大沢啓二

1932年3月14日、神奈川県藤沢市出身。
日本ハムファイターズの監督して有名だが、選手時代は南海ホークス、東京オリオンズの選手だった。

1981年には、日本ハムとして初のリーグ制覇を達成させる。
1993年から2年間、再び日本ハムの監督を務めるも、成績不振の責任を取り辞任。最終戦でファンの前で土下座をした。

長らくTBS「サンデーモーニング」のコーナー“週刊 御意見番”のレギュラーとして親しまれたが、2010年10月に逝去。

エピソード

  • 愛称は「親分」。
  • 自分の事を、立教大卒ではなく“立教大野球部卒”と称している。
  • 立教大時代から強肩の外野手として知られ、打者走者をレフトゴロに仕留めた事がある。
  • 日本ハム監督時代の1976年、阪急ブレーブスとの試合で、相手ピッチャーの竹村一義のビーンボールに激怒して竹村を殴打、退場処分になる。翌年、その竹村が阪神タイガースを戦力外になり、日本ハムの入団テストを希望した際、「いい根性だ」とキャンプ参加を認める。この時竹村は「キャンプは自費参加になるけどそれでもいいか?」と言われ承諾するも、親分から「キャンプの費用は俺が全部持つから、心配するな」と励ましてもらったという(大沢親分が亡くなった直後の「サンデーモーニング」の追悼コーナーで、竹村本人がVTR出演して振り返っている)。結局竹村は入団テストを不合格になり引退する事となったが、過去に因縁のある選手でも受け入れ、かつ面倒見の良さが窺える、大沢監督の“親分”たるエピソードである。
  • 現在ではお馴染み、名護でのキャンプを始めたのも親分が最初だったらしい(1979年頃)。
  • 「サンデーモーニング」での「喝!」のフレーズは、外国人選手にもお気に入りだったようで、ホークスのキャンプに居たホルベルト・カブレラが親分本人の前で「喝!」を連呼していた。

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最終更新:2013年01月22日 22:29