赤く熱い鼓動(中編) ◆gry038wOvE






 ──其処は、真っ白な空間であった。

『────どうして、力を貸してあげないの?』

 突然聞こえた彼女の声に、少女は驚いて顔を上げる。そこには覚えのある顔があった。
 しかし、彼女の問いに、少女は悲しい声を返す。少女には、彼女に返すべき言葉もない。
 少女は、かつて彼女と会った時とは考えられないほど無口に俯いていた。

『あなたの力があれば、彼女はあの人を助ける事ができるはずよ』

 そう、それは少女にもわかっている。
 わかっているけど、できないのだ。
 力を貸す事を、心のどこかがまだ拒否しているのだ。やらなければならないのはわかっているはずなのに、どうしてもできない。心が邪魔して、どうしても少女を突き動かす事ができなかった。
 迷い────そう、これは少女にとって最大の迷いだ。“彼女”にはもう悪い力はなく、近づくのを邪魔する物もない。だから、少女は“彼女”に力を貸してやる事ができる。そして、少女が抱える苦難を消し去る事もできるはずだ。
 少女は、ただ、自分の意思で“彼女”を遠ざけているのだ。
 その理由を、彼女もまた知っていた。

『……あなたの気持ちはわかるけど、それは私のためにはならないわ。そして、あなたのためにも』

 ……やっと出会えた大切なパートナーと離れたくない。彼女以外をパートナーとして認めたくない。──そんな思いが少女にはあったのだろう。
 ここにいる彼女が少女を見つけるまで、少女はずっと彼女の傍にいた。しかし、少女は彼女に近づく事ができなかった。
 やっとの思いで彼女をパートナーにする事ができた。
 彼女以外の人をパートナーとして認めたくないのだ。そんなプライドが、邪魔をしている。

「それだけじゃない……もう大切な仲間がいなくなるのは嫌だ!」

 それに、仮に“彼女”を新たなパートナーとして認めたとしても、少女にはまた別れが待っているかもしれない。──そんな恐怖もあった。
 大切なパートナーを失うのはもう嫌だ。
 もう二度と、パートナーを失いたくない。
 彼女が死んでしまったら、また少女は悲しむ事になる。

『……ねえ。彼女は今、必死に戦ってる。それでも彼女があの人を助けられるかわからないの。……だけど。あなたなら、私の友達の背中を押してあげられるでしょ?』

 少女の幼心が揺れ動く。
 自分にしかできない使命──そう、これは他の誰にもできない事だ。
 この少女に全ての責任がある。
 この先に起こる出来事が、少女の行動で大きく変わるのだ。

『迷わないで。あなたは私の立派なパートナーだった。……でも、次はあなたの意思で、新しい仲間を作るの。それに、私たちはいつまでも一緒よ』

 パートナーの激励が、少女の胸を打つ。

『……精一杯、頑張って。……アカルン』

 彼女のパートナー────東せつなは、最後にそれだけ言って、再びどこかへ消えた。

「……せつな」

 少女・アカルンは寂しそうに名前を呼んだ。
 せつなはもういない。アカルンは、キュアパッションとなる人間を選ばなければならない。
 だが、“彼女”こと佐倉杏子にせつなほど高いプリキュアの資質を感じてはいなかったし、次のパートナーとして選ぶには少し頼りなくも感じた。
 ただ、アカルンの力で手を貸す事くらいはできる。



 ────アカルンは、現実に戻る。
 目の前には、傷つける人と、傷ついている人がいた。

 そして、アカルンを持っているのは、それを助けようとする人だった。
 目の前で剣が振りあげられている。……それを助けられるのは、一瞬で距離を縮める瞬間移動の能力を持っているアカルンだけだ。
 アカルンの力さえあれば、ネクサスは一瞬でドウコクたちの目の前に瞬間移動する事ができるのだ。
 自分にしかできない。
 その使命感が、彼女の判断を後押しさせた。



「キィィィィ!!!!」



 ──彼女は、大きな声で叫ぶと、ウルトラマンネクサスとともにそこから姿を消した。








「………………なんだ?」





 ────ドウコクと仮面ライダーダブルの間に、謎の人影があった。
 いや、人の形ではないし、人の色ではない。
 不思議な三角形の頭に、銀色。────これはウルトラマンネクサスだ。
 ネクサスは、ダブルを庇うように現れ、ドウコクが振りおろした剣を左手で握っていた。
 どう走ってきたわけでもない。いや、そもそも走ってきたのかどうかさえわからない。突然、ネクサスがドウコクの目の前に現れたのだ。
 何もなかったはずの空間を、ネクサスが埋めていたのである。

「アンコ……俺は……信じてたぜ……」

 ボロボロのダブルは、半分笑いながらそう言う。心から笑っているのではなく、虚勢であるのは言うまでもない。
 しかし、その虚勢こそが、仮面ライダーダブルらしかった。どんな時でも笑える余裕くらいは持っておくべきものだろうか。ダブルは敵を茶化しながら戦う事もあったが、それは翔太郎が見せた虚勢であっただろう。

「……てめえ、どうして……」

 ネクサスの声がドウコクに伝わるわけもないので、ネクサスは無視してドウコクの腹に右手の拳でアンファンスパンチを見舞う。
 予期せぬ攻撃にドウコクは対応できず、数歩後退し、ダブルの身体から離れた。そんなドウコクに向けて、ネクサスは刀を投げ捨てた。

「……なんだか知らないが、今のはそいつのワープ能力か?」

 ザルバが訊く。
 ザルバも、こうなるとは予想していなかっただろう。
 ウルトラマンネクサスの身体は突然に瞬間移動をしたのである。

(いや、違う……これは……)

 杏子はこれがネクサスの力ではないのを感じている。
 この能力が覚醒したのは、そう────

(……ありがとう、せつな)

 杏子はその力を貸してくれた人の名前を思い出し、薄く笑った。
 これはせつなが杏子を追うために使った「アカルン」の力である。一瞬で別の場所に移動させる能力を持ったピックルンは、杏子を一瞬でこの場所まで移動させたのだ。先ほど聞こえた高く大きな声も、そのアカルンが杏子に発した声なのだろう。
 制限がかかっているとはいえ、少なくとも、アカルンは目に見える距離くらいは移動可能になっている。

 杏子自身も驚いていたが、アカルンの力を感じ取っていた。
 その暖かさに甘えながら、もう一度キリッと前を向き、ドウコクを凝視する。距離は充分離れていた。

──もう一回だ……行くぜ、兄ちゃん──

 杏子は念話を使って、翔太郎に言う。フィリップにまで通じたかはわからないが、とにかく翔太郎へとその言葉は届いた。
 翔太郎はここまで、ネクサスに何を言っても無視されてたので、「しゃべれるのかよ!」とツッコみたくなったが、声は出ない。
 ネクサスはダブルの手を握る。

「逃がすかよ……!」

 だが、ドウコクはネクサスの手を握った。
 ネクサスがダブルの手を握っていたのを見逃さなかったのである。
 おそらく、複数人の移動をする場合、こうして手でも握る必要があるのではないかとドウコクは睨んだのだ。

(……チッ)

 エナジーコアの点滅は、一秒に何回もという次元に達した。
 活動限界はあと数秒。このままでは杏子は生身の杏子に戻ってしまう。

「……デュア!!」

 ネクサスは必死でドウコクの手を振り払おうとした。
 だが、外れない。ドウコクは手をあまりにも強く掴んでいた。
 当然、ここまで痛めつけられ疲労したネクサスにはそれを放す術はない。
 限界は十分の一秒ごとに確かに近づいていく。

「……フィリップ。いくぞ」

 ダブルは、左手で、ドウコクが先ほど地面に投げ捨てたメタルシャフトを力強く握り、風を纏わせながら、ドウコクの腹を突いた。

「おらっ!」
「何っ!?」

 その風の勢いが思いのほか強かったのか、ドウコクは手を放して数歩分吹き飛んだ。
 これでドウコクの身体はネクサスから離れた。これでドウコクを巻き込まずに瞬間移動する事ができる。

「いまだっ!」

 ダブルに言われるまでもなく、アカルンは己の力を使う。
 エナジーコアの点滅が終わるまで、残り一秒というところの瀬戸際の攻防であった。
 そして、二人分の人影は、再びその場から消え去った。

 ドウコクが手を伸ばせば、そこにはもう誰もいない。

「……くそっ。三人まとめて消えやがったか……」

 ドウコクの苛立ちは尽きない。
 いや、むしろ水増しされていく一方だった。
 またも逃がした。……これで敵を逃がすのは何度目だろうか。
 今すぐにでも叫びたい気分になった。






 ある建物で、変身を解いた杏子と翔太郎は身体を休めていた。
 窓から杏子が覗いて、そこに居るドウコクの様子をよく注意して見てみる。……ドウコクはいつまでも風都タワーの跡地の周囲をウロウロしていた。

「……なんだよ。この距離が限界かよ」

 アカルンの力で移動した杏子は、そう嘆いた。アカルンは、少し萎れたように、申し訳なさそうにしていたが、制限があるので仕方がないだろう。

 これでは所詮時間稼ぎにしかならない。殺風景で何もなく、窓から辛うじて外を眺められるくらいのビルだが、風都タワーの跡からはそう離れていなかった。距離にして二百メートル程度。それも、おそらく二人分の移動で、連続でもあったため、移動できた距離は通常の四分の一か五分の一分程度ではないだろうか。
 放送を行ったモロトフもここからは見えない。彼は戦いの場を変えたのかもしれない。今はドウコクに注意を払いながら、身体を休めて対策を練るのみだ。

「せめてもう少し遠くなら気づかれずに逃げられたかもしれないが」

 ザルバも半ば絶望しているようだった。
 ドアがある場所は窓と同じ側だ。ドアを開けた瞬間にドウコクがこちらを見れば、彼もすぐに気づいてしまうだろう。
 素早く逃げる事など、二人がこの身体では困難。一瞬で距離を詰められ、殺される運命しかない。

「……このまま逃げるなら、結構辛抱強くアイツがいなくなるのを待たないと駄目そうだな。それも、アイツがこっちに来ない条件付きでだ」

 ドウコクはかつて風都タワーだった瓦礫に剣を向け、雄叫びを上げながら破壊している。
 獲物に逃げられた怒りが見て取れた。その怒りで我を忘れていてくれれば幸いだが、不意にでもこちらを向く可能性があるのなら、やめておいた方がよさそうだ。
 あの場から立ち去ってもらえれば、杏子たちはその時に出ようと思えるのだが。

「ドウコクが近くにいる、か……。少しでも声を抑えないとマズいみたいだな。フィリップ、わかったか?」
『ああ。それが一番心配なのは翔太郎だけどね』

 変身を解いた翔太郎は、フィリップにそう言うしかなかった。壁に寄りかかって座る彼の身体は全身にあらゆる傷を作っていた。傷のない場所も、強く圧迫されているので、少し服を脱げば紫色の痣だらけである。
 ダブルドライバーを巻いてはいるが、ダブルに変身する気力は湧かない。
 体の全身が痛むので、痛む部分を自分の手で摩りたいのだ。装甲に包まれた傷を装甲に包まれた手で触るのは、やはり気持ちが良いものではない。

「………………おい、杏子」

 翔太郎が、杏子の名前を小さく呼んだ。
 彼の眼は、どこを向いているのかもわからない。ただ、名前を呼べば気づいてくれるだろうという程度のものだろうか。

「……何だい?」

 何を訊きたいのかはおおよそ検討がついているが、杏子は真顔で惚けた。
 翔太郎が訊きたいのは、ネクサスの力の事に違いない。それは杏子がつい先ほどまで隠し通した話であった。
 翔太郎が顔を上げると、杏子と目が合う。
 お互い、相手の身体のあまりの痛ましさを見ても目を逸らさないのは流石というところだろうか。
 しかし、会話をできるくらいには息も声帯も落ち着いてきただろうか。

「単刀直入に訊かせてくれ……その力は何だ?」
「……それは……」

 言いかけてから、一度止まる。
 その後、またゆっくりと次の言葉を口に出した。

「あたしもはっきりとはわからない。とにかくこれは、姫矢の兄ちゃんが死んじまった後、あたしに回ってきた力だ」

 杏子はこの力を、あくまで自分自身の解釈でしか捉えていない。デュナミストが戦う意味を知った時に回っていく力であるのは事実だった。フィリップの推測も当たっている。
 以前、おおよそ自分で考察した能力だったので、そこから先は杏子もすらすらと話す事ができた。

「なんでこの力があたしを選んだのかはわからない……。でも、一つだけわかる。きっとこれは、罪を持つ者に回ってくる力なんだ」

 翔太郎とフィリップは、この『罪』という単語を聞いて、以前杏子が語った『ビギンズナイト』を思い出した。
 それに、殺していないとはいえ、殺し合いに乗っていたのも事実だろうか。
 杏子が抱えていた罪はそれだけではなかったが、翔太郎たちが知る杏子の罪とは、おそらくそれだけだった。

 そうした罪にネクサスの光が宿るというのだろうか。

「……この力はさ、たぶん使っていくたびに人の命を吸っていくんだよ。人間の力じゃあ扱いきれないほど強い力なのかもな」
「……」
「でも、だからこそ……ああいう奴らを倒す力にもなる。そうして罪を洗い流す…………きっと、そのためにある力なのさ」

 そう言う杏子は、自嘲したように笑う。
 使う度に死に近づく力など、普通は受け入れる事が出来るわけもない。
 自分の力を使えば使うほど、自分の身体には疲労と消えない傷が残っていく。
 しかし、力を手放す事もできないし、力を手放すわけにもいかない。……ならば、笑うしかないではないか。

「…………ふざけんなよ」

 そんな杏子の様子を見て、わなわなとふるえていた翔太郎は、感情を抑えられそうではなくなっていくのを感じた。彼の怒りの言葉が吐き捨てられる。

「なあ、杏子! おまえそんな力を姫矢が渡したって、本気でそう思ってんのかよ! 犠牲になるとか、そんな考え方……まだ捨てられねえのかよ!」
『翔太郎! 声を抑えるんだ! 敵に気づかれるんだろう!』

 何もない部屋に、翔太郎の怒号が響く。
 フィリップが必死にそれを制する。エクストリームメモリの中にいる彼も、当然翔太郎の声の大きさが危険なレベルである事は気づいていた。
 翔太郎の声は部屋中に反射し、寂しい余韻が残っていた。
 杏子は、黙って窓の外の様子を見た。ドウコクが気づいている様子はなかった。

「……」

 翔太郎も、自分自身で一瞬ヒヤッとしたものの、杏子の様子を見て安心する。特に挙動におかしいところはなく、ドウコクがこちらに気づいてない事をわかってるようだった。
 少し感情を落ち着けた後に、翔太郎は彼女を冷静に諭す事にした。……これが普通にできればハードボイルドも近づくだろう。

「……なあ、杏子。前に姫矢が変身したそれを見たとき、俺にはなんつーか……デカいモンが見えたんだよ」
『……翔太郎は、あれを銀色の巨人って言ってたね』
「そうだ。俺は姫矢が変身した戦士を見て、思わず『銀色の巨人』って呼んだんだ」

 あの時、既にウルトラマンネクサスはジュネッスに変身していたが、全身のほとんどは銀色を残している。
 しかし、巨人ではなかった。
 巨人ではないのに、大きく見えたのだ。
 杏子は、この力が自分に渡った時に現れた銀色の巨人の事を思い出した。そう、翔太郎にはああいう風に見えていたのかもしれない。
 実際に見た杏子とは違い、精神面がそう思わせたのだろうが。

「……でもな、お前が変身したら、急にデカく見えなくなったんだよ。なんていうか、お前は……その……本当に小さかった」
『翔太郎も人の事言えないけどね』
「何ィッ!? 俺のどこがちっさいって……」

 と、思わず大きく声をあげてしまった事に気づいて再び口を塞ぎ、咳払いして話を戻す。

「……あー、とにかく、俺にはそいつがさ、お前の言うように人の命を吸う力とかそういうものには見えねえんだ。それに、姫矢がそんな力をお前に託したとも思えない。きっと、お前がいつまでもそうやって自分を責めてるから、巨人の本当の力が出せないんだ」

 翔太郎の中でウルトラマンネクサスが『銀色の巨人』から『銀色の戦士』へと降格した理由──それを、翔太郎はそのように解釈した。
 ネクサスの力は、決して自責の念にかられるためのものではない。
 むしろ、ネクサスはどんな辛い状況でも絶対に生きる希望を捨てない人たちに受け継がれていく力なのである。

「それに、前に戦った時、杏子が変身した銀色の戦士の色は、姫矢が最初に現れた時と同じ……全身銀色だった。でも、姫矢はそこから別の姿に変わったはずだ」
『でも、さっきの戦いで杏子ちゃんは銀色から別の形態にはなれなかったね』

 杏子は確かに、姫矢が銀色だけでない姿に変身していたのを思い出す。
 しかし、杏子はそのやり方がわからなかった。どうすれば、そんな姿になれるのか──そして、どうすれば巨人の力はそれを教えてくれるのか。

「……どうすりゃ、そんな風になれるんだよ」

 素直に翔太郎の怒号を胸に仕舞って、反省の色をした顔で訊いた。
 彼の言葉は確かに胸に響いたが、それでも実際に杏子自身が自分のやり方を変える気はなかった。

「……どうすりゃなれるか……か。それはわからねえな」
「無責任な事言うなよ……」
「……それなら、推測でいいか?」
「ああ、推測でも何でもいい」

 推測でも何でも、とにかく手がかりなら何でもいい。
 あれより強くなれる方法が知れるのなら、杏子は大歓迎だった。

「誰かを助けたい気持ち……そして、助けた誰かがお前を支える気持ち……ってのはどうだ?」

 翔太郎は、そう口にした。
 かつて翔太郎とフィリップは、たくさんの人の声援を受け、街の思いが風となり、サイクロンジョーカー・ゴールドエクストリームへと変身した事がある。
 その時と同じく、人の意志が関るというのを、翔太郎は考えたのだ。
 あの時の姫矢は、ハーフチェンジのように特殊な動作をせず、ただ自然と新しい姿に変わった。その感覚を掴むのが難しいのかもしれない。
 ただ、翔太郎がそういう感覚で変身できたのはあの一回だけだ。
 人々の声援を受け、人々の送った風が翔太郎たちを新たな姿に変えたのである。

「そんなんでなれるわけねえだろ!」
「……なれるさ。誰かを助ければ、それだけ感謝されるし、誰かを助けた見返りってのがきっと来る」

 翔太郎は「あの時の事」を。
 そしてまた、杏子も彼女にとっての「あの時の事」を思い出す。

「……じゃあ聞かせてくれよ。あたしがもし、魔法少女になんかならなければあたしの家族は死んでなかったと思うか?」

 しかし、杏子は納得できなかった。
 人を助けたい気持ち──それが、必ずしも助けられる事に繋がらないのを、杏子はよく知っているのである。

「……え?」
「前に話したよな。あたしが魔法少女になったから、家族は死んじまった……」
「それ、お前の知り合いの話だって聞いたぜ」

 杏子ははっとする。
 そう、前に翔太郎にこの話をした時、杏子は『知り合いのバカの話』と言って、その話が誰の話であるかは暈したのであった。
 翔太郎も杏子の話である事に気づいてはいたが、杏子は認めなかった。
 しかし、この時ばかりは口が滑ってしまったのだろうか。
 こうなっては認めざるを得ない。

「もういい……。そうなんだよ、あたしがバカなんだよきっと……。あたしが誰かを助けようとしたり、誰かのために何かをしようとすると、いつも誰かが死んじまう……誰かを助けるなんて、あたしの柄じゃないんだよ」

 少なくとも、彼女の家族や姫矢はそうだった。
 杏子が良かれと思ってやった行動が原因で巻き込んで、死んでしまったのだ。
 それは計れないほどに重い罪だった。自分のせいで人が死んでしまったのである。彼女にかかった重圧も大きかった事だろう。

 それでも、翔太郎は彼女の言葉に納得ができなかった。誰かを助ける事が裏目に出続ける人間なんて、いてはならない。人と人とは助け合うものだと思っている彼の世界から、杏子が外れてしまうではないか。
 それは認めない。
 それに、彼女は必ずしも誰かを助けられないわけじゃない。──翔太郎は覚えている。つい先ほどの出来事だ。

「……だけど、お前はさっき俺達を助けてくれたじゃねえか!」
「それも元々あたしが勝手な事しなければあのまま全員逃げられたんだ!」

 今度は杏子の感情が爆発する。

「アンコ、そこの兄ちゃんみたいにデカい声を出すと、ドウコクに気づかれるぜ」

 熱の上がったこの場を今度冷ますのはザルバである。
 冷静に場を見られるフィリップとザルバがいなければ、この二人は結構危険な組み合わせかもしれない。ザルバはやれやれ、と半ば呆れたようにその会話を聞いていた。
 フィリップもまた、この会話が聞こえていたならば同じように呆れていただろう。

「……違うぜ、杏子。俺は、別にお前に無理やり連れてこられたわけじゃない」
「だって……!」

 杏子が向かったから、翔太郎がここに来る事になったのではないか。
 そういう事を言おうとしたが、先を言う前に翔太郎が返した。

「あれはなぁ、俺が勝手に向かっただけだ……風都タワーを破壊した奴もムカついたしよ」
『ねえ翔太郎。僕には翔太郎の声しか聞こえないから、ちょっと話がわからないんだけど』
「杏子の奴が、自分の勝手な行動に俺達を巻き込んだとか言ってるんだよ。ドウコクに煙玉ぶつけた時に!」
『ああ、あれは翔太郎が悪いね』
「……」

 あまりにもあっさりとフィリップに言われたのが、かえって真実味を持たせたが、翔太郎は開いた口が塞がれない状態になってしまった。
 翔太郎としては、ストレートに言われてしまったのがショックだった部分もあるのだろうが、否定もできない。

「……とにかく、あれは俺達の勝手な行動だ。……いや、むしろ勝手な行動をした俺達を助けてくれて、ありがとう……。俺が言うのは、そういう言葉の方が正しいんだ」
『それに、はっきり言って、僕達はドウコクとの戦いでは足手まといだったみたいだしね……それは、ゴメン』

 そう、ダブルはドウコクとの戦いに参戦したものの、ほとんどの場面で彼らは何の役にも立てなかったのだ。
 とにかく、こうして謝られ、感謝されては杏子も何を言う事もできなかった。
 まさか、自分の勝手な行動を怒られもせず、謝り、感謝されるなど……そんな事があるとは思ってもみなかったのだ。


 翔太郎は、これまで全ては打ち明けられなかった杏子の気持ちをよく知って、自分の経験を思い出した。
 彼女は、そう……かつての翔太郎に少しだけ似ていた。
 あの時──そう、ビギンズナイトの時と、その少し後。あの時の出来事が、どれだけ翔太郎の胸を締め付けたかはわからない。

「……こう言っちゃ何だけどな、杏子。人生っていうのは……本当に何が起こるかわからないゲームなんだ」
「え?」
「……俺だって、杏子と同じさ。俺にも、俺が勝手な事をしたから大事な人が死んじまった事が……確かにある」

 鳴海壮吉の事だった。
 翔太郎の慢心が原因で死なせてしまった、彼の大事な師匠である。
 それから先も、翔太郎には幾つもの辛い出来事や思い通りにいかない出来事があった。
 しかし、それでも翔太郎は仮面ライダーとして街を守る事はやめない。守ろうとした結果、何かを失う事があっても、きっともう迷わない。

『……良かれと思ってやった事は、必ずしも望んだとおりの結果を生むわけじゃない。それは誰にでもある事なんだよ』
「そうだ。俺達はそのたびにその罪を乗り越えて、新しくやり直して、それでも街を守る事だけは絶対にやめねえ……俺達は、街を守り続けると同時に、守れなかった命を……自分の罪を数え続ける」

 仮に医者が一人いたとして、その医者は一度、少しの怠りで人を死なせてしまって、医者をやめるだろうか。
 確かに、賠償があったり、自責の念があったり、そういう理由で医者を辞める事はあるかもしれない。
 だが、人を救う術と経験を持つ彼らは決して一度のミスで、人を救う事をやめられない。
 誰かを助けるために医者になったのなら、何度でも誰かを救うために、オペを行うはずだ。
 仮面ライダーも同じである。

「でも……あたしは自分の罪なんて、……もう数えきれない」

 父。母。妹。見滝原の人々。フェイト。ユーノ。マミ。せつな。霧彦。姫矢。さやか。
 一体、どれだけの人を傷つけた罪があるのだろう。
 杏子は何度数えても、今更数えきれなかった。今数えようとしても、彼女の中には幾つもの罪が渦巻いている。

「……罪が数えきれないって? ……なら、数えきれないだけ誰かを助けりゃいいんだ。俺だって、何度もあんな台詞を言ってはいるが、自分の罪なんて……もう数えきれないさ」
『そう。それに、罪だと気づいてない罪もあるかもしれない。それでも、数えきれないほど、人の罪を洗い流せばいい』
「お前が誰かを救うなら、その思いはきっといつか、風になる」
『何にも変え難い、黄金の風となって、君の背中を押すはずだ』

 仮面ライダーエターナルとの戦いの日。
 あの時、罪を背負った人たちも含め──風都中の人が仮面ライダーを応援した。
 仮面ライダーダブルは、自分たちが守ってきた街に救われたのだ。
 黄金の風。そう呼ぶのは確かに相応しい。──奇しくも、ザルバが知る絵本のタイトルは『黒い炎と黄金の風』であった。

「……アンコ。どうやら、この変な兄ちゃんの言ってるところは正しいみたいだぜ」

 ザルバも、鋼牙がかつて父とバラゴの決闘に顔を出した事で、父を死なせ、バラゴを野に放ってしまった罪を持っている事をよく知っている。その戦いの時、大河の腕にはまっていた彼は、今は鋼牙の相棒として立派に戦っていた。
 そう、これからも何度でも鋼牙は戦う。
 ホラーと戦い、暗黒騎士と戦い、人を守っていく事こそが鋼牙の贖罪なのだ。
 それは決して、戦いの果てに無様に死ぬためではない。

(どうして……)

 杏子の心に風が吹く。
 これまで自分を縛ってきた根っこを揺れ動かす黄金の風。
 それが揺れ動き始めた。
 誰かが教えた心が、杏子の中で動かされる。

「くそっ……ここに来てから……あたしの周りはどうしてこう……変わった奴らばっかりなんだよ」

 ここにいる人たちは変わってなどいない。言ってる事は、正しいのだ。かつて、自分が正しいと思う事をたくさんの人に訴え続けた父のように。
 だが、正しい事を言える人が、この世の中には少なかった。そして、その正しい事を杏子は長らく忘れていた。
 せつなや翔太郎が……たくさんの人が、いつも励まし、誰かを守る強い意志を持ち続けてくれている。
 杏子は決して、それを否定したくはなかった。
 でも、否定するしか生きる術がなかったのだ。──彼女が生きてきた世の中では。
 それでも、否定をしてきた心が揺らぐ。

「……でも、あたしもやっぱり……変わり者になりたいよ……」

 杏子の瞳から涙が伝う。
 この罪は、自分だけが抱えているものじゃない。
 多くの人が罪を抱えている。
 佐倉家の教会に来た人たちが少しでもいたのは、彼らが罪を洗い流そうとしたからだ。
 見滝原を通るたくさんの人々が、それぞれ幾つもの罪を抱えている。
 風都の人々が善と悪の風を吹かせ続けるように。
 ラビリンスが人々に不幸をもたらしてきたように。

「……安心しろよ、杏子。お前は充分変わり者さ」

 翔太郎は優しい声で言った。
 翔太郎は顔をあげ、少し自分の体に注意を払いながら立ち上がった。やはり、体に激痛が走ったようで、一瞬だけ苦痛に顔を歪めたが、それでもバランスを保つ。

「……そう……かな?」
「ああ。……お前が俺達を助けようとしたのは、紛れもない事実だ。今思えば、俺達が出てこなければ、ある程度は杏子にも分があったかもしれない。そんな足手まといな俺達を、何度も何度も助けようとしてくれたのは、どこの変わり者だろうな」

 ダブルの体に寄りつくドウコクを引きはがそうとしたネクサスを、ダブルの迂闊な一言で傷つけさせてしまった。

 それが彼女に膨大なダメージを与える一撃を作ってしまったのだ。
 あれは戦略面では最低の「余計なひと言」であったと思う。……それを翔太郎は、今も自分の『罪』のひとつとして反省していた。

「……」

 黙って下を向いて涙を堪える杏子の手が、わなわなとふるえている。
 特に右手は強く握られていたので、翔太郎はその右手をちゃんと見てみた。
 その右手に握られた物を見ながら、翔太郎は薄らと笑う。

「……行くのか? 杏子」

 翔太郎には杏子がエボルトラスターを握っているのがよく見えた。
 彼女は、また戦いに行くつもりだ。ずっと、そのつもりだったのだ。……彼女は、まだ姫矢の死がドウコクによるものだった事実が振り切れないのだろう。
 でも、きっとわかってくれたと翔太郎は思っていた。彼女は決して、己の命を捨てにいくわけじゃない。
 それならいい。それなら、翔太郎たちがいつも風都で繰り広げている戦いと同じだ。
 杏子は返事をする。

「……ああ」
「大丈夫だ。今のお前なら、あんな奴ブッ潰せる」
「……そうかな……」

 翔太郎は杏子の頭へと、帽子を深くかぶせた。翔太郎の位置からは、もう彼女の目元など見えない。目元に流れる涙は、翔太郎からは見えない。
 これは翔太郎が憧れた“男”の帽子である。

“帽子が似合う男になれ”

 鳴海壮吉の姿にあこがれた翔太郎が、その帽子を頭に乗せつづけたワケ。
 それを考えれば、決して彼はこの帽子を手放すべきではなかっただろう。
 女子中学生である杏子に、翔太郎が好む男の帽子が似合うわけはない。杏子が帽子を着用している姿はあまりに不格好だった。
 しかし、彼の優しさはそこに確かにあった。杏子の涙を帽子の下の世界に隠し、その世界で少しだけ、涙を止める時間を与えた。

「そうだ。これも教えとかないとな、杏子。変わり者にもルールがある。……命を粗末にしない事。それから、人からもらった物はなくさない事だ」


 翔太郎はルールを決める。
 それは、杏子に絶対に守ってほしいルールだった。命を粗末にする事も、また、この帽子を無くす事も許さない。
 戦うのなら、生きて帰って来い。勝たなくてもいいから、必ずここに帰って来い。そういう意味だった。

「……」

 杏子は自分で帽子を少し上げる。杏子の涙は消えていた。この帽子を貸してくれるというのだろうか。余程大事なものであるはずなのに。
 しかし、杏子はそんな大事な物をどうしても返して欲しがるルールとやらに便乗する事にした。

「なあ。それ、今決めたあんたの創作だろ」

 キリッとした瞳で、杏子は窓の外を見つめる。
 ドウコクは、風都タワーの積み上げられた瓦礫の上に憮然と立っている。剣を構え、当て所のない方向を見ていた。
 背後には破壊されたタワーの先端にあった風車が傾いている。地面に面している半分が折れ、もはや二度と回る事はないが、それでも巨大な外形は、周囲の建物を圧迫していた。
 こんなにも綺麗に、悪の根城のような絵は出来上がるだろうか。
 まるで、狙ったかのように恐ろしい背景だった。

「ああ、俺の創ったルールさ。でも、ずっと昔からみんな言ってきた、当たり前のルールだ」
「それでも守れる奴が少ないんだ。……借りた物が返ってこないのはよくある」
「ああ、お前それ返せよ」
「……あたしも当たり前のルールを一つ追加していいよな?」
「……構わねえけど」

 杏子はエボルトラスターを体の真横で構え、ニヤリと笑ってから言った。

「食い物を粗末にしない事!!」

 エボルトラスターを刀のように引き抜くと、杏子の姿は帽子ごとウルトラマンネクサスへと変身した。
 変身した直後はアンファンスの姿である。
 アンファンスの姿だが、彼女が別の色になれるかは翔太郎にもわかっていた。

──どうかな? 大きく見えるかな?──

 念話を使い、翔太郎の耳に杏子の声が聞こえた。
 翔太郎は、鼻の頭を掻いてから、帽子の位置を直そうとした。そこに帽子はない。今は杏子が持っているではないか。
 恰好はつかなかったが、ポーズだけは取って、言った。

「……行けよ、“銀色の巨人”!!」

 身長、体重で言えば、全く先ほどと変わらないはずなのに、ネクサスの姿は全然違った。
 ウルトラマンネクサス・アンファンスは次の瞬間、翔太郎の前から姿を消した。
 アカルンが、ネクサスの体をワープさせたのだ。
 ドアから出て行ってしまっては、翔太郎の居場所もわかってしまうから、そのための配慮だろう。
 翔太郎が窓の外を見ると、ネクサスは血祭ドウコクと対峙していた。
 遠く、遠くにいるはずなのにその背中はいつまでも大きい。

「フィリップ、こんな部屋に二人だけになると、少し心が寂しくなるな」
『さよならを言うのは、わずかの間死ぬ事だ……ってやつ?』

 翔太郎が愛読し、フィリップもかつて壮吉に渡された本の台詞であった。
 フィリップ・マーロウという男の中の男が主人公である『長いお別れ』というハードボイルド小説だ。

「……あっ! くっそ~! それを言うチャンスだったか! 俺とした事が見逃した!」

 と、翔太郎は自分の今抱いている心境が、その台詞に似たものだと気づいた。いつも読んでいる本で、いつもどこかで使おうとしているのに、何故気づかなかったのだろう。案外、こういう事はあるものだ。
 その台詞だけでは共通性はわからないかもしれないが、さよならを言うと、心のどこかが少しだけ死ぬ……という意味だった。日本語の訳自体が正確ではないので、余計に意味が通りにくい部分もある言葉だが、二人は──あるいは、鳴海壮吉も──この台詞が好きだった。

『……大丈夫さ、翔太郎。すぐにまた、生き返れるよ』
「……そうだな」

 翔太郎は笑った。
 そして、そのまま、外を見た。
 外では、ネクサスが戦っている。自分たちも出来る限りの戦いはしたいが、元気に戦える体ではなかった。
 しかし、自分たち無しであっても、彼女が負けるとも思わなかった。






「……またてめえか」

 ドウコクは、また突然目の前に現れたネクサスに苛立ちを隠せない様子である。

「俺の目の前に現れたり、消えたり……面倒な奴だ。相手にする気にもならねえ」

 ドウコクはすねたように言った。
 彼からしてみれば、ネクサスの行動は卑怯そのものだろう。肝心な場面になると、いつも逃げてしまう。
 またそうなるのだろうと思い、彼は相手を面倒がった。
 彼自身は、殺し合いに乗る気はない。ただ、時折気分で人を襲うだけだ。気分が乗らないならば、戦っても仕方がない。

──そいつは困るな、血祭ドウコク──

 自分の脳に直接聞こえたかのような少女の声に、ドウコクは困惑する。
 彼女が使ったのは、魔法少女の念話だ。

──相手してくれよ、今度は逃げない──

 ドウコクは、ネクサスの方をより強く睨むと、黙って降竜蓋世刀の刃を向けた。
 杏子の言葉を信じたのか、はたまた、何度気が変わったのか。それはわからない。
 とにかく、ドウコクは、あっさりと、ここで戦いを行う事を決めたのである。

「……来るなら来い」

 ドウコクは重たい声でそう言う。



──行くさ。だけどその前に……さあ、お前の罪を数えろ!!──



 鳴海壮吉が相棒に放った言葉。
 左翔太郎とフィリップがそれを真似て、いつまでも敵に突き付ける言葉。
 それを今度は、佐倉杏子が真似た。
 自分に道を示してくれた人の言葉なのだ。その人のお蔭で生きられる。だから、自分自身のオリジナルでなくていいから、これが言いたかったのだろう。


「ガァァァァァァァッッッ!!!」


 ドウコクは以前のように咆哮を放つ。
 ネクサスは地面を蹴り、空中へと移動した。
 敵が対応できないほどの滑空は不可能とはいえ、少しならば空中浮遊も可能である。
 魔導師やテッカマン、仮面ライダーゼクロスのように、空中へと飛ぶことが出来る参加者が多いからだろうか。

「……チッ!」

 咆哮の範囲外へと消えたネクサスに、またドウコクは舌打ちする。
 これでは戦えない。やはり卑怯ではないか。
 しかし、ネクサスは咆哮の余韻が消えるとともに、ドウコクの前まで飛んだ。

「自ら来やがるか……」

 降竜蓋世刀を持ち、駆けだしていくドウコク。
 空中からこちらへ降りてくるネクサスとすれ違う時に斬りかかろうというのだ。
 ネクサスは、空中でエルボーカッターを出した。
 接近していく……。
 距離、三メートル。二メートル。一メートル。
 ──ゼロ。

「うおらぁぁぁぁぁぁっ!!!」

 鬼神の如く剣を振るうドウコクであったが、その切っ先はネクサスへは届かなかった。
 あまりの飛行速度に対応しきれなかったのだ。
 遅れて、ドウコクの左肩からエルボーカッターによる切れ痕が生まれる。そこから液体が噴き出た。

「……何っ!?」

 先ほどとは動きの違う敵に、ドウコクは驚きを隠せない。
 敵は既に地面に着地していた。
 ドウコクは、そこがねらい目だと感じたのか、そこに向かって駆け出していく。
 しかし、斬りかかった瞬間に、ネクサスの体は消える。
 そう、アカルンの力であった。
 アカルンが杏子を認め、杏子を手伝うと決めた以上、杏子はその身体をワープさせ続ける事が出来る。ある程度の制限はあるものの、軽微な瞬間移動ならば問題はない。
 たとえば、敵の後ろに立つ程度の瞬間移動ならば。

「ぐあぁぁっ!!」

 ドウコクの背中に、ジュネッスパンチが繰り出される。
 ネクサスの体は傷だらけのはずなのに、それを感じさせない一撃だった。

 体の捻りを抑え、斬りつけられた胸や腹の傷が噴き出さないようにしたのだ。

「やるじゃねえか、アンコ。いい調子だぜ」

 ザルバが、ネクサスの戦いぶりを囃し立てる。
 うるさいとは思いつつも、杏子はそれを言われたのが嬉しかった。気持ち次第でこんなにも戦いが変わるのだろうか。
 久々に爽快な戦いであった。罪を重ねながら戦うストレスに比べれば、何と心地よい戦いだろう。
 ザルバに杏子は、一言返す。

──見てな、まだこんなもんじゃない──

 そう、ネクサスはまだアンファンス。
 ウルトラマンネクサスは、それぞれの命の色を映すジュネッスという力があるのだ。
 その姿は十人十色。それぞれが全く別のジュネッスを持つ。
 生きる希望を捨てずに戦い続ける者に、ウルトラマンは力を貸し続けるのだ。


(……せつな、姫矢……みんな……あたしに力を貸してくれ……)


 杏子が思う。
 杏子にはまだ、生きたい……そんな希望があった。
 生きて、誰かの助けになれるのなら、本当はそれがいい……。


 ネクサスの体が発光する。光は強くなり、彼女の身体を真っ白に包む。
 かなり強い光で、ネクサスに何が起きているかは周囲からでは見えないだろう。
 しかし、当のネクサスは自分の体を見下ろすと、自分に何が起きているかよくわかった。体のシルエットが変わり、肩に姫矢のジュネッスと全く同じように装甲が生える。
 銀一色だった体に光の色が走っていく。
 赤く光る体。それは、誰かの姿に似ていた。


『俺はこの少女に……俺と同じように何かの原因で自責し続けるこの少女に、光を託す!』


 知らなかった筈の姫矢の想いが光が流れるとともに伝わっていく。
 赤く熱い光が、まるで血の流動のように杏子の体を駆け巡る。
 これは姫矢が託した光。その光は、決して罪を持つ者に向けられたものじゃない。
 それが姫矢の口調と言葉で伝わった。


『アカルンは……きっと、あなたの力になってくれるはずだから……』


 不意に、せつなが最後に言ってくれた言葉が杏子の脳裏をよぎる。
 アカルン。それはせつなの持っていた不思議な携帯電話とその鍵だろう。
 そうだ、アカルンは確かにこの戦いで何度も杏子に力を貸してくれた。
 だが、それはずっと、ワープ能力を使わせてくれた事だと思っていた。


(ありがとう……力を貸してくれるんだな……)


 しかし、アカルンが本来の力を貸せば、キュアパッションとなる変身能力が芽生えるはずなのだ。認めたならば、当然キュアパッションとしての戦闘力を付与する。
 だが、それは杏子自身が使わなかった。少し使うのが恥ずかしい気もしたし、幾つもの力を持っている杏子がわざわざそれを使う理由もなかった。
 これは、その代わりなのかもしれない。──もはや、キュアパッションの力を使う必要はないのだろうと杏子は悟った。


(姫矢の兄ちゃんとは、違う……)


 ネクサスの色は、赤だった。しかし、より濃度の濃い赤であり、ボディラインも微かに違っていた。
 かつて、杏子は今の自分のボディカラーの配色を見た事があった。
 それは杏子の友達。
 既にこの世にはいない杏子の大事な友達の変身した姿の色だった──そう、キュアパッションの配色に似ていたのである。黒、赤、銀色の三色から成る杏子たちの命の輝きの色。


(これが、あたしに繋がれたみんなとの絆……これが、あたしの生きる希望……!)


 姫矢から受け継いだウルトラマンの力に、せつなから受け継いだプリキュアの力が重なり、彼女へと生を与えた人々の光が結集する。彼女が背負ってきた『罪』とそれを乗り越えた力、これから背負っていく『優しさ』、そして戦い続ける『情熱』のカラー。
 この世界に存在している色ならば、パッションレッドと呼ばれる色が近いだろうか。


(あたしの……赤く熱い鼓動だ!)


 名づけるならば、ジュネッスパッションであった。



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最終更新:2013年08月21日 17:53