木更城彰洋
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基本情報
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木更城彰洋 きさらぎ・あきひろ | |
ブリード | 非オーヴァード | |
ワークス/カヴァー | 研究者/木更城特殊生化学研究所所長 | |
生年月日 | 1971年2月21日 | |
没年月日 | 2015年9月2日(44歳没) | |
性別 | 男 | |
身長 | 171cm | |
体重 | 65kg | |
作者 | 秋永眞琴 |
「レネゲイドこそが希望なのだよ」
経歴
木更城特殊生化学研究所の所長。プロジェクト・シオンの発案者でもある。
元々は八王妃市内にキャンパスを置く東京科学院大学で教鞭をとる生化学研究者(教授)で、若くしてその専門分野で名を挙げたことや人当たりの良さから学生に人気のある教育者でもあった。後の独立に際しても同僚や教え子が多く参加したことからも人並み以上のカリスマ性を備えた人物だったことがうかがえる。
2008年にレネゲイドウィルスとの邂逅を果たして以来、その運命は激変することになる。当時執筆していた研究論文に、レネゲイドによって変異した検体の記録が残されていることがUGNエージェントによる査読によって明らかとなったのだ。同エージェントが木更城と秘密裏に接触したことで、レネゲイドウィルスの存在を知ることとなる。
未知のメカニズムで生体組織に大きな改変を及ぼすレネゲイドウィルスに強く惹かれた木更城は世界の秘密に触れた対価としてUGNへの協力を快諾し、当該論文は取り下げられた。(*1)以降、彼は本業である生化学と並行し、またその見地からレネゲイドウイルスの研究を秘密裡に開始する。
元々は八王妃市内にキャンパスを置く東京科学院大学で教鞭をとる生化学研究者(教授)で、若くしてその専門分野で名を挙げたことや人当たりの良さから学生に人気のある教育者でもあった。後の独立に際しても同僚や教え子が多く参加したことからも人並み以上のカリスマ性を備えた人物だったことがうかがえる。
2008年にレネゲイドウィルスとの邂逅を果たして以来、その運命は激変することになる。当時執筆していた研究論文に、レネゲイドによって変異した検体の記録が残されていることがUGNエージェントによる査読によって明らかとなったのだ。同エージェントが木更城と秘密裏に接触したことで、レネゲイドウィルスの存在を知ることとなる。
未知のメカニズムで生体組織に大きな改変を及ぼすレネゲイドウィルスに強く惹かれた木更城は世界の秘密に触れた対価としてUGNへの協力を快諾し、当該論文は取り下げられた。(*1)以降、彼は本業である生化学と並行し、またその見地からレネゲイドウイルスの研究を秘密裡に開始する。
UGNの要請、そして個人的な知的好奇心も勝ったことから、レネゲイド研究へと本格的にシフトするべく、2010年3月には科学院大を退職し、当時の教え子や信頼のおける研究仲間数名、そして研修と監視を兼ねてアールラボから派遣された数名の研究者を束ね、八王妃市砂川町に『木更城特殊生化学研究所』を設立した。研究所開設後もUGNにも積極的な協力姿勢を示しており、オーヴァードの能力分析やレネゲイドウイルスへの生化学的見地からのアプローチによって貢献し、いわば『在野のRラボ』の様相を呈していた。
しかし、この良好な協力関係も長続きしなかった。それはレネゲイド研究を重ねるうちに木更城の中にある野心が芽生え始めたためだとされる。その野心こそが人為的な遺伝子改造やレネゲイドの濃縮を含む人造オーヴァード開発計画『プロジェクト・シオン』であり、UGNから提供されたサンプルや知識がこうした研究に用いられていった。2013年10月の内部通報、立ち入り検査を経てUGNはこれらの研究の中止を再三にわたり勧告したが、木更城は研究に没頭し続け、UGNとの関係は断絶されることになる。
そして2015年9月2日、研究所で発生した大規模火災に多くの研究員や被験体共々巻き込まれ、死亡した。レネゲイドの力に惹かれた男は終ぞ自らはその力に目覚めることなく短い生涯を終えた。
しかし、この良好な協力関係も長続きしなかった。それはレネゲイド研究を重ねるうちに木更城の中にある野心が芽生え始めたためだとされる。その野心こそが人為的な遺伝子改造やレネゲイドの濃縮を含む人造オーヴァード開発計画『プロジェクト・シオン』であり、UGNから提供されたサンプルや知識がこうした研究に用いられていった。2013年10月の内部通報、立ち入り検査を経てUGNはこれらの研究の中止を再三にわたり勧告したが、木更城は研究に没頭し続け、UGNとの関係は断絶されることになる。
そして2015年9月2日、研究所で発生した大規模火災に多くの研究員や被験体共々巻き込まれ、死亡した。レネゲイドの力に惹かれた男は終ぞ自らはその力に目覚めることなく短い生涯を終えた。
UGNという巨大な後ろ盾を失った中でもプロジェクト・シオンの実行を止めなかった木更城はその第一の落とし子であり彼の最高傑作ともいえる阿玲歩を実子のように寵愛し、プロジェクトの産物である阿玲歩をプロジェクトチームに迎え入れるなど異質ともいえる取り扱いをしていたという。結果としてこれが後のバベルにおける阿玲歩の持つ絶大なカリスマの礎になったと見る向きもある。
対人関係
彼のもとで実行されたプロジェクト・シオンにおける最高傑作。その愛情は研究成果という枠組みを超えて注がれたと伝えられる。亡父の遺志を継ぐ孝行息子としての振る舞いで賛同を得ている側面もある。
阿玲歩と対を成すプロトタイプとして生み出したが、後に破棄された。(当然ではあるが)零から語られる人物像は阿玲歩ら周辺人物の語るそれとは大きく異なっている。