OPERATION CRUSADE: Parallel Record OA01-1608xx

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概略:

 Crusade前日譚における鴻碧生のif。SW2.5「こどもたちの国」に寄せて。

登場人物:



 俺はいつまでも忘れることはできないだろう。あの日の顛末を、あの全てを灼くような強い日差しを。

 2016年の8月。八王妃を夥しい数のジャームが襲った。日常と非日常の境界線はこんなにも呆気なく崩れ去るのだと、「こちら側」に13年も生きて初めて生々しい感触を叩きつけられた。

 あの日、支部にいた俺たちチルドレンにも、否応なしに招集がかけられた。

 「総力戦って訳かよ……。螢、行けるな?」

 隣で一緒に資料整理をしていた「弟」に目配せして言った。

 「う、うん……。そりゃ、命令だから行くけど……。でも、僕なんかの力で……」

 いかにも自信なげに目を伏せて言葉に詰まっている気弱なこいつこそが、緋浪螢。俺の無二の相棒だ。一歳下の螢は俺と同じ生まれつきのオーヴァードとしてUGNに「保護」され、チルドレンとしてともに切磋琢磨してきた。何かと波長が合うのを感じていた俺たちは、普段の生活でも前線での戦いでもずっと一緒だった。血は繋がっていなくても、ほとんど兄弟のようだった。

 「大丈夫さ。螢、お前はもっと自信を持て。俺よりも良い戦いをしてるんだから」
 「碧生より……? 冗談はおよしなよ」

 苦笑いにいなされてしまったが、俺としては本心のつもりだった。一点突破となれば確かに俺も覚えがあるが、今や物量と物量のぶつかり合う殲滅戦だ。螢の広範な視野とレネゲイド・コントロール能力は間違いなくこの作戦を助ける。

 「俺がこんな時に嘘を言う程軽い男に見えるか?」
 「そういうんじゃないけど……」
 「いいか、レネゲイドを動かすのは自分の心だ。気持ちは強く持て。戦場で油断はダメだけど、自惚れるくらいで丁度良いんだからな。弱気になったら負けるぞ」
 「碧生……。それ、支部長の受け売りじゃん」
 「リスペクトだよリスペクト! とにかく後ろにだけは気を付けて、後は『俺が最強!』って気持ちで行け! 俺も、一緒にいるからさ」

 螢のなで肩を強く突っついて、俺は左手に巻いていた腕時計を外し、軽く握って螢の前に差し出した。

 あいつの10歳の誕生日に買ったお揃いの腕時計。俺のには水色の、螢のには黄色のバックルが巻かれている。永年耐久保証サービス付き。俺たちの絆の証だ。しばし困惑の表情を浮かべた後、螢は俺の意図を察してそれを手に取った。そして自分の左手からバックルを外して俺の時計を付けた後、俺に時計を差し出した。

 「終わったら返すから」
 「……ああ、壊すなよ」

 俺は螢から時計を受け取り、左手に巻き直した。

 「碧生! 螢! 出動だぞ! いつまで道草食ってんのさ!」

 自然と感傷に浸ってしまっていたのか、それなりの時間が経ってしまっていたらしい。同僚の鬼山愛の声で現実に引き戻された俺たちは、もう一度互いに顔を見合わせて力強く頷いた。
 「ごめん、すぐ出る!」


 お盆休みもたけなわ、普段なら多くの車や人で賑わうだろう街の大動脈、国道16号線は時が止まったように静寂に包まれていた。この張り詰めた空気――《ワーディング》の中で動くものといえば……まあ、推して知るべしということだ。

 「いるか、この近くに……?」
 「うん。僕もそう思う。 ……! 碧生、右!」

 螢が叫ぶと、俺たちのすぐ右手のマンホールが重たい音を立ててこちらへ飛んでくる。

 「この……!」

 いち早く反応した螢の右手から放たれた赤黒い光の矢がマンホールに突き刺さると、それは真っ二つに割れて俺たちの左右に落ちた。その向こうから、液体とも固体とも言い難い醜悪な臭いを放つスライム状の何かが這い出てくるのが見えた。

 それが合図になったか、四方八方からジャームどもが飛び出てくるのに気づかされる。崩れかかった建物からヒトの崩れかけたのが、路地裏の暗がりから血よりも赤黒く染まったゾンビのような野犬が、上空から筋肉が異常発達した猛禽の類が、舗装路を割って大小の岩石の塊が……。とにかく世界のすべてが狂って俺たちに襲い掛かってくるように感じられた。いや、狂っているのは俺たちの方なのか?

 「……螢」

 俺が小さく囁くと、螢は静かに頷いた。合図にはそれで十二分だ。それから寸分狂わず一秒後、俺たちは一斉に飛び上がり攻勢に打って出た。螢が地表に赤い光の雨をバラ撒けば、俺は衝撃波の槍で鳥型のジャームを貫く。俺たちの力量と連携からすれば造作の無い敵だ。例えばFHとの会敵はもっと骨の折れる経験をさせられたと思う。

 ただ、この作戦の厳しさと言えば、やはり『物量』だった。崇宮支部長の権限の下、市内のUGN戦闘員はほぼ全て動員されたと聞くが、どれだけ多く見積もったところでせいぜい200にも届かないんじゃないか。そもそもオーヴァードはそんなにはいないし。個々の練度がいくら低くても戦力差はそれ自体が戦略兵器になる。

 ただでさえ一都市の――場合によってはそれだけじゃ済まないかもしれないが――存亡に直接的に関わるとなれば自ずと精神的な重圧は強まるし、それはレネゲイドの衝動に付け入る隙を与えることになる。戦いが長引けばレネゲイドはより活性化し、暴走――ひいてはジャーム化のリスクを背負うことにもなる。誰もが「あちら側」に手招きされながら、必死に振り払うように撃ち続けている。

 実際、俺たちの目の前の状況も好転しているようにはとても見えなかった。ジャームどもは街道のあちらこちらから「湧いて」出てくる。潰しても潰してもキリがない。なんなら、潰すごとにその数を増やしているようにさえ思える。

 ジャームに囲まれた俺たちは一度背中合わせに立ち、間を整える。お互いに呼吸の乱れは否応なしに感じさせれる。正直限界は近い。作戦開始から何時間が経ったのか、何分と経っていないのか。今まで何体のジャームを屠ってきたか。時計に目を落とす余裕も、計算に脳の容量を割く余裕もない。頭はモヤがかかったように重たいし、心臓は文字通り今にでも破裂してしまいそうだ。あちこち傷だらけで《リザレクト》の手も碌に回らない。それでも、痛いも痒いも言ってられないのが揺るぎない現実だった。

 「クソッ、次から次に……。螢、お前はそっちを頼む!」
 「勿論。碧生となら……」

 息も切れ切れに、それでも言葉はスムーズに交わされる。

 「ああ、その意気だ。来るぞ……!」

 もう、「作戦」も何もない。目の前に立ちふさがる敵を順番にぶん殴っていくだけだ。いかにも原始的、本能的な戦法だが、見てくれを気にしている場合じゃない。全員ぶん殴って最後まで立ってりゃ、俺の勝ちだ。

 「そこを退けっ! 死にたいのか!」

 もはや何の意味もなさない、決まりきった脅し文句を叫びながら衝撃波の槍を打ち出す。それに貫かれたジャームは更に醜く形を変え、熱く焦げるアスファルトの上に突っ伏した。

 「次から次に……!」

 それでも猛攻は止まらない。右から、左から、上から。元々一点突破を戦略上の役割としてきた俺には分が悪すぎる。両手を使って払いのけても、足りない。

 「グッ……アァァ!」

 強靭な肢体を持つジャームの一撃をもろに貰ってしまった。横向きに「落ちていった」俺はやがて地面に打ち付けられた。一瞬意識が吹っ飛びそうになったが、アスファルトの熱さが幸いしてくれたのかすぐに目が醒める。

 「碧生!」

 こっちに気づいた螢が振り向き、薙ぎ払うように光の弾幕を放つ。ジャームはそのでっぷりとした腹を境に綺麗に二等分された。

 「碧生、大丈夫?」

 螢がこちらに駆け寄ろうとする。その後ろに、今にも襲い掛かろうとするジャームの姿がありながら。

 「……! やらせるかよ!」

 塞がりきらない左肩の傷口を抑えながら、渾身の一発を奴にお見舞いしてやる。衝撃波の塊に弾き飛ばされたジャームは沿道の建物を壊しながら吹き飛んでいった。

 「ごめん、碧生……。こんな怪我してるのに、僕の不注意で――」
 「このくらいすぐ治るさ。元はと言えば俺の方が助けられたしな……。あともうちょい、ってとこか。螢、もうひと踏ん張り行けるか?」
 「うん。碧生も、無理はしないでね……」
 「……そうだな。」

 無理はとっくにしてる、だなんて無粋な言葉はちゃんとしまっておく。お互い様だからな。

 再び俺たちを取り囲んだジャームたちとのドンパチが始まった。少しだけ、ほんの少しだけだが、螢と言葉を交わしたことで心が軽くなったように感じる。俺も人間なんだ。

 それからは無我夢中だった。戦いの合間にふと視界に入った太陽の方角でそれなりの時間が経過したことだけは何となくわかった。それだけ戦いっぱなしとくれば限界の向こう側に片足を突っ込むのも無理はない。

 「邪魔だって……言ってるだろ!」

 衝撃波が空間を青く染め上げ、こちらに手を伸ばしたジャームは見る影もなくひしゃげる。それとほぼ同時に、背後から黄昏色の光が噴き出し、ジャームの破片が一帯に飛び散る。束の間の静寂が場を支配する。

 「何とかなったか……。螢、大丈夫か?」

 ふう、と一つ溜息をつき、螢の方へ向き直る。

 「こっちは大丈夫」

 螢の表情には多分の疲労と、少量の安堵が入り混じっているように見える。俺も同じなんだろうな。

 「碧生は?」
 「俺も見ての通りさ!」

 強がって言ってみたところが無いではないが、実際俺の身体から目立った外傷は概ね消えていた。それでも戦いの激しさは特殊繊維が編み込まれた戦闘用着衣の乱れが物語っている。つくづくレネゲイドの治癒力は恨めしい位に超越的だと思わざるを得ない。

 「それにしても螢、本当に腕上げたな」

 瓦礫の上にへたりと座る螢の髪をそっと撫でる。

 「ありがとう、でもまだまだ碧生には及ばないよ。足を引っ張らないように、もっと頑張らないと……」
 「螢は真面目だな。でも、お前はとても強いよ。いつもありがとうな。今は滅茶苦茶キツいけど、俺たちは絶対に諦めちゃいけないんだ。俺たちが絶対にこの戦いを終わらせるんだ」

 今思えば、連戦の果てに集中の糸を切らしていたのかもしれない。あと一歩でも早く反応できていれば、何かが変わっていたかもしれない。螢の背後に迫った、真紅の影に。

 「螢!」

 咄嗟に螢を突き飛ばし、その一撃との間に割って入る。刹那、文字通り全身が張り裂けるような感覚に襲われた。衝撃に弾き飛ばされ、遠くから螢の慟哭が微かに耳朶を震わせたこと、網膜に映る青空が美しくも黒々と黄昏色に塗り潰されていることだけが脳裏に焼き付いている――


 次に気が付いた時には、空は黄昏よりも赤く染まり、この世のものとも思えない雰囲気を湛えていた。全身の痛みは引いたが、それでも身体の節々が痛む。しばらく大の字になったままでいると、後方から足音が聞こえてくる。警戒するに越したことはない。咄嗟に身を翻して隠れようとしたが、痛みがそれを妨げた。

 そして、声が聞こえてきた。聞いたことのない言語だ。少なくとも日本語や英語ではない。だが驚くべきことに、俺はその意味が「解った」。

 「Hej(おーい), knabo.(坊主) Ĉu vi bonfartas?(大丈夫か?)
 「Greg(グレッグ)! Ne Alproksimiĝu malgare(迂闊に接近しては)...」

 グレッグと呼ばれた声の主は俺の傍らに立ち、顔を覗き込むようにしゃがんだ。その姿を見て、俺はもう一度驚かされた。まるで人のように喋っているが、外見はまさにドラゴンだ。そういうレネゲイドビーイングなんだろうか。つとめて冷静を装いながら返した。

 「Hej(よう)... Ĉu ĉi tie estas loko estu nomata la infero(ここが地獄ってやつか)?」

 無意識のうちに、俺は彼らの言葉で返事をしていた。聞いたことの無いはずの言葉を、日本語を話すように淀みなく繰り出すのに違和感はなかった。

 「地獄……か。まあ似たようなもんかもな。坊主、名前は?」
 「碧生……。鴻碧生
 「どっから来たんだ?」
 「どこ? 八王妃からだけど……」
 「ハチオーヒ……? 聞いたことねえな。どこでもいいけど、そろそろここも崩壊するぞ。さっき(コア)を潰したからな。出るんだったら連れてってやるぞ」

 いまいち話が嚙み合っていないような気がしてならないが、まだ聞いてみなければわからないことが多くありそうだ。俺はグレッグの問いに首肯で答えた。彼はその巨体通りの怪力を見せつけるように俺と、もう一人の連れをその背中へひょいと担ぎ上げた。

 「ちょっと飛ばすからな、ちゃんと掴まってろよ!」

 そう言うと、グレッグは背中の大きな翼をはためかせ――左翼は外傷のためにほとんどが失われているにもかかわらず――ハイスピードで飛んでいく。辺りの景色は荒廃した街並みのようだった。ただ、建物に掲げられた看板の文字は見たことも無いものばかりで、この場所が少なくとも俺のよく知っている八王妃とは違う空間だと考えるには十分な証拠になった。七日町四丁目の交差点に似た開けた空間の真ん中に、白く光る穴が開いている。

 「脱出するぞ、振り落とされるな!」
 「ちょっと待って。螢を見なかったか……?」
 「ケイ? ここには人族はお前さんしかいなかったぞ、どんな奴だ?」
 「そっか……。俺と同じくらいの歳で、ちょっと気弱で、夕焼けみたいに綺麗な目をしてる奴なんだけど……」
 「ほう、ちょうどお前さんの左目みたいな具合か?」
 「……え?」

 全く予想だにしない答えに呆然としているうちに、俺たちは白い光の中を抜けていった。後で知ったことだが、どうやら俺の左目は螢のそれのような色に変色していたらしい。目覚めてから薄っすらと、螢が近くにいるように感じていたのもあながち気のせいではないのだろうか。

 「ようこそ、アルフレイム大陸へ」

 グレッグが気取って言ってみせると、開けた視界には全く違う景観が広がっていた。緑の野山に、遠く城砦のようなものが見える。まるで教科書で見た、ヨーロッパの風景のような印象を受けた。

 「ある……なんだって?」
 「アルフレイム。この大地の名前さ」

 そう返したグレッグは地を揺するように着陸し、俺たちを降ろした。振り返れば、そこにはさっきまでの空間への穴はなかった。

 「グレッグ、本隊に合流して調査報告を」
 「ああ、そうだな。マックスもお疲れ様だな」
 「任務の内だ。……命脈を見るに、そう離れてはいないな。北だ」

 マックス、と呼ばれた方の男からは剣呑な雰囲気を感じるが……まるで動物のような耳がフードを突き破って出ているのに気づいた。竜人に獣人――俺たちとはまた別の意味で浮世離れした奴らだ。

 「よし、追いかけるか」

 そう言って二人は懐から何かを取り出し、足元にかざした。すると、どこからともなく馬が現れた。もう一々驚いていたらキリがなさそうだ。

 「アオイはマックスの後ろに乗ってくれ。悪いがこっちは重量オーバーだ」
 「飛ばないのか?」
 「俺たちみたいなリルドラケンは一分が限界なんだ、勘弁してくれ」
 「そ、そういうものなのか……」
 「早く乗れ。置いていくぞ」
 「あ、はい……。じゃ、失礼して」

 マックスに急かされて馬に跨る。乗馬の経験は初めてだ。

 「しっかり掴まれ。振り落とされても助けられない」

 二頭の馬が北へ向かって駆けだしていった。
 道中、マックスが前を向いたまま、俺に聞いた。

 「貴様、魔神との関わりは?」
 「ま、魔神?」
 「その左目、アビスボーンだろう? 何か知っていることは?」
 「待ってくれ、俺は魔神なんか見たことないし、アビス……ボーン? っていうのも聞き覚えないぞ!」
 「……そうか。私の思い過ごしだったならそれで良い。非礼を詫びよう」
 「あっさり信じてくれるんだな」
 「仕事柄、人を観察することには慣れているからな。今のお前からは嘘の匂いがしない」
 「仕事って、そういえば二人はどういう?」
 「冒険者。未開の遺跡を探索したり、人族に仇なす蛮族やアンデッド、魔神を討滅するための存在だ」
 「こいつは特にアンデッドやら魔神やらに手厳しいんだ」

 並走しているグレッグが割って入った。

 「当然だ。世界の理を歪めるような存在を看過するわけにはいかない。それを討つために、私は存在している」
 「そんなら、お前さんの後ろに座ってる奴はどうなんだ? こいつも奈落の魔域(シャロウアビス)から拾ってきた訳だが」
 「それは……わからない。少なくとも今は我々に敵対する素振りは見せていないし、それは嘘ではない。これからの彼の行動を見て考えたいと思う」
 「そうか、それが良いさ。――さあさあ、もう本隊が見えてきたぜ。あれが俺たちの拠点、レレイ冒険団のキャラバンだ」

 グレッグの言う通り、眼前には何台もの――もしかしたら百台以上あるかもしれない――馬車が連なる大きなキャラバンが見えている。ちょうど休息をとっているのか、キャラバンは止まっていた。二人の馬はいくつかの馬車を追い抜き、ひとつの大きな馬車の脇につけた。

 「さあ入った入った。そんな広くない場所だけど、ゆっくりくつろげるくらいはあるぞ」

 グレッグに促され馬車の中へ入る。そこは応接間と寝室を兼ねたような造りで、古めかしい様式の大きなテーブルとソファが手前に置かれ、奥にはシングルベッドが二つ並べられている。

 「ひとまず、ここが空いてるから好きに使ってくれ。俺たちは団長に報告入れてくるからちょっと待ってろ」

 そう言うだけ言って、彼らは出て行ってしまった。全く知らない場所――それも恐らくは全く別の世界、全く知らない集団の全く知らない部屋に一人置き去りにされてしまってはできることもない。俺は仕方なしに片方のベッドに仰向けに倒れ込み、思案を巡らせた。
 この世界は何なのか、自分が置かれている状況は、ここは夢の中なのか、俺は生きているのか、作戦は成功したのか、螢はどうしているのか、街はどうなったのか、それとも俺だけが助かったのか――
 一人の脳が処理するには、あまりに多くのことが起こり過ぎた。呆然と天井を見つめ、考えが全くまとまらないまま時間だけが過ぎていった。すると、扉を優しくも力強くノックする音が聞こえた。飛び上がって「はい」と返事を返しながら扉を開けると、そこには俺と同じくらいか、少し年上くらいに見える男の姿があった。

 「キミが、オオトリ・アオイくんだね?」
 「はい。あなたは……」
 「俺はレレイ。この冒険団の団長だよ」
 「団長!?」
 「はは、びっくりしたかい? 知らない人にはよく驚かれるよ。少し、話をしたいんだけど良いかな?」
 「あ、はい、大丈夫です! どうぞ上がってください!」
 「そんなに硬くならないで良いよ」

 レレイ団長はフランクに微笑みながらソファに腰かけた。俺が対面のソファに座ると、表情を少し引き締めて話し始めた。

 「キミのことはグレッグたちから聞いたけど、できれば俺にも聞かせてくれないかな。話せる限りのことでいいから」
 「はい。俺は――」

 俺はレレイ団長にこれまでのいきさつを話した。自分の住んでいた場所のこと、ここに来るまでに見たこと、そして――逡巡の末に――レネゲイドやUGNのことも。彼は疑ったり、茶化して笑うようなこともせず、真摯に俺の話を全て聞いてくれた。

 「なるほど。キミの話はとりあえずは分かった」

 一拍置いて、「ここからは俺の推測に過ぎないんだけど」と話し始めた。

 「キミがいた地球という世界と、このラクシアは違う世界だ。普通交わることはない。じゃあ、なぜキミがここにいるのか。それはキミが言っていた『作戦』が関係するのかもしれない。その『作戦』の過程で不安定な状態になったキミの魂が、何らかの理由で奈落の魔域を介してラクシアの輪廻に乗ってしまったんだろう」
 「じゃあ、戻る方法は……」
 「俺もこのキャラバンで世界の色々なところを旅してきたけど、キミみたいなケースは初めて見た。申し訳ないけど、助けになれるだけの知識はまだないかな」
 「そう、ですか……」
 「それともう一つ。キミの世界で『レネゲイド』と呼ばれていた力のことだけど。今、その力は使える?」
 「え……?」

 言われてハッとした。この世界で目覚めてから、レネゲイドの存在を感じられていない。身体の中を脈動するような、あの感覚が。まさかと思ってこの部屋を覆うように《ワーディング》を張ろうとしたが、どう見ても何も起こっていない。オーヴァードではないだろうレレイ団長にも何も起こっていない。

 「やっぱり。これは俺の仮説なんだけど、そのレネゲイドとやらはこの世界の魔力と根源的に近しい存在なんじゃないかな。世界の構造の違いで人に直接危害を及ぼし得る性質を持っているという可能性はある。そうなのだとしたら、この世界ではこの世界の体系に従った『魔法』として行使できるんじゃないかって思うんだ。ラクシアで魔法を行使するには、体系ごとに触媒が必要だから、それがあればあるいは……」

 そう言ってレレイ団長は手元から何かを取り出して、ぞろぞろと机上に並べた。材質の異なる二振りの小さな杖、六色の綺麗な宝石、何らかの紋章、禍々しいデザインの紋章、場違いに機械的な外観の球体。これらを互い違いに持たされては、能力を使おうとする試みを繰り返した。
 結果的に、この試行錯誤は成功した。宝石を持った時に衝撃波を、そして紋章を手にした時には何故か赤い光を放つことができた。彼の言う「仮説」は概ね正しかったのだろう。

 「うん、良かった良かった。キミにはしっかり魔法の適性があったようだね。……それで、これからどうするつもり?」
 「……冒険者、でしたよね? ここにいるみんなは」
 「そうだよ。ここは冒険団だからね」
 「俺にもできますか?」
 「ああ。キミには才能がある。望むなら冒険団の一員として正式に迎えられるよ。もちろん、命の危険もある、簡単な仕事じゃないけどね」
 「切った貼ったは慣れたもんなので。他にこの世界で生きていく方法もわからないし、色々なところを冒険すれば、もしかしたらこのラクシア――でしたっけ?――に来た理由、地球に戻る方法とか、そういうのがわかるんじゃないかって、何となくですけど思ったので」
 「逞しいんだね。良いよ、気に入った。改めてようこそ、レレイ冒険団へ、オオトリ・アオイくん」
 レレイ団長はゆっくりと立ち上がり、右手を差し出した。
 「はい。よろしくお願いします、レレイ団長!」

 それに応じて、俺も勢いよく右手を出し、その手を取った。

 「正式な書類とかがあるから、後で持ってこさせるよ。このキャラバンのこととか、冒険に必要なことはグレッグが教えてくれるはずだ。もう日も暮れるし、今日はゆっくり休んでくれ」
 「わかりました。ありがとうございます」
 「あ、それと……」

 部屋を後にしようとしたレレイ団長が扉の前で立ち止まって付け加えるように言った。

 「リリンが世話になったみたいだね」

 それだけ言い残して「それじゃ」と扉を閉めて去って行ってしまった。俺の理解が追いついた時には、もう彼の姿は無かった。
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