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1:

 エンリコ・プッチと言う黒人神父の朝は非常に早い。
彼の日常は朝の五時半から始まる。春夏秋冬、全ての季節、三百六十五日。それこそ平日も祝日も問わず、彼はこの時間に起床する。
世間はクリスマスムードに浮かれている時期。この時期のこの時間は、陽光が未だ世界を照らさない、朝闇の支配する世界である。
おまけにこの季節は非常に寒い。況してや今プッチの教会が建てられているゴッサムと言う街は、四方を海に囲まれた、ある種の海上都市である。
冬の潮風は、もう若くはない自分の身体と骨身によく染みる。旧い友と交わした約束を果たさねばならない身としては、まだまだ気概は若いつもりでいたい。
だがそうと解っていても、二十代の頃に比べて体力の衰えを感じざるを得ない。創世期の人物のように、九百年以上生きられるのであれば話は別だが、
プッチに残された時間はアダムやメトシェラのようには行かない。精々が七十、八十年程度だろう。

 急がねばならない。プッチは聖杯戦争と言う状況を、天にまします我らが父が与えてくれた、千載一遇の好機であると信じていた。
天国とは即ち、神の国、人の踏み入れられぬ領分。其処に足を踏み入れると言う行為が、どれ程許し難く、そして、天へと続く道を発見すると言う事自体が。
どれ程難しいのか、聖職者であるプッチはその事を痛い程理解していた。だが聖杯さえ手に入れれば、階段を一足飛びにするように、神の御国に入る事を許されるのである。
イスラム教徒ではないが、これは聖戦(ジハード)である。旧友のDIOと、自分が求める悲願――天国への到達を成す為の、最後の戦いなのだ。

 ――そんな事を考えながら行う、朝六時半のミサは、どうにも出来が悪かった。聖職者としての修業時代の師が見れば、やる気があるのかと憤っていただろう。
弛んでいると心の中で己を叱責するプッチ。僧籍に属する者にとっては、日常が修行なのである。プッチにとってはその日常こそが、天国へ至る為の階段なのだ。
やはり、ゴッサムと言う異世界の街である、と言う環境が少なからぬ影響を与えているのだろうかとプッチは考える。早い所この感覚には慣れたいところだった。

 衆愚の街、現代のソドムとゴモラ、米闇社会の巣窟。ゴッサムが数々のあだ名が仄めかすような、モラルの退廃した都市である事はプッチも既に理解していた。
だがこんな街にも、神を信ずる者がいる。いや、こんな街だからこそ、と言うべきなのかも知れない。この街では弱者が這いあがる術が、余所の場所に比べて極端に少ない。
マフィアやギャングと言うのはそもそも、社会的な弱者から利益を上げる者達である。彼らは弱者が強者に転向する事を良しとしない。弱者には弱者のままでいて欲しいのだ。
だから、この街で社会的弱者として生まれた場合には、彼らはマフィアかギャングになるか、その傘下に入らない限り未来はない。
つまり弱者には、頼るべきもの、縋るべきものが極端に少ない。だから彼らは、全人類分け隔てなく頼っても良い共同財産である『神』に縋る。
人はどうしようもない時、神に祈る生き物なのである。大衆雑誌やコミックスはドルを払わねば原則買えないが、聖書だけは無料だ。ゴッサムの弱者にも、神の威光は届くのである。

 早朝のミサは時間帯も時間帯の為、来る人物は限られる。それでも、プッチの営む教会に足を運ぶ、敬虔な信者はいる。
大体が、先にも述べた様な社会的弱者、つまり、低所得者達である。無論、早朝のミサに来る者の中には、中流階級や富裕層もいる。
しかし彼らの場合は、生活にゆとりがあるから神を信仰出来る余裕がある訳で、神を信ずるに至った理由が低所得者の者達とは根本から異なる。
中産階級以上の住民のキリスト教者の割合は、ゴッサムは著しく低い方だ。それも当然と言えば、当然か。この悪徳の街で、神を信ずると言う行為自体が、彼らからしたら愚かな事なのだから。

 時刻はじき、七時半になろうとしている。
朝食の時間である。そろそろ教会に住み込んでいる修道女や修道士が朝食を作り終えている頃合いであろう。
今日はするべき事もある。朝食を摂り、エネルギーを摂取した後、やるべき事に取りかからねば。



.

2:

 嘗てエンリコ・プッチは、自分の運命を決定づけた親友であるDIOに、こんな質問をした事がある。「最も弱いスタンドは何か」、と。
これに対するDIOの返答はこうだ。「人にはそれぞれ個性があり、その個性にあった適材適所があるように、スタンドも同様に強い弱いの概念はなく、適材適所」、と。
正しい意見だとプッチは思う。そもスタンドと言う力は、本体である生の生命体の精神エネルギーを、形あるビジョンとして具現化させたものである。
本来、心の在り方と言うものに優劣はない。優劣や強弱とは、本人がどのような行動を起こし、それが何を成させ、何をしでかしたか、と言う結果で判断される。
心に優劣がないのなら、その心から生まれ出でる精神の力の具現であるスタンドに、強弱の関係が成り立つ筈がない。と言うより、比較のしようがない。
例えば、怒りの感情と慈愛の感情のどちらが優れているのか、と言う問いに意味はあるのか? ある訳がない。無理して言うならば、どちらの心の情動が強いか否かであろう。
心の活動の発露である精神の産物がスタンドであるなら、そのスタンドに優劣などある筈がないのだ。これは厳然たる事実だ。
だがもう一つ絶対の事実がある。それは如何なる人物のスタンドも、『全面的に優れてなどいないし、況してや最強のスタンドなどありえない』と言う事だ。
射程距離と言う例を取ってみても明らかである。得意な距離と苦手な距離はどのようなスタンドにも設定されている。
それらを克服したスタンドもいるが、そう言ったスタンドはそもそも精密な動きに欠け、単調な行動しか出来ないと言う弱点を課せられているものだ。
つまり、精神の在り方の具象であるスタンドには優劣はないが、同時に、『全能のスタンドなどありえない』。
何故ならば心ではなく、その心に動かされる人間が不完全な存在であるからだ。此処で、DIOの「適材適所」と言う言葉が意味を持つ。
一見して無敵に見えるスタンドにも何かしらの弱点はあるし、一見して使い道のなさそうなスタンドでも、状況さえ揃えば凄まじい強さのスタンドをも葬れる可能性だってあるのだ。

 そう言った認識を持っていたからか。プッチは聖杯戦争の、サーヴァント同士の殺し合いと言う本質を、正しく理解していた。
つまり、聖杯戦争は『サーヴァントの強さだけで全てが決まる訳ではない』と言う事だ。プッチは、サーヴァントとマスターの関係はスタンドと本体の関係に似ていると考えている。
ごく一部の例外を除けば、サーヴァントはマスターが死ねば消滅する。スタンドも、マスターが死ねば本当に一部の例外を除けば消滅してしまう。
そしてサーヴァントの個性は、何も自らの直接的な戦闘能力、つまりステータスだけではない。サーヴァントの個性は何と言っても宝具であり、その次にスキルが来る。
スタンドも同様に、スタンド自身の運動能力だけが個性ではなかった。彼らにとって最大の個性とは自らに備わった特徴的な超能力なのだ。

 一見すれば弱いと見えるサーヴァントでも、一見すれば無敵と思われるサーヴァントでも。
状況さえ揃えば前者は獅子となり、後者はネコに喰らわれ蹂躙されるネズミの様に殺されてしまう事もあるのだ。
肝心なのは、逸らない事だ。相手のサーヴァントが如何なる力を有しているのかを見極め、確実にそれを殺れる状況を整える。それはスタンド使いの戦いでも重要な事であった。
もしも相手が、自分の引いたサーヴァントよりも強い者を引き当てられていても、問題ない。全サーヴァント共通の泣き所は、マスターだ。
マスターとサーヴァントとの戦闘力には、凄まじいまでの隔たりがあるのが原則である。つまり、マスターは基本脆弱な存在と言う認識で良い。
マスターを殺せばサーヴァントも消える、と言うのであれば、優先的にマスターを狙わない手はないだろう。
それにプッチには、ホワイト・スネイクと言うスタンドが在る。この為彼は、自分はそれ程弱いという訳ではないと言う認識でいる。寧ろ他より優れているとすら思っている。
自分がスタンド使いである、と言う利点は、前に押し出して行くに足る個性であろう。

 プッチは、己の引き当てたサーヴァントが、どれ程強い、即ち、戦闘が得意な存在なのか、よく解っていない。
比較すべき対象に今の所遭遇していない上、サーヴァント同士の戦いをまだ体験していない為、判別のしようがない。
しかし、長所はある。自分との親睦性は今の所悪くはないと言う所は大きなメリットだろう。
サーヴァントはスタンドとは違い、自己の意思を持ち、対話も可能な、言い換えれば、一個の人間である。スタンドは自己の精神より生み出された存在の為、基本主に忠実だ。
しかし、サーヴァントの場合、マスターとサーヴァントは原則対等の関係にあり、マスターがサーヴァントの不興を買ってしまえば殺されかねないリスクも孕んでいる。
その様な事もある中で、今のプッチとバーサーカー――セリューの関係は、まずまずといったところだ。この利点を、やはり活かしていきたい。

 ――しかし、多くのスタンドがそうであるように、このバーサーカーにも、無視出来ない短所が、やはりある。
そしてその短所は現在進行形で、プッチの頭を痛ませている。そう、何故ならば――

「それじゃ皆、いただきますをしましょー!!」

 ……そのバーサーカーが何故か、食事のテーブルの席で実体化した状態で現れて、孤児や、教会で職務を全うする修道士・修道女達に、食事を促しているのだ。
親を失い未だ当惑を隠せない子供達。プッチに判断を求める目線を送る修道士や修道女達。顔を右手で抑える様な仕草を数秒してから、プッチは口を開いた。

「何故君が、音頭を取るのだね、セリュー・ユビキタス

 感情を読み取らせない、しかしそれでいて、聞く者に重苦しい雰囲気を感じさせる語調で、プッチが問うた。
聖杯戦争の参加者が聞いたら、驚愕で目を見開かせんばかりの言葉だったろう。今プッチが口にした単語は、音頭を取った理性あるバーサーカーの『真名』に他ならないのだから。
プッチ本人もこんな愚挙はしたくなかったのだが、状況が状況だ。仕方がなかった。

「だって、神父様のあの食前のお祈り、でしたよね? この子達が言いにくそうだったから」

 セリューがテーブルに座る子供達を見渡す。借りて来た猫の様に子供らが大人しいのは、きっと、両親が未だに姿を見せない不安感からではなかったろう。
セリューの言う事も、解らない事もない。これはプッチが学んだキリスト教カトリックに限った話ではないが、神へ仕える道を志す者は、つまり、
仏教やヒンズー教、イスラム教の教徒達の事であるが、先ず真っ先にその宗教の様式や礼儀作法、そして宗教的な文言の意味の理解と暗記を求められる。
神学や仏学と言うのは医学や法学とは別に、神の法とその周辺体系の理論を学ぶと言う点で他の学問と違うのであって、本質的には極めて厳格な座学に等しい。
聖書や祈りの言葉と言うものは確かに、覚えるのは初めの内は厳しいもの。しかし教会とは、その厳しいものを強いる施設だ。
孤児であっても、それはやはり曲げたくはないのが、プッチの思う所である。とは言え、何も知らない子供達にいきなり聖書の言葉を覚えろと言うのは酷だ。
繰り返し繰り返し、反復させる事で覚えられれば、と言うプッチの配慮を、セリューはものの見事に粉砕した。何の為の教会だ。

「別に、たどたどしくても良いのだ。神に感謝して、それを行う事に意味がある」

「でも、食事の前の言葉は短い方がいいですよ神父様」

 ……このサーヴァントは神の家たる教会に最も相応しくない少女のようだな、と。心中で呟くプッチ。
神父と言う地位に厳かさを感じ、聞き分けを良くする孤児達の方がまだ組しやすい。尤も、セリューと出会ってからプッチが、このサーヴァントと組しやすいなどと思った事は、ただの一度たりとも、ないのであるが。

「あの、神父様……」

 教会で一番の古参である、中年のシスターがそんな事を口にして来た。事態の解決を求めているのだろう。

「……まぁ、たまにはこう言うのも良いだろう。君達、今日は神の祈りは唱えなくても良いが、感謝の念を心に込めて、食事を口にするように。我々が口にする食事は全て、神と大地と海との贈り物なのだからね」

 「はい、神父様」、と言う声が子供達の口から紡がれる。
教会に引き取られている、と言う現実に未だ当惑気味な為、その声音は何処か遠慮がちである。それも無理からぬ事か、と神父は考えた。
ちなみに、その子供達を『孤児にした張本人』は、子供らが「神父様」と言い終えた直後に、肉の少ないブイヤベースに口を付けていた。
その両隣に、マリアと呼ばれる女性の子供であり、その瞳に怯えの色を未だ隠せていない、ジョージとアリスを座らせながら朝食を摂るセリューを見るプッチの目は、
狂人を見るそれだ。この女のような人間性の者は、グリーン・ドルフィン・ストリート重警備刑務所にだって、存在する事はないだろう事は、明らかなのであった。




3:

 結論から述べるのであれば、セリュー・ユビキタスと言うサーヴァントは、極めて扱い難いサーヴァントであると言わざるを得ない。
誤解の内容に述べておけば、強いと扱い難いは等号で結ぶ事は出来ない。確かにセリューのステータスはお世辞にも高いとは言えないが、彼女の真価は、
今も彼女が引きずって歩いている『コロ』と言う宝具――彼女曰く帝具だが――によるコンビネーションである。つまりは波状攻撃である。
スタンドに弱いも強いも無いように、サーヴァントも、有する宝具やスキルによって、強いも弱いもないのだとプッチは思う。
肝心なのは、サーヴァントがその価値を発揮出来る状況を見極める事ではないのか。

 ――ただ、そうは言っても、やはり扱い難いサーヴァントと言う者は存在する。
スタンドの時もそうであった。スタンドDISCを何枚もプッチは元居た世界に保存していたが、その中には、どうやって扱えば良いのだと頭を悩ませるスタンドは何体もいた。
だがスタンドは基本本人に忠実な存在である。言ってみれば本体が上、スタンドが下と言う関係が絶対的に成り立つ。サーヴァントの場合はそうはいかない。対等な存在だ。
これはつまり、聖杯戦争を勝ち抜くのであれば良好な関係を築き上げた方が絶対良いと言う事を意味するのだが、セリューを厄介だと判断したプッチの理由は其処にはない。
セリュー・ユビキタスは、『目立つのだ』。より詳しく言えば、セリューと言うバーサーカーは、霊体化をしない傾向が強い。
ただ彼女は、霊体化が齎すメリットと言うものは、しっかりと理解している。理解していても、『悪』を発見すると霊体化を解き、その悪を殺してしまうのだ。
この性質が何を意味するのか。悪徳の街と呼ばれるゴッサムシティで開かれている聖杯戦争でこの性質では、実質上セリューは常時実体化しているも同然ではないか。

 セリュー・ユビキタスと言うサーヴァントは、驚く程我が強い。
所持スキルを見れば解る事であるが、セリューの自我の頑強さは、結局の所『悪に対する怒り』に集約されている。
どんな悪も、許す事が出来ない。必要悪と呼ばれる存在の必要性も、当然理解しないだろう。
悪魔は神の産物であり、悪魔は神が許した範囲でしか活動を許されないと言う真理も、きっと彼女は理解に苦しむ事であろう。
悪を許さないと言うのは人間であれば至極当然の考えなのかも知れないが、セリューはその考え方い対する強さが異常である。
我の強さと厳格さは行き過ぎると、人を狂わせる。宗教の教義を曲解し、その曲解した考えで行動し迷惑をかける信者が世界中には山ほどいるが……プッチがセリューに対して抱いているイメージは、まさしくそれであった。

 せめてこの教会内でだけは霊体化をさせようとも考えたプッチであったが、それも無駄だった。
セリューが連れて来た孤児の為である。そもそも子供達は、誰が自分を此処に連れて来たのか明白に覚えている。
それはそうだろう、セリューは実体化して教会まで連れて来たのだから、覚えていない方がおかしい。つまり、教会の修道士や修道女達に、誤魔化しが効かないのだ。
「孤児達の為の保育施設を教会に作ろうと思ったから、自分が連れて来た」、といった言い訳も考えてはいたが、セリューが連れて来た以上、その言い訳は無効だ。
……と言うよりそもそも、連れて来た孤児達の世話をする為に、セリューは実体化して彼らと遊んだりしている始末だ。修道士達の目につかない筈がない。端からはぐらかす事すら不可能だ。

 突如教会に現れたセリュー・ユビキタスと言う成人女性。
そして、彼女が現れたと時を同じくして教会に住み込むようになった子供達。修道士や修道女が抱くこれらに対する懸念を解決させる為に、プッチは次のような方便――設定――を通した。

 セリュー・ユビキタスはやや貧しい家の女性であったが、つい最近、両親をマフィアに殺され、手ひどい銃撃を腕に何発も喰らい、其処が壊死してしまった女性である。
この時の出来事が原因で両腕は義手になり、そして精神を病みかけるも、偶然其処に立ち寄ったプッチが適切な処置と親身な付き合いを行う事で、
何とか精神を落ち着かせる事に成功。だが、両親をマフィアに殺された事で、正義感と言うものに目覚めたらしい。
自分のような目にあっているであろう幼い子供達を救いたい、と言う理由で、セリューは、傍にいたプッチに神へ仕える道に入門させて欲しいと懇願。
丁度プッチも、孤児院を開きたかった為に、利害が一致。親を殺されたセリューへの惻隠の念もあり、彼女を教会で生活させる事を許すと同時に、孤児も引き取るようになった……このような絵図を、教会の修道士達に説明した。

 ……随分と苦しいと思われるが、これ以外にプッチには、言い繕う方便が見当たらない。
だが其処は、非常に尊敬される神父として普段通っているプッチである。その人格や人柄もあり、修道士達は、それを本当の事と受け取った。
それどころか、「何と慈悲深い方なのでしょう」、「その様な心持ちでいらしたとは流石は神父様」、とすら言われる始末だ。
如何やら教会の住民達にとって、素行も良くキリスト教徒として相応しいプッチなら、そう言った事もするであろうと言うイメージが初めからあったらしい。
善行は積み重ねるものだなと再認した瞬間であった。……但し、流石に彼女の宝具であり相棒であるコロは、プッチの話術ではカバー不可能なので、セリューの自室で待機して貰っている。キューンと不服そうに鳴いていたのを思い出す。

 セリューについてはカバーは出来たが、それでも霊体化と言う、サーヴァントを運用する上で絶対に必要なアクションを、実質上行えないに等しいと言うのは、
頭の痛い事であるのは変わりない。セリューの正義に対する情熱の強さはプッチも認めるところであるが、それと目立って良いと言う事はイコールにはならない。
表だって目立つ事は何としてでも避けたい所。自分達が聖杯戦争の参加者である事が露見されれば、複数組の主従が叩きに来かねない。
そうなってしまえば、如何にホワイトスネイクと言うアドバンテージを持ったプッチでも、お手上げだ。

「バーサーカー、少し良いかね」

 この教会では食事後は、自分の使った食器は各自で洗う事になっている。自分の事は自分でやると言うのはどの世界でも当たり前の事。
一応セリューはこの教会に住み込んでいる住人の一人と言う事に、外観上はなっている。当然彼女にも、皿洗いはして貰う。
プッチのこの発言は、子供達と一緒になって行う皿洗いを終え、自室に戻ろうとしていたセリューを呼び止めた時の事である。

「ハイ、何でしょう? マスター」

 皆の前では神父、二人きりの時はマスターと呼ぶように、と言うプッチの要求は、しっかりと守るらしい。
セリューの発言を見れば明らかであるが今、階段の踊り場にはこの二人を除いて誰もいない。

「私はこれからどうしても外せない用事があり、外へと赴く。キミには悪いが、この教会で待機していてくれないか」

「……曲りなりにも聖杯戦争は既に始まってるのに、一人で行くんですか?」

 本当にバーサーカー、狂戦士のサーヴァントなのかと舌を巻く程、勘の鋭い女である。
セリューの言う事も尤もだ。聖杯戦争の始まりを告げるラッパの音は、自分がサーヴァントを呼び出したその瞬間から鳴らされているのである。
それにもかかわらず、サーヴァントを連れずに一人で出歩くと言うのは、自殺行為も良い所。セリューはそれを言っているのだろう。

「講演会さ」

 教会を運営するのもタダではない。教会を運営する為の補填金が国から出るとは言え、日々の食費や生活費、経費、電気料や水道料等で引かれてしまえば、後には何も残らない。
中世の時期とは違い、清貧は美徳だと言う価値観は通用しない。聖職者と言えど、何らかの形で資金を稼がねばならないのだ。
ましてや今は孤児を引き取っているのだから尚の事、金が物入りなのである。
元居た世界でも行っていた事だが、プッチは講演会を開いたりして講演費を貰ったり、聖書に関する著作を記したり、洗礼や婚姻の儀を行ったりと。
勘違いをする者も多いが、神父は世捨て人ではない。れっきとした人間社会を回す歯車の一つなのである。特にプッチ程名のある神父となると、その業務は多忙を極める。
異世界のゴッサムに呼び寄せられても、その多忙さは変わりはなかった。況してや今の時期はキリスト教徒にとって特別な祭典である、クリスマスが近いのである。
この時期は一年を通してみても、プッチに限らず神父にとっては最大の繁忙期の時期。普段以上に、スケジュールはタイトなのだ。

「で、でも、講演会位だったら、私が霊体化していればいいだけの……」

「バーサーカー。キミがこの教会にいなければ、あの子供達を守る人物は誰もいなくなる。我々が不在の間に、心無い者が教会にやってきたらどうするつもりなのだ?
孤児を育てると言う思想は大いに結構。私も賛同しよう。だが、連れて来たのはキミだ。私以上に、キミはあの子らを守る義務がある」

「うっ、そ、そうかもしれませんが……」

 我ながらズルい所を突くものだと思うプッチだったが、此処はセリューに折れて貰わねば困るのだ。人の良心の呵責を突く事も、時には必要である。

「心配するな。私も危ないと思えば、令呪を使ってキミを呼び寄せる。それでいいじゃないか」

「……解りました。子供達の警護と世話は、私に任せて下さいっ!!」

 ビッ、とキビキビした動作で敬礼を行い、セリューが言った。満足そうに首を縦に振り、プッチは彼女に対して微笑みを投げ掛ける。

「良い返事だセリュー。では、私は支度をしてくる。子供達の事は任せた。後は、私が返って来る間に、聖書の中のキリストの教えを数個覚えておくように」

 セリューの良い笑顔が、凍り付いた。自らの引き当てたサーヴァントとは言え、白痴ではない以上、そして、教会の一員と言う設定である以上。
プッチは、セリューに聖書の警句や教えを覚える事を強要させている。そしてそれは、セリューが露骨に嫌がっている事も知っている。知っていてやらせているのだ。

「どうした、先程のようなキレのある返事はしてくれないのか? セリュー・ユビキタス」

「は、はい……解りました……」

 返事が露骨に萎えた。特にそれについて言及するでも問い詰めるでもなく、プッチはセリューに背を向け、一階の方へと下って行く。背後で彼女の溜息が、聞こえて来たような気がした。

 一先ず、セリューを欺くと言う第一目標は達成した。
講演会の為に一人で外に向かう、と言うのは嘘っぱちである。クリスマスイブとクリスマスの日に、大きなミサを開く為、講演会の類は全てキャンセルしている。
……と言う設定になっている。来た時からこれは規定事項であった。現に今も、その二大メーンイベントの為の説教の草稿を練っており、今は最終段階の推敲に入っている。
では、セリューに言った、外へのご用向きは嘘なのか、と言えば、それは違う。講演会こそないが、プッチはこれから、それと変わらぬ程に大事な仕事に向かわねばならない。

 ――神父の仕事は講演会や聖書の教えを教える事や、神学校に赴き講義を行ったり、結婚式などを執り行う、と言うだけではない。『教誨』もまた、彼らが行う重大な仕事なのである。

 エンリコ・プッチ神父は元居た世界では、州立グリーン ・ドルフィン・ストリート重警備刑務所の教誨師であり、刑務所の中でも特に古株の男性であった。
この世界でも、それはキッチリと反映されている。プッチはこのゴッサムに於いては、『DOWNTOWNのBLACKGATE PRISONと呼ばれる刑務所の教誨師』なのである。
此処に、セリューに対して嘘を吐いた訳がある。あんな性格のサーヴァントに、自分が刑務所で教誨師をやっている等と言えるか?
あんな性格のサーヴァントを、刑務所に同行させる事が出来るか? 間違いなく一波乱ある。だからこそプッチは嘘を吐いた。講演会に行くと言う嘘を。
刑務所は国家組織に属する施設だ。此処で目ぼしい情報を、ホワイトスネイクで得られれば、それに越した事はない。それを見越して、刑務所に行くのである。

 クリスマスは、神の子であるイエスの生誕祭である。
もしもこの日に、DIOと自分とが理想としている天国を築き上げる事が出来たのならば……それは、どれ程素晴らしい事であろうか。そんな事を考えながら、唯我を地で行く男は私室へと戻って行く。

 セリューが狂おしい程の正義と言う漆喰を人間性の上に塗りたくった女なら。
プッチは、他者の心情を斟酌しない独善性と言う黒ペンキを人間性の上に塗りたくった男性であると。彼は、気付きもしていないのであった。
プッチが主で、セリューが従。このような形で、彼らが聖杯戦争で引き合わされたのは、ある意味で、当然の事だったのかも知れない。




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【SOUTH CHANNEL ISLAND/1日目 午前】

【エンリコ・プッチ@ジョジョの奇妙な冒険】
[状態]健康
[装備]黒みがかった紫色の法衣
[道具]ホワイト・スネイク
[所持金]数万円程度の所持金
[思考・状況]
基本:天国の達成
1. 刑務所に行き情報を集めねば
2. セリューとどう付き合おうか
[備考]
※この世界での役割は、教会の神父であると同時に、BLACKGATE PRISONの教誨師です
※DOWNTOWNのBLACKGATE PRISONへと向かう準備をしています。この時セリューは連れて行きません
※クリスマス・イヴ、クリスマスに盛大なミサを行う予定が入っています
ジョンガリ・Aに対しては参加者なのではと言う警戒心を抱いています


【セリュー・ユビキタス@アカメが斬る!】
[状態]健康
[装備]コロ(現在自室待機)
[道具]トンファーガン、十王の裁き、頭の中の爆弾、身体中に仕込まれた武器の数々
[所持金]
[思考・状況]
基本:悪は死ね
1. 悪は殺す
2. 正義を成す
[備考]
※プッチに教会での留守番を命じられています。が、かなり渋々と言った様子です
※教会の住人にはセリューは、親を殺され銃撃を腕に受けたせいで義手になった女性と認識されています
※コロは目立つ為自室で待機しております




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最終更新:2016年02月23日 14:38