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『Pcycho【殺】Soldier』



[登場人物]  日高小春ヒナ根元陽菜




 標高二〇五二メートル。全長約一五〇キロメートル。北海道の背梁を成す、その山。
幼い日の彼女がその稜線に心を奪われたのは、決して山容の雄大さゆえではない。
図鑑の余白に、悪戯な妖精が書き残したかのような──あまりに甘美な一節に恋をしたのだ。


──“頂に辿り着いた人は、魔法の色に染まった『誰か』に出逢うでしょう……”

『魔法……? それって……運命の人、ってこと……?』


奇しくもその山と同じ『性名』を授けられた少女である。
それは偶然か。必然か。
彼女は抗えぬ運命の香りに導かれ、禁断の果実に手を伸ばしていく。



これは、『日高山脈』など霧の彼方に消えた大都会・渋谷にて──、

積み上がるコインを鼓動に変え、たった一つの『頂♡()』を焦がれ仰ぐ──、

ある少女の、甘くて少し切ないラブ物語────。


………………
…………
……


「ふんふふ~~♪ ふんふふん、ふ~~~ん♪──」

「──……もう矢口くんったら。なによ、“お前はインベーダーから始めろ”だなんて。じゃあ矢口くんは『サイコソルジャー』ノーコンクリアできるの? って話でしょ……!!──」

「──…………もう。……ほんとに。──」


「──クリアできたら……。少しは、私の方、向いてくれるのかな。……ねえ、アテナちゃん……」


 “片頭痛があまりにもひどいから……”という乙女らしい理由で。
アレグラ錠をひと箱分一気飲みし、散大した瞳孔に映るは、名作シューティング『サイコソルジャー』の画面。
本作は、超能力戦士・麻宮アテナと椎拳崇の死闘を描く横スクロールアクションだ。
業界初の歌入りBGMが流れる画期的傑作だが、今の彼女にはそれすら運命の賛美歌に聞こえているのかもしれない。
恋する乙女・日高小春は、大破したゲームセンターにて、鼻歌交じりに『スペースインベーダー』をPlayし続けた。

軽やかな鼻歌が、紛争地帯同然と化した店内に響く。


「そ~るじゃ~~♪ そ~るじゃ~~♪ サイコソルジャ~~♪」


無論、周知の通りだがスペースインベーダーに歌などない。
BGMすらない。
そこにあるのは無機質な効果音の残響のみ。
ひび割れたブラウン管の中で、インベーダーたちは色香の一片もなく、ただ淡々と爆散を繰り返していく。
『恋は盲目』──とは少し違うのかもしれないが、今の日高が捉える景色は、もはや二色のみに塗り潰されていた。
それは死線の憂いでも、ヘタクソな名古屋撃ちの痕跡でもない。ましてや、つい先ほど惨殺した黒崎義裕や長名なじみのスコアでも、恋敵・大野晶の影ですらもない。
ただ、『黒色』と『肌色』のみ。


「……これ、一人プレイ専用かな。矢口くんと一緒にやるのは、ちょっと恥ずかしいかも……っ!──」

「──行っちゃえ! フェニックス!! 無敵モードでボタン連打開始~~~♡」


『矢口ハルオ』という、愛しい二色のみを胸に抱いて。
日高は、その柔らかな人差し指を、鋭い切っ先としてボタンへ突き立てた。



 ────ペキッ。


「あ、………………っ!!!!!」


 一瞬、世界から音が消えた。
生身の人間からは決して発せられてはならない、指先の硬質な、それでいて湿った破砕音。
真っ白に焼き切れた視界の隅で、日高は信じられない変貌を目撃する。

あんなにルンルンとした心地で、未来を勝ち取るために込めた魂。
だが、その指先が捉えたのはボタンの中央ではなく、縁側(ふちがわ)だった。
突き指、などという愛らしい範疇はとうに超え。
アーチ状に指先を護っていたはずの薄桃色の爪は、まるで車のボンネットのようにパカっと上方へ跳ね上がってしまったのだ。

──ドジにも程がある自分に、もはや情けないほど甘やかな声をあげざるを得ない……。


「ぎ、いぃぃぃっ、あああぁぁぁああああああああああああああああああああああああッ!!!!!!!──」

「──ぁ、あ゛、あ゛あ、あ゛ぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああッッッッ!!!!!!!!!!」


剥き出しになった、あまりに脆弱で、あまりに過敏な生肉。
空気に触れることすら許されないはずの、濡れた赤を直視することもできず、彼女は思う存分床を転げ回った。
辛うじて繋がっている程度の後端の皮膚。
指を動かすたびに、その蓋がパタパタと頼りなく羽ばたき、剥き出しの神経に直接塩を擦り込まれるような激痛が走る。


「だああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアああああああああああああああああああああああああァァァァァァァァアアアアアアアアアアアあああああああああああああああああああああッッ!!!!!!!!!!」


もはや、ゲームどころではない。
そのプラスチックのボタンは、勝利の鍵ではなく、日高の神経をズタズタに引き裂くための刑具へと成り果てていたのだ。


「嫌……ッ!! なんで……なんでいつも、いつもいつもいつもッ!!!!──」

「──いっつもおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!!!!!!!」


 ──バンッ。

そして画面上のインベーダーたちもまた、物理的な衝撃によって粉々に爆散させられた。



………………
…………
……

💗◆👾


 鉄格子の向こうから、重苦しい気配だけが漏れ聞こえる。
ところ変わって、カウカウファイナンス二階。


「ねえ、ネモ……。アイス、一緒に食べに行こうよ」

「……いいから」

「……じゃあ、ジュースでいいよ。自販機、下にあったから。……ねえ」

「だから、いいってば。ヒナちゃん」

「…………なら、……ごはん──」

「だからいいって言ってるでしょッ!! 何回も言わせないでよッ!! うっざいなぁ……!!!」


沈黙。
コンクリートの壁を叩き割るような、鋭い怒号が狭い事務所に反響する。
投げかけられた言葉の矛先がどこにもないことを、二人とも知っているというのに。


「………………ごめん」

「あ、……ぁ。……………ごめん、ヒナちゃん。──」


「──……今は、どこにも行かないで。二人でいよう。…………お願いだから」

「…………うん。どこにも行かない」



 感情の死に絶えた灰色の事務所内にて、ヒナは、ただの物体と化した根元陽菜を、繋ぎ止めるように寄り添い続けた。
その声には、いつものヒナらしい、イクラの匂いがするような軽薄なマイペースさはない。
無理もない。
つい先刻。
鼓膜を突き破るような破砕音と共に、青い空から『サラリーマンだったモノ』が地面に叩きつけられた、あの感触。
立ち昇る血の匂いと、夏の陽光。
一時間が経過してもなお、網膜に焼き付いたその光景は二人を解放してはくれない。
顔を埋め、縋るように手を伸ばす根元に対し、ヒナは静かな動作でその手をそっと握り返した。


「…………ぅっ、……っ、ヒナ……ちゃんっ………………」

「…………」


ただ、静かに。
それでいて泥のように重く、逃げ場のない体温のみ。

生まれた瞬間から非日常の荒野を渡り歩いてきたヒナはともかく、根元陽菜はどこにでもいる、ただの女子高生だ。
ヒナの手の中で震え続ける掌。
その奥底から発せられる絶望のSOSが、PTSDなのか、あるいはもっと底知れぬ何かなのか。
医学的知見など持たぬヒナに、親友の心を蝕む外傷の正体を見極める術はない。
ただ、今はどうにか、明るかったネモに戻ってほしいと、無機質な祈りを捧げるだけ。
この血生臭い殺し合いの果てに、朝の光が届くのを待つ。ただ、それだけだった。


「……ごめん…………。本当に、ごめんな……さぃ…………」

「いいよネモ。わたしも、……アンズが……うん、だから。……それよりも──」


 ──ガチャッ


「……え?」 「……ッ!!!」



それだというのに。


「いだい……痛いよ……痛いよぉお……!!! ねえ~、こ……これ、剥がさない方がいいのかなあ……?」

「え」 「ヒッ……!!」


タイミング悪く、あるいは運命という名の悪意によって。
根元へのショック療法として現れたのは、指先の貝殻を誇示するように突き出した、顔面血塗れの日高小春であった──。


「と、とにかく……わ、私を助けてぇえ!!! 痛いんだって──」

「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!!!!!!!!!!!」



 POW……。






💞◆👾


………………
…………
……


 ──日高小春────。
ここで改めて、彼女について振り返っておこう。
年齢十四歳。心に青春の暴風雨が吹き荒れた季節も、同じく十四歳。
思春期の真っ只中で衝突した『彼』は、日高の人生というインカムを、劇的な方向へコイン投入させていった。

それまでの日高は、平坦な『普通』という名のレールを、ただ慣性で滑っていたに過ぎない。
あえて脱線する勇気もなければ、別の路線へ乗り換える目的もない。
周囲の誰もが没個性の直線を歩む中、彼女もまた、その景色に同化していた。

だからこそ、潤いの知らぬ瞳孔は、鮮明に捉えてしまったのだ。
学業を棄て、努力を嘲笑い、大人たちの説教をBGMにしながら、ただひたすらに『我が道(ゲーム)』を猛進する──
──矢口春雄という異端の存在を。

恋という並走区間において、隣の線路を駆けるトロッコは、いつまで待っても減速の兆しを見せない。
必死に警笛を鳴らす自分を余所に、相手はあくび混じりのマイペース。
汽笛を響かせても「あ? ……ほーん」と不愛想なノイズを返されるだけ。腹いせに投げつけた置き石すら、その頑強なタイヤに粉砕され、ノーダメージで弾け飛ぶ。
相手が視線を向けるのは自分ではなく、『大野晶』という名の終着駅ばかりだった。
だからこそ、魅せられた。だからこそ、情念のボイラーは燃え続けたのだ。
『電車でGO!』が伝説のタイトルとなったのは、その峻烈な難易度が人を駆り立てたからに他ならない。

登校前の山手線、その虚無に満ちた待ち時間。
かつては寝ぼけ眼の死んでいた時間が、今の日高には、狂おしいほどトキめいて仕方がなかったのだ──。


 ──プチンッ


「…………安心、っていうのは少しおかしいかもだけど……。やっぱり、日高さんと会えてよかったよ」

「え?」

「……心細かったというか。一人で悩んでてバカみたいって思えてきたし。それにヒナちゃん係ソロプレイは正直、キツかったっていうか~。あはは! ……日高さん、よろしくね──」

「よくそんな呑気なこと言えるよね。私がどんな目に遭ったかも知らないくせに」

「…………えっ?」


  ──プチンッ


「そんなことより聞いてよ! ……あ、これさっきも言ったっけ?! 矢口くんって本当にサイテーでさぁ!! 脳に基板でも詰まってんじゃないの?! 何を聞いてもゲームゲームゲームゲーム!! ねえ普通そうなる?! そんなに好きならセガ本社に住民票移せば? って話だよね!! 『セガガガ』のディレクターにでもなればいいんだよ!! ほんっと……矢口くんは、空気が読めないんだからぁ!! あははははは!!」

「……」 「……あ、……うん。そうだ……ね」

「でもねぇ~! 矢口くんは、たまにすっごく優しいんだよぉ!! これは私の話じゃないんだけど……大野さんって子に指輪あげたんだって!! 転校前に!! 格好つけちゃってさぁ、ウケるよね!! でもその指輪が百円の、しかもクレーンゲームの景品っていうのが、もう……いかにも矢口くんらしいっていうか……!! あはははははは!!──」

「──あ、ヒナちゃん!! ……言っとくけど『コレ』、いくら透明verとかじゃないからね? 食べようとしないでよ? もう~~……このバカ!!」

「え? ……いや、そこまでわたし、頭悪くないけど」 「……ヒナちゃんっ」

「あはははははははは~~~~~!!!」


  ──プチンッ────


 互いの近況を吐き出し合って以降、日高は今、プチプチを潰すことに夢中。
暇潰しの必需品であるそれは、根元が何かを口にしようとするたび、威嚇射撃のように破裂音を立てる。
何度目かのループとなる「矢口くんが~」では、プチプチを手放してまで大袈裟な身振りを加えるというのにだ。
日高の、ギラつきつつも全く笑っていない瞳。
それと視線が合うたびに、対面のソファに座るヒナと根元の距離は、じりじりと縮まっていく。


頭部には、鮮血を丁寧に隠した包帯。
「……痛いから触らないでよッ!!」と処置を拒否された、剥き出しの指先。
ブレまくったハチ公像のようななにかの画像と、それをロック画面とするスマートフォン。


「あ、見て見て~~ヒナちゃん~~! これが私の矢口くんなわけ!!」

「え? 興味ゼロというか……」 「ヒナちゃんっ!! 声が大きいって……!!」

「根元さんも見て! ほれっ!!!w」



そして、スマホに映し出された、眼球の飛び出た超激グロ画像。


「ぁ……」 「ヒッ、……!!──」

「──あああぁっ…………ぃ……ぃ、ぃ…………。──」


「──…………や、矢口さん……。う、うん。……す、すごく……カッコいい……ね…………。素敵、だと思う……っ」

「え?! いや、いやいやいやいや冗談に決まってるじゃん!! こんなのが矢口くんなわけないじゃん?! ……根元さん、大丈夫……? ……ごめん、ちょっと不快入っちゃったな~今」

「ぇ……。ご、ごめん…………っ。……っ、ぅっ……ううぅ……」 「……なんだこいつは」


 プチンッ────。


「……ごめん。私こそ、ごめん根元さん……」

「え?」 「え」

「…………分かってるの、私も今……ちょっと、おかしくなっちゃってて。自分が何をしてるのか、ずっと視界がボンヤリしてるっていうか。──」

「──……謝りきれなくても、謝り続けるから。……お願い、ヤな目で私を見ないで…………根元さん……ヒナちゃん…………っ。ごめんなさい……ごめんなさいぃっ……!!!」


「謝られたら余計に怖いっていうバグ。これホラー映画の導入?」

「ヒナちゃんっ!! 黙って!──」

「──……別に、私も気にしてないから。……お互い、しんどいよね。頑張ろう……ね。日高……さん」

「うぅっ……うううううう!!!」


 恋の乙女は、常に悩ましく、常に残酷だ。
根元が吐いた、ひどく透き通った大嘘の慈愛が、かえって日高の剥き出しの心根を深く抉ったのだろう。
日高は両手で顔を覆い、子供のように泣きじゃくりながら、同時に剥がれた爪の激痛に身を悶えさせる。
ここにはもう、かつての健気で思慮深い日高小春の残滓すらない。あるのは、バトル・ロワイヤルというシステムの底溜まりに沈んだ、哀れな被害者の成れ果てだ。
色調の狂った涙が床に滴るたび、事務所の湿度が、窒息しそうなほど異様に増していく。

ふと、ヒナの手を握る根元の指先に、力がこもる。


「……あ。そういえば、トイレ行きたいんだったよね、ヒナちゃん」

「え? 別に──」

「…………たまにはマイペースに付き合ってあげるから。ほら、行くよ。……あ、日高さんは何か飲みたいもの、ある?」

「……え、ぁ……あいすみるく……。ね、ねえ……何で二人だけで行くの……? 私のこと、やっぱり嫌いなの……?」

「いや、違うよ! 違う違う。……ほら、ヒナちゃんってば破天荒でしょ? 『花摘み』の様子なんて、流石に日高さんには見せられないっていうか、恥ずかしいっていうかさ~~!!」

「わたしそんなヤバくないし。そもそもアイスミルクってなに──」

「ヒナちゃんッ!!!」

「…………」


「ごめん! ……ま、待っててね? すぐに戻るから。……ね、日高さん……!」

「…………うん」


日高を納得させた上で、根元はヒナを無理矢理、部屋の外へと連れ出した。



…………
……


 「絶対に怒られる」と身構えていたのに。
トイレという狭小な空間にて。
パーカーの柔らかな質感に抱きしめられた時、ヒナは初めて、自分を拘束するその腕が小刻みに痙攣していることに気づいた。


「え?」

「……ぅっ、分かる……気持ちは分かるよ。…………でも、そのうえでさ。私のわがまま、聞いてくれるかな……ヒナちゃんっ…………」

「……わが、まま…………?」


予期せぬ体温の重みに、ヒナは呆気に取られて硬直する。
曇った鏡の中に映る、自分自身のアホ面の横。
そこにあるのは根元のピンク色の後頭部だけで、彼女が今、どんな形相をしているのかを読み取ることはできない。
ただ、慣れないタイプライターが印字を刻むかのような、震えて、しかし必死に綴られるその声には、ヒナも真摯に耳を傾けざるを得なかった。


「……同列に語るのは、日高さんに失礼だけどさ…………。……私も、同じだったから。……地獄みたいな光景を見て、……心の余裕が、残らなくなる感覚」

「…………」

「正直に言うね。今……逃げたくて、逃げたくて仕方ないよ。呼吸って、こんなに浅くなるんだね……。視界に入るもの全部、消えてなくなればいいって思ってる…………。でも、それはヒナちゃんも同じ……だよね」

「………………うん」

「……分かるかな。日高さんも……、今、そうなっちゃってるだけだから…………」

「……」


首筋に、生温かい粒が零れ落ちるのを感じた。
(泣いてるのかな)──。
興味本位でその顔を覗き込もうとした瞬間、根元はバッと顔を上げ、正面からヒナの瞳を射抜いた。
その目は真っ赤に充血し、極限の精神状態で辛うじて形を保っている。


「あ……」

「いい? ヒナちゃん。……私のわがまま三か条。──」

「──……まずは、日高さんにいちいちツッコまないこと。……それから、絶対に見捨てないこと。──」


言葉が一度、嗚咽に詰まる。


「──最後に、日高さんを…………救ってあげること。──」

「──ご褒美は用意しないけど、……この三つだけは、物につられないで守ってほしいな。…………私のわがまま、許してくれる?」

「……アニメみたいなセリフ。……つまりあんなのにふど(・・)しろってこと?」

「……今の時代に『忖度(・・)』読めないの、ヒナちゃんくらいだよ! もう……。──」


「──……約束、いいかな……」

「うん。ネモがいいなら、なんでもいいよ」

「……ヒナちゃんっ…………」



 二度目の抱擁はなかった。
それで十分だった。
根元と交わした約束の重みで、ヒナの心は、桃色パーカーの柔らかな残り香を、飽和するほど満たされていたから。
根元を支え続けると決めた以上、たとえ日高小春がどれほど支離滅裂でうざいヤツであろうとも、その存在を否定することは二度とない。

蛇口から、ぽつんぽつんと滴る水滴。
つい先刻、あの女が『透明なイクラが~』とほざいたせいで、その玉粒がどうしてもイクラの群れに見えて仕方がなかったが、不思議と腹は鳴らなかった。
思考すらも侵食されない。


「……よし。気を取り直して。自販機、行こっか」


ヒナの柔らかい頬を、根元が小さく突いて微笑んだ。


「え。……アイスミルク……買ってくるの?」

「うーん、紅茶花伝でいいでしょ。……って、私までずいぶん投げやりな態度になっちゃってるね。あはは……」

「はは。ウケる」


超能力という万能の力をもってしても、決して動かせない重石がある。
それを、この空間で少しだけ学習したのだろうか。
ヒナもまた、短く笑みを返し、現実へと続くトイレのドアを押し開くのだった。


 ──ガチャッ


「……ところでヒナちゃんさぁ」

「ん? なに──」


      !!ババババババババ!!
  !!バババババババババババババババババ!!
!!!!!ッバババババババババババババババババババババッ!!!!




────目の前で『マイトランチャー』ニ十発が迫ってくる、その現実へと。



💘◆👾


【beatmaniaIIDX 10th style】

【♪『Daisuke』】

譜面難易度 BEGINNER NORMAL HYPER ANOTHER
SP 3(304) 6(613) 8(850) 10(1205)
DP - 5(660) 8(858) 11(1208)



「え…………。え、え……」

「……なに、これ」

「……はぁはぁ……ウゥッ……!!!」


 煙立ち込める渡り廊下。
二、体、一。距離にして五メートル。
三人が共有した唯一の思考は、『理解不能』という名の断絶だった。

なにせ、片や。
至近距離から放たれたマイトランチャー全弾を、『見えない力』の障壁でねじ伏せ、反射的に天井へと叩き返した──超能力者、ヒナ。
また片や。
自販機の飲み物を待つはずの時間を、冷徹な奇襲へと塗り替えた──自称サイコソルジャ~()、日高小春。

意味こそ違えど、互いの予測を凌駕した非日常の応酬に、三人の時間は永遠にも似た膠着に囚われる。
その沈黙を切り裂き、震える声を絞り出したのは根元だった。


「……え、え? ……あの……日高さん? ど、どうし──」

「バレないと思ったわけッ?!!! どうして私の陰口言うのさ!!! 会ったばっかだっていうのにィッ!!!」

「え」


否。
『この場を支配した一言』という定義ならば、先手を取ったのは間違いなく、日高に値する。
硝煙のヴェールが剥がれ、徐々に輪郭を現すその女。
彼女の喉から搾り出される言葉は、真っ赤に充血した瞳孔が放つ殺意そのもの。
血脈を逆流させるような、どす黒い恨み節だった。


「……いや、そりゃあ……物理的には聞こえてないけどさぁ……。分かるんだってば!!! 言ってたんでしょ!!! 『あんなのさっさと殺そうぜぇ~』とかさ!!!」

「え!? そんなこと、言ってな──」

「『なじみちゃんと黒崎殺したの、アイツだろ』とかさァッ!!! 信じられない……信じたくない信じたくない信じたくない聴こえたくないッ!!!!」

「え、え……えぇ?! ……日高さ、わ、私──」

「うるさいうるさいうるさいうるさいッ!!! 言葉なんて、私を欺くためだけの不潔な道具!!! 文字とかこの世から一文字残らず消えればいいのにッ!!!」

「……ひ、日高……さっ」 「……ッ」


あまりの剣幕に、根元の心臓が止まりかける。
ヒナの無機質な視線すら、今の彼女には届かない。
日高に映るのは、ただ、哀れな運命を背負わされたプリンセスのみ。


「私は……これまでずっと……イイ子ちゃんを演じてさぁ。自分を押し殺して、必死に頑張ってきたんだよ…………。──」

「──いいじゃん、今日くらい……。今日くらいさぁ……私を一回くらい、羽ばたかさせてよぉ……」


──『哀れなプリンセス』とは、つまり自分自身のみ。
もう好き放題羽ばたき散らかしてるとは思うが、日高からしたら自覚など毛頭ないのだろう。



「ぁあぁあ……ぁあああああ……」

「ヒ、ヒナちゃん……!」 「……ッ」


宙を舞いほどける、日高の頭に巻かれた不格好な包帯が、解けて宙を舞う。
剥がれかけた人差し指の爪。それを自ら歯で乱暴に噛み締め──迷いなく、ブチりと引き剥がした。
激痛すらも覚悟へのインカムに変えた日高に、もはや迷いはない。

血に濡れた爪を吐き捨てた瞬間、その『無』から、現実を切り裂くような鋭利な日本刀が出現する。



「だああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああ!!!!! 矢口くんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんッッ!!!!!」


「「あッ!!!!」」



──日高小春の【ROUND 1】は、
────汚泥のような涙と、世界を呪う絶叫と共に幕を開けるのだった。



『秘剣 ツバメ返し』
 (↙️+⬇️+↘️→斬り)



「ヒナちゃんッ!! 動きを止めてぇえええええええええええええええええええ!!!!」

「ッ!!!」


──グイッ

「あっ?! ぁぅっ………」


 三か条の一つ、『救う』という言葉が、無惨に砕け散った瞬間でもあった。
ただ、宣戦布告されたとなれば自衛に動くが我が国・日本。
斑鳩をして『最高傑作』と言わしめたヒナの念動力──原子爆弾のような抑えつけの力が、日高の五体を強引に床へと縫い付ける。
見えない。逃げられない。何故動けないのかすら理解できない、物理法則を無視した理不尽な圧。
かくとうタイプの情念は、エスパータイプの前では、ただの無力な肉塊に過ぎない。
日高はたちまちのうちに、屈辱的に膝を折らされた。


「……がァッ…………、な……にぃこれぇ…………ッ。嘘つき……嘘つき嘘つき嘘つきィイイイイッ……!!!」

「は? 嘘つき?? バカかコイツ?!」 「余計なこと言わないでっ!! 集中してヒナちゃん!!!──」


根元は必死だった。
今、この瞬間に糸が切れれば、日高に肉の礫へと変えられる。
泥を啜るような絶望の中でも、彼女は最後まで『対話の力』を、血の滲む手で手繰り寄せようとしていた。


「──……ご、ごめん日高さん! わ、分かり合えてないところがあるなら……謝るからさっ!! だから一回だけ、落ち着いて──」

「うるさいッ!!! 誰も……みんなみんな、私のことなんて、これっぽっちも分かろうとしないッ!!!」

「だ、だから話そうって言ってるの!! その刀を下ろして、一回だけでいいから私の目を見て!! ……本当に、……もう、やめようよっ!!」

「だからうるさいんだってばぁッッ!!! 私をこんな、地面に擦りつけてる癖に……よくそんな綺麗な口が叩けるよね……! 白々しい、本当に黙っててよッ!!!」

「ィィィッ!!! だから話そうって言ってるでしょうがァァッ!!! なんでこんな話通じないわけッ?!! いい加減にしてよ!!! 日高さんッ!!!!」


 ギギギギギ……

「うわ~力強すぎ。……あの被害妄想女、どんだけ力んでるわけ……ッ?」


根元の怒号に近い悲鳴が、渡り廊下の空気を切り裂く。
もはや対話ではない。互いの精神を削り合うだけの、血の通わない殴り合い。
激情が臨界点を超えた地獄絵図の中で、根元が喉元までせり上がらせていた『言ってはいけない言葉』が爆発する瞬間は、もう目前だった。


 しかし、冷静に考えれば、対話など最初から愚策の極みでしかない。
空腹の鮫に、いくら自分がヴィーガンと説いたところで無駄なのだ。相手にとっては、ただの肉でしかない。
言語体系の異なる生物を前にして、言葉など盾にも矛にもなりはしない。
ただ、水中という絶望的なフィールドで無様に、滑稽にもがき、鮫の牙に血骨を露出するのみ。

──すなわち。今のカウカウファイナンス内部は、彼女たちにとって逃げ場のない、完全なるアウェイ。

呼吸すらままならない息苦しさ。
そのビジター感を察し、即座に撤退を選べていれば、まだ生存への道筋は拓けていただろうに。


 ギギギィッ──
   ギギギ…………

「ネモ、もうさ。……殺しとかはNGなのは分かってるけど。ちゃっちゃと片付けちゃわない? 飽きてきた」

「…………待って。……私に、ちょっとだけ……考えさせて」

「いや、考えるもなにも。……わたしもそろそろげ──」

「こんなッッ!!!」

「「え」」


「こんな、しょぼいゲーム(バトル・ロワイヤル)なんかでェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエッッッ!!!!!!!!!!!!!」



 バッ────。


 ────残響。


 もう一度、振り返る必要がある。
ヒナの念動力は、斑鳩をして『最高傑作』と言わしめた超越の力。
未来の日本を壊滅寸前まで追い込んだ、近代科学が生み出した仕様外のバグなのである。

半端な質量では動かすことすら叶わない念動の檻を、ただの気合()のみでこじ開け、日高は一瞬で距離を詰める。
瞬く間に、ヒナの眼前へ。
──そして、血に塗れた二本の人差し指を、ヒナの耳穴へと、躊躇なくズボリと。


「がァ」

「え」


指の付け根まで──ヒナの脳髄位置まで深々と突き立てられた指は、『最強』と謳われた未来の設計図を、ものの見事に書き換える。


 振り返る。振り返るのだ。
脳をかき回された衝撃のまま、日高はヒナの頭部を強引に、根元の方へと一八〇度ねじり向ける。
白目に覆い尽くされ、焦点も知性も消失したヒナの瞳孔。
それと、根元は清く正しく、視線を合わせられ、

振り返させられて────、



➡️

↘️

⬇️

↙️

➡️

⬅️


🅰️

🅱️




──技名:『 聖域(サンクチュ)・ログイン:純愛(ピュアラブ)脳内(インサイド)コンティニュー』



「────Daisuke()


「いぃいいいいいいいいいいあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」



💞◆👾


 正常な判断能力をデリートされた根元が、這走の果てに転がり込んだのは、ビル内の薄暗く狭隘な物置部屋。
震える手でドアをロックし、気休めにもならないスチール机をバリケード代わりに引きずる。
残された生存ルートはただ一つ。
両足の粉砕を覚悟した、窓からのパルクール脱出以外に道はなかった──。


 ──バンッ、バン


「どうして……どうしてぇええええええええええええ!!! お願いだから開いてよ……開いてよぉおおおおおおおおおおおおおお!!!!──」

「──ぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」


だが、神は道の舗装すらも放棄していた。
その窓は、開閉を拒絶する嵌め殺しの防弾強化ガラス。そもそもにして、開け閉めに必要な取っ手すら皆無。
拳の感覚が麻痺し、骨の軋む音が響くまで殴り続けたが、下界への慈悲は一筋も灯らなかった。


「いやああああああああああああああああああああああああああああああッああぁぁぁああああああああああああああああ、ああははあぁぁぁぁぁ…………ぁぁぁぁあああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!」


乱れたピンクのツインテールが、絶望の振動に虚しく揺れる。
眼球がこぼれんばかりに見開き、喉奥を裂く勢いで咆哮を上げても、透明の壁には傷一つ付かない。
ただ脳内のスクリーンには、呪いの日本人形と化したヒナの残像をバックに、コンピュータウイルスのような『\(^o^)/オワタ』の文字が全画面で高速点滅し続けるのみ。

──スマホの液晶は、あんなにも容易くヒビが入るというのに。
顔面を死人のように染め、しばし現実を殴り続けた根元だったが、


「あああああああああああぁぁ、ぁああああああああああああああああああああああ──」

「一応さ、ヒナちゃん言ってたよ。『ネモ、今までありがとう。私が死んでも闘い続けてね。あの憎い女の仇とって。約束だよ!! バイバイ!!』……遺言ね」

「ア」



ガラスに反射した『その輪郭』を捉えた瞬間、根元の瞳孔から光が完全に消失した。



「そんな叫びたいなら、まず被害者に謝ってからだよね。……って言わせないでよ、もうっ!!」

「…………ぁ、ぁ。……」

「……あ、ごめん。今のは言い過ぎたかな。……言い過ぎ、かなぁ? もぉ~分かんないんだってばぁ!!!」

「………………。──」


「──……お願ぃ、…………っ」

「うぇ?」



 ──もう、振り返る必要はない。
魂の燃え尽きた根元は、ズルズルと崩れ落ちた末、言葉の形を保てないほどの震えを漏らしていく。


「……う、ぅうっ…………ひぐっ……!!……れ、抵抗も……うら、恨みも…………しない……から…………。……ひ、ひだっ……さんのこと、……ぜったいに、責めない……からぁ…………っ」

「うぇえ???」

「……た、助けてなんて……言わない、から…………。おねが、い…………っ。──」

「──……楽に、殺して……くださ、ぃっ………………!」

「うぇ。……えー…………」


この終わらない悪夢からログアウトすることだけを願う、廃人のような懇願。
それは、根元陽菜が自分という存在を完全に放棄した、事実上の完敗宣言であった。
両手で顔を覆い、指の隙間からどろどろと涙をこぼし続ける、哀れな子羊。
片や、(スマブラですら、敗者ファイターは不貞腐れ拍手するのに……)とでも神目線で見下ろす日高様。
勝敗は、拳も、ましてや対話すら交わすまでもなく、決定的な断絶としてそこに浮き上がっていた。

ただ、勝者の余裕か、あるいは鬼の目に宿った一滴の慈悲か。
心の底から叩き折られ、ただの人形に成り果てた根元を見て、日高にも何かが去来したのだろう。


「…………なんだろ、意外。……そんな反応、されると思わなかった。普通に、ちょっと……辛いかな。…………迷惑かけて、ごめんなさい。根元さん」

「……うっ!! うぅうっ……!! うっ…………」

「……もっと、たくさん話を……しておけばよかったかな。…………うん。分かった。……一瞬で、終わらせてあげるね」


思考を放棄し、震え続けるだけのピンクヘアーへ。
日高の冷え切った指先が、聖母のような慈しみをもって、その髪をそっと一撫で。


「ヒッ。……ヒ、ヒナちゃんっ……。怖い……怖いよ…………嫌だよ……」


彼女の遺言を丁寧に聞き届けた後、それこそ流れ作業をするかの如く、


──BAANNNNNNッッッ!!!
──頭部を鷲掴みにすると、防弾ガラスへと、力任せに叩きつけ。

「ァアアガッ」


──強化ガラスが悲鳴を上げて大破。
──砕け散り、窓枠に鋭い牙のように残りしガラスの残骸。
──そこへ、ぐったりと項垂れる根元の喉元を、迷いなく──GUSUッッッッと。

「──────」



散れる血飛沫。
重力のままに床へ沈み、ビクンビクンと、肉体の反射だけが四肢を震わせる。
散乱するガラス片の上に、根元が愛した桃色のパーカーが、どす黒い赤に染まって重く広がっていく。


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──技名:『純潔乙女の終焉告白:分からせプリンセス・ハメ殺し』



「……セルフツッコミごめん。『慈悲』ってなんなんだろね。──」

「────Daisuke()



以上、二名の究極奥義(フィタリティ)の執行完了。
根元陽菜とヒナは、バグった闘姫の独りよがりな情念によって、何の意味もなくその生涯を閉じた。



【ヒナ@ヒナまつり 死亡確認】
【根元陽菜@私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い! 死亡確認】
【残り53人】


………………
…………
……




 あれから、日高はどうにも気が重くて仕方がなかった。
泥濘のような罪悪感から、彼女は一度たりともカウカウファイナンスを振り返ることなく、血の足跡を引きずりながら歩く。
もっと、別のやり方があったかもしれない。
あんなに乱暴にしなくても、優しく終える解決策があったはずなのに。

そう、自分と空想内の橘右京を責めつつ。


「痛いよ……爪ぇ…………。え? なに……いつ剥がれたの…………痛いよぉ…………っうえぇ~~ん!!!」


サイコソルジャー(超能力者殺し)】の称号を得た日高小春は、指をしゃぶりつつドラッグストアへと向かう。




【🟠STATES🔥】

【1日目/カウカウファイナンス前/AM.06:40】
【日高小春@HI SCORE GIRL】
【状態】前頭葉損傷による思考回路完全崩壊、「私、可哀想」という自己愛のオーバーフロー、頭痛(軽)、右人差し指爪完全剥離
【装備】レーザー銃@ハイスコアガール(スペースガン)
【道具】なし
【思考】基本:【マーダー】
1:皆殺し。
2:悪い参加者を成敗する私は、この物語のヒロイン。でも「誰が悪か」を考えるのは疲れるから、私以外全員死ねば、世界は平和になるよね? 違う?
3:私がこれだけ活躍したら、矢口くんも振り向いてくれる……かな。
4:大野さんならこのゲーム、どう攻略するんだろう。
5:…………なじみちゃんとヒナちゃんと根元さんを殺しちゃった。
6:警察に捕まりたくない。お父さんに怒られたくない。もう、全部嫌。
7:私以外の、呼吸しているもの全部消えろ。消えろ。消えろ。




前回 登場キャラ 次回
094:『君の瞳にアイ・ラブ・ユー 096:『黒船《ペリー》がやってきた!
087:『GAME OVER 日高っち♡
083:『ヒナ・まつり ヒナ
083:『ヒナ・まつり ネモ
最終更新:2026年04月12日 18:12