アッシュも武蔵も、暑さと言うのを感じてなかった。
勿論、彼らを取り巻く環境は、未だ夏の盛りのそれである。それは、変わりようがない。
水が煮えるような暑さは彼らを包んで離さないし、皮膚に穴が空くような太陽の強い日差しも分け隔てなく彼らに降り注いでいる。
脳が、これらを意識していないのである。暑い、それを感受する機能は全てシャットアウトされている。全神経が、目の前の存在に注がれているのだ。
だから、周囲の環境を取り巻いている外的要因が気にならない。もう、目の前の相手だけしか、お互いに意識していないのだから。

 武蔵は果たして、剣のみの英霊なのだろうか、とアッシュは思う。
勿論セイバークラスで召喚されているのだ、剣が主体の宝具やスキルを保有していても、不思議じゃない。寧ろそれが当たり前だ。これを主眼とした立ち回りを意識する必要がある。
言っている事はそう言う事じゃないのだ。あの剣二本のみを、愚直に極めただけの英霊なのだろうか。彼はそう思っているのである。
英霊だって十人十色だ。セイバーとして召喚されてはいるだろうが、実際には、宝具として持ってこれていないだけで、槍や弓にも堪能で、相応しい得物さえ持っているのなら、
超絶の技術を披露出来るサーヴァントだっている事であろう。そしてそれは、何もセイバーに限った話ではなく、ランサーやアーチャー、ライダーにアサシンと言った、他のクラスでもあり得る。

 確実に、この時点でのアッシュに解る事が一つある。
もしも武蔵が剣一本、流派一つでサーヴァント達と渡り合うつもりでいる英霊であるとして。剣術と言うジャンルに限って言えば、彼女はアッシュの上を往く英霊である事だ。
アドラー帝国の麾下に所属していた経験があるアッシュは、アドラー帝国軍の嗜みとして、アマツの系譜に連なる剣術を学んでいる。
その時のアッシュに対し、剣術のいろはを叩き込んだ男こそが、クロウ・ムラサメ。アッシュの戦法の骨子を構成する人物であり、剣のみの戦いに限れば、
彼の上を往く人物などいないと断言出来よう人物だった。帝国広しと言えど、星辰奏者を相手に刀のみを頼りに切り伏せる人物など、彼をおいて他にいるまい。紛れもなく、アッシュの記憶の中で燦然と輝いている、大事な人物である。

 その、ムラサメと言う人物の技術の、先を武蔵は行っていた。
剣術に優れると、一口に言っても、ではその差の原因は何なのか、と言う事についての類型は様々だ。
身体が柔らかくそれ故に自由な剣筋を可能にするだとか、足運びが重心の移動が巧みで粘り強く長期戦に有利だとか、少しの事では動じないタフなメンタルであったりだとか、
人よりも神経の伝達速度が速いから相手の攻撃を見切れる反射神経に優れて居たりだとか――もっと根本的に、術理についての理解やそれを実行に移せる技術が凄かったりだとか。
差が出る分野は、幾らでも想像出来る。だが、解らない。技術的に、アッシュは勿論ムラサメよりも優れているであろう宮本武蔵と言う剣豪は、
どの部分で優れているのかアッシュには理解出来ないのだ。よもや剣を二本を振るう事による、手数の多さが彼女のウリ、と言う訳ではあるまい。その程度の、低い次元で生じ得るメリットが、彼女を英霊の位へと押し上げる要因であるなど、考えられない。

 時間は過ぎ行く。
にちかは、アッシュと武蔵がこうして相対し始めてから、1時間は経過したのではないのかと思い始めた。
実際には、3分と経過していない。アッシュも武蔵も、人よりも優れた体内時計を持つ。時計など持たなくとも、影落ちる余地のない暗闇に放り出されても。
時間がどれだけ過ぎたのか、正確に把握出来る体内のリズムを持つ。それが、機能不全に陥る寸前だった。
時間に対する認識ですら狂って行き、ものの1秒が数分に感じてしまいかねない程の、極まった空間。それが、今2人の佇む場所であるのだった。

 セミの鳴き声、ダクトの音、ぷーんと不愉快な蚊の羽ばたき。
それらに交じって、大きな羽音が聞こえて来た。ハトやカラスの羽ばたきではない。それよりもずっと小さいがしかし、ハエや蚊よりも遥かに大きい生き物の羽音。
一匹の、緑色の光沢を伴った身体を持つ虫が、武蔵の顔の前を過ろうとした。甲虫の類……カナブンだった。それが、彼女の口の辺りを横切って、そのままこの場を飛び去ろうとしているのである。

 ――そのカナブンを、武蔵はパクリと、顔だけを器用に動かして口の中に頬張った。

 ――な……!?――

 余りの行動に面食らったアッシュ。それと同時に、武蔵の姿が、消えた。
違う、消えたのではない。アッシュが、武蔵の突然の奇行に愕然としている、その心の空隙を武蔵は狙ったのである。

 舌を伸ばせば地面を舐める事が出来んばかりの、低い姿勢での突撃。
アマレスやラグビー、アメフトに於けるタックルの基本、姿勢が低ければ低い程効果的、これを地で行く奇襲だった。
そう、消えたのではない。アッシュの視界の外へと、低い姿勢を維持したまま接近する事で消えた様に見せかけただけだった。

 戦いが始まっていた時、初めから刀を引き抜いた状態であった、と言うアッシュの利点。
それを一気になかった事にする程、武蔵の抜刀は速かった。刀の制空権に入るや、一気に彼女は刀を引き抜き、アッシュの脛を狙った。
速い。鞘の中にありながらにして、低空を飛ぶ燕ですらも斬り殺せんばかりの、凄まじい速度だ。刀の剣尖の速度は、音のそれに近しかった。
極めて実戦的な剣術だ。竹刀や木剣での道場剣術とは訳が違う。刀と言う、斬り込めば人を殺せる武器。その理屈を理解し活かす、殺しの剣だ。
脛を斬られれば人は歩けぬ、動けぬ。戦場に於いては、死ぬも同義の個所を狙う、その合理性。彼女の剣は、戦いの場で磨かれたものだった。

 地を蹴り、アッシュは跳躍する。武蔵の刀が、アッシュのブーツの踵の部分を捉える。
研がれたナイフで、ハムの塊を薄くスライスするように、右のブーツの踵部分、そこを3㎜、薄く切り裂いた。ヒラリと、硬質ゴムのスライス片が、中空を舞う。
そのタイミングの時にはまだ、アッシュは、前方宙返りの要領で、武蔵の頭上を飛び越えようとしている最中だった。
これだけの低い姿勢である。人体の構造上、直ぐに元の立ち姿勢に戻るのは、如何な達人と言えども少しの時間は必要であるし、況して武蔵は抜刀した後。
隙が出来ている状態なのだ。次の攻撃に移るまでには、アッシュは武蔵を飛び越して着地し、難無きを得るであろうと思っていたのだ。

 ――殺意が、点となってアッシュの身体に照準を合わせて来ているのを、彼は感じた。
身体から噴き出ていた汗が、一気に熱を失う。氷水のように、汗が冷たい。この選択が、そもそもミスだった事が冷や汗からも良く分かる。
身体の前面を、下に向けたまま、武蔵の頭上を飛び越そうとし、彼女の頭上まで差し掛かった。このタイミングで、それは来た。
本身が鞘に納刀されている状態のまま腰から引っぺがした武蔵は、アッシュの方を見ないまま、鞘を頭上へと勢いよく突き上げて、その鞘の頭でアッシュを打ち抜こうとした。
当たれば内臓は破壊され、骨が容易く砕ける一撃だ。この一撃を、空中に身を投げたままと言う不利な姿勢のまま、刀で払いのけられたのは、不幸中の幸いだったと言うべきか。

 だが、ただでさえ不安定な環境と姿勢のまま、武蔵の一撃を払っていなしたのだ。
当然の帰結として、バランスが崩れる。武蔵の頭上を追い越し、スタリと着地する。その目論見が崩れた。
先ず、前方宙返りと言う行動そのものが破綻してしまった。一回転した後に着地しようと言うプランは崩れてしまい、アッシュは背面から地面に落下する。
当然受け身は取る、顎を引き、脳が揺れそうになるのは防ぐ。だが、サーヴァントどうしの戦いと言う次元に於いて、背面から倒れ込んだ、と言うのは致命的に過ぎる隙であった。
それを、武蔵が見逃す筈がない。アッシュが尻もちに近い状態でいる頃には既に、武蔵は姿勢を正し終え、正しい直立の姿勢でいたのである。しかも、身体の向きは、アッシュの方で――。

 地を蹴る武蔵、接近する、武蔵。
追撃の為の行動である事は解る、勝利を確信した油断からくる、不細工で大ぶりな攻撃でない事も解る。
最小限の労力で、最低限のモーションを以て、止めを刺しに来る。脳を壊すか、心臓を穿つか。それは解らない。だが、確実に、殺す一撃が飛んでくる。
アッシュは考える。尻もちの態勢で足払いをするか? 悪あがきだ。返す刀で膝を斬り飛ばされる。刀を投げる。それも無駄だ、機会を逸した。

 ――故にアッシュは、被害が広範囲に及ばぬ範囲で、宝具を用いた。

「ッ!!」

 刀を今まさに、アッシュの首目掛けて薙ぎ払おうとしたその時、武蔵は目を見開かせて飛び退いた。
簡単だ、彼の身体が、着衣物ごと、橙色の烈火で炎上し始めたからである。完全に火だるまの状態でありながらしかし、服が燃えて焦げている様子はなく、
勿論、アッシュ自身もダメージを負っている様子もない。炎上していると言うより、身体を覆うように炎を纏っていると言うべきか。
ヘリオスと言う炉心から供給される嚇炎である。自らはダメージを負わないが、相手は当然の様に火傷を負うレベルの炎を身体全体に纏う、と言うのは、単純ながらに厄介だ。
接近して攻撃を叩き込むことが主体のサーヴァントは、これをやられるだけで厳しい戦いを強いられてしまうからである。攻撃を与えればダメージを負い、アッシュが与える攻撃は当然、炎を纏う分より苛烈な物となり、有効打にも発展し得る。シンプルだからこそ、強いのだ。

 1度、2度。呼吸を置いた後、アッシュは、ハイペリオンによる焔をオフにし、元の状態に戻っていく。身体にはやはり、焦げ跡一つついている様子はなかった。
身体のリズムがこれで元の調子に戻った。このまま、呼吸するタイミングすら失って斬り殺される事をも覚悟したアッシュだったが、機転の良さが身を助けた格好となる。

 ――そう言う戦い方か……――

 勿論武蔵としても、まだ底を見せていない事は解る。だが、戦い方の一端を、今の短いやり取りでアッシュも理解した。
要は何でもありだ。必要があれば不意打ちだってするだろうし、手にしている刀も投げて来よう。
いやそれどころか、戦いの最中、用事を思い出したから帰る!!と言って、背を向けて遁走する事だとて彼女ならやり得るだろう。

 つまりは『戦場の剣』だ。生き残る、斬り倒す、と言う目的に特化した剣術なのだ。
騎士道や武士道を標榜する者達が掲げる美学に、およそ反した戦い方であろう。だが、どのような綺麗言を並べようとも、人は死ねばそれまでなのだ。
優れた剣士程、道場で見せる剣術と殺し合いの時に見せる剣術に凄まじいギャップがある。生前、師であるムラサメはそうアッシュに説明していた。
道場で見せる剣術は、鍛錬、反復、向上の為のものだ。其処で死なれては、元も子もない。だが戦場は一転して、相手を殺し、今後の一生を奪うか、致命的な身体障害を与える事を、
目的としている場所である。其処で見せる剣術は、日々重ねて来た鋭意と鍛錬の発露である事もそうだが、相手の意識の空白を突く剣術もまた非常に有効となる。
ために、意表を突くと言う、不意打ちに限りなく近い剣術が活きる。それを卑怯だとは、アッシュも謗らない。戦いの現実を彼も理解しているし、そんなのに頼らなくとも、目の前の女性が強い事は、理解しているからだ。

 「完全に殺し合いじゃないですか……!!」とにちかが小声で呟いたのをアッシュは聞いた。
本当にその通りである。テストと言う名目であるらしいが、放たれる攻撃には殺意が乗っている。試しはするが、殺すつもりではいるのだ。
だがアッシュには予感があった。今の武蔵は、これ以上の攻撃を放てないと言う確信だ。アッシュが本気でハイペリオンを駆使していれば、この住宅街程度の規模、たちまち火の海だ。
武蔵も、同様の威力の攻撃が出来るのだろう。家一軒、切断出来る攻撃を持っているのかも知れない。それが単純な剣術によるものか、持っている宝具によるものか。それは解らない。
話してみて分かった、武蔵と言う女性は人情が強く、無益な殺傷は好まない。だから、被害が広範に及ぶ攻撃は使いたがらない筈だと、アッシュは考えているのである。

 ――うーむ、あんな隠し玉があったとはねぇ……――

 そして、アッシュの予想は当たっていた。身体に炎を纏う、その程度なら武蔵としても対処出来る。
だが、それを行うにはもう少し戦う場所の広さが必要だ。このラブホテルの屋上程度、猫の額でしかない。使いたくなかった。
そもそもこの東京都、狭くて人通りが多くて、いざ武蔵が本気を出そうとすると戦える場所が少な過ぎるのだ。
直前まで、発展を遂げた都市と言う意味では似通った場所……オリュンポスの神都で切った張ったを繰り広げていた武蔵には、余計に狭さが顕著に感じられるのだ。
あの街は有事の戦いをも想定した作りになっていたが、この東京は市街戦と言う物をまるで想定していない作りだ。戦えば目立つし、被害も燎原の火のように広がっていく。根本からして、サーヴァントどうしの戦いに向いてない街だった。

 互いに本気は出せず、真骨頂となる宝具を封印に近い状態にしなくてはならず、単純な剣術の腕前で勝負するしかない。
となれば、有利なのは武蔵の方であった。持って生まれた才能の差、それを伸ばす機会に恵まれたと言う事実、豊富な実戦経験。
卑怯に限りなく近い戦い方をすると言っても、地力にそもそも差があり過ぎる。アッシュは、数少ない機会を掴み取り、其処を突くしか切り抜ける手段がなかった。

 再び、沈黙と睨み合いの時間が訪れる。
重心を落とした正眼の構えを取るアッシュと、自然体で構える武蔵。両名の距離は9m程但し武蔵の方は先程とは違い、刀を2振り持っている状態だ。
居合、抜刀術と言うのは、刀を既に抜いている相手に対して、鞘に刀を入れたままと言う不利な状態から逆転する、不利を帳消しにする技術である。
同じ剣術の腕前の持ち主が相対していたとして、一方が鞘に刀の入った状態、一方が既に刀を抜いたまま、だと圧倒的に後者の方が速く相手を斬れる。
今の状況に当てはめれば、剣術の冴えで圧倒的に勝る武蔵が、もう刀を抜き終えている状態なのだ。先刻までの、アッシュの方が刀を抜いた状態、と言うアドバンテージは消滅している。緊張感の程は、段違いな物になっていた。

 隙を見せれば、即座に必殺の一撃が飛んでくる。隙を見せなくとも、無理やり、とんでもない方法で意識のはざまをこじ開けてくる。
如何なる手段で不意を打つのか、それとも、不意など打たずとも正々堂々と向かってくるのか。どう出る、セイバー。そう考えていた時、アッシュは気づいてしまった。
最初に自分を面食らわせた、飛んできたカナブンを頬張ると言う行為。では、その時のカナブンは今何処に――

「――プッ!!」

 そう考えた瞬間、武蔵は勢いよく、今の今まで口、より言えば舌の下の口底に隠していたカナブンを吐き出した。
勢いこそ見切れる速度だが、そういう問題ではない。唾液に交じって飛んでくるこの甲虫を、アッシュは瞬きもせず、顔面から受け止めた。下手に払えば、それが隙になるからだ。

「おっ、やるぅ!!」

 カナブンを噴き出して間もなくして、地面を蹴ってアッシュの方へと向かっていた武蔵が賛嘆の声を上げる。
驚いたりして硬直するのは武蔵としては論外として、避けたり払い除けたりするのもまた、攻撃以外の動作を行っている為隙になる。
その通り、今のは余程反射神経とスピードに自信がないのなら、避けないのが正解だ。

 迫る武蔵を迎撃しようと、刺突を彼女の胸部目掛けて放とうとするアッシュ 
腕を引き、突き出したそのタイミングで、武蔵は急ブレーキをかけ、止まった。アッシュが腕を伸ばしきっても、剣先が彼女に届くまで、10cmあるかないかの距離。
攻撃が、スカを喰う。フェイント、その言葉が頭を過った瞬間、武蔵が動いた。動くと同時に、アッシュは手首の力だけで刀を放り捨てた。
彼から見て左側、刀を投げた方向に向かって、アッシュは地面を無様に転げまわる。先ほどまで彼の頭があった場所に、武蔵の強烈な膝蹴りが飛んで来ていた。如何やら、機会があらば殴る蹴る、と言った行為も辞さないようだ。

 アッシュが地面を転がりながら、投げ捨てたアダマンタイトの刀を拾い上げて立ち上がるのと、武蔵が膝蹴りを終え、地面に着地するのは殆ど同じタイミングであった。
身体をアッシュの方に向け、再び接近しようとしたその瞬間だった。武蔵が先程吐き出し、アッシュが避ける事無く受け止め、地面に力なく転がっていたあのカナブンが、パァッと橙色に燃え上がった。

「うわっ!?」

 これは流石の武蔵も予想出来なかったらしい。このリアクションは、演技ではないようだった。
アッシュの能力の才能的に言えば、距離が離れたものに自らの能力を及ぼす、今回で言えば自らの手の届かぬ範囲のものを燃焼させる、と言うのは本来不得手だ。
況して、精神がヘリオスのそれに近づく程昂らせるつもりもないのなら、今のような感じで、サーヴァントの意表を突く程度で、さしたるダメージもない程度の燃焼が関の山だ。
だが、それでいい。この程度の隙があれば、アッシュでも、攻め立てられる。散々不意は打たれた、今度は此方の番だ。

 アッシュが駆け始めたのは、武蔵が驚いたのと殆ど同時だった。
燃え上がるカナブンが、本当にただ単に、燃えているだけであり、こちら側を害するつもり何てない事を理解したその瞬刻の後、自らが不意打ちを喰らった事に彼女は気づいた。

 アッシュの刀が、上段右から袈裟懸けに振り下ろされる。これを身体を半身に捻って武蔵は回避。
左手に握る刀を、腕と手首だけの力で振るい、アッシュの腹部を切り裂こうとする。本来刀は鋸のように引いて斬るものであり、こんな適当な振り方では人体は勿論衣服も斬れない。
だが、サーヴァントとして召し上げられる程の人物が持つ剣の技の持ち主と、その人物が持つ剣の事だ。この程度でも致命傷だろうと判断したアッシュは、
刀を納める為の鞘を瞬時に取り外し、これを以て武蔵の攻撃を弾いた。これにより武蔵はのけ反って、隙を見せるか――と思いきや。
弾かれた勢いを利用し、寧ろ思いっきり上体をブリッジめいて反らさせ、そのまま、跳躍。その勢いを利用し、ムーンサルトキックをアッシュの顎を見舞おうとする。
上体をやや反らしたスウェーバックでアッシュはキックを回避。避け終えて、呼吸を1回行い、調子を整え終えた時と、武蔵が月面宙返りから着地したタイミングに、時間的な差はない。

 宙返り後のやや体勢が不安定な姿勢での着地状態、そんな事などお構いなしと言わんばかりに、武蔵が駆け出して来た。
これは、アッシュも見切れた。それに姿勢的な安定さと有利さは彼の方にもあった為、精神的な余裕とゆとりにも恵まれていた。だから彼も、武蔵に合わせて駆け出す事が出来たのだ。

 互いに、自らの握る得物が相手を斬れる間合いに入った瞬間、攻撃に移行した。
最初に攻撃を行ったのは武蔵の方だった。不利な姿勢でのスタートから先攻を取れたのは、恐らくは刀の重さ。向こうの刀の重さは、実際上よりも軽く鍛造されているのアッシュは踏んだ。
武蔵は刀の刃を攻撃に用いなかった。峰である、峰でアッシュの身体を打ち付けようとした。胴体を動かさない、右腕全体の振りだけのコンパクトなスウィングである。
刀は言い換えれば金属の棒だ。峰打ちとは斬らないだけで、やっている事は金棒で思いっきり殴るに等しい行為だ。当然当たり所次第では、骨は折れ筋肉は裂ける。最悪死ぬ。
武蔵の膂力で峰打ちを行われれば、当然常人は苦悶の末に死ぬだろうし、サーヴァントであっても攻撃として通用してしまうレベルだ。
アッシュはこれを、左手で持っていた自らの鞘でいなし、カウンターと言わんばかりに、下段から飛び魚の如くアダマンタイトの刀を跳ね上げさせた。
狙いは、胸。女性相手に気の引ける話なのは解っているが、これが殺すつもりのテストなら容赦はしない。なまじ大きい胸は、その分攻撃で狙われやすい。
武蔵の胸部は、豊かである。当然斬られれば、凄まじいダメージを負うであろう。

 下段からの切り上げを、峰打ちを用いなかった左手の刀で、払い除ける武蔵。
武蔵がアッシュの払い除けるのと、彼女自身が攻撃を行ったタイミングは同じだった。一時に防御と攻撃を技量次第で無理なく両立させられるのが、二刀流の強み。それを活かしていた。
右手に握る刀を横なぎに払う。鞘で防ぐアッシュ。今度は彼の方が武蔵の腹目掛けて刀を振るうが、やはりこれを武蔵はいなす、再び武蔵が攻撃する。左の刀による峰。
アッシュが捌く、刺突。武蔵が払う、袈裟懸け。弾く、鞘で殴る。半身になって躱す、切っ先で突く。

 躱す、斬る、防ぐ、打つ、いなす、突く、避ける、蹴る、避ける、突く。
防ぐ、斬る、躱す、斬る、弾く、突く、いなす、殴る、防ぐ、蹴る、躱す、斬る、防ぐ、突く――――――――。

 にちかは最早、攻撃を目で追えてなかった。そもそもの話、この烈しい攻防に至るまでのやり取りですら、瞬きを終えた頃には戦局が一気に変転していたレベルだった。
だが今はもうそんな次元の話ではない。瞬きするのも忘れ見入っていても、何をやっているのか解らないのだ。
攻撃が防がれる音、攻撃同士がぶつかり合う音。両名の刀や鞘によるアクションが、防がれた時に生じる金属音で初めて、アシュレイ・ホライゾンが無事であった事がにちかに解る。
何をしているのかなど、全く解らない。アッシュも武蔵も、肘から先が朧げにしか、にちかには見えておらず、握っている刀に至っては、もう見えない。速く振り過ぎているからだ。

 猛攻を続けながらも、武蔵の頭は冷静で、冴えていた。寧ろ、攻撃の激しさからは考えられない程、頭の中は冷静でいる、と言うべきか。
戦い方と言うのは嘘を吐かない。例え戦いの最中相手が虚実入り交えた戦法を採用したとしても、『そういう戦い方をする』と相手が解ってしまう以上、
やはり戦いで嘘を吐く事は出来ないのである。武蔵は希代の剣豪である。剣の何たるかを理解している事は言うに及ばず、剣を交えれば、その人物の性格や内実も理解出来てしまう。
武蔵がアッシュに対してテストを挑んだのも、これが理由として存在していたからだ。戦う前に口にしていた、界聖杯を如何にかする方法が、自分達にある。
そのやり口に対し、武蔵に嘘を吐いてないか? 彼の性格上嘘ではないと解ってはいたが、それでも武蔵は、あと一押しが欲しかった。その一押しは、今成された。彼の戦い方から確信した、嘘じゃないのだ、と。

 ――うーん、やっぱり普通ね……――

 だがそれはそれとして、彼の剣の才能のなさは見逃せなかった。
何も剣を交えて解るのは、相手の性根だけじゃない。それよりももっと前に解るもの、剣の腕前があるだろう。実際に剣を振るって争っているのだから、真っ先に解るのは普通はそれだ。
こうして何合も打ち合って解った、アシュレイ・ホライゾンと言うライダーには、剣術の才能は乏しいのである。
と言っても、サーヴァントとして昇華されている身の上だ。英霊、と呼ぶに相応しい水準には、達している。だがそれにしても、凡庸な剣だった。
この戦いに於いて、武蔵は、己の戦法の真骨頂となる、天眼の類を一切用いていない。それらを使わぬ素の剣術に、武蔵と言う個人の考え方(ポリシー)を乗せて戦っている。
言うなれば、全く本気ではないのだ。その本気の戦い方を披露していない上に更に、その戦い方に於いてすら武蔵は『本気』を出していない。
その状態で漸く、アシュレイ・ホライゾンと言うライダーは、武蔵と互角程度の実力なのだ。テストを考案し、斬りかかって来た武蔵の方が、申し訳ないと思う程にアッシュは才能がなかった。

 そもそもが、アッシュと言う人物は、戦う事が不向きな人間なのだろうと、武蔵は考えた。
恐らくこの水準に到達する前のアッシュの剣術は、武蔵が見れば『別の道を歩んだ方が良い』と言い放っていたであろう程、凡庸かつ稚拙な物だったに相違あるまい。
覚えが鈍く察しも遅い、おまけに攻めるも素直で守るも素直。だから虚実(フェイント)にも騙される。
余人が1日打たれ続ければコツを掴めるであろう技術も、アッシュは3日打たれ続けて痛い目を見なければ会得する事はなかったであろう。
しかも実際に生死が関わる戦場に立たせれば、生来の素直さや実直さが仇となり、化かし不意打ち騙し討ちが平気で横行する戦場の恐ろしさに容易く呑まれてしまう。
目立つ才能など、その光る物のなさを認識出来る素直さと、僅かに指が掛かった戦うコツ、これを信じて再び痛い目を見続けられる諦めの悪さか。
それにしたとて、肉体に本来宿っている方の才能ではなく、精神的なそれである。武蔵だけじゃない、他の見る目があるサーヴァントから見ても、アッシュと言う人物に戦いの見込みはない。

 今の腕前に到達する前に、アッシュはどれ程の時間を費やしたのか? それは武蔵も解らない。
ただ、断言出来る事が一つある。師匠に、アッシュが恵まれたと言う事だ。剣は本当に雄弁なもの。口で内実を語らずとも、それを語ってしまうお喋りなのである。 
師匠の剣術の腕すら、相克する相手に教えてしまう。武蔵は解った、アッシュの剣の師匠は、卓越した剣鬼だ。そうとしか考えられない。
争う事の苦手な才無き青年が、今の技量に独力で達したとはとてもじゃないが思えない。今渡り合えているのも、師の教えに忠実だからなのだろう。
恐らくアッシュの師匠は、その時代に於いてほぼ『無双』に近い剣術家だった事は、彼の剣の腕を見れば解る。
師匠としての技術、つまり技を教授する力の事だが、これに関しては最早言うまでもない。アシュレイ・ホライゾンをこのレベルにまで高められるのだ、優れた教導力を持っている。

 ――何よりも、このような才能のない青年を、此処まで高めるだけ付き合える、愛のような感情がある。
覚えが悪く腕前もなく、ただ、素行の良さだけがセールスポイントでしかないこの青年に対し、教える立場からして腹が立つ局面もあったのだろう。
だがそれでも、アッシュの師は彼を見捨てなかったのだ。この段階に至るまで付き合ったのだ。そしてアッシュもまた、この段階から先に行こうと、生前頑張ったのだろう。
その道のりの末に、アシュレイ・ホライゾンはいる。剣術の腕前は並でしかないサーヴァント、アシュレイ・ホライゾンが形作られているのだ。

 ――なんか、あの娘みたいだな……――

 武蔵がマスターと呼ぶ、ただ一人の少女、藤丸立香。
彼女もまた、武蔵から見たら、『どうなのだろう?』と首をかしげる程には、マスターとしての才能がない人物だった。
マスターとして期待される事の多くを、機材の力や礼装の力におんぶにだっこ。出来る事と言えばなけなしの魔力をサーヴァントに供給する事と、
何があってもサーヴァントの前から離れない胆力の強さ。そして、どんな酷い場所にも、行けばそれこそ死ぬしかないような激戦区にも、歩んで行けるその精神性であった。
特異点や異聞帯を巡る戦いの前までは、立香と言う少女は市井の何処にでもいる娘に過ぎなかったと言う。

 そんな彼女があのような数奇が過ぎる運命の車輪に巻き込まれ、それでもなお懸命にあがいている。力がない、出来る事も数少ない。
やれる事と言えば、目を逸らさず諦めず、信じるべき相手をとことん信じ抜く事。そして、疑うべき相手を疑いつつも、時には利用出来る胆力と図太い肝っ玉。
肉体的に付随する才能がまるでない。何処まで行っても、人間の精神一つ。それだけを武器に、異なる世界を渡り歩く才能無き少女と、アシュレイ・ホライゾンの姿はやはり、限りなく相似に近いのだ。

 打ち合いが60合目を超えた辺りで、武蔵は勢いよく飛び退き、距離を取る。
何か仕掛けてくる、と考えたアッシュが、身体にハイペリオンの炎を纏わせようとする。
が、武蔵の行動は、アッシュとて意図するものが解らなかったもの。ダクト近くに着地した武蔵は、そのまま腰を其処に下ろして座り始めたのだ。
座位からどう攻撃を仕掛けてくる? と、アッシュは考えるが、その考えを見抜いたのか。苦笑いを浮かべて、両手を挙げた。ハンズアップだ。

「やめましょ」

 言葉は短かった。それが、戦いを終わらせようと言う旨の言葉であるのが、アッシュもにちかも理解した。
当然疑うアッシュ。構えを解かないアッシュの心情を悟り、口を開く。

「いや、あんな戦い方披露しといたんだから、信じられないって言う気持ちも解りますけど、これはほんと。ガチなんです、ガチ」

「……や、信じるよ。其処は嘘を吐かないだろうから、君も」

 嘘や他意がない事に気づいたアッシュは、刀を納め、一呼吸置く。
取り合えず、危難は去った。身体を損なう事も傷つける事もなく、一戦を終えられた。武蔵相手に本当に五体満足で済むなど、普通はあり得ない事である。
勿論テストであり、武蔵も手を抜いていたと言う事実があったからなのだが……それを抜きにしても、運が良かった。

「ありがとね、ライダー君。後さ、ライダー君でも、そこのマスターのお嬢ちゃんでも良いんだけどさ……」

「? わ、私ですか?」

 唐突に話を振られて、にちかは緊張する。アッシュも、マスター側が話しかけられるとなると、警戒する。

「いや、本当に簡単なお願いなんだけどね、別に魔力とか指とか寄越せって訳じゃなくてさ――」

 そこで武蔵は、一呼吸置いた後に、心からのお願いとでも言うような、神妙そうな声で、こう告げた。

「……お水とか、持ってません?」


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「グジュグジュグジュグジュグジュグジュグジュグジュ、ペッ!!!!!!111(×5) よーし、これで少しは形容し難い味は忘れられたかな!!」

「ちなみに、どんな味だったんですか……?」

「なんか土を排ガスで燻したような……って思い出させるんじゃありません!! 味がまた蘇って来た、もっかい水頂戴!!」

「どうぞ」

 言ってアッシュは、ダクトに座る武蔵に対し、残り3割程度しか残っていない、ミネラルウォーターのペットボトルを寄越した。
それをラッパ飲みし、口に水を含み、勢いよく口内でゆすぎ初め、勢いよくそれをアッシュ達の居ない方向、背面に向かって吐き出す武蔵。同じような個所が水で湿っていた。

 有体に言えば、カナブンを頬張ってしまった口内をゆすぎたい、と言うのが武蔵の頼みだった。
それを聞いた時の、アッシュとにちかの「あぁ……ですよね……」って顔は武蔵は忘れられない。
戦いの最中に隙を作る、と言う名目の下で行った行動でなければ、やってる事は田舎のわんぱく小僧かただの馬鹿でしかない。
お気持ちを察したにちかは、暑さ対策でバッグに入れていた、500mlのミネラルウォーターを武蔵に与えた。そう言う事であった。

「いきなり虫を食べ始めるから正直私、ビックリしちゃったって言うか……」

「実際それが目的だからなあの行為は……まぁセイバーレベルの可愛さがあっても、100年の恋がギリギリで冷めるレベルの奇行ではあるんだけど……」

「ライダーさんの好きな人がそれやっても、冷めたりします?」

「その程度じゃ見限らないよ。彼女の事は大好きだからね」

「うーわ熱い……この炎天下に何言ってるんですか」

「そう、人が必死に口をゆすいでるのに惚気とは何事ですか!! あと可愛いと言ってくれたのは嬉しいので、次うどん一緒に食べる時は好きな天ぷら奢ってあげるわ!! なんかウーバーとかウーサーとか言う出前屋さんが届けてくれた、何亀うどんとか言う奴、あれ凄い美味しいわよね」

「(俺かしわ天が良いな)勝手に虫頬張ったのお前だろ……」

 お、逆ゥ。

「……で、如何なんだ。組む、って言う話は」

 弛緩した空気と態度を直ぐに切り替え、真面目な声音でアッシュが言った。それを受けて、武蔵の方も真面目な態度で、言った。

「合格!! ……って言い方は凄い居丈高で上から目線だから好かないんだけど、私は、貴方とは組んで不足はないかなって感じ」

「君は、なんだな」

「そ。この世界で私の手綱を握るあの娘が、何を言うかは解らない。賢いからね、如何返事するかは解らないわ」

 予測出来た話である。
同盟をこの場で組もうか、と言う話も、結局、サーヴァントどうしが一方的に決めているだけに過ぎない。
しかもアッシュの方はにちかがいるのに対し、武蔵の方はこの場にマスターがいないのだ。当の梨花からすれば、自分の与り知らない所で一方的に話が進んでいる状態である。
彼女にしてみればそれはないだろう、と言う話だし、先ずは彼女の方に話を通す。筋としては、当たり前の話であった。

「君はマスターとは、今場所的に近いのか?」

「ううん、私の足ならそれ程遠くはないかなって感じ。単独行動スキルがないから、其処まで離れて無茶は出来ないよ」

「成程、それはそうだ」

 考えてみれば武蔵のクラスはセイバーだ。
単独行動スキルを持ち、マスターから離れての行動を得意とするアーチャークラスのような真似は出来ない。マスターから離れての自由な行動には制約がある筈なのだ。

「取り合えず、あの娘の所に向かって、話は付けてくる。向こうがダメだって言ったら……それは、諦めてね」

「解ってる。そっちの事情を尊重する」

「ありがとねライダーくん。それじゃ、あの娘の所に向かいますか、と」

 座っていたダクトから立ち上がり、転落防止の柵の方まで歩いてゆく武蔵。その背中に、アッシュは言葉を投げかけた。

「マスターって呼んであげた方が良いんじゃないか?」

 武蔵がその言葉に反応する。柵を跳躍して行こうとする足が、止まった。

「どう言う意味かな」

「君がマスターの事を語る時、呼び方があの娘だとか言うのが少し気になったんだ。名前を言わないのは、それは解る。今の状態じゃ名の開示はマスターであってもやるべきじゃない。だが、マスターって言う便利な名前を呼ばないで、あの娘だとか、手綱を握るだとか言うから、気になったんだ。マスターの事を、信頼してないんじゃないかって」

「……良く聞いてるねぇ、ライダー君」

 クルリと、アッシュの方に向き直り、武蔵は言った。敵わないなぁ、と続けそうなそんな笑み。

「でも信頼してないってのは違うわ。寧ろお持ち帰り(テイクアウト)したい位可愛くて、人間的な娘よ?」

「ならなおさら呼んであげても良いじゃないか」

「操は、一人にしか立てられないから」

 遠くを見るような目で、武蔵は言った。

「まぁ操って言い方じゃ誤解が生まれますけどね、要は誓いよ。私がマスターと呼ぶ、と決めてるのはただ一人。こーんな、正義なんて程遠い荒っぽいサムライ女でも、これと決めた主君にしか使いたくない言葉がある、位の乙女心はありますから。だから、私がマスターと呼ぶのはただ一人だけ。この世界に於けるマスターとも言うべきあの娘をそう呼ぶかは……彼女の選択次第、って訳」

「そうか……解った。悪かった、そっちの事情を知らなくて」

「いえいえ、結構鋭い勘をお持ちでビックリしちゃった。戦いだと重要になるから、よく磨いておいてね」

 言って今度こそ此処を去るか、と思ったその時、再び『待った』が掛かる。アッシュの声だ。

「君のマスターに伝えるのは良いんだけど、じゃあそれに対する返事はどうやって俺達は受け取るんだ? 今このタイミングで、こっちのマスターの連絡先を教え合うのは避けたいんだが」

「あぁー、そっかそうだよねぇ」

 聖杯戦争の状況が刻一刻と変わるものだと想定する以上、一か所に留まるにしても、多少なりとも安全な場所を選びたい。
そしてもう一つの条件が外ではない事だ。この暑さの中、一時間も二時間も待ち合わせ場所でのんびりする事は、暑さの故に出来る筈がない。

「……あ、そうだ。丁度いい場所ならあるんじゃないかしら?」

 妙案が浮かんだ、と言う風な態度で、武蔵は言った。その武蔵案とは――


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 武蔵の考えは要するにこうだった。
夏の暑さを防げて、適切な冷房設備が備わっていて、そして、後に合流する予定の武蔵とそのマスターが解りやすい場所なら良い、と言う3点の要所を抑えた場所が良いのだと。
そう、それは正しい。アッシュとしても其処に異存はなかった。

「し、シングルで一時間半……お、お願いします……」

 それはもう赤面しながら、にちかはフロントに佇んでいる、深紅色のナイトドレスを着用した妙齢の美女にそう告げた。
その豊満な胸を持った女性……見覚えがあり過ぎるのはアッシュの方だ。主に、生前の方面で、だが。

「一応聞きたいのだけれど、貴女学生よね? 後ろの人は……」

「く、クラスメイトですよ!! やだなーもうおじさんに見えますかこの若さで!!」

「それもそうねぇ」

 ……問題があったとすれば、武蔵が提案した待ち合わせの場所と言うのが、自分達が戦っていたラブホテルの室内だった、と言う所であろう。
当然にちかは即座に断った。先ず体裁も悪いし、金が掛かる。これに対し武蔵は、聖杯戦争が始まってしまえば金の心配よりも命の方を重視するべきだし、
何のかんのと言っても東京の地理に武蔵も、彼女のマスターである古手梨花も疎い。目だって解りやすい施設の方が、此方も覚えやすいと言う正論で、にちかは押し黙ってしまった。

「淫行条例、って知ってるでしょう? 未成年とかが問題起こしちゃうと、悪くなくても私達は悪役にされちゃうのよ」

 要は美人局とか売春だとか、援助交際だとかだ。
近年はSNSを筆頭とした伝達手段も発展して気軽に、男の方も女の方も、そう言った問題を簡単に起こしたり、起こせるようになってしまった。
勿論それを行った当人が悪いのが間違いないのだが、こう言った施設側も警察から注意を貰う事がある。どうして未成年だと気づけなかっただとか、そういうような事を言われるのだ。

「……うーん、まぁでも良いわ。貴方達2人とも未成年だから問題はないだろうし、今夏休みでしょ? 一夏の思い出でも作って来て頂戴」

 結局のところ、アッシュの年齢が若く見え過ぎたから、身分証の提示と言う最大の関門はスキップ出来た。
尤も召喚されているアッシュの年齢は、10代半ばを過ぎた辺りで、若く見えるのは当然の話であるし、そうでなくとも整った童顔気味の人物だ。
所謂中高年とか、20代過ぎには見られる可能性は、かなり低いのであった。

「それじゃ、鍵の方渡しておくわね。あ、それとなんだけど、ベッドの枕元に、貴方達に必要な物があるから、調べておいてね。お金は取らないサービスだから」

 そう言ってドレスの美女はにちかの方に510と書かれたカードキーを渡し、エレベーターへと歩いて行く2人を、初々しいものを見る目で見送った。
エレベーターに乗ってから、指定の部屋まで互いに無言。カードキーをリーダーに通し、入室するにちかとアッシュ。
室内は味気ない殺風景なビジネスホテルのそれとは違い、何ともまぁムーディーと言うべきか、行うべきあれやそれの雰囲気に相応しく纏められていた。
間接照明でやや薄暗く、壁紙の色は情熱的なレッド。部屋の角には天蓋付きのベッドが設置されていて、遠目から見てもシーツにシワ一つないのが見て取れる。
何やら香の類も焚いているのか、薔薇のような香りをにちか達は感じ取った。室内は閉塞感を感じさせない広さで、宿泊施設として使っても恥ずべき所がない。
お高い値段設定相応の部屋だった。此処がラブホテル、と言う事実でもなければ、にちかも少しはマシな心持ちだったのだろうが。

「だ、誰にも見られてないですよね? 知り合いとかに見られたら困りますよほんと!!」

「マスター交友範囲が解らないからな……それにこの世界の人達はマスターの居た世界の知り合いとは別人だろうし……」

「そういう問題じゃなく!!」

「まぁそうだよな……」

 それはそれ、これはこれ、と言う奴だ。
気持ちは解る、フロントの女性がアッシュも見た事がある女性、イヴ・アガペーだったので、かなり焦ったのであるから。
顔見せの時に普通に誘惑され、『絶対に断れよ』と言う目をしたナギサに凄まじい殺意を向けられた事もある、やりにくい女性だったのは覚えている。

「まぁもう、入っちゃったものはしょうがないですし、あのセイバーさん達が来るまで待ちましょう。その間私、ベッドで休んでますから」

 言ってにちかは早歩きでベッドへと近づき、其処に身を投げた。
ぼふんっ、と仰向けのまま十数㎝以上も身体が跳ねた。ベッド自体も高品質(ハイクオリティ)だ。マットも恐ろしい程柔らかく、スプリングも効いている。
実体化状態のまま、ソファに腰を下ろしたアッシュ。何かあった時の為、瞬時に行動出来るよう、霊体化はしなかった。

 ――そう言えば……フロントの人枕元調べろって言ってたな……何があるんだろ――

 自分の頭の何倍も大きい羽毛枕を退かすと、成程、確かに大事な物はあった。
極薄だとか、0.01mmとか書かれてある、スマートフォン並の大きさの紙箱が、にちかの視界に飛び込んできた。

「むんっ!!」

 それをアッシュの後頭部に怒りに任せて投げた。「うわ、なんだ!?」と驚くアッシュなのであった。



【新宿区・パレス・露蜂房(ハイヴ)/一日目・午前】

七草にちか(騎)@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:健康、精神的負担(中)
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:高校生程度
[思考・状況]
基本方針:283プロに帰ってアイドルの夢の続きを追う。
1:殺したり戦ったりは、したくないなぁ……
2:ライダーの案は良いと思う
3:現在新宿区の歌舞伎町でセイバー(宮本武蔵)と待ち合わせている状態です
[備考]

【ライダー(アシュレイ・ホライゾン)@シルヴァリオトリニティ】
[状態]:健康
[装備]:アダマンタイト製の刀@シルヴァリオトリニティ
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]
基本方針:にちかを元の居場所に戻す。
1:界奏による界聖杯改変に必要な情報(場所及びそれを可能とする能力の情報)を得る。
2:情報収集のため他主従とは積極的に接触したい。が、危険と隣り合わせのため慎重に行動する。
3:セイバー(宮本武蔵)の存在を認識しました。また、彼女と同盟を組みたいと言う意向を、彼女に伝えてあります
[備考]
宝具『天地宇宙の航海記、描かれるは灰と光の境界線(Calling Sphere Bringer)』は、にちかがマスターの場合令呪三画を使用することでようやく短時間の行使が可能と推測しています。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 武蔵自身、「本当か?」と言う気持ちでいる事だが、彼女は天眼と言う特殊な魔眼を保持した剣士である。
とは言え彼女自身、自分がそう言う目を授かって産まれている事を理解している。それを活かした戦い方も行った事は一度二度の話ではなかった。
知ってはいるけど、実感が湧かない。感覚としてはそれに近い。武蔵自身思っている事だが、多分自分は天眼なんてものを授かって無くとも、この戦い方をぶらす事はなかったと断言する。
これを斬ると決めれば少し悪い頭をうんうん唸らせてそのやり方を考えるし、駄目だと解れば尻尾巻いて逃げたり、逃げられないと踏んだら戦闘中に講談を披露して隙を無理くり作りもする。宮本武蔵と言う女剣豪は、そんな人物だった。

 武蔵の天眼の主な使い方は、剣士としての使い方で行う。つまり、あそこを斬るにはどうするべきか、あれに勝つにはどうすれば良いのか。そんな具合にだ。
勿論、今の時点で勝つのが絶対に不可能なレベルで技量が隔絶した相手だったり、天眼で見た達成方法への道しるべを悉く潰してくる相手には、無意味である。
だがそれでも、勝ち筋は解る。例え1%以下の勝率。それこそ、1億、10億、100万億通りもこちらの負けのパターンが見えていたとしても。
その中に、勝ち筋が一つでもあったのなら。武蔵はそれを選ぶ事が出来る。勿論、それによる犠牲を払う必要がある。己の身体の一部が吹き飛ぶ事だとてあり得る。腕かも知れないし脚かも知れない、それどころか首を刎ねられると同時に相手を斬り殺せると言う、相討ちの形で終る未来かも知れない。何れにしても、限定的ながらも、勝ち筋と言う形での未来視とそれを実行に移せる因果の助力。それが武蔵の天眼であった。

 だが、この天眼は逆の使い方も出来る。即ち、自分の『負け筋』を見ると言う事。つまり、どうしたら自分は相手に負けるのか、と言う事だ。
一見すると無意味な使い方かも知れないが、実は意味がある。剣士にとって負けは死だ。当たり前だ、純然たる凶器そのものである真剣で戦うのだ。
命を失うのは当たり前、一生を後遺症と付き合う事を覚悟するレベルの障害を負って生活するしかないなど運が良い方で、目が潰される親指を失うで済むなど、幸運以外の何物でもない。
そう言ったリスクを負う事なく、負けの未来を見る事が出来るのだ。これが、経験値を得る為の重要な糧になるのだ。
大抵の場合負ける未来と言うのは、選択肢を選び間違った事によるものが多い。だが中には、己の慢心や油断からくる物がある。武蔵レベルの剣士であっても、そんな未来がある。
それを見ると、自戒の念が強まる。武蔵が勝つ為に何でもするのは、天眼で常々、負ける未来も見ているからと言うのもある。負けた後の不憫な生活、剣士としての死。それが、自分の驕った心の持ちようで齎され得るなど、言語道断。許せない。だから彼女は、勝つ為にベストを尽くす。それこそ、あのような何でもありめいた手を用いてでも。

 あの時、アシュレイ・ホライゾンと戦った時、武蔵は戦闘に直接使わなかったが、天眼を用いた。
殆ど、自分が勝つ未来だった。単純な剣術で圧倒するものもあったし、周囲の被害を勘案しない戦い方でマスターのにちかごと巻き込んだものもある。
余りにも勝ちの未来が多かった為、武蔵は、相手を知ると言う意味でも、天眼を逆の使い道で使ったのだ。即ち、アッシュはどのようにしたら、自分を殺せるのかと言う事についてだ。
宝具を使うのだろうと思った。サーヴァントの宝具はまさに十人十色。一見すると弱いサーヴァントでも、宝具そのものが強すぎる、と言う事も多分にある。
アッシュもその類なのだろうかと思い、天眼を用い自分の敗北する可能性の未来を見て――



 ――――――――――戦慄を覚えた。



 そのリアクションを、表面上に出さなかったのが最早奇跡だった。
眉一つ動かさず、おくびにも反応を見せなかったが、慄然していたのは事実だ。それ程までの衝撃を、武蔵は覚えたのだ。

 武蔵が見たのは、『煌めく火』だった。
温かい囲炉裏の火とか、焼き芋を作るのに使う焚火の赤だとか、そんな優しいそれじゃない。
全てを焼き尽くす劫火。火は酸素がなければ燃えない、水を掛ければ消化される……そんな当たり前の物理法則すらも、知らんとばかりに燃え上がり続ける煌めく焔だ。

 その焔の中に、武蔵ですら息を呑む美しい金髪の男が佇んでいる。それを見た武蔵が抱いたイメージは、『∞』である。
この宇宙に存在する全ての有質量。これら一切をかき集め、極微の一点に凝集、稠密、収縮させ、それが人の形になったような。
我々が認識する宇宙に於いてこれ以上のものはないと言う、密度。その極地のような人物が、炎の中に佇んでいたのだ。

 武蔵が観測した敗北の未来に於いて、武蔵の姿はなかった。普通負けの未来を見たら、斬り殺されだらりと力なく横たわる彼女の姿も見える筈なのだ。
それがない。理由は単純だ。死体が残らぬ程強力な一撃で消し飛ばされたのだ。そして、自分が消し飛ばされるだけならまだ良い。
その無限大は、黒い暗黒の空間の中で佇み、炎を噴出させていたのだ。宇宙、空の果て――『 「   」 』。その空間を見て武蔵はそう思った。この東京を越えて、界聖杯そのものすら破壊したのかも知れない。

 武蔵は自分の思い描いた究極の理想。 
自分の剣術の腕を、空(ゼロ)を斬る領域にまで至らせる事を目的としていた。そして、その夢を、藤丸立香との旅路で果たした。
何度も出来る事じゃない。寧ろ、あの時あの一瞬以外、同じような事は再現出来ないかも知れない。だがそれでも、確かに彼女は斬ったのだ。そして、彼女らを生かせたのだ。
だから、満足だった。自分の思い描いた独り善がりの理想で、確かに、救われた命があったのだ。そうと思うと、あの時の結末に、悔いなど、ある筈がなかった。

「人間って欲深ね」

 今――武蔵は新しい目標が出来上がってしまった。
「   」を斬った剣士が次に目標とすべきは、何か? それが、武蔵は定まってしまった。
無限だ。∞なるものを、斬るのだ。零の次は∞だ、などとは、何とも安直な発想だと苦笑いする武蔵。だが、実際それしかないのだから仕方ない。

 アレは、斬れるか?
一目で、森羅万象の上に君臨する、超越者の類である事は理解した。
この世を支配する遍く自然の法則、宇宙の法則。それらから隔絶され、超絶した何者か。限りなく∞に近く、そして、∞を越えた先の何かに往かんとする者。

「……鯉口切り続けてたら出て来てくれないかな」

 宮本武蔵。彼女は確かに、藤丸立香やノウム・カルデアを救った。そして本質的に、非道外道の類が許せぬ好人物である事も間違いない。
……ただ、零の先を斬ろうが、彼女の本質は変わらない。根本的に、ロクデナシなのだ。

 浮かべる笑みは剣鬼の笑み。神仏より授かりて生まれた天眼に、爛と狂気の煌めきが過る。
初めて目の当たりにする、∞の体現者に思いを馳せながら。宮本武蔵。お前は果たして、何処に往く。何処に、逝かんとする者か。



【新宿区/一日目・午前】

【セイバー(宮本武蔵)@Fate/Grand Order】
[状態]:健康
[装備]:計5振りの刀
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]
基本方針:マスターである古手梨花の意向を優先。強い奴が見たら鯉口チャキチャキ
1:現在マスターの下へと帰還中です
2:七草にちか&ライダー(アシュレイ・ホライゾン)の存在を認識しました。彼らと同盟を組みたいと考えています
3:アシュレイ・ホライゾンの中にいるヘリオスの存在を認識しました。
武蔵ちゃん「アレ斬りたいいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ。でもアレだしたらダメな奴なのでは????」
[備考]

時系列順


投下順



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最終更新:2023年03月11日 01:45