赤く熱い鼓動(前編) ◆gry038wOvE



「……寄せ集めが二人。この俺に勝てると思ってるのか?」

 血祭ドウコクは、眼前の仮面ライダーダブルとウルトラマンネクサスへと言い放った。

「だから三人だって言ってんだろ!! ……ったく」

 二人しかいないように見えるが、仮面ライダーダブルは左翔太郎フィリップの二人の意識を内在する戦士である。一方のウルトラマンネクサスは佐倉杏子が変身しており、彼女自身も、ダブルの登場にはまだ驚愕しているようであった。
 だが、ドウコクを倒す仲間としては、やはりダブルの存在は心強い。心強い一方で、折角逃げたのだから逃げ切ってほしいという複雑な心境でもあった。ここに来てしまった以上、引き返せというのもナンセンスな話だが。

「どうするか、フィリップ。逃げ場は完全になくなっちまったみたいだぜ」
『どうするもこうするも……これで倒す以外の選択肢、あるかい?』

 フィリップは呆れたように、しかし頬を浮かしながら答えた。
 翔太郎が無茶をする事にフィリップは慣れていた。

「そうだな、それが唯一にして……」
『そう、完璧な答えだね』
「『ハァッ!!』」

 仮面ライダーダブル・ルナトリガーは声を合わせ、再び何発もの弾丸をドウコクに向けて放つ。
 一発一発が不思議な軌道を描き、ドウコクの身体の表面で爆ぜる。ドウコクはそれを全て全身で受ける。
 避ける隙がなかったわけではない。避ける“意味”がなかったのだ。
 その弾丸を受けながらも、ドウコクは平然としながら前進する。走るような素振りは見せず、威風堂々、全身を揺らしながらゆっくりと歩いている。
 そのあまりの豪快さと身体の硬さに、やはり強敵の貫禄を感じ、ダブルは息を飲んだ。

(……ただ、その完璧な答えを通用させるには、少し難しい相手かもな)

 二人は鳴海壮吉の死から数えて三年戦い続けたとはいえ、翔太郎はまだまだハーフボイルドだ。
 しかし、目の前の敵は違う。どれだけの時を戦い続けているのかわからない。生まれた時から戦ってきたかのようにさえ見える。──果たして、日常生活というものを経験した事がある相手だろうか?
 昼夜を問わず依頼人のために働く体力のいる仕事・探偵を選んだ翔太郎も、所詮は人間のスペシャリスト並みの体力でしかなく、それを仮面ライダーとしての戦闘力と戦闘経験で補っているに過ぎない。


 ──だが、ダブルに向かって駆けてくる、このドウコクなる者は、そんな程度の力ではない。


 ヒトですらなく、ヒトらしい心さえ持たない外道衆。しかも、その総大将だ。縛る力の存在がその所以とはいえ、単純な戦闘力においても外道衆では最強と言える。これまで仮面ライダーダブルが戦ってきた相手は殆ど人間が変身した敵であったが、それらとはまた違った次元の敵であった。
 それが歩いてくるとなれば、それはやはり────恐怖を増幅させる能力の持ち主であるテラー・ドーパントの時に匹敵する恐怖が翔太郎の中にあったかもしれない。
 それでも、仮面ライダーである以上、ダブルは当然それに立ち向かわなければならなかった。

 その意思をより強くするため、再びメモリを変える。
 このまま遠距離攻撃をしていても、おそらくは何も効かないままに距離を詰められる。それより前にメモリをチェンジせねばなるまい。
 まず、防御の力も引き出しておいた方がいいだろうか。

 取り出したのはメタルメモリだった。

──Metal !!──

──Lunna × Metal !!──

 ルナメタルへとハーフチェンジしたダブルは、メタルシャフトの先端を鞭のように伸ばし、ドウコクの身体へと届く。この攻撃はこの殺し合いに来て以来、誰にも使った事はない。つまり、ドウコクもこの戦い方を知らない。
 それが一瞬の翻弄へと繋がる。
 イレギュラーな攻撃に、ドウコクは一瞬対応に困ったようだが、対応はごくごく簡単な話──右手の剣を振るい、それを身体の手前に翳して攻撃を弾く。降竜蓋世刀の刃渡りは微かに少なく、それを受け切る角度としてはやや物足りないものだったが、仮に身体にメタルシャフトが届いたとして、小さな火花を散らす程度だ。ドウコクには効かない。

「ハァッ!」

 そんな攻撃の隙間に、近くにいたネクサスは高く跳び、ドウコクの頭を目がけて足を突き出しての落下を開始していた。ネクサスは、遠距離戦以上に肉弾戦を一つの武器としている。アンファンスキックである。
 ネクサスの攻撃に気づいたダブルが、メタルシャフトを引っ込め、ネクサスの身体にメタルシャフトが当たらないようにする。
 直後、ネクサスのキックは確かにドウコクの頭に命中した。それはある程度ドウコクに効いたようで、ドウコクの身体は自然と数歩後ろに下がった。

「ああ……?」

 だが、大きなダメージには至らなかった。むしろ、着地したネクサスの身体こそ、攻撃を受けた直後のドウコク以上に隙がある存在だったがゆえ、降竜蓋世刀がネクサスの身体を横凪に襲う。

「デュアッ!」

 辛うじてネクサスは身を翻す。それを避けたつもりだったが、胸元に微かに刃が命中した。
 胸元から小さな火花が散り、ネクサスの目が反射的にそちらに向いた。この火花は、ヒトならば真っ赤で膨大な血液だっただろう。避けきったつもりだったのに攻撃が届いていた。そのため、ダメージの程度がわからなかったのである。身体にどんな痕ができてしまったか──その確認のようなものを、本能が求めた結果かもしれない。
 しかし、そうして自分の傷跡を見た瞬間、更にドウコクの左拳がネクサスの頭部へと放たれる。
 これは避ける事さえもできない。見事に命中し、ネクサスは下半身が前に向きながらも上半身が殴られた方向に捻られる形になった。
 そこからドウコクは再び、降竜蓋世刀で左下から右上へと豪快に斬り捨てる。それは具体的にネクサスの身体の何処を狙ったわけでもない。ただ、その斬撃がどのくらい派手にネクサスの身体を仕留めてくれるかという楽しみがドウコクの中にあった。

「調子に乗るなよ?」

 大雑把な攻撃でありながら、効果は絶大だ。
 ネクサスの腹部から胸にかけて、今度こそ巨大な傷が残る。
 黒く焦げ、抉られたような傷が、アンファンスの銀色の身体では非常に目立つ。これこそ、ヒトならば骨まで見える大怪我……相当な致命傷だろう。

「デュァァァァァ……!」

 その呻き声は、痛みを訴えながらも堪えようという努めが見られた。
 ネクサスは地面に膝をついて、胸を抑える。
 二度目の変身とはいえ、初めて使う力には違いないのだ。突然その力を与えられ、まだ使い勝手に苦しんでいる杏子である。
 だが、ネクサスは顔をあげ、ドウコクを見上げる。
 距離、ゼロ。
 降竜蓋世刀は、真上からナタでも突き刺すかのように振り下ろされる。しかし、それに気づいたネクサスは、己の力の限りを尽くし、すんでのところで真横に転がって回避する事に成功した。

「フィリップ、俺達もチャンスだ……!」
『ああ……!』

 次の瞬間、ダブルとドウコクの間にいたネクサスが消えた事で、ダブルにも攻撃の隙が出来た。二人が攻防を行っているうちにダブルはサイクロンメタルへとハーフチェンジしており、メタルシャフトから旋風が放たれる。何度も何度もメタルシャフトを回転させながら、風を巻いた一撃がドウコクへとぶち当たる。
 しかし、俊敏であるように見えて愚鈍なその風は、あっさりと見切られ、降竜蓋世刀が跳ね返した。

「弱ぇな」

 ドウコクが呟く。
 やはり、弱い。手ごたえがない。
 シンケンジャーの方がよほど戦い慣れをしていただろうか。そんな思いが巡る。
 モヂカラを持つ者たちが世襲していくシンケンジャーは日々の修行を欠かさず、シンケンレッドなどは非常に長い期間戦ってきた。
 だが、彼らはどうか。モヂカラも持たず、戦い慣れもない。多少は慣れているとは言っても、せいぜい戦っていた期間はダブルが四~五年、ネクサスに至っては一年程度に見える。それはドウコクの中では戦い慣れとは呼ばれない。
 そんな敵に、人の一生より長い期間を戦い続けたドウコクが負けるわけがないではないか。……しかし、もはや手ごたえなど、ドウコクは求めていなかった。

「ハァッ!!」

 不意に、真横からドウコクに向かって、鋭い刃が向けられる。それは剣の形をしていない。ネクサスの腕の側部を覆うアームドネクサス──そのエルボーカッターであった。
 アームドネクサスは低い位置からエルボーカッターを使い、ドウコクの首筋を狙う。
 おそらく身体構造は同じ。ならば、急所も同じだと考えたのだろう。
 だが、降竜蓋世刀はそれを平然と防ぐ。今度は刃渡りも角度もドンピシャである。ドウコクの身体には刃が当たる事さえもなかった。
 これだけの姿になりながらも、余程の勇気をもっての一撃と見える。

「グァァァァァァッッ!!!」

 ドウコクは咆哮する。
 それは身体の痛みから来るものでも何でもない。ドウコクの攻撃の一つであった。
 咆哮は衝撃波となって、ネクサスの身体を遠く吹き飛ばす。ある程度の距離をキープしていたはずのダブルでさえ、左足が下がり、両手を体の前で組み耐えているほどである。
 再び、近距離にあったはずのネクサスとドウコクの間が広まった。
 ネクサスは後方に倒れ、本人の意思を無視して衝撃に転げた。


 その様子を見て、ダブルが呟く。

「……クソッ。なんて奴だ」

 てっきり近距離攻撃のみを武器とするのかと思っていたが、衝撃波を操るなど、もはや反則だろう。ダブルほど多彩ではないものの、ダブルが持つ全ての姿の力を超える圧倒的な力をドウコクは持っている。
 近距離の斬撃。遠距離の咆哮。
 かなり難しいところだ。翔太郎は考えていたが……

『……翔太郎。さっきから気になってるんだけど』

 不意にフィリップが突然に口を挟んだ。

「おい、なんだフィリップ。まさかこんな時に桜餡子について調べたいとかいうんじゃねえだろうな」
『それもいいかもね。……だけど、翔太郎は杏子ちゃんの姿に疑問に思わないのかい?』

 ──疑問。
 一口にそう言われても、翔太郎には、思い当たる節が多すぎて一体、どの疑問なのかわからない。
 だいたい、戦闘中には仮にどんな疑問が出たとしても、それは全てフィリップに任せる方針だった。この身体が翔太郎のものである以上、ダブルの今の戦いは翔太郎の命がかかった戦いでもあるのだ。

「なんの疑問だよオイ。いろいろありすぎてわかんねーよ」
『あの銀色の巨人の姿、前に戦った時は確か、別の色になってガドルたちを圧倒した……』
「ああ、そうだな」
『じゃあ、今の彼女の姿を見てごらんよ』

 ダブルはネクサスの方へと目を移す。
 確かに、考えてみれば、以前姫矢が変身するウルトラマンネクサスと共闘した際、ネクサスは肩に装甲を拵え、全く別の体色の姿へと変わった。
 赤を基調とするボディラインへと変化した事はよく覚えている。ヒートメタルとは配色こそ異なるものの、基調となる二つのカラーは同じだったはずだ。

「今の杏子は……全身銀色だ」
『そう。本当は別の色に変身する力があるはずなんだ』
「……そうか、俺達のハーフチェンジみたいに……」
『ああ。おそらくそれは、あの戦士の力を引き出す鍵なんだ。でも、杏子ちゃんはそれに気づいてない』
「……なんだって?」

 そう、以前フィリップが言ったとおり、あの力が引き継がれていくものだとすれば、彼女が力を引き継いだのはつい数時間前。まだ彼女が使い方を知らない可能性だってあるはずだ。
 いや、可能性なんかじゃない。ほぼ確実にそうだろう。先ほどから、ネクサスは非常に単調な攻撃しかできていない。魔法少女の姿の方がトリッキーで様々な攻撃ができていた。
 それは彼女がネクサスの力の使い方をよく知らない所為もあろう。

「そうか。ならとにかく、それを杏子に教えてやらねえと……」

 ……と、翔太郎が言った瞬間である。





「……何を教えるって?」





 ドウコクはダブルの近距離に迫ってきていた。
 翔太郎とフィリップは普段、会話しながらも周囲に気を配るくらいはできた。だが、ドウコクの咆哮が耳鳴りを起こさせており、何より会話のために聴力をフル稼働させる必要があったのだ。
 そのため、視覚に気を配るのを一瞬でも忘れさせていたのである。その一瞬が、ドウコクを近距離まで歩かせていた。ドウコクのマスクは喜怒哀楽の怒の表情のみを拵えたような恐ろしい外形である。
 やはり、近距離で見れば鼓動が高鳴り、翔太郎の中で一瞬、時が止まるほど恐怖に満ちていた。

「くそっ!!」

 ドウコクは降竜蓋世刀を振り下ろす。幸いにもサイクロンメタルの姿をしていたがゆえに、左半身に力を込めてそれを防いだ。硬質化したメタルの左半身は敵の攻撃を簡単には受けないほど硬い筋肉に覆われている。確かに、多少は衝撃を感じたものの、防御に関してはサイクロンメタルは卓越している。
 ダブルは左手で攻撃を防ぎつつ、右手でサイクロンメモリをヒートメモリに入れ替えようとしていた。

 しかし──

「しゃらくせえ!」
「何っ!?」

 そんな右手とベルトのやり取りは、ドウコクの蹴りによって防がれる。
 ドウコクの蹴りはダブルの右手へと命中し、その手に持っていたメモリを弾いた。腹部にこの蹴りがぶち当たれば、かなり膨大なダメージを与えたかもしれないが、ドウコクの目的はダメージを与える事ではない。
 ただ、ダブルの小細工を防ぎたかっただけである。

「あっ……くそっ……ヒートメモリが……!!」

 ヒートメモリが宙を舞い、ダブルからは数メートル離れた地面にぽとりと落ち、少し跳ねた後、動かなくなった。たかが数メートルの距離とはいえ、そこまでの間にはドウコクがいる。こうしてハーフチェンジを防がれるのでは、ルナメモリも使えない。
 ヒートメモリはソウルサイドのメモリだ。仮面ライダーダブルに変身した事でこちら側に実体化していたメモリなので、おそらく壊されない限り、変身を解けばフィリップの元へと帰るだろう。しかし、今はそんな暇がない。変身を解くなど自殺行為だろう。
 ドウコクには特に有効であるヒートメモリがダブルの手を離れてしまったのは痛手であった。
 それに、現状変身しているサイクロンメタルというのは、ダブルが持つ九つの形態の中でも、二つのメモリの相性が特に悪い最悪の組み合わせなのである。戦えない事もないが、使用はだいたいの場合一瞬の翻弄に終るのである。



 ドウコクは、サイクロンの側からメタルの側を斬りつけるように横凪ぎに刀を振るう。

「ぐああああああっっ!!!」

 ダブルの身体にもまた、深い傷跡が刻み込まれた。
 防御力が高いメタルの身体を持ちながらも、やはりドウコクの魂のこもった一撃は違う。真の闘士はドウコクであった。
 同じ闘士であっても、彼は数百年来の闘士なのである。

『大丈夫かい!? 翔太郎!』

 痛む翔太郎の身体の身を、フィリップが案じる。
 そのフィリップの弱弱しい心配の声を聞き、ドウコクはニヤリと笑った。

「一人の体に二人の頭。煩わしいだけだと思ったが……最高じゃねえか、一人で二人分の悲鳴を挙げてくれるんだろ?」

 そう、もう一人の人格はこの状況下では戦えないらしい。ダブルに変身して戦っている限り、彼はもう片方の男が死ぬのを見続けるに違いないのである。
 前々から翔太郎もドウコクを悪趣味だとは思っていたが、尚更それが憎く感じる。彼に対する反発心は充分だった。
 ともかく、もとより死ぬ予定はないとはいえ、死ねない理由は更にもう一つ出来たというところだろうか。自分が死んでフィリップが悲鳴をあげるのなら、それは相棒として事前に食い止めていくべき話だろう。

「違うね……そんな悲鳴をあげるのはお前の方さ……」

 ダブルは、ドウコクの真後ろを見てそう言う。
 立ち上がったネクサスが、ドウコクの両肩を後ろから掴み、自分の方へと寄せた。ダブルには、ネクサスがドウコクに向かって駆けてくるのが見えていたのである。
 次の瞬間、ドウコクの胸へとネクサスのアンファンスパンチが繰り出される。

「……バカな野郎だ」

 しかし、それは予測済だったのだろうか。それと同時にネクサスの体を剣が凪ぐ。タイミングは見事なほどに合っていた。ネクサス自体が、半ば捨て身で向かってきた所為もある。

「危険が迫ってるのをわざわざ教えてくれてありがとよ……!」
「くそっ……!」

 翔太郎の台詞こそが、ドウコクに直前でもネクサスの攻撃を予測させる原因になったのだ。

(ちくしょう……すまねえ、杏子)

 我ながら余計な事を言った、迂闊だった、と後悔し、杏子に申し訳なく思う。
 戦略的に無意味な恰好付けにしかならなかったのだ。いつもの癖で言ってしまったが、そんな余裕のある相手ではなかったらしい。

「グァァァッ!!」

 直後に聞こえるのはネクサスの雄叫び。
 再び体に深い傷を負ったネクサスは遂に膝をつき、肩で息をしていた。肩で息をする姿というのがこれほどまでにわかりやすいものだとは誰も思わないだろう。呼吸をしているかもわからないネクサスだったが、明らかにゼェゼェと息をしているようである。

 ピコン…ピコン…ピコン…ピコン…ピコン……

 そして、そうして大きく息を吸い、大きく吐いていると、奇妙な音が鳴り始めた。
 まるでタイマーの点滅のような変な音であった。
 どこから鳴っているのかと思えば、それはネクサスの胸にあるY字型のエナジーコアからである。

「おい、杏子。なんかヤバいみたいだぜ……!」

 ザルバが言う。
 ネクサスは己の胸元で点滅を始めた光にぎょっとしたように目をやった。
 エネルギーの限界とダメージの蓄積が来ている事の証明である。それを教わったわけではないが、自分の状態が限界に近いのは理解していたため、何となくそれがウルトラマンとしての限界を表しているのだろうと理解できた。
 ウルトラマンネクサスの活動時間に特に制限はない。メタフィールドを展開した場合、メタフィールド内での活動時間は3分に限られるが、この場所では枷となるものはなかった。しかし、エネルギーの消費が激しい場合や、身体的に膨大なダメージを受けた場合の話は別である。

 続けて、ドウコクは先ほど向いていた方向へと向き直り、ダブルの体へと斬りかかる。
 頭の上で真一文字に斬りかかろうと言う姿勢だった。

「その身体……真ん中から真っ二つに引き裂きたくなるのが情って奴だよなァ」

 笑ったような声とともに、サイクロンとメタルの狭間の線をなぞるように、ドウコクの剣はダブルの身体を斬る。稲妻か業火か、ダブルの身体に光が迸る。
 無論、ここから翔太郎の悲鳴が聞こえないはずがなかった。

「ぐあああああああああああああああああああああああああッッッ!!!!」
『翔太郎ぉぉぉぉぉぉぉッッッ!!!』

 ぷすぷすと身体の狭間から仄暗い色の煙が昇る。
 ドウコクの目的とする悲鳴の連鎖は、まだまだ終わらない。これだけ敵が巨大なダメージを負っている今、その隙は一秒前より確かに大きいものとなる。
 痛みに倒れるダブルの身体に、二度三度とドウコクの刃は通る。
 火花はあまりにも巨大だ。
 翔太郎とフィリップの悲鳴は止まない。

 ドウコクは笑いもせず、極めて冷徹にその悲鳴を耳に通した。高笑いなどはしない。冷徹に追い詰めながらも、当人はその慟哭の中に悦びを感じている。
 翔太郎が憧れるハードボイルドから優しさを消せば、これと似ているかもしれない。無論、優しさのないハードボイルドはハードボイルドに非ず……ハードボイルドの定義からも外れる。翔太郎は、この宿敵を認めないだろう。
 数度の攻撃の後、ドウコクはその場に倒れる二人の戦士に攻撃を加えるのをやめた。

「……ぐっ! ………………あがっ………」

 ダブルは立ち上がろうとするも、全身の力が出し切れず、そのまま地面に身体を打ちつける。ドウコクは憮然と立っていた。
 ネクサスは立ち上がり、数歩よろよろと歩いて近づこうとして、また倒れた。ドウコクはそれを冷淡な目で見つめていた。

「さあ、どっちが先に死ぬ? 先に死にてえのは、どっちだ?」

 しかし、冷淡に見つめながらも、ドウコクは敵を散々痛めつける快楽の中にあった。
 これほどまでに長い時間を殺しながら楽しむ悦びなど、これまであっただろうか?
 ドウコクをはじめとする外道衆は、三途の川の水を身体に残さなければ、水切れを起こして三途の川へと帰らなければならない宿命を持っていた。
 そう、ついこの間まではドウコクは少しでも人間界に出れば、すぐに水切れを起こしてしまう厄介な体質だったはずだ。

 しかし、今は違う。
 薄皮太夫の身体をその身に宿したドウコクは、完全無欠の外道衆と成った。人間界でどこまでも暴れられる。敵を殺し、人の苦しみを聞く事で三途の川の水も増える。
 いや、それだけではない。
 三途の川を増水させて人間界に向かわせるよりも、ドウコクはこの戦いを愉しんでいた。
 今は、怒りを感じれば何処まででも敵を殺せるのだ。

「……いや、もう声も出せねえか」

 ダブルは小さな声を上げたが、それでもドウコクには聞こえなかった。ネクサスの言葉はドウコクには伝わらないため、ドウコクが向かったのはそちらになるのは必然だ。
 ネクサスは自分のいる場所から遠ざかっていくドウコクに近づこうとしたが、無意味に少し這うだけだった。
 エナジーコアはだんだんと点滅を早めている。
 もうすぐネクサスの変身が解けてしまいそうであった。耳触りなアラームは、更に音を加速させ、ネクサスの胸元で鳴りつづける。

「おらっ!!」

 ドウコクはダブルのメタルシャフトを取り上げ、ダブルの身体を蹴飛ばし、仰向けの体形に転がす。翔太郎の小さなうめき声がそこから漏れたが、ドウコクはそれに耳も貸さない。
 ドウコクはダブルの身体を両足でまたぐようにして立った。
 次の瞬間、垂直に突き立てられたメタルシャフトは、何度も何度もダブルの胸を、腹を、叩きつけるように振り下ろされる。身体を潰し、突き破るような一撃が真上からダブルの身体へと何度も繰り出された。
 ドウコクとしては、さながら餅つきでもするような感覚だっただろうか。

「ぐあああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッッッ!!!!!!!!!」

 翔太郎の身体の皮膚を、骨を、内臓を、突き破る気なのだろうか。
 ドウコクは、精一杯の力と体重を込め、メタルシャフトでダブルの身体を突く。突くたびに、地震でも起きたかのような小さな轟音がネクサスの耳にまで入ってきた。

「うらっ!! おらっ!!」
「ぐあああああああああああああああああああああああああああああッッ………!!」
「でかい声が出せるじゃねえか……!」

 先ほど、小さなうめき声しか出せなかったダブルとは思えないほど、その声は大きかった。どんなに口を閉ざそうとしても、痛覚がある限り絶対にその声を止ませる事はなかったかもしれない。あるいは、声が枯れない限り……永遠に。
 ドウコクはもはや、先ほどの問いの答えを知る気さえなかったかもしれない。
 ダブルの悲鳴は、三途の川へとどれほど響くだろう。

『やめろ……やめてくれ!!』

 魂のみが宿っているフィリップは、その時、翔太郎の叫び声と重ねながら、彼より大きい声で必死に訴えかけた。
 相棒を失いかけているフィリップの声は涙さえ混じっているように聞こえる。結局、ダブルの状態では彼が泣いているか否かなど、わかるはずもないが。

『やめてくれえええええええええッッッ!!!!』

 ドウコクの身体がメタルシャフトを振り下ろす直前に、フィリップは絶叫した。
 翔太郎が大声で叫ぶのが、一瞬でも止んだ隙に、ドウコクの耳に入るよう訴えたかったのだ。
 ドウコクは、その声を合図に、メタルシャフトを振り下ろすのを突然やめる。メタルシャフトがダブルの身体の上で少し跳ねた。

「……やめろ? それはどういう意味だろうな」

 実際、攻撃を止めてはいるものの、すぐにでもまた攻撃を仕掛けようと言う姿だった。
 一時的に止めただけで、フィリップの言葉を素直に聞き入れたわけではないらしい。
 かえって嫌な予感がしたので、二人はその静寂に冷や汗を流す。

「それは『殺すならあっちの小娘にしろ』って意味か、それとも『今すぐコイツを殺して息の根を止めてくれ』って意味か……二つに一つしかねえだろ? ……決めてみろよ。はっきり叫べば、俺はその通りにしてやる」

 ドウコクの提案──それは翔太郎たちにとって、最悪の二択だった。予想はしていたが、やはりドウコクの残虐性は翔太郎たちの次元からは遠く離れたものである。
 どちらであっても、ドウコクにとっては嬉しい言葉に違いない。
 ドウコクは殺し合いに乗っているが、無暗に殺しまくるというより、その悲鳴を聞き、人間の底の浅さに満足したかったのである。

(さあ、どうする……。さっさと見せろよ、人間の本性って奴を……)

 ドウコクがこれまで戦ってきたシンケンジャーは、自分の命を他人のために平然と捨てる連中だった。他人のために道衆と殺し合い、自分たちが命を落とす可能性があるとしても、それを頭の片隅にさえ入れず、誰かを守ろうなどと考える愚か者だった。
 ドウコクの仲間である骨のシタリはその姿を「外道衆よりも命を粗末にしている」と形容する事になったが、それは事実だろうとドウコクも思っていた。
 ドウコクたち外道衆は仲間の死にさえ冷淡で、感情らしいものは欠如していると言えるかもしれない。元々人であった太夫などを除けば、ドウコクのように真正の外道となる者が大半だ。
 しかし、どういうわけかシンケンジャーは、人の死にいちいち反応する。自分の命より他人の命を大切にする不可解な存在だった。
 それがドウコクを苛立たせる。

 他人の命は自分の命を賭してでも助ける価値がある? ──そうじゃないはずだ。そんなはずがない。
 自分の命のために他人を捨てられる──それだけ大切な命を消し去ってこそ、ドウコクは満足なのだ。
 その人間にとって何より尊い命を奪ってこそ、悲鳴は上がり、不幸は生まれる。
 だが、シンケンジャーたちはどれだけ痛めつけても何故か、絶対に他人を捨てようとはしなかった。そんな人間を殺しても絶望などは生まれないし、幸せそうに……満足そうに、非生産的に死ぬだけだ。
 ここにはそんな人間が何人もいる。
 それが、ドウコクには許せないのだ。

 ドウコクは認めない。
 それは絶対にありえないはずだ。ドウコクにだって命は大切なものだ。他人の命を犠牲にしてでも生きたい。
 本性はそうであるはずなのだ。
 それを確かめたい。そうであると信じているドウコクの思想を、絶対に塗り替えてはならない。

『翔太郎、僕は──』
「やめろ……フィリップ…………こんな奴に…………俺達は…………」

 ──俺達は負けない。
 そう言おうとした瞬間に、翔太郎の右胸をメタルシャフトが打つ。
 その一撃は、装甲の上からでも翔太郎の体の骨を折るほどではないだろうか。
 ドウコクは、とにかく何か口を挟む相手の妨害をしたかった。

「ぐあああああああああああああああああッッッ!!!」

 これでもそんな事が言えるか? と、まるでそんな事を言っているようだ。ドウコクは、彼が勝つ希望など無いというアピールをしている。
 それがまた、フィリップの迷いを強めさせる。実際、フィリップはいま一瞬、翔太郎に答えを乞おうとした。それは、彼が少しでも迷っている証だ。
 ここでドウコクが強いている答えは、時が経つにつれ重くなっていった。

「……答えが出ているみてえだな」

 しかし、その一方、ドウコクは彼は迷いなく、自分の意に沿った決断をしているだろうと思っていた。
 このフィリップという男は、ドウコクがどれだけダブルを痛めつけても痛みを感じてはいないようなのである。ならば、ここで悲鳴をあげる仲間を取り、ネクサスの死を望むに決まっているだろうと思っていた。
 ここで殺せというのは、相棒の苦痛を知り、安楽死を望んでいるという事だろうが、それはどちらかといえば可能性としては低い。
 他者を蹴落とし、自分の身を取るのが当然の局面だとドウコクは思っていただろう。

『…………』

 フィリップは、少し悩んだように黙った後、答えた。

『血祭ドウコク……すまないが、君の望む答えは、僕達からは出せないようだ』
「……何だと?」

 答えを出さない。それは即ち、苦しみから逃れる決断も、他人を蹴落とす決断も下さないという事。それは、ドウコクにとっては有りえない筈の決断だ。
 ドウコクの眉間に皺が寄る。

『……僕と翔太郎は、お前のような悪を討つ仮面ライダーだ! 僕たちは命を簡単には捨てないし、他人も犠牲にしない!』
「フィリップ……!」

 実はフィリップは一秒も悩まずにこの決断を下していたのだった。
 悩んでいるように見えたのは、少しでも翔太郎が痛めつけられる時間を伸ばそうと、悩んでいるフリをしていただけに過ぎない。
 苦しいが、フィリップは残念ながらそれしかできなかった。
 この決断は、翔太郎の意思でもあるだろうとフィリップにはわかる。これまで仮面ライダーとして戦ってきた彼が杏子を犠牲にして生き残るわけはない。
 たとえフィリップがその判断を望んだとしても、それを口に出したら、二人は永久に相棒でなくなるだろう。かといって、翔太郎を殺させる事もできない。
 二人は、二人で一人の仮面ライダーなのだ。
 どうあっても、犠牲は作らない。もし、犠牲が出来てしまう決断を選ぶ時があるとしても、今はその時ではないはずだ。

「……なるほど。てめえらも本当に不愉快な大馬鹿野郎だ……!!」

 目の前の敵もまた、シンケンジャーや姫矢と同じだった。
 彼らはこの状況でもまだ、命が助かるかもしれないとか、きっと何とかなるとか、そんな幻想を抱いているのだろうか。他人の命が自分の命より大事だと考えているのだろうか。だとすれば、それはまさしくドウコクを不愉快にさせる考え方だった。
 ドウコクはメタルシャフトを辺りに捨て、降竜蓋世刀を右手に握る。その刃を左手で一度なぞり、刃こぼれがないのを確かめる。
 強く、強く握った。
 まだチャンスはある。
 直前になればもっと巨大な悲鳴で喚き、「俺達じゃない、あいつを殺せ」と騒ぐはずに決まっている。
 ドウコクはそれを信じて、刀を真上に掲げる。
 次の瞬間、その刃はダブルの身体に向けて振り下ろされる事になった。






 ウルトラマンネクサスは、這いつくばったまま右手を前に伸ばした。必死に地面を掴み、右手に力を込め、少しだけ前に進む。うつ伏せに倒れたネクサスは、己の身体にある僅かな力を前へ前へと少しずつ出すしかなかった。
 顔を上げて見てみれば、ドウコクは倒れた仮面ライダーダブルの身体に、何度も何度もメタルシャフトを振り下ろし、体を突いている。────それは、彼女の身体から数十メートル離れた位置の出来事だった。
 歩くよりも遅く這って、そこまで辿り着く筈がない。日を浴びたアスファルトは、ネクサスの身体を少しずつ焼いている。

「……オイ、あんたも……あんたの仲間も……ヤバいんじゃないか?」

 指に嵌められたザルバは、少し焦りを見せながら言った。
 ヤバい──そんな状況なのは、一目瞭然だろう。翔太郎の絶叫はここまで聞こえている。
 結局、ほとんど赤の他人で状況すらよく掴めていないザルバにはわからないだろうが、ネクサスはかなりの焦りと絶望を感じながら、必死に身体を前へと出しているのだ。
 自分が死んでしまうからではない。
 このままでは、何もできずに死んでしまうからだ。何かを成し遂げて死ねるならいい。でも、このままでは、何もできない。
 翔太郎を助けられない。
 これから幾つもの命を救って行けるかもしれない翔太郎が痛めつけられているのに、彼を助けられないのだ。
 せめて、その命くらいは助けたい。
 ネクサスの身体はボロボロだ。

 ピコンピコンピコンピコンピコンピコンピコンピコンピコンピコン……

 エナジーコアの点滅はだんだんと早くなる。
 このまま這っていては、やはりあそこへたどり着く前にネクサスとしての活動は停止されてしまうだろう。

(ちくしょう……なんで……なんで助けられないんだよ……)

 杏子は思った。
 自分が死ぬわけではないが、その瞬間、まるで自分が死ぬ瞬間のような感覚に陥る。景色の全てがスローモーションで無音に感じ始める。
 そして、全身の疲労のせいもあってか、走馬灯というものが流れ始めてきた。
 まるで自分自身が死んでしまったかのような、長い映画が始まる。

 本当は助けるつもりだったのに、崩壊させてしまった自分の家族。
 父を、母を、妹を、救うための行動が、逆に自分の家族の命を奪ったあの時のことも。

 殺し合いに乗るつもりで一緒に行動し、時に敵と戦った仲間。
 フェイトやユーノを騙すつもりだったのに、いつの間にか二人の死が胸を刺したあの時のことも。

 杏子が魔法少女となって間もない頃に出会った友達。
 別れた後で、巴マミの死を聞かされたあの時のことも。

 それから翔太郎を運んで、出会った同じくらいの年齢の少女。
 杏子を諭し、許してくれたせつなが死んだあの時のことも。

 己の罪と向き合い、敵と戦う事を誓ったあの放送の男。
 杏子が駆けつけた時にはその男は敵に倒され、灰となり消えてしまったあの時のことも。

 それから先、杏子と少しだけ会話を交わして、不思議な共感を抱いた男。
 この力を明け渡し、杏子たちを守ってくれた姫矢の死を知ったあの時のことも。

 全てが罪悪感を伴った悲しい記憶として思い出された。
 こういう時、普通ならば自分の人生を呪うだろうが、彼女は少し違った。

(なんで、あたしはいつも……こう人を巻き込んじまうんだ……)

 杏子の家族は、きっと杏子が何も願わなければ死ななかった。
 マミは、杏子があのまま友達として傍に居続けていれば死ななかった。
 フェイトは、杏子が共闘を提案しなければ死ななかった。
 ユーノは、杏子が殺し合いに乗るために利用しなければ死ななかった。
 せつなは、杏子があの時逃げ出さなければ死ななかった。
 姫矢は、杏子が勝手に放送の男のもとへと駆けつけなければ死ななかった。
 そして、翔太郎は杏子がここでドウコクと戦おうとしなければ、こうして死の危険を受ける事もなかった。
 杏子の行動は常に裏目に出て、誰かを傷つけつけてしまう。
 自分の人生の理不尽ではなく、自分自身の存在の理不尽を呪った。自分の人生がどれほど荒んだ物なのかはいいのだ。ただ、自分が存在するだけで他人の人生が失われていく恐怖が増幅する。

(……なあ、神様…………たまには、あたしの願い通り、誰かを助けさせてくれよ……助けようとするたびに人が死ぬなら、償う事もできないじゃねえか……こんな酷い事ってあるのかよ……)

 誰かを助ける心が、世界に一度でも受け入れられた事があっただろうか。
 全て裏目に出て、杏子や周りを不幸にしてしまう。
 誰かを助けたいと思ってしまう心が罪なら、その罪を償う方法など最初からあるはずもない。誰かを助けようとするたびに誰かが死に、誰かが傷つく。
 誰かを救おうとする心が、必ずしも誰かを救う結果にたどり着くわけではないが、彼女の場合は状況を悪化させてしまうのだ。

(……やっぱり、あたしがあの兄ちゃんを助けようっていうのが間違いなのかもな)

 ────そう思った瞬間、ネクサスは這うのをやめた。全身の力が抜けたのである。月並みな言い方なら、一本の糸が切れたような瞬間だった。
 翔太郎には申し訳ないが、このまま助けようとする事こそが、また新しい罪を生む。
 杏子にできるのは、そうならないために「助けない」事であるように思えたのだ。
 そうすれば、きっとドウコクは翔太郎を殺した後、杏子を殺す。
 それでいいじゃないか。
 それで……全ては丸く収まるじゃないか。
 それで、あたしも楽になるじゃないか。

 エナジーコアが点滅を早めていく。今にも消えそうなほどに、その光は闇へと近づいていく。光の力が弱まり、ネクサスとして変身できる力がだんだんと失われつつあった。
 このまま眠ってしまうのも、悪くないかもしれない。
 いや、悪くないというより、それが最良の判断なのかもしれない。










「……オイ、アンコ。何で向かうのをやめるんだ?」










 指輪が、杏子にそう言った。
 そういえば、ザルバを嵌めていたのを忘れかけていた。こいつにも謝らなければならないだろうか。ドウコクについでとして破壊させるかもしれないザルバに謝罪の言葉をかけたいところだったが、そんな気力さえわかなかった。
 もうこのまま、何も聞かず、何もせず、何も考えないのが丁度良いと思えたのだ。
 それこそ、何もかもが裏目に出る人間の最期に相応しいではないか。

「……諦めるのか? お前にもあの悲鳴が聞こえるんだろ? お前には戦う力があるんだぜ? それなら、あの悲鳴を止める事だってできるはずだ」

 ザルバはそう言う。
 確かに、どんなに聴覚をシャットダウンしようとしても、簡単に消せる感覚ではなかった。杏子の耳には、いまだはっきりと翔太郎の悲鳴が聞こえる。エナジーコアの点滅音や、ザルバの言葉とともに、ひたすら生々しく翔太郎の声が届いた。

 だんだんとガラガラ声を交えているのは、声が枯れている証拠だろうか。
 それがまた、杏子の罪悪感を掻き立てる。
 お菓子でも食べて食欲を満たさなければ苛立ちで心がパンクしそうになる。

「……なあ、俺はあんたとはほとんど初対面だが、あんまり見ていられないんで、この際はっきり言わせてもらうぜ。──アンコ、お前は弱すぎる」

 どんな怒号が飛び込んでくるかと思えば、かなりバッサリと斬り捨てられた。
 怒号を期待していたせいもあってか、少し気が抜けてしまった。

(うるさい指輪だとは思ってたけど…………………やっぱり本当にうるさいな)

 杏子は苦笑する。
 このまま生きるのを諦めたというのに、ザルバはやたらと冷静だった。
 杏子が生きるのを諦めれば、ザルバも死んでしまう。だが、それにしてはザルバは冷静に杏子に語りかけていた。

「……でもな、どんなになっても、どんなに自分が弱くても、どんなに強い敵が相手でもな……誰かを救おうっていう意志がないと、誰も守れない。……俺はそんな強い意志で、自分より強い敵と戦った男を何人も知ってる。あいつらに比べて、今のあんたにはあの兄ちゃんを救う意志ってのが感じられないぜ」

 そこはやはり、冴島大河や冴島鋼牙など、あらゆる魔戒騎士──その最高位たる黄金騎士の相棒をやってきたザルバである。
 多くの戦士たちと出会い、ザルバは彼らがどうあってもホラーから人を守ろうとしている姿を見てきた。
 それに対して、こうしてすぐ諦めようとする杏子には、憤りも感じている。だが、それを口に出したところでどうにもならない。冷静に、なだめるようにそれを言う。

 そもそも、杏子は先ほどまで、ネクサスとして立派に誰かを救おうとして戦い、倒れてもなお這っていたではないか。あんなに必死で這って、誰かを助けようと進める彼女を、ザルバは応援したくなった。
 それを、何故諦めてしまうのか。それがザルバには理解できなかったのである。

(……確かに、助けようと思わなかったら、兄ちゃんは死んじまうだけかもしれない……)

 このまま放っておけば翔太郎は死ぬ。
 助けようとして死んでしまう事があるかもしれないが、仮に助けなかったとしても、翔太郎は死んでしまう。

「……まっ、まともに戦ったところで勝算はゼロだと思うがな。あのドウコクって奴、なかなか強い……鋼牙でも勝てるかどうかってところだ。だから戦うのはやめといたほうがいいな。助けてやるなら、それ以外の方法で助けるといい」

 実はザルバの知る鋼牙は、ここに来ている鋼牙より少し前の鋼牙である。
 本来、バラゴを倒した後のザルバならばバラゴの事など知る由もない。戦闘で破壊され、記憶を失って修復された新しいザルバなのだから。
 しかし、実際問題、ドウコクは十臓などと渡り合える剣の達人であり、場合によれば鋼牙とも充分に渡り合える相手に違いなかった。

(戦って勝つ以外……? 一緒に逃げるってのか?)

 そういえば、杏子は先ほどまで、ドウコクがどこまでも追ってくる相手であると思っていた。
 だから、戦うしかないと思っていたが、戦ったら確実に負ける。
 そもそも、逃げきれる可能性を切り捨ててはならなかったのではないか。
 戦って勝つ可能性なんかよりも、逃げ切る可能性の方が何倍も高いのではないか。
 杏子は考える。
 そうだ。確かに、戦って勝つ以外にも、逃げるという方法はある。
 だが、この距離があるし、たどり着けるだけの力もない。
 しかし、まずは立ち上がらなければならないだろう。
 どうする。
 立ち上がらないでこのまま倒れるか、あるいは、力を出し惜しみして這いつくばるか。
 立てるくらいの力があるかもしれないと考えて、全身の力を体に込めるか。
 そのまま走ろうとできるのか。

 すぐに答えは出た。

 全身の力を両腕に込める。
 起き上がろうと立ち上がる。

 身体はふらふらだが、両腕に力がみなぎり、足にも力を送る。
 前にふらっと揺れたが、何とかネクサスは立ち上がった。
 エナジーコアが音を加速し、更なるエネルギーの消耗を示している。
 時間はない。

(──走れるか?)

 見れば、ネクサスの目の前で、ダブルに向けて剣が向けられ、振り下ろされようとしていた。ダブルは動けないようで、その攻撃に抵抗もできずに仰向けに倒れていた。
 やっぱり、ドウコクをあのまま放っておけない。
 ドウコクがダブルを殺すのを、ネクサスは止めなければならない。

(────いや、走るんだ!!)

 ネクサスは、身体の全エネルギーをかけて、走り出す。
 間に合うかはわからない。
 いや、間に合う確率は絶望的だ。この距離が空いていて、既にネクサスはよろよろと走るしかできない。ドウコクの腕はもうダブルに向けて振り下ろされようとしている。
 間に合え。
 間に合え……。
 必死に前へ前へと身体をふらつかせるように、手を振る事さえもできずにネクサスは走る。走るたびに、ネクサスは加速する。
 ゴールは近い。
 あの一撃をネクサスは防げるのか?
 それとも、防ぐ事もできず、ただ疲れたうえにドウコクとの距離を縮め、少し死期を早めて死んでしまうのか。


(……間に合え!!)



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最終更新:2013年08月21日 17:50