数字と言うものは不思議な概念だと思っている。
それ自体はただの文字であり、関連付けに基づいて纏め上げたとしても、精々がただのデータ止まりだ。
だが数は、ありとあらゆる情報を記す上で、この上なく重要な概念である。数字を我々に様々な事を連想させる。
給与の多さや少なさ、会社への出勤日数、四百字詰め原稿用紙の残り文字数、エンゲル係数、人口密度等々。
それ自体はただの、古の時代にアラビアの国で生まれたただの文字である。しかし、様々な情報を表現する事が出来る。
たった十パターンしかない文字で、我々人類に様々な印象を与える事が出来る。数値が増えれば落胆する情報もあれば、減って嬉しい情報もある。その逆も然り、だ。
私は、ある数が増えて行く事に危機感を覚えていた。その数とは、地球上の人類の総数。
誰が嘯いたかは知らないが、人類は地球上における霊長の覇者であると言う。ある意味ではそうだろう。
如何なる環境でも我々人類はお目にかかる事が出来るし、果たしてこの地球上に、人類未踏の土地などあるのだろうか? 我々程、幅広い環境に適応出来る生物はいない。
我々の数は、増えて行く。だが、それに反比例して、地球の財産は減って行く。植物や、食い扶持を保つ動物だけではない。
口に出来る真水の総量も、安定して居住が可能な地上の面積も。人類の数が増えれば増える程、我々の生活は、生綿で首を絞めるように辛く厳しいものになって行く。
自明の理なのに、人々はその現実を見ようともしない。解決に、乗り出そうとしない。人は愚かだが、本能的に察しているのだ。
現況を解決するにはきっと、途轍もない痛みが伴う事を、彼らは知っているのだ。
故に彼らは、何時だって眼前の現実を見まいと勤めようとする。
糖蜜の様に甘く、桜色をした柔和な未来やヴィジョンをした、実体も中身もない上手い話にのみ飛びつき、その反対の話には見向きもしない。
こんな選択を続けていたからこその、今がある。地球の総人口は今や七十億を超え、環境の破壊の度合いも、数十年前とは比べ物にならないと言う。
我々は、強くなり過ぎた。我々は、賢くなり過ぎた。だから、天敵がいなくなってしまったのだ。
この地球上に於いて我々を一時に葬り去りうるものは、地球の怒り以外には、最早存在などするまい。
我々には天敵がいないのだ。虫に対する鳥のような。シマウマに対するライオンのような。
霊長の覇者を――地球の長を名乗るのであれば、少しの痛みに耐えるべきだ。
地球に生きる他の生き物の為に、少しだけ、席を譲ってやる位の事は、して見せるべきだ。
増えた数――世界人口――を、減らす勇気を持つべきだ。我々と同格、いや、それ以上の、食物連鎖のピラミッドの存在を、赦してやるべきだ。
私の思想が異端である事など、自覚している。人間は当然の事、人間の天敵に今後成り得るであろう存在に対してすらも、理解は得られなかった。
しかしそれでも、私は望んでいる。地球を生き長らえさせる為、人間の人口を調整する為の、新たなる霊長の覇者として君臨しうる存在を。
何故……こんな思想を持った私が、その思想を宗旨替えもさせず、曲げる事もせず、今日まで生きて来れたか。
もしかしたら私は――地球の全ての生き物の未来を守る為に、生まれて来たのかも知れない。
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2:
一言で言えば、俺達は地球の長として君臨するのに相応しい生命だった。
高い知能を持ち合わせ、身体能力も地球のどんな生物よりも優れ、どんな生物よりも長く生きる事が出来た。
原始人は、俺達の事を神だ悪魔だと言い、時には恐れ、時には敬っていた。その時は俺達も、地球に生きる他の生命体の事を配慮し、態度を増長させる事をしなかった。
……いや、出来なかった、と言うべきなのか。俺達は完璧であった。……ただ一つ、太陽の光を極端に苦手とする事を除いては。
今にして思えば、俺達の種族は理知的過ぎた。大人としての良識を持ちすぎていた、と言っても良いのかも知れない。
強すぎる力を発揮出来る肉体に、賢すぎる知力を内包した大脳を持ち、時の劣化を受け付けない肉体……俺達は地球における最強の種族だった。
だからこそ、一層地球の為に配慮しなければならなかった。地上に出る事をなるべく避け、最低限度の食糧の確保さえ出来れば、闇の中でひっそりと生きる事を良しとする。
俺達の種族とはとどのつまり、そう言う奴らだった。一日の半分の時間が外に出られない時間で、残りの時間は陽光を恐れ闇の中で息づく。惨めな、生物。
そんな鬱屈とした生活を、何よりも嫌っていた男がいた。天に輝く太陽に対して、反旗を翻した男がいた。
男は俺達の一族を、正真正銘地球上で最強の存在……奴に言わせれば、究極生命体(アルティミットシィング)であったか、これに近付けようと尽瘁した。
だが、俺達の一族はこれを認めなかった。陽光を浴びても問題がなくなる、と言う餌に飛びつかなかった。
男の研究していた事柄は、今以上の食糧の供給を必要とする物であり、このまま推移したら地球が死の星になってしまう事が予想出来ていたからだ。
一族は、男を滅ぼそうとした。そして逆に、返り討ちにあい、彼ら自身が滅ぼされた。
その男が強かった事もそうだ。だが、その理想……暖かな陽光の下で、思う存分その生を謳歌出来る生物になる、という理想に賛同した男の存在も、大きかった。
俺だ。自惚れと言われようが構わない、俺の存在も大きかっただろうと、俺は信じたい。
究極生命体を目指そうとする俺達の旅は、苦難の連続だった。
自らの一族に妨害された事もそうだが、その過程で波紋なる力を操る一族とも敵対した。そして何よりも最大の敵は……太陽と、地球自身。
まるで俺達が、究極生命体になる事を、地球や、其処に息づく生命の総意が、俺達の志を折ろうと計らっているのではと、思わない事もない。
永い旅路のその中で、俺達は大いなる何かの意思に負け、膝を折ってしまった。
番犬程度の役割しか期待していなかったが、一族の下を去ろうとした時に連れて行った名もなき赤子が斃された。
波紋を操る術を持つが、それ以上に人を欺く術に長けた男に、俺自身も斃された。俺も認める程の技量を持った、風を操る我らの仲間もまた、奴に斃された。
そして最後の一人――俺達の旅路の原点であり、悠久の艱難辛苦の時間の末に、究極生命体となったあの男もまた、奴と『地球』にしてやられてしまった。
俺は彼の現在を知っている。地球を放逐された彼は、宇宙の闇の中で、生命とも物質とも取れる存在になってしまい、冷たい世界を永久に彷徨っているのだと。
俺は、彼を救わねばならない。俺は再び、志半ばに倒れた仲間と共に地上に君臨せねばならない。
『呪い』を意味する名を授かって闇の中に生を授かった、俺の友よ。その名の通り仲間の一族からも忌み者にされ、太陽からも呪われた男、カーズよ。
人は、何の為に自分生まれて来て、何の為に生きるのか、悩む生物だと最近知った。俺も最近になって、その意味を考えてみた。そして、辿り着いた。
俺は――お前の理想に全てを捧げる為に生まれて来たのだ、と。
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3:
アヒルの子が、シチメンチョウの子を産む事はある。ガチョウの子を産む事だって、きっとある。
だが、俺は知っている。アヒルの子が産んだシチメンチョウやガチョウの子は、成長しても美しい白鳥には絶対にならない事を。
そして、染み一つない白い羽毛を持つ白鳥が、シチメンチョウやガチョウを産む事だってある事を。
醜いガキは、大人になってもきっと醜いままなんだ。
俺と同じ奇形共が集まるサーカスに所属していた時、俺を見る奴らの目は、俺達を蔑み、嘲笑うかのような光を宿していた。
俺達の身体を馬鹿にしていたのかも知れない。或いは知性か、それともこんな境遇か? いや、俺達の惨めな全てを笑っていたに違いない。
確かに俺は馬鹿だが、愚かじゃない。自分と他人の何処が違うか程度は、理解している。
俺はそう、醜かった。汚水が流れ、ネズミとゴキブリと数億ものダニやノミが跳梁するあの地獄の下水に俺を捨てた両親も、俺の醜い容姿を見て捨てる決意を固めたのだろう。
俺の容姿に比べれば、ヘッ、オーメンに出てくる悪魔の子、確かダミアンだったか。奴ですら可愛い姿をしてるだろうよ。
アイツはジャッカルの腹から悪魔の力で生まれて来たらしいが、それ以上に醜い俺は、男のペニスから迸る液と、それを受け止める女の嚢の合一で生まれて来たんだからな。
だからこそ、俺は全てに対し怒りを宿していた。俺は正真正銘人の胎から生まれて来た人の子だ。なのにどうして、俺の容姿はこんなに醜いんだ。
何故俺の育ての親は、人間ではなく、営業不振で閉鎖された動物園に取り残されたペンギンだったんだ。
何故俺が……、冬の寒い日にその寒さから逃れようと毛布にくるまっている時に、他の奴らはクリスマスを楽しんでいたのだ。
幸せを享受する全ての子供や大人に。何の試練だか知らないが、俺に醜い容姿を与えた神に。
俺は、呪いの言葉を吐き散らしてやりたい。黒い唾液を吐きつけてやりたい。そして、俺と同じ呪詛を叩きつけてやりたい。
そして、その容姿のせいで、享受する事も許されなかった、地上の幸福とやらをその身に受けてみたい。
他者に呪いつつ、祝福を受ける。それは嘗て、奇形サーカスにいた時に俺を馬鹿にしていた客がしていた事と同じだ。俺は、それをやってみたいのだ。
この戦いに勝ち残れば、イエスが昔使っていたとされる聖なる杯が手に入ると言うらしい。
Huuuuuhhhhhh……素晴らしい。俺のリベンジを見事に果たしてくれる事だろう。俺はこのグラスの中に、血とミンチ肉を満たし、それをぶちまけてやるのさ。
ガキがプレゼントをねだる為だけに存在する十二月の二十五日に……。中身も無い形式上のMerry Christmasが飛び交う十二月の二十五日にな!!
ガキの頃に、俺は何度も考えて来た。
俺は何でこの世に生まれて来たのだろうか。俺の生きる意味は、何なのか。
今ならば……、オズワルド・コブルポッドと言う本当の名前を知った今ならば、解るかも知れない。
ひょっとしたら俺は――他人の幸福を奪い取り呪う為に生まれて来たんじゃないのか、と。
そうだ、人はいつだって、何かを奪っている。食い物も、金も、女も男も。幸福だって、きっとそうだ。許される、筈なんだ。
……後から気付いたが、俺はアヒルや白鳥が産んだシチメンチョウでもなければガチョウでもない。
俺は、自分が他の奴からペンギンと呼ばれていた事を、今になって思い出した。
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4:
昔、俺達パラサイトの存在について、深く哲学していた女がいた。
彼女は――田村と名乗っていたその女は、俺達と言う存在を理解する為に、様々な手段を実践していた。
学校で教師をしてみたとも言っていた。なるべくなら人間を食料とせず、彼らが食べるような食物を食べて生活してみたとも言っていた。
大学と呼ばれる場所で講義を聞いてみたとも言っていた。――女性の身体に寄生していたと言う事を活かして、子供を成し、その子供を育ててもいた。
つくづく不思議だったのは、何故田村は、其処まで自分の存在について哲学していたのか、と言う事だ。
彼女は正直、強い女性だった。性格が、じゃない。それもあるが、戦闘の腕前の方も、俺を唸らせる程だったぐらいだ。
戦えばさぞ、面白い相手だった事だろう。その願いは結局叶う事はなかったが。
それだけの力を持ちながら田村は、人間を喰らう事については消極的で、俺達パラサイトにプログラムされていた本能に従う事があまりなかった。
つまり、何だ。俺から見れば、自分に正直に生きてないような。そんな風に俺には見えた。
もっと、シンプルに考えて生きられないのかと俺は疑問だった。
俺達パラサイトは、生まれ落ちたその時から、一つの本能を組み込まれている。それは即ち、寄生した種を――この種を食い殺せ、と言うものだ。
多くの奴が、その本能に従った。俺達に備わる知性と、生物的な特色の故に、人を見下す奴も多く出て来た。それで、良かったのではないのか。
どうにも、解せない。田村は警察に射殺されたと言う。新一と、そいつに中途半端に宿ったパラサイトに子供を預け、亡くなったと言う。
田村の死に納得出来ない俺が異常なのか。彼女は、何を思い射殺されたのか。それは今でも、解らない。
……解らなくても良いのかも知れない。俺にとっては、些末な事だ。
俺は自分に正直に生きる事にしている。
そしてその過程で、自分自身のレゾンデートルを、俺は認識する事が出来た。
嘗て田村が、パラサイト――田村玲子と言う生物の存在意義を、認識しようとしていたように。尤も、奴と俺とでは、見えていたものも違うだろうが。
パラサイトが何処から来て、何処へ行くのか考えた女は、死ぬ間際に何を悟ったのだろうか。
だが俺は生きながらに悟った。俺が、何の為にこの世に生まれて来たのか。それは、明らかな事だったのだ。初めからそれは、俺達自身に刻み込まれていた。
俺は――戦い、人と言う種を喰い殺す為に生まれて来たのだ。
今は思う。田村玲子は、何処へも行く必要なんて、初めからなかったのだ、と。
5:
【フケる事は出来なかったのか、ヒロカワ】
ヒロカワと呼ばれた男の頭の中に、そんな声が聞こえて来た。
奇妙な事である、広川と言う名前の男の視界には、声の主らしき姿は、見えないと言うのに。
【政治パーティならそれも出来たが……立場上、今回は無理だった】
【人間の社会と言うものはつくづく面倒だな、煩わしい】
【言ってくれるな、アーチャー】
ムスッとした語調で不満を漏らす、アーチャーと呼ばれた男
エシディシの機嫌を、広川は宥める。
彼の姿は見えないが、機嫌を直してはいないだろう。あれでなかなか、気難しい所がある男だから。
白色のキャデラック車のリアシートに、広川は足を組んで座っていた。
彼の目にも、そして運転手の男にも物理的に視認は出来ないが、霊体化と言う状態で、エシディシも車内に待機している。広川の隣の席だ。
運転席と助手席には、フロントガラスとサイドウィンドウの両方向から、まばゆいばかりの陽光が燦々と入り込むが、後部席である。
運転手席のバケットシートと、後部のリアシートを区切る位置辺りに、真っ黒な暗幕が垂らしてあるのだ。それだけでない
リアシートのウィンドウやリアガラスにも、暗幕が垂らしてあり、一切の光の侵入を拒んでいる。
おかげで車内の後部席は、其処だけが夜になったかのように暗く、書類の文字すら見る事が出来ない程だ。
当たり前の事だが、外から窓を見て内部の様子を窺おうにも、暗幕の影響でそうする事は出来ない。
波紋戦士やナチスドイツの関係者から柱の男と呼ばれ、己が肉体を骨格や内臓レベルで自由に操作出来、人を超える程の学習能力や知性を持った男達。
そんな彼らの泣き所。それが、太陽光に対する耐性のなさだった。そもそも、カーズが提唱する究極生物論とは、まず太陽の光を克服すると言う所から始まっている。
石仮面の開発とは、その為の産物に過ぎない。柱の男達と呼ばれる人種は、首魁であるカーズを除いて究極生命体に至った者は一人もいない。
つまりそれは、太陽の暖かな呪いの光を克服出来た男は、彼らを率いていたカーズ以外にいなかった事を意味する。
エシディシ達柱の男は、太陽の光を浴びると石化してしまう。石化だけで済むのならばまだ良い。肉体のダメージの度合いによっては、蒸発すらする恐れがある。
自らのそんな性質を重々承知している為か、エシディシはアーチャーでありながら、昼の間は外に出ようと全くしないのだ。行動出来ない、と言っても良い。
昼に行動出来ないと言う事が、何を意味するのか。それはつまり、一日の半分の時間がほぼ行動を制限されていると言う事に等しい。
単独行動スキルを持ち、マスターを離れて自主的な行動をさせられる事が利点のアーチャーで、これは致命的な弱点だ。
加えて広川はゴッサムの市政に関わる重職だ。外に出て行って行動を行う機会も多い。太陽が出てる時間だから行動は出来ない、とは言っていられないのも実情。
エシディシに対する配慮の結果が、こんな付け焼刃の陰気な策であった。
この暗幕は太陽光を遮断する為に態々広川が取り寄せ、運転手に取りつけさせたのである。
何故つけるのかと聞かれ、広川は「自分が乗っている事を他人に知られないようにする為」だとか「自分は暗い方が落ち着く」だとか言って凌いだ気がする。
我ながら苦しい理由であるとは思っていたが、エシディシの事を考えればしょうがない。これ位の恥かしい思いは、耐えるべきだった。
「私が不気味に見えるかね、マルクくん」
エシディシとの念話による会話を打ち切り、広川が不意に言葉を口にした。
運転席の辺りから、「えっ!?」と言う、動揺の声が上がり始める。
「そ、それは……」
言い淀んでいる。当然の反応かも知れない、正直に答えてしまえば何があるか、解ったものではないのだから。
「いやいや、取り繕わなくてもいいよ。私自身、自覚している。他人から見たらこんな内部の真っ暗闇な車はおかしいとしか思えないからね。でも、これが落ち着くんだ、私は」
「は、はぁ」
マルク、と呼ばれたドイツ系アメリカ人の運転手は、歯切れの悪い返事を広川にして見せる。
広川が唐突に念話を打ち切り、この運転手に対して声を掛けたのは、運転手が発する不信感を広川が敏感に感じ取ったからであった。
エシディシの言う通り、人の社会と言うものには面倒が付き纏う。取り分け、
広川剛志と言う人物にはそれが顕著だ。
彼にはクリスマスもハッピーニューイヤーもなかった。彼は市政に携わる者の中でも特に高い地位にいる人物である。
こう言った人物は所謂特権階級であり、民間が汗水垂らして働いている間、ゴルフに興じ、クルーザーの上で寛いでビールでも呷っているような生活をしている……。
と、思われがちである。実際には比喩抜きで分・秒刻みのスケジュールに毎日追われ、書類に刻まれた文字や数字との睨めっこに何時間も費やし、
挙句の果てには出席したくもない市の有力者や名士達のパーティや舞踏会などに顔を出さねば行けないなど、ウンザリする程プライベートの時間がない。
それ自体はそう言った地位に立つ物の宿命だ。特権階級であると言うのは間違いではないが、彼らはそれを享受するだけの労苦と責任を背負うものである。
これらに関しては、広川自身も「そう言うものなんだ」、諦めている。……ただし、今彼が身を置いている状況は、聖杯戦争だ。
パラサイトの為に身を粉にして働いていた時期以上に、自分の為に動く必要がある戦いである。本当の所を言えば、こんな仮初の街の市政の為に動く事は、時間の無駄なのだ。
だが、動かねばならない。広川自身も自覚している。仮初の立場とは言え、今広川に与えられたロールと言うものは、聖杯戦争を自由に動きたいから、と言う理由で捨てていいものではない事を。これは事実その通りで、広川剛志と言う人物は、聖杯戦争の参加者の中で最も恵まれた立場にある人物、と言っても良かった。
今世間はクリスマスムードもたけなわと言った雰囲気に満ちているが、行政の方はてんやわんやの大騒ぎであった。
簡単である、市長選が近いのだ。ただでさえ一年の終わりの最も忙しい時期に、更に忙しくなるようなイベントが重なっているのだ。
今ゴッサム市役所は悪魔のような繁忙期で職員全員が仕事に追われている。猫の手も借りたい、と言うのはきっとあのような職場を指して言うのだろう。
こんな時期に市長選をやるなんてイカれてる、と職員が零しているのを度々耳にしている。実際問題、それはその通りなのだが。
ゴッサムシティの名士に、マックス・シュレックと言う人物がいる。ゴッサムでも有数の大企業の社長である。
年々増え続ける、ゴッサムシティに誘致される大企業の数々と、それに付随する工場。それらの操業に必要な供給電力は、年々増加の一途を辿っている。
このままではいつかゴッサムの電力は不足し、街の至る所で停電が頻発するだろう事は、市も予測していた。
シュレックはそんな今だからこそ、この街に原発を建てるべきである、と主張する原発推進派の中核に位置する人物だった。
彼は原発の建造によって見込まれる電力供給率の向上を魅力に感じるであろう、企業の組織票を武器に、市長選に打って出たのである。
但し――市長に立候補するのは、彼ではなかった。彼の傀儡と推測されている、オズワルド・コブルポッド、市民からペンギンと言う愛称で有名な男が市長になる。
曲がりなりにも市政に携わる人物である。広川はオズワルドの姿や来歴を知っている。非常に醜い容姿をした男であり、それがもとで親に捨てられた男だ。
下水道に流され捨てられたペンギンは、下水の環境で死ぬ事なく無事成長、紆余曲折を経て奇形サーカス――日本で言えば見世物小屋か――に拾われ、
其処で青年期を過ごす事になる。シュレックとはその時に知り合った仲で、シュレックはペンギンの「自分を捨てた本当の両親を知りたい」と言う願いを聞き入れた。
マックスはTVやマスコミを総動員し、既に故人となっていたペンギンの両親であったコブルポッド家の墓参りを放映させた。
この模様を映した様子は、ゴッサムでも非常に有名であった。この時に得たオズワルドことペンギンの人気と知名度を、シュレックは選挙戦に利用しようとしたのだ。
現状の推移は、シュレックの望んでいるような展開だと、推理せざるを得ないだろう。企業からの組織票は確保出来ているし、ペンギンを利用した浮動票の確保も手堅い。余程の事がない限りは、シュレックの操り人形であるペンギンの当確は揺るがない。
広川が億劫な外出をせねばならない理由は、ペンギンを陰で操るシュレック関係であった。
広川はこのゴッサムにおいて、原発の建造に反対の意思を表明している立場であった。つまり、シュレックのイメージするヴィジョンにとっては仇相手と言っても良い。
しかし、シュレックと真っ向から争ってはならない、と言う市の意向と言うものが其処にはあった。
彼は野心に満ちた男であるが、ゴッサムでも有数の企業の社長と言う立場と、街の名士として市民に対して便宜を計らっていると言う事実に嘘はなかったからだ。
『シュレックの原発建造と言う野望を頓挫させる』。今広川が帯びている使命はそれだった。但し、激しく非難してはならない。やんわりと、シュレックに諦めさせるのがベターである、らしい。
――馬鹿げてる――
そんな事、無理に決まっている。言葉で野望を曲げてくれるような人物を、野心家などとは誰も呼ばない。
殺されでもしない限り自分の計画を中止しないような人物をこそ、人は野心家と呼ぶのだ。
広川が出張って、「お願いだから諦めて下さい」と言って「仕方ない」と言うような輩ならば、誰も苦労しない。
広川にはどうせこんな仕事、徒労に終わる事は目に見えているのだ。だがしかし、市役所での立場もある、やらねばならないのだ。
エシディシが愚痴を零すのも無理もない事だ。当の広川本人だって、愚痴の一つや二つ零したくなるのだから。
「マックス・シュレック氏の邸宅が見えました、広川様」
広川が腕を組み、心中で不平不満を漏らしていた時に、運転手のマルクがそう報告した。
広川の座るリアシートからでは、窓から外の様子を確認出来ないのだ。だから運転手に運転を頼む時には、渋滞している時には渋滞している、目的地に着いた時にはその旨を、広川に報告するよう義務付けているのだ。
「ご苦労だね、マルク君」
広川は右腕に嵌めた腕時計で現在時刻を確認する。
暗闇の中でも文字盤や針が光る時計であるので、自国の確認は容易だ。現在時刻、十時半。本来会う筈の時間より三十分以上も早いが、速く着くに越した事はなかった。
【――ヒロカワ】
右側の席に座る、霊体化したエシディシが、如何にも神妙な声色で念話して来た。
【どうした、アーチャー】
【……この館、『いる』ぞ】
目玉が零れ落ちんばかりに、広川の眼球が見開かれた。
神の悪戯としか思われない確率だった。仕事で出向いたその場所で、まさか……まさか、敵サーヴァントと遭遇してしまおうとは!!
【相手が気付いている可能性はあるか、アーチャー】
【サーヴァントの気配を察知する事自体に、特殊な才能などいらん。少なくともこの車が邸宅に近付いた時点で、相手も気付く事は容易に想像はつく】
戦い……とまでは行かずとも、どうやら一波乱起りそうな空気を、いやがおうにも感じてしまう広川。
自らのロールを利用して待ちの一手を企んでいたが、こうも早くに予定が崩れ去ろうとは。戦いは水物、とはよく言ったものだ。
【……これは、私達にとって、幸運と言うべきなのかね? それとも、不運か?】
【お前の引き当てたサーヴァントは最強だぞ。信じろ】
【失礼した。幸運だったらしい】
車内に備え付けられていた冷えたミネラルウォーターのペットボトルを手に取り、喉を鳴らして飲み干す広川。
緊張と闘争本能から来る熱は、これでもまだ冷める気配を見せる事はなかった。
6:
シュレック邸の誰かが、聖杯戦争の参加者である事は、確実だった。
シュレック本人がそうなのか、それとも屋敷の中で働く使用人なのか。マスターの性格はどうなのだろう?
広川がマスターと解るやすぐに襲撃をかけるか、それとも傍観するか? 全て未知数としか言いようがない。
故に、油断は全く出来ない。現状、広川が出来る事は、見。様子見の一手だ。アーチャーの単独行動スキルを活かし、館の中を探索させる。
もしもサーヴァント及びマスターと出会った場合の処遇は、エシディシに全て任せる。万が一マスターである広川に危機が舞い込んだ場合には、当然、急いで彼の下へとエシディシが駆け付ける。急場で拵えた作戦が、これだった。
【稚拙な作戦だな】
エシディシが苦言する。
【面目ない】
【構わん、俺も予想外だった出来事だ。それに、不意打ちに対応出来ないようでは優れた存在とも言えん。お前の為に首級を上げてやるさ】
【任せたぞ、アーチャー】
【了解】
言ってエシディシは、霊体化した状態で館の中へと侵入して行く。
自分も仕事に取り掛かる時だろう。認識した広川は、マックス邸が保有する地下駐車場から邸宅の内部へと移動する。
シュレック邸の廊下を歩きながら、如何にもアメリカ的な豪邸だ、と広川は感じ入る。国土が大きいと、其処に建つ家のスケールも比例して大きくなって行くらしい。
邸宅の内装はゴシック調のそれで統一されており、中世の世界から飛び出して来たような印象を、広川に与える。
窓から庭園の様子をチラと窺って見る。噴水もあればプールもあり、運動不足解消の為のテニスコートもある家と言うのは、日本では少し想像が出来ない。
マックス・シュレックと言う人物の経済力と経営手腕の凄さと言うものを一発で知らせしめる、豪壮で立派な家であった。
――だが、それにしても、妙だった。
「(マックス本人が来ないとはな)」
アポなしの、突然の来客であるならばいざ知らず、今回広川はシュレック側に対して、今日この日に来訪する事を知らせている。
彼も広川ごとき丸め込められると自信があったのかは知らないが、広川の申し出を快諾している。
であるならば、例えイデオロギー上対立している立場だとしても、笑顔で広川の事を迎えるのが当たり前なのだ。
なのに、シュレックが来ないのである。其処が、広川にとって疑問であった。
では――誰が広川の事を迎えに来たのか。
それは、彼自身も想像だにしていなかった人物であった。その人物は今、広川の右隣に共に歩いていた。
「しかし、日本人がアメリカの市政に携われるとは、思いもしなかったぜ」
「この為に、アメリカに帰化し、永住権を取得致しましたからな。今の地位になる前もなった後も、艱難辛苦の連続です」
「ハハハ、そりゃぁアンタ、こんな街の公務員になるからだぜ。もっとマシな所選べば良かったのになぁ」
「いやはやまったくです。後悔先に立たずとは、よく言ったものですね」
広川の横を歩く男は、一言で言えば、醜い男だった。
童話に出てくる魔女の様な鷲鼻が特徴的で、歯並びも非常に悪く、目つきも異様に鋭い。広川を見るその瞳は、陰険で湿った光を宿している。
メタボと言う言葉を使うのも気が引ける程の肥満体だ。宛らそれは、樽。出っ張った腹と、尻と胸が、ほぼ同じサイズであった。
奇妙な事にその男の手には河童のような水掻きがついている。奇形である。
何処の異次元から抜け出して来たのか、と思わずにはいられない異形の人物だった。
そんな男が広川の隣を、ペンギンの様によちよちと歩いている。これが彼の愛称の由来であった。
ペンギンこと、オズワルド・コブルポッド。それが、広川の隣の人物の名前だ。
マックス・シュレックの代わりに広川を出迎えた人物こそが、このペンギンであった。
オズワルドがマックスの邸宅にいる事自体は、それ程奇妙な事でもない。何でもペンギンと言う人物はシュレックが友誼を図る前までは、下水道に暮らしていたと言う。
言うなれば浮浪者、ホームレスだ。市長選に出立する様な男が、現住所を持たないなど、到底許される事ではない。
代わりにシュレックが住まわせてやっている、と思えば、矛盾はないだろう。
……広川が奇妙に思うのは、これだけ広い邸宅を持ちながら、今の所ペンギン以外の住人を見かけないと言う事だった。
マックス・シュレック当人は当然の事、屋敷にいるであろう使用人や警備員の類が一人も存在しないのを見せられては、流石に不穏な空気を感じざるを得ない。
「此処が客間だ」
と、言うのはペンギンだ。それにしても、市長選の候補者とは思えない、礼節を欠いた口調である。
シュレックが「今まで教育らしい教育を受けて来なかったから、愛敬として受け取って欲しい」とフォローしていたのを広川は思い出す。どうやら彼も彼で、相当苦労しているらしい。
ペンギンから先に客間へと入室、広川がそれに続く。
柔らかなペルシア絨毯の上を歩きながら、広川は部屋の中央に置かれた赤い革張りのソファへと近づいて行く。
「かけていいぜ」、ペンギンが言った。「では」、と言葉を返し広川がソファの上に座る。
尻から伝わるスプリングやスポンジの柔らかな感覚が心地よい。最高級品である事は、疑いようもなかった。
ペンギンから広川は目線を外さない。彼の行動を逐次監視している。彼はまだ立ち上がって、特有のよちよち歩きで部屋を歩き回っていた。
「ミスターコブルポッド」
先程までペンギンに対して話しかけていたような、柔らかな口調で広川が言った。
しかし表情だけが――石のように引き締まった、真面目な表情であり、其処には親しみやすさなど欠片も見受ける事が出来なかった。
「何だい」
ペンギンは広川に背を向けていた。広川から見て真正面に建て付けられた、暖炉の近くに何故か置いてある、傘立ての所に彼はいた。
「貴方のパートナーの、ミスターシュレックは何処にいらっしゃるのです」
この邸宅に来てから感じていた疑問を率直に、広川はペンギンに対してぶつけた。
ガサガサと傘を探していたペンギンの動きが、縛られた様に停止する。
「知りたいのかい」
振り向かずに、ペンギンが言った。
「知りたいですね」
広川がすぐに返事した。客間は今、殺気を胸中に秘めながら、互いの腹の中を探り合う、魑魅魍魎の伏魔殿となっていた。
7:
ピアノの旋律が、煙の様に立ち昇っていた。
上手いか、と問われれば、ピアノを弾いた事もなければ音楽の素養もない人間は、上手いのではないかと答えるだろう。
弾いた経験があり素養のある人間が聞いたら、少し練習したらあれくらいには到達出来るさと答えるだろう。
つまり、グランドピアノの前に座り、曲目を奏でる男の腕前は、普遍的な腕前、と言う事が出来る。
節くれだった太い指を、男は鍵盤から離した。曲目が終わったらしい。
男の奏でていた旋律の音響が残る部屋に、軽い拍手の音が巻き起こった。一人のものである。
「上手いもんじゃないか」
拍手の主が、演奏者に対して称賛の言葉を投げ掛けた。
嫌味か、はたまた世辞か、とも思われるだろう。だが、壁に背を預けた、褐色の肌に民族衣装めいた服装をした、逞しい身体つきをしたこの男は、
楽器の上手下手の区別がそれ程つかないのだ。男の弾いていた楽器がピアノと言う名前である程度しか、解らない。
況してやこの男――エシディシには、男が弾いていた曲の題名など、解る筈もないだろう。
「何を弾いていたんだ、お前は。モーツァルトとか言う男の曲か?」
「ショパンだ」
エシディシの問いにそう返してから、何がおかしかったのか、ふっと男は笑った。
エシディシに負けず劣らずの体格の良さをした、アジア系の顔立ちの男だ。彼ら特有の黒髪をオールバックに整えた、精悍な顔付きの人物である。
「何がおかしい」
面白くなさそうに、エシディシが言うと、「悪いな」、と後藤が軽く謝った。
「前にも一度、同じようなやり取りがあってな。思い出して笑ってしまっただけさ」
其処まで言って、ピアノを弾いていた男――後藤は、妙だな、と思った。
まさか俺が――三木の様なわざとらしい笑いではなく、自然な微笑みを浮かべる事が出来るとは、と。
ぬぅっと椅子から立ち上がり、壁に背をかけるエシディシの方を睨めつける後藤。
エシディシもその目線から顔を背ける事無く、真っ向から睨み返す。
強い。互いがほぼ同じタイミングで、同じ事を思った。
田村玲子の手によりて作られた、最強の虐殺器官(パラサイト)が。人類の文明の歴史を遥かに凌ぐ、悠久の時間を生きて来た闇の生命が。
即座に感じ取ったのである。目の前のサーヴァントは、簡単に勝たせてくれない程の強敵である、と。
「最早聞くまでもないだろうが、お前がサーヴァントなのだろう?」
後藤が聞いた。感情を聞き手に掴ませない、霞の様にとらえどころのない声だ。
「違う、と答えたらどうする?」
「そうだとしても、逃がさず殺すさ」
「奇遇だな。俺もお前の立場なら、そうしている」
二十年、いや、三十年来の友人とでも話すかのような気軽さで、エシディシは後藤に話しかけていた。
しかし、室内に渦巻く殺意たるや、尋常のものではなかった。もしも殺気と言うものが可視化出来ようものなら、きっと嵐のように部屋中を荒れ狂っている事だろう。
エシディシと後藤は、互いを一目見て理解した。話し合いで戦闘を回避出来るような相手ではないと言う事を。出会ってしまえば、何も起きない筈もなく……。
「俺がさっき弾いていた曲の題名を知っているか」
左手だけで、後藤は器用にメロディを奏で始めた。
後藤は鍵盤を見ていない。その目はエシディシに対して向けられている。エシディシもまた、後藤の方に目線を向けていた。
鍵盤を叩く後藤の手には、目もくれない。注意を逸らそうとしている事が、バレバレだったからだ。
「知らんな」
エシディシは即答する。鋼で出来た瘤のような筋肉に、ミシリ、と力が溜まり始める。
「ショパンの練習曲第三番。またの名を――別れの曲と言う」
メロディ奏でる左手の動きを唐突に止め、後藤は残像すら残らぬ速度でピアノの側板の縁を掴んだ。
そして、誰が信じられようか。ソフトボールでも投げるような軽い感覚で、後藤はエシディシの方目掛けてグランドピアノを乱雑に放り投げたのだ。
時速五十㎞以上の加速度を乗せて投擲されたそのピアノに直撃すれば、生身の人間は当然の事、耐久力に優れたサーヴァントですら無事ではいられまい。
腕を交差させ、エシディシは直撃に備えた。ピアノが激突する。粗忽者が、力の限り大量の鍵を一時に強く叩いた時の様な音と、ピアノの板部分の破砕音が、断末魔のように響き渡る。
腕の交差をエシディシは解く。無傷だった。体内で炸裂させたダイナマイトに対してもダメージすら負わない男に、この程度の一撃はさしたるダメージにもならない。
「ほう」、と後藤はエシディシに対して感心の念を覚えた。服装の割には、頑丈な奴じゃないかと思ったのだ。いや、防御力に自信があるから、あんな服装なのか、と思い直した。
「手抜きは良くねぇな」
エシディシがそう言うと同時に、破壊されたピアノの鍵や板、内部のパーツが地面に落ちる音が連続的に続いた。
無骨で不細工な音の連続の中、後藤が「そうだな」、と言い切った刹那。エシディシの姿が消えた。しまったな、と後藤は思った。
破壊されたピアノのパーツが、後藤の位置からエシディシを見るのに邪魔になる、その丁度良いタイミングをあの男に狙われてしまった。
彼の言う通り、手の内を晒したくないからと、ピアノを投げて攻撃するのは失敗だったな、と後藤は後悔した。
後藤の頭より高い所までジャンプ、そのまま彼の方へとエシディシが向かって行く。頭上からの奇襲だ。
後藤の顔面目掛けて、浴びせ蹴りを見舞おうとするエシディシ。そのまま直撃すれば、首を吹っ飛ばす程のスピードと威力を誇る。
後藤はエシディシのこの一撃に、力の限り振るわれる大斧のイメージを見た。一切の予備動作を見せる事無く、後藤が数m程の距離を飛び退く。見事な反射神経と、体重移動の妙技であった。
後藤が絨毯の上に着地する。百分の一秒程遅れて、エシディシも着地する。体勢を整えるその隙を縫って、後藤が絨毯を蹴った。
踏込の際の余りの脚力に、足が接地されていた絨毯部分が千切れ飛ぶ。後藤の姿は着地点から掻き消え、彼は肌色の風となってエシディシへと一直線に向かって行く。
ごく短距離の瞬間的な時間ならば、銃弾にすら迫る程の速度での移動を可能とする後藤の脚力。さしものエシディシも、これには目を剥いた。
何たるスピードか。宛らジャガーか、それともピューマだ。
後藤が左腕を振り上げる。この時エシディシは、見た。
彼の左腕がアメーバのような単細胞生物の如くグネグネと流動し始め、変形。人間の腕の形から、インドの刀剣のフィランギめいた形状の直剣に変化するのを。
この間、ゼロカンマを下回る。エシディシが驚いたのは果たして、その変形の速度か? それとも、関節の類が後藤には通っていないと言う事実にか?
はたまた――腕を剣に変える、と言う、生前の彼の同胞が使っていた流法(モード)に似た戦法を、後藤が取ったからか?
後藤が凄まじい速度で左腕の剣を振り下ろす。避ける事は最早不可能と考えたエシディシは、この攻撃に対応しようとする。防御、と言う形で。
右拳を強く握りしめ、腕全体に力を込めた状態で、振り下ろされた左腕の剣の軌道上にエシディシは腕を配置する。
エシディシの下腕部に、後藤の剣が中頃まで食い込んで、其処で止まっている。「むっ」、と言う声が後藤の口から漏れた。
刃から伝わる感覚が、明らかに筋肉のそれではない。例えるならばそれは、何百条ものワイヤーをこより合せて作った棒。
後藤は、剣となった腕を打ち込んだ『もの』の感触から、本当に人体を斬ったのかと錯覚する。後藤の感覚では、腕ごとエシディシの身体を寸断している筈だったのだ。
エシディシの右腕に食い込んだ後藤の剣腕に、水が浸透して行くように、激痛が伝わった。この痛みは、何だ。強い酸性の液体をかけられた様なこの痛みは。
打撃や斬撃、銃撃と言ったショックや痛みには強いパラサイトとは言え、身体を構成する細胞に直接影響する痛み――今回の様な場合は話は別である。
特に、一つの身体に五つのパラサイトが集まり、統率者である後藤というパラサイトが、四つのパラサイトを統制する後藤にとって、今回の様な自体は深刻だ。統率を維持出来ず、大幅に動きが制限される恐れがあった。
急いで剣の左腕を引き抜き、十m程の距離をエシディシから離す。
サーヴァントの捕食は、そう簡単には行かぬかと歯噛みするエシディシ。やはり反射神経に優れるサーヴァントであると、身体に舞い込む異変に気づくのも速いらしい。
柱の男と呼ばれた者達が得意とする、経口以外に栄養素を摂取出来る捕食。彼らは身体を構成する細胞の全てが捕食器官としての役割を持ち、消化液の分泌を可能とする。
つまり、彼らはその手で相手の肉体に触るだけで、相手の身体を溶かし、削り、その栄養素を皮膚から摂取出来る。
NPCならばともかく、サーヴァント、特に三騎士クラスの捕食は、好条件が揃わない限りは狙いに行けない。エシディシはそう認識した。
しかし、迂闊に攻撃を叩き込むのは、かえって危険であると言う認識は、後藤に植え付ける事には成功したようだ。
況してや後藤は肉体を武器に変形させて攻撃するサーヴァント。幾ら武器に変形するとは言え、結局は自分の肉体の形状を変えていると言う事実は覆らない。
つまり後藤は――偽りの霊長の殺人者は、エシディシと言う偽りの原初の一を相手取るには、強い不利を強いられるのだった。
今度はエシディシの方が後藤の方に突っ込んで行く。後藤の剣の一撃を喰らった右腕のダメージは、既に回復していた。
俺の身体に触れれば捕食される事を薄らと認識し始めただろう、と言う公算に基づき、強気に攻める姿勢に切り替えたのだ。
実際エシディシのこの読みは当たっており、後藤は逃げるように後方へと跳躍。追いすがるエシディシから更に距離を取る。
エシディシからバックステップで距離を離した後藤は、着地後、再度彼は後方へと跳躍する。
だが跳躍に用いた力から計算すれば、このまま行けば彼は壁に激突する――かに見えた。
後藤は跳躍中に体勢を整え、両足から壁に接地。すると彼は、壁を器用に足で蹴って、天井に向かって鋭い角度で急上昇。
エシディシが頭上を見上げる。そして見た。八~九m程はあろうかと言う高さの天井まで到達した後藤が、その左脚で何かを蹴り抜いたのを。
後藤が地面に落下するその隙を狙って、直接身体に血管を打ち込んで怪焔王の流法をお見舞いしてやろう、エシディシはそう考えた。
しかし、着地の瞬間を狙って攻撃されるだろう事は後藤も読んでいたらしい。彼は何と右脚一本で、天井にコウモリの如くぶら下がっていた。
エシディシは後藤の右足を目を凝らして見てみる。脚部を猛禽類に似た形に変形させている。鋭い爪を天井にがっきと喰い込ませ、今の状態を維持しているらしい
だが今の状態ならかえって好都合。相手の動きが目に見えて制限されているのが明らかであるからだ。
今こそ、あのサーヴァントにアーチャーの由来を見せつけてやる時だった。怪焔王の流法による、溶岩弾の様な熱血を奴目掛けて放ってやるのだ。
後藤目掛けて腕を伸ばした、その時だった。
天井から床目掛けて、勢いよく水が散水され始めたのだ。突然の出来事にエシディシは面食らい、反射的に水から遠ざかろうとする。
が、冷水は殆ど部屋全域をカバーする程の量であり、この室内で戦う限り逃れる事は出来なかった。
エシディシが水に対して硬直した、その一瞬を狙い、後藤は天井を蹴り地面に勢いよく急降下。着地する。
彼は天上へと向かう際に、スプリンクラーの止水部を蹴り抜いていたのだ。結果、溜まっていた水が勢いよく放水された、と言う訳である。
壊れたスプリンクラーから、水の紗幕が噴出する。降り注ぐ水越しに見る互いの姿は、豪雨の中で物を見ている様に煙っていた。
後藤としては、左腕に付着したエシディシの消化液を洗い流すのと、着地する為の隙を作る以上の意味を、スプリンクラーの破壊に求めていなかった。
しかし後藤は知る由もないだろうが、エシディシにとってこの散水は非常に厄介な意味を持っていた。
消化液が洗い流されるだけならば、まだ良い。最も彼にとって困るのは、怪焔王の流法の効力が半減する事だ。
摂氏五百度にまで沸騰させた血液を放射する宝具、怪焔王の流法。直撃すればサーヴァントであろうともただではすまないが、水で洗い流されれば効力は落ちる。
この散水が何分続くかは解らないが、今の状況のように連続的に水を浴びせられている状況では、直接体内に熱血を打ち込みでもしない限り、
怪焔王の流法は本来の力を全く発揮出来ないと言っても良い。消化液と怪焔王の流法の効果が共に落ちる……今の状況は、エシディシにとって非常に悪いものだった。
今の状況なら消化液もさして怖くないと判断した後藤が、水を吸って重くなった絨毯を蹴り、エシディシへと弾丸のように向かって行った。
間合いに入る前に右腕も、左腕の様なフィランギ状の直剣に形状変化させている。
右腕の剣を左から右に薙ぎ払い、エシディシの首を刎ね飛ばそうとする。身体を大きく屈ませ、これを回避するエシディシ。
それを見た後藤が、左腕の剣を上段から落雷の様な勢いで振り下ろす。右方向に横転し、これも回避。
エシディシが体勢を整え立ち上がろうとする、その瞬間を狙って、後藤が右のローキックを彼目掛けて放っていた。
どうやら後藤の肉体変化は両腕だけでなく両脚にも及ぶらしい。膝より下が、サーベルに似た曲刀の形状に変化していた。
バッ、とエシディシが膝立ちの状態からジャンプし、ローキックを回避。後藤が蹴り足を元に戻す前に、彼の胸部にドロップキックをエシディシは叩き込んだ。
砲弾にでも直撃したような衝撃を叩き込まれた後藤は、床と水平に吹っ飛んで行く。背部から壁に激突、ぶつかった方の壁は崩落する。
壁に激突し、それを破壊する程度では蹴られた勢いは殺し切れないらしく、そのまま更に隣の部屋まで素っ飛んで行く。
結局後藤は吹っ飛んだ先の部屋の壁に激突する事で、漸くその勢いが止まった。彼が吹っ飛ぶのを受け止めた壁に、蜘蛛の巣に似た亀裂が生じている。恐るべき、エシディシの蹴りの威力よ。
タッ、と、今も降り注ぐスプリンクラーの散水のせいで、水を吸ってしまい苔のようになってしまったペルシャ絨毯に着地するエシディシ。
キャスターやアサシンのような脆弱なサーヴァントなら蹴りを見舞ったあの時点で勝負ありだったろう。しかしエシディシに、勝利の確信はなかった。
手応えが薄かったからだ。筋肉を蹴ったと言うよりは、板金で作り上げたプロテクターを蹴ったような感覚だった。
ダメージは与えられたかも知れないが、クリティカルヒットには程遠かろう。やはり、熱血を叩き込む他はあるまい。
倒れ込んでいる後藤の方へと駆け寄ろうとしたその時、ダァンッ、と言う衝撃音と同時に、視界の先で倒れ込んでいた後藤の姿が掻き消えた。
それと同時に、先程まで彼が背を預けていた壁が粉砕される。壁を、陸上競技のスターティング・ブロックの要領で蹴り飛ばし、加速を得たのである。結果、壁は壊された。
『あ』の一音を口にするよりも速く、後藤は攻撃が届く間合いに侵入していた。エシディシはまだスプリンクラーの散水が続く部屋から出れていなかった。後藤は、エシディシとスプリンクラーの壊れた部屋で戦う利を逃したくなかったのだ。
移動する過程で、後藤は右腕の形状を変化させていた。ギリシャ神話のポセイドンが持っているトライデントに似た、三叉の切っ先を持った長さ数mの槍状に、だ。
エシディシの素手の攻撃が届かないアウトレンジから攻めるよう、方針を変えたらしい。
トライデントと化した右腕で、エシディシの心臓を貫こうとする後藤。エシディシの口の端が、ニヤリと吊り上る。
切っ先が皮膚を裂き始めるか否か、と言う所で、何とエシディシの上半身が、粘度の棒を曲げるが如くグニャリと弧を描き始め、後藤の一撃を回避したではあるまいか!!
柱の男が得意とする、間接と言うものを無視した極端な肉体操作。後藤の顔に驚愕の相が刻まれたのは言うまでもない。この回避の仕方はまるで――
「お前、まさかパラサイ――」
後藤が全てを言い切る事はなかった。エシディシは後藤の右腕の、トライデントの切っ先以外の部分を掴み、そのまま背後を向く。
グンッ、と後藤の身体が急上昇する。アーチのような軌道を描きながら、後藤はエシディシに、絨毯の上に強かに顔面から叩きつけられた。
掴んでいた後藤の腕を離し、倒れ込んでいる後藤の方へと走るエシディシ。顔面に血管を突き差し、沸血を注入してとどめを刺そうと言う算段だ。
先程腕を掴んだ時にそうしなかったのは、訳がある。恐らく後藤は、意識的に首より下を硬化させられると判断したからだ。
四肢は勿論の事、胴体も、血管は刺さるまい。だから、顔面に突き差そうとしたのである。
エシディシの意図を読んだ後藤は、即座にトライデントと化させた右腕を縮ませ、元の腕に戻す。
エシディシの両手の爪が、蓋を開けるようにパカリと持ち上がり、其処から血管が飛び出して来た。
と、後藤の左腕が、プレス機で潰されてしまったかのように平べったい、ぺっちゃんこの状態になった。
平べったい腕の表面積が、後藤の身体全体をカバー出来るような大きさになるや、厚さ一cm程の、その硬質化した肉の盾で、エシディシの血管を防御する。
血管が突き刺さらない。クニャリと折れ曲がってしまったのだ。まるで、鋼板にパスタを突き刺すかのようだった。
「味なマネをッ!!」
声を荒げながら、エシディシは後藤に対して右脚によるローキックを見舞った。
肉の盾と変じさせた左腕で攻撃を防ぐ後藤。だが血管針とは根本的に衝撃力が違い過ぎる攻撃だ。
痛みは防げても、衝撃は防げない。蹴り足の衝撃が叩き込まれた方向に、後藤はサッカーボールのように吹っ飛ばされる。
壁に背面から叩き付けられる後藤。体勢を整え、立ち上がった時には、エシディシが既に接近していた。
肉の盾によるガードが下がった所を狙い、エシディシが顔面に右拳の一撃を叩き込んだ。衝撃に耐え切れず、壁が崩落。後藤が矢の如き勢いで吹っ飛んで行く。
壁一枚を破壊する程度では到底勢いを殺し切れなかったらしく、吹っ飛んだ先の壁をも崩落させ、勢いを殺し切れぬまま、まだ素っ飛んで行き、エシディシから見る見る内に遠ざかる。
追撃を加えんと接近しようとするエシディシ。素っ飛んだ先に、壊れたスプリンクラーから降り注ぐ水はない。
エシディシが全力を出せる環境だ。地を蹴りかけるが――急停止する。確かに其処には、水は降り注がれてない。代わりにもっと厄介な物が降り注いでいた。
天空に光り輝く、冬の太陽。地上に冬が訪れようとも、太陽は陽光を燦々と送り続けるだけ。後藤が崩落させた壁には、陽光を採光する為の窓ガラスが建て付けられていた。
「……」
後藤はテニスコートのコート上にまで吹っ飛ばされていたらしい。
三階の高さから突き落とされても彼は平然としており、黙然と言った体で佇立し、エシディシの方を睨みつけていた。
復帰が速すぎる。陽光の当たらない位置にまで近づき、エシディシも後藤を睨みつける。そして同時に、心中で臍を噛んだ。何て面倒な方向に殴り飛ばしたのだ、と。
究極生命体(アルティミットシィング)に至っていないエシディシにとって、陽光は最大の敵である。太陽の下では彼の行動は、大幅に制限されるどころの話ではない。
そもそも行動が出来なくなるのだ。スプリンクラーが水を降り注がせる環境よりも、これは致命的であった。
――俺がどんな戦い方をするのはバレても良い、最悪使う宝具だってバレても良い。だが太陽を弱点とする、と言う泣き所だけは知られてはならん!!――
エシディシと言うサーヴァントは、一日の半分は全力を出せない時間があり、一日の半分は自身やマスターが殺される以外に滅んでしまう要因が付き纏う時間があるのだ。
これが、何を意味するのか? 打たれる対策が多すぎると言う事を意味するのだ。昼間に襲撃をかけられるだけで、そもそも厳しいものがある彼にとって、
この弱点をたった一人に知られるだけでも、後々に禍根を残す事となる。だから、この状況を何とかして乗り切る必要があった。
後藤に太陽が弱点であると言う事を知られずに。……どうやって?
「何故来ない」
後藤が呟いた。彼からしたら疑問に思う他ないだろう。
あれ程、スプリンクラーが壊れ、水を止め処なく噴出させていた部屋から出たがっていたエシディシが、テニスコートの上に躍り出て、戦おうとしない。
後藤からしたら不審に思うのは、無理からぬ事だった。エシディシは、この心理を利用する事とした。
エシディシは両手の指を後藤の方へと向け、両手の爪をパカッと持ちあがらせ、其処から血管を露出させる。
そして其処から、赤黒い沸血を散弾銃のような勢いで放射しまくった!! 初めて見る攻撃の手段に、後藤の目が見開かれる。
同時に、考えた。エシディシはこれを狙っていたのだと。どのような攻撃か、肉の盾で防御するのは危険と考えたか、飛び退いて攻撃を躱す後藤。
全天候型のテニスコートに血液が降りかかる。ウレタン樹脂製のコートがグズグズに溶け始め、独特の匂いが立ち込め始めた。
成程、そう言う攻撃か。後藤はすぐに、エシディシの血液の謎を看破した。
「お前のクラスはアーチャーか?」
後藤がエシディシに向かって言い放つ。当てずっぽうだ。
「そう言うお前はセイバーか?」
エシディシは質問に答えず、こう言った。此方も当てずっぽうだ。当然、後藤は己のクラス名を言わない。
当然の判断だった。自分が不利になるような情報は、あえて相手に教えないのが、戦の常である。
ややあって、後藤が一歩、此方目掛けて近づき始めた。エシディシは動かない。今度は二歩。やはりエシディシはそれを許した。
もう一歩、後藤が動く。此処で再び、灼熱の血液を散布した。後藤が走る。銃弾もかくやと言う程の速度だった。
放たれた血液を彼は追い越す。虚しく血液は、嘗て彼が歩いていたコート上に撒き散らされるだけだった。
目論見は、恐らく成功したとエシディシは考えた。
彼の目的は、後藤に自分がアーチャーのサーヴァントだと思い込ませる――実際これに関しては事実だが――事だった。
アーチャーと言うクラスは飛び道具による中~遠距離射程の攻撃が主で、接近戦に持ち込まれると脆い、と言うサーヴァントが多い。
だが、エシディシは主に近~中距離射程での戦闘を得意とするサーヴァント、近距離でも比類のない強さを発揮する男だとは、後藤も馬鹿ではない。気付いているだろう。
しかし、向こうも考える筈だ。アーチャーを相手に、距離を取って戦うよりはマシだ、と。だったら近接戦闘に持ち込んだ方がマシだ、と。
そう思わせる為に、エシディシはわざとらしく熱血を撒き散らした。陽光の当たる場所から、当たらない場所へと近づけさせる為に。
ドォンッ、と言う音が下の階から聞こえて来た。一回の壁を後藤がブチ壊した音である。
崩壊させた壁の先の部屋から、天井を破壊して移動、エシディシがいる階の床を壊しながらダイレクトに現れる。エシディシはそう当たりを付けた。
だが、来ない。後藤の身体能力ならば二秒もあればエシディシの所に到達出来る筈なのに、七秒経っても現れない。
何をモタモタやっている。と愚痴った所で、気付いた。この館にいるのは、俺達だけじゃなかっただろう。他に誰がいる。広川と、後藤のマスター。もしかして奴は――。
「チィ!! 俺様の勘も鈍ったもんだぜ!!」
盛大な舌打ちを響かせて、エシディシが思いっきり床を踏み抜き、床を崩落させる。
今回に限っては、相手の方が少しだけ上手だった。英霊の座でのんびりしてドタマまで腐らせやがってと自分を罵倒しまくるエシディシ。
考えてみれば、当たり前の話だ。相手のクラスがアーチャーで、接近戦を挑めば消化液による防御が待ち受けている厄介なサーヴァントが。
自らの主から距離を取っているのであれば。誰だってマスターを狙いに行く事に。
8:
「知りたいのかい」
振り向かずに、ペンギンが言った。
「知りたいですね」
広川がすぐに返事した。客間は今、殺気を胸中に秘めながら、互いの腹の中を探り合う、魑魅魍魎の伏魔殿となっていた。
「ジョーズって知ってるかい、アンタ」
傘を物色しながら、ペンギンが訊ねて来た。
「スティーヴン・スピルバーグの、サメの映画ですか」
「そう、それだ。でっかい人喰いザメが、平和なビーチで人を喰う話さ」
「その映画が、何か?」
話が読めないので、広川が再度訊ねる。
「あのデカいサメ、人を喰うから悪役みたいに思われてるがな、本当は自分の縄張りを悠々と泳いでただけなんだぜ? 人間が勝手にテリトリーに入って来たから、噛んだだけなんだ。其処には悪も善もクソもないんだ」
「……」
「可哀相な奴だよなぁ、あのサメ。腹が減ってたから人間を喰っただけなのに、図体がデカくて醜いだけで恐れられて、よってたかってリンチされて。まるで……俺みたいだ……」
最後の言葉は、演技ではなかった。万斛の思いが、その言葉に込められていた。
「で、シュレック氏は何処に――」
「シュレックなんていねぇよ!! 俺の呼び出したジョーズが使用人ごと喰っちまったさ!!」
声を荒げてペンギンがそう叫ぶと、彼は傘立てから一本の傘を取り出し、その先端を広川に合わせた。
パァンッ!! ペンギンの叫び声を上書きする程の炸裂音が、客間の空気を切り裂いた。銃声である。『広川』の方から響いて来た。
「ぐっお……!?」
呻き声を上げて、ペンギンが、手に持っていた傘を床に落とした。傘は開かれており、その一部に黒点が空いていた。
傘の先端の照準は、尚も広川の方に向けられている。広川はこれを第六感か、それとも虫の知らせか。兎に角不吉と考え、急いで左に飛び退いた、瞬間の事。
ペンギンが落とした傘の先端から、バララララと言う銃声を連続的に鳴り響かせ、何十何百発もの鉛のホローポイント弾が広川の立っていた方向に放たれた!!
「ぐっ」、と、広川の方も苦痛に呻吟する。右肩の筋肉をスーツやシャツごと、弾丸が抉ったのだ。ビュッ、と血液が噴き出た。
熱した火箸を押し当てられたような痛みに、広川の顔が苦痛に歪む。生前、ショットガンで胸の辺りを打ち抜かれた記憶がフラッシュバックする。
あの時は即死だったから痛みも何も感じなかったが、今回は銃で撃たれる、と言う感覚を堪能出来る。こんな痛み、二度と堪能する事など御免蒙る。広川の感想がこれだった。
痛みに耐えながら、広川は右手に持っていたベレッタの照準を、ペンギンの頭に合わせた。
聖杯戦争での、サーヴァントどうしではなくマスターどうしでの戦いに備え、用意しておいた拳銃が功を奏した。
いくらゴッサムと言えど一市民が拳銃を所持する事は簡単な事ではないが、身の安全を護る為とでも言えば、広川の立場の場合にはどうとでもなる。
拳銃を購入する為のルートや資金程度なら、問題はない。だが、銃弾を当てられる技量となると、話は別だ。
その証拠に、ペンギンに命中した銃弾だ。頭を狙った筈なのに、ペンギンが血を流している箇所は、左の肩だった。
銃弾を放つよりも速く、ペンギンが傘を開いたせいで、銃弾が傘に当たったせいだった。傘の膜程度は貫くのはたやすいが、それで絶妙に弾道が逸れてしまったのだ。
尤も、万全の状態でも、広川がペンギンの急所に銃弾を命中させられていたかどうかは解らない。何せ彼は、銃の扱いに関してはこと初心者であるのだから。
「公務員って奴は、全体の奉仕者じゃねぇのかい……!!」
「腐ったリンゴを処分するのも仕事ですよ。心辛い事ですがね、ペンギンさん」
「ペンギンじゃない、コブルポッドさんと呼べ!!」
「必要ない。貴方は此処で死ぬ」
言って、トリガーに力を込めようとした、その時。
広川の背後で、ボグォンッ、と言う破壊音が生じた。ベレッタの銃声よりも大きなその音に驚き、音源の方を振り向くと其処には居た。
幅数m程の大穴を壁に開けさせ、ゆっくりと客間へと入り込む、ビキニパンツの大男の姿が。
「おおよく来た!! 見ない間に水も滴る良い男になったじゃないか!!」
ペンギンの言葉通り、闖入者――後藤の身体は、不自然な程水で濡れていた。先程までプールで泳いでいた、と言われても信じる事が出来るだろう。
ペンギンのサーヴァントである、セイバー・後藤と、広川の目線が交錯する。「馬鹿な、アンタはッ!?」
上擦った調子の声が上がったのは、広川の方からだった。後藤も、エシディシの時ですら見せる事はなかった、誰が見ても解る驚愕の表情を浮かべ、広川の事を見ていた。
まさしく彼らが浮かべている表情こそが――死人が蘇った瞬間を目の当たりにした人間のそれなのだった。
「驚いたな……ショットガンでアンタは死んだ筈じゃないのか」
久々に知己にでも会ったような口調で、後藤は語り掛けて来た。
元居た世界の事を思い出す広川。ただ、あの場所とこの場所で違う点は、今後藤は体中から殺気を漲らせて、広川の事を見ているという点。
直剣の形状に変形した左腕が、いやがおうにも広川に恐怖と言う感情を想起させる。
「そう言う後藤さんも、何でこの場所にいるんだ……?」
「サーヴァントとして呼ばれた、と言う事は、そう言う事なんだよ、広川さん。あの少年にしてやられた。存外、パラサイトと言う存在はか弱い生物だったよ」
「何喋ってんだ後藤!! とっととソイツを殺しちまうんだ!!」
「――と言う訳だ。悪いな広川さん、アンタには生前世話になったが……出会った場所が悪かったと思って、諦めてくれ」
言って後藤が、広川の方目掛け、地面を蹴って急接近。
剣の間合いに入るまであと七m程、と言った所で、その地点の天井が、崩落。エシディシが客間に推参した。彼の身体もまた、ずぶ濡れの状態だった。
後藤の対応は一瞬だった。攻撃対象を即座に広川からエシディシへと切り替え、剣と化させた左腕で、下段から上段へと、ツバメが飛び上がるようにして斬り上げる。
身体を僅かに半身にさせる、と言う最小限度の動きでこれを回避するエシディシ。
剣の切っ先が頂点に達したと同時にエシディシは、開いた二枚貝のように持ち上がった両手の爪から、沸血を霧状に散布させた。
摂氏五百度と言う高熱を内包した血色の霧を、後藤は、右腕を胴体をカバーする程の面積の肉の盾にする事で防御。
肉の盾から煙が上がる、しかし、後藤は堪えた様子はなかった。それ所か寧ろ、左腕を剣から、細長い鞭状に変形させてから、四m程サイドステップで距離を取り、
鞭と化した左腕をエシディシに叩き付けて反撃に転じる始末だった。エシディシは、広川の居る方向にサイドステップする事で、鞭の先端から逃れる事に成功。
鞭の先端が石材で出来た床に当たる。パァンッ!! と言う音が生じると同時に、着弾点が砂糖菓子の用に破裂した。
人外魔境の戦いに、ペンギンが目を奪われ、呆然としている事に気付いた広川。
この機を逃さんと、彼はベレッタの照準を再びペンギンへと合わせる。いち早く危機に気付いたのは、ペンギンのサーヴァントである後藤だった。
ポップコーンが破裂するような銃声と同時に、銃弾が放たれた。ペンギンに当たるまで残り三m弱と言う位置で、銃弾が肉の――いや。
パラサイトの膜に包まれ、無害化される。パラサイトの右腕をペンギンの方へと延長させ、銃弾の軌道上に後藤が配置したのだ。
漸く、自分に先程訪れていた危機に気付いたペンギン。彼は慌てて傘立てから、武器を忍ばせているであろう傘を探そうとする。
【勝てそうか!?】
広川が念話で、エシディシに応答を求める。
【やってやれない事はないが、時間帯が悪すぎる。奴は自由に邸宅の外も動けるが、俺はそうもいかん。それに、武器の所有量では、あの醜いデブの男の方が勝るぞ】
【では夜なら勝てると言う事か?】
【当たり前だ、夜ならばあんな紛い物に負ける道理はない】
【なら時間を改めよう。この場は退くぞ】
【歯痒いが、仕方がない】
【地下駐車場で待つ】
【解った。時間を稼いでおこう】
電瞬の会話であった。
広川はすぐに走り始めた。客間の扉を蹴破って廊下に躍り出て、目的地である、車を停めてある地下駐車場へと一目散に向かって行く。
「アイツを殺せ、後藤!!」、ペンギンががなり立てた。それを、何とも冷めた目で見つめるエシディシ。まるでガチョウか、ガキがわがまま言ってるみたいじゃないか、と呆れ果てている。その上真名まで口にするなど、余程頭に来ているらしい。左肩の銃痕の痛みを忘れる程に。
物の試しに、エシディシはペンギン目掛けて沸血の弾丸を射出する。
しかし、そうは簡単に狙わせてはくれないらしい。弾丸はひとつ残らず、後藤のパラサイトの膜に防がれてしまう。
この状況下では、マスターを狙う事は徒労以外の何物でもなかろう。機会を逃すのは歯痒いが、マスターの命令と思い、諦める事にした。
「また来るぜ」
言ってエシディシは、先程広川が座っていたソファを後藤の方へと蹴り飛ばしてから、客間から走り去って行く。
その場から微動だにしない後藤。時速百km以上の加速度を得たソファに胴体から激突するも、まるで彼は答えない。その場に彫像の如く立ち尽くすだけだった。
「お前だって手抜きをしてるじゃないか」
そう言ってから、後藤もエシディシを追跡し始めた。
怒りに震えるペンギンだけが、客間に取り残される体となった。
9:
「車から出ろ、マルク君!!」
鬼のような形相でそう叫ぶ広川の気魄に気圧されたマルクが、慌てて運転席から車外へと降りた。
車にキーが刺さっているのを見て、「よし!!」と頷く広川。すぐに運転席に乗り込み、キーを回し、イグニッションさせる。
そしてチェンジレバーをPからDに変えるや、直にアクセルペダルを踏み抜き、駐車場から退散する。
余りにも一瞬の出来事であった為、その場にポカンと佇むマルク。今の彼は哀れな事に、広川が何をしたのか想像を廻らす事すら出来ずにいた。
そんな状況の中、エシディシが、邸宅に向かう事の出来る通路から駐車場へと勢いよく現れた。遅れて、両腕を幅広の大剣に変化させた後藤が躍り出た。
互いが互いを睨み合う。動いたのは後藤だった。
彼は残像が残る程の速度でその場から消え去り、そのスピードを維持したまま駐車場を縦横無尽に駆け巡った。
壁を蹴り、天井に飛び上がったかと思うと、その天井を蹴り、垂直やら斜め四十五度と言う鋭い角度で地面に急降下。
ジグザグに床の上を走ったり、弧を描いて走って見たり、と。全てはエシディシを惑わし、幻惑させる為の動きだった。
常人であれば誰もが後藤の動きを捉えられず、成す術もなく攻撃を受けてしまう事であろう。
だがエシディシは冷静に、状況に対応した。
両手両足の爪をパカリと開かせ、其処から血液を大量に噴出させる。駐車場全域が、血色の霧で満たされたのは、ほんの二秒程。
釜茹でにされているかのような苦悶の悲鳴が上がり始めた。後藤ではない、マルクのものだった。彼の服は燃え上がり、皮膚やグズグズに溶け始めていた。
大量の血を流し絶叫するマルクであったが、後藤は流石にタフだった。が、流石の彼も五百度と言う地獄の空間は堪えるらしく、苦しそうな表情を動きながら浮かべていた。
しかし、彼にはこの状況を脱する確信があった。当然である、何故ならこの場所にも、『スプリンクラー』はあるのだから。
地下駐車場全域に設置されたスプリンクラーが、全て作動。再び水の紗幕が部屋に満ちる。今回の場合は、本来意図された正しい作動の仕方をしたと言えるだろう。
「チィ、熱で作動するのかアレは!!」
エシディシも此処に来て漸く、スプリンクラーの仕組みに気付いたらしい。
だがもう遅かった。状況は完全に悪化した。言うまでもなく、後藤の方は好転している。怪焔王の流法を封じられるだけでなく、消化液の効力も下がるとみて良い。
後藤を相手に直接的な肉弾戦を持ち込もうとするほど、エシディシも愚かではない。此処は、乗り切るしかなさそうだ。
嘗て、自らを打ち倒した波紋戦士がやってのけた様な、詭道の弁舌を以ってして。
「次にお前はこう言うだろう――」
それは、自分を斃し、風の流法を操る最高の戦士を斃し、究極生命体(アルティミットシィング)を地球から追放した、究極の食わせ物が十八番としたペテンだった。
「『逃げる工夫より戦う工夫をしろ』、とな」
「逃げる工夫より戦う工夫をしろ……ぬ……」
エシディシが指摘した通りの言葉をマンマと口にしてしまい、面白くなさそうな表情を浮かべた。
同時に、エシディシに対して改めて強い警戒心を抱き直した。まさか、心すら読む事が出来るのかこの男は、と本気で信じていた。
「貴様のような若造には解らんだろうがな、直接切った張ったをするだけが戦いじゃないんだぜ?」
「俺が怖いから強がっているのか? アーチャー。俺を倒すには直接切った張ったをするしかない」
「笑えない冗談だけは一丁前に吐くじゃないか、セイバー」
無表情で、強かにエシディシの怒りのツボを突く後藤に、沸々と怒りを煮立たせる。
パラサイトの男の言う通り、シンプルに強いこのセイバーを屠るには、彼を直接粉々にするしかないのだ。
それを行うには、余りにも揃っている状況と条件が悪すぎるのだ。だから今は、機が熟すまで待つ時。その時が、この怪物の身体がバラバラに四散する時なのだ。
後藤の姿が掻き消える。先程まで立っていた、石材の床に、すり鉢状のクレーターが生じる。それ程までの力で、後藤が踏み込んだのだ。
百分の一秒程の速度で大剣の間合いに到達した後藤が、それをエシディシ目掛けて脳天から振り下ろした。
大剣の刃がエシディシの額に触れた――その瞬間の事だった。彼の姿が、大剣を振り下ろした軌道上から消え去ったのは。
完全に大剣が振り下ろされる。しかしこの場所には、血と臓物を桶をひっくり返したように撒き散らしながら、『ひらき』になっているエシディシの姿は存在しない。
この場にいるのは、芋虫のようにその場に蹲るマルクと、自分だけ。冷静に、状況を推理しようとする後藤。
どうも自分のように、超スピードで消え去った訳ではないらしい。となれば、あのアーチャーはどうやって消えたのか。即座に、理由を思い付いた後藤。それは最早、確信に近かった。
「令呪、か」
今頃何処かを車で走っている広川の事を考える後藤。
人間の頃から大胆不敵な面がある奴とは思っていたが、虎の子の令呪をこんなに早く消費するとは、中々どうして、大した奴だと改めて後藤は評価した。
「直接切った張ったをするだけが、戦いじゃない、か」
その言葉の意味を考える後藤。この男にとっては、直接殴り合い、斬り合い、撃ち合う事が戦いであったが、エシディシにとってはそれだけが戦いではないらしい。
あの男のようにペテンやブラフを駆使する事も、また必要な要素かと後藤は認識した。生前は考えもしなかった事だが、今になってそれを理解するとは。
もしかしたらもう少しそう言った事柄に重きを置いていれば、自分の内臓に錆びた鉈を振り下ろしたあの少年を相手に、不覚を取る事はなかったのかも知れない。
冷たい水が、後藤の身体に降り注いでいた。
冬と言う季節も相まって、身体が切れるのではないかと言う程の冷たさが身体に舞い込んでいるが、この程度の寒さは苦にならない。
ふと見ると、広川の役員付運転手をしていた、マルクと言う男が、「う……あ……」、と言いながら地面に蹲まり、ミミズのように蠕動しているのが見えた。
今ならば喰らう機会なのかも知れないが、何だかそんな気には後藤はなれなかった。彼はマルクの脳天に、大剣を振り下ろした。
彼の頭はザクロのように割れ、其処から血とプリンのような質感の大脳が零れ出た。後藤なりの、優しさだったのかも知れない。
【MID TOWN FORT CLINTON/1日目 午前】
【セイバー(後藤)@寄生獣】
[状態]魔力消費(小)、肉体的疲労及びダメージ(極小)
[装備]
[道具]
[所持金]マスターのペンギンに依存
[思考・状況]
基本:戦う
1. もう少し作戦とやらを練って戦うか……
2. 聖杯戦争……退屈はしなさそうだ
[備考]
※広川組がマスターであると認識しました
※もう少し慎重に戦ってみようかと考えています
※エシディシの身体に迂闊に触れると危険だと解りました。もしかしたら、太陽が弱点なのでは、と言う事を薄ら気づき始めているかもしれません
【オズワルド・コブルポッド@逆転裁判シリーズ】
[状態]左肩に銃による負傷、魔力消費(小)、広川に対する強い殺意
[令呪]残り三画
[装備]黒い紳士服
[道具]武器を仕込んだ傘
[所持金]シュレック邸にある大量の資金
[思考・状況]
基本:聖杯をぶちまける
1. 広川と言う男を絶対に殺して見せる
2. 聖杯戦争を勝ち残る
[備考]
※広川組をマスターであると認識しました
※広川によって左肩を撃たれました
※広川に対して強い殺意を抱いております
※シュレック邸の住民を、家主のマックス・シュレック含めて全員皆殺しにしています
※原作で飼いならしていたペンギンや、奇形サーカスの仲間がゴッサムにいるかどうかは、お任せ致します
※現在はシュレック邸にいます
10:
「痛み分け……と言うのは甘い見通しか」
キャデラック車を運転しながら、広川が歯痒そうな表情でそう言った。その表情は、決して抉られるように右肩に刻まれた傷のせいだけではなかった。
今も其処からは、血液がドクドクと溢れ出ていた。
「相手のサーヴァントの真名や戦い方をお前から聞ける、と言うのは大きいと言えば大きいが……こちらは令呪を失ったからな。それに、俺の戦い方も、向こうは解ってしまっただろうし、やや俺達の方が不利だろうさ」
暗幕が垂れ込められたリアシートで、水に濡れたエシディシが重苦しい表情で現状を憂いていた。
彼に言われて、広川が自分の右手に刻まれた令呪を見た。令呪が一画失われている、と言う事実は揺るがなかった。
車内に今すぐ戻れ、それが令呪を以てアーチャーに下した命令だった。切り札の令呪を無駄に使ったと考えるべきなのか。
それとも危機を脱する為に必要な仕方のない消費だったのか。広川には如何判別すべきなのか、解らない。
予め広川が、後藤の索敵範囲外まで車で移動し、其処に差し掛かったと同時に、令呪を用いてエシディシを空間転移させる。
その作戦自体は、上手くいったし、窮地を脱する為と考えたのならば、見事な策だっただろう。だが、こんな序盤で令呪を消費してしまった、と言う事実が重くのしかかる。
無論、令呪を一切使う事無く脱落するよりかは遥かにマシなのだが、そう考えても、割り切れないものがある。
「そう悔やむな、ヒロカワ。夜だ。夜を待て。俺がその力を十全に発揮出来る、闇の時間を心待ちにしていろ」
釈然としない広川の気持ちを汲んだエシディシが、直に彼をフォローした。
細かい所で気配りの出来るこのアーチャーを、広川は重宝している。人間の上に立っていたと豪語する種族の男の割には、中々マメな男だった。
「……アーチャー」
「何だ」
神妙な声音でそう呟いた広川に、エシディシはそう返した。
「あんな醜い男には負けてられん。勝つぞ」
「ははは、やはり気が合うな。俺も、他人に侮辱されたらやり返さないと気が済まないタチでな」
――俺が怖いから強がっているのか? だと、あの若造め。
エシディシは、スプリンクラーから水が降り注ぐあの地下駐車場の出来事を思い出すだけで、業腹な気持ちになるのだ。
時間帯に恵まれただけの小僧に、あそこまで馬鹿にされるのは、我慢が出来ない事なのだ。闇の一族としてのプライドが、それを許さない。
エシディシの筋肉が、ミシリと言う音を立てて膨張した。内部で、抑えきれぬ怒りの念で煮え滾る血液が循環しているのがエシディシにも解る。
今は、想像の中だけで、後藤の顔面に、怒りで沸騰した自らの熱血を打ち込む位で、自らの溜飲を下げる事にしたエシディシ。
やがてこの想像を現実の光景とするその時を夢見、今はまだ、太陽の光に雌伏の意を示してやる事にするのだった。
【MID TOWN COLUMBIA PT/1日目 午前】
【アーチャー(エシディシ)@ジョジョの奇妙な冒険】
[状態]魔力消費(小)、肉体的ダメージ(小)
[装備]
[道具]
[所持金]マスターの広川に依存
[思考・状況]
基本:聖杯戦争に勝ち抜き、宇宙を漂う同胞と、座にいる部下を呼び戻す
1. 一筋縄ではいかない奴らが揃っているな、やはり……
2. 太陽、やはり憎い奴だ
[備考]
※ペンギン組がマスターであると認識しました
※夜まで待機の姿勢でいます
※三騎士クラスの相手には、自らの十八番である全身の細胞を用いた消化は厳しいかもと思っております
※後藤に対して強い怒りを抱いてます
【広川剛志@寄生獣】
[状態]右肩に銃による負傷(ペンギンの物よりはダメージは低い)、魔力消費(小)、肉体的疲労(小)
[令呪]残り二画
[装備]スーツ
[道具]ベレッタM92
[所持金]現金数万円、クレジットカード
[思考・状況]
基本:聖杯を手に入れ、アーチャーの望みを叶えると同時に、生命の調整を行なう
1. アーチャーが本領を発揮出来る夜まで待機する
2. ペンギンを何とかして葬る
[備考]
※ペンギン組をマスターであると認識しました
※ペンギンによって右肩を撃たれました。但し、ペンギンの物よりはダメージは軽微です
※帯銃しています
※令呪を一画消費しました
※現在キャデラック車を運転し、シュレック邸から遠ざかっています。何処に向かっているかはお任せします
最終更新:2016年02月12日 01:26