◆


 世界が燃えているような空だった。
 群青だった天は失墜する朱に染まって都市を黄金に焦がす。
 夕刻の切り替わり、下校を告げる学校のチャイム。夏の空は日没には遠かれど、少しずつゆっくりと一日の幕を閉じつつある。

 黄昏時。誰そ彼時。
 昼と夜とが混じり合い、曖昧になる境目の時間。
 あるいは逢魔が時。
 昼に生きるものと、夜を統べるものとが行き遭いやすくなる時間。 
 隔てられている世界が、繋がる境界。

 魔を忘れ神を捨てた文明の地にあっても、人と魔の領域の扉は存在する。
 それは一定のボタンを押す法則で開くエレベーターであったり。
 自殺の名所と噂される橋の下であったり。
 止まらない発展に取り残された不良物件であったりする。

 三方をビルに囲まれた一角だった。
 後先考えず雨後の筍のように林立していった建築物との間に偶発的に空いた死角。
 日当たりは皆無。如何に太陽の元に晒されないかを計算したかと疑う設計で、傾斜やら屋根やら不法投棄物やらが複合的に絡み合った人工の蔦が出来ている。
 隣の屋根劣悪を通り越して一周回って付加価値がつきそうなほどに暗い。
 明かりになるのは唯一外に繋がる通路の角から漏れる光と、囲むビル内越しの薄暗い照明だけだ。
 背後には進入禁止の立て掛けが置かれ、先は真の暗黒に繋がってる。
 商業的に見捨てられた位置だが、秘めやかな密議を交わす者達にとっては絶好のセーフポイントだ。
 暴行に、闇取引に、数え切れない業がこの土地には染み込んでいる。
 今はいない。
 酒に酔った粗忽者も、荒稼ぎを目論む売人も、今日この時限りはここに寄りつく事を忌避していた。
 今更になって犯罪に気が引けたわけもなく、生き馬の目を抜く非合法を過ごす者達が磨いた嗅覚が、隔絶の予感を察知したのだ。
 彼らが恐れるのは法の光であり、闇は行いを覆い隠す恩恵。その日常が反転する。
 あくまで潜むだけしか能がない匹夫に、闇から生まれたモノと行き遭う覚悟もない。
 知恵なき鳥獣であろうともこの闇に飛び込もうとは思うまい。本能のままに生きているからこそ、死の怯えには敏感かつ忠実だった。
 闇は恐ろしく、死は恐ろしい。正常であれば誰もが理解する。誰もがそうする。
 それでも足を踏み入れるとしたら、それは須らく正常から外れたモノだと心得よ。
 それは形を問わず、『何か』に狂った者に相違ない。

 光から闇へ。
 夕焼けの街から路地裏へと近づく足音。
 ふらついた千鳥足、周囲に悟られない忍び足、どれとも違う。
 待ち受ける闇を知りながら恐れない、恥なく憚りのない勇み足であった。
 ならば狂い者か。ああそうだろう。それは確かに狂っているのだ。剣に狂い、武に狂い、死に狂ってる。 
 だがしかし、狂えるほどの美しさも備えてるとは、さしもの闇も想像だにしなかったに違いない。

 闇が目を開く。
 蛾の羽根のように、対に連なる六つの珠が来訪者を睨めつける。
 薄明しかない闇にあって、鮮やかな紅と蒼の彩は褪せてはいなかった。
 たとえ虚空と無の彼方に消えようとも眼に残り続けるであろう、烈なる快気がありありと見て取れた。
 狂いしも堕ちる事のない、天元の花を思わせる姿をした女であった。


 来たりし女は、剣士である。
 待ち受ける闇は、鬼である。

 逢魔が時に、鬼と剣士が行き遭った。



 ◆




(───むっ)

 東京の中心地、新宿は繁華街。
 空のうだる熱気と人の猥雑な過密が絡み合う道中で、古手梨花は契約したサーヴァントの唸った声を聞いた。
 武蔵が邂逅し、刃を重ねる物騒な過程を挟んで梨花を引き合わせたサーヴァント・ライダーとの交渉。
 界聖杯からの無血にての脱出。状況を鑑みても分が悪い大博打に自分達も相乗る協力体制がひとまず成って、再合流するまでの幾ばくかの猶予。
 自宅に戻り都会の喧騒から外れて休息に充てるか、新たな進展の欠片を探しがてら散策するか。
 どう使えばいいものか思案している梨花の脳内に差し込んできた声だった。

(どうかしたのですか、セイバー?)
(うん、ちょいと厄介な案件かなこれ。ここで来るかー、というべきか。それともこういう半端な時間帯だから好きにやれるっていうか。
 ああ、立ち止まらないでそのまま歩きながら聞いてね。サーヴァントの反応がありました。実体の眼がないから何ともですが見られてるかもしれない)

 軽口を崩さす常在戦場の侍の口から、何の気なしに、滑るように出てきた物騒な言葉。
 背筋に氷の柱をねじ込まれたような悪寒に、夏の暑さが忘却させられた。
 鬱陶しくまとわりついていた大気が、ナイフの硬質感をもって梨花を刺しに来る錯覚が脳に欺瞞を引き起こす。
 恐るべき指摘に、顔を俯けて前髪で表情を隠せば気取られない程度の動揺しか表に出さなかったのは、繰り返しを積み重ねた年月の賜物だろう。
 そうして止めていた喉を動かし淀んだ空気を肺から吐き出せば、平時の朗らかな表情を張り付かせて調子の乱れなく歩き続けられた。

(向こうは実体化してる。同じ場所から動きはなし。用事の道中ってよりかは、気づいた誰かが寄ってくるのを期待してる感が強し。
 いわゆる立ち辻ってやつね。私もちっちゃい頃は親父殿にやらされてたっけ)

 要は、明白な臨戦態勢。
 多数の主従、陣営が乱れ飛ぶ聖杯戦争。
 23組がひしめき合う舞台に東京が適当な広さなのかなど、土地勘のない梨花には知りようもないが。
 それでもすれ違うように、敵意はやって来る。
 誰が敵か分からない。何処から襲ってくるか分からない。生死の境界が秒後で変わる戦場に自分は身を置いてるのだと、改めて思い知らされる。 

(……おでんのサーヴァントではないのですか? いつもはこの辺りにいるようなことを言ってたのですし)

 口ぶりからして先程のライダーではないのだろう。さもありなん。快く協力を取り付けられた相手に疑心を植え付けるような挙動を見せる利点がない。
 武蔵に曰く、札を幾つか隠し持ってるのを加味しても個人戦闘力に長けたサーヴァントではないライダーが、初手で裏切りの布石を置くなどとは。
 もし仮にするとしても、こんなすぐ武蔵に気取られるような迂闊さ・性急さ。
 直接に見合って言葉を交わして抱いた、粘り強く境界線の交差点を見出す結果に尽くすライダーのイメージとはまるで合致しない。らしくない。
 なので一番に浮かんだ可能性は、ライダーとの交渉前に偶然遭遇した侍、おでんという男のサーヴァントだ。
 昭和の時代に取り残された梨花が言うのでもないが、腰に刀を差すような江戸あたりの時代からそのまま抜き出てきたような風体の傾奇者。武蔵ほど剣狂いではないにせよ喧嘩っ早い性質の持ち主だ。
 おでんに曰く、己のサーヴァントは武蔵以上の剣腕だという。
 武蔵だけでも『凄い強い』とザックリした査定しか出せない梨花にはまったく想像が及ばないが、だとしたらこんな風に殺気を振り撒けたりもするものなのか。

(どうかなー。ああいう御仁って、夜になったらそこが寝床だ! って原っぱで転がる根なし草タイプでしょ。一箇所に留まること自体が億劫な。
 それにあの……腕も気持ちのよさっぷりも一品のおでんさんが太鼓判を押すにしては───これはちょっと不躾過ぎですね)

 『そそる』相手には破顔しながら鯉口で音頭を取る武蔵が言える事でもないのは棚に置いて。
 どれだけの凄まじき強者を目にしても武蔵が『そそられぬ』気分になる時には、幾つかの通例がある。
 空腹時にメシを奪われる事。
 人の矜持、信念を快楽の為に踏み躙る事。
 戦争の過程でなく、理由もなく殺すような一方的な虐殺。
 つまりは外道働きを喜々と為す輩には、武蔵は士としてではなく真に憤怒を表す。
 実体なき姿でも肌に刺さる鋭利さを伴った気配には、旅の途中で偶に目にするそうした手合いと似た種類を感じた。
 確証はない。いうなれば剣士の勘頼りだ。だが戦場においては百の論より生存の手に早く到達する頼みの相棒である。
 そして今梨花はその勘を必要としてる場面にいる。否定する材料は、どこにもなかった。

(こっちに気づいてるかもと言ったけど、確率としては半々ぐらい。このまま知らぬ存ぜぬを決め込めば逃げられると思うけど───どうする?)

 選択を促される。
 退くか、進むのか。
 マスターを戴くサーヴァントであればごく自然な対応。なのにどこか見逃せない違和感がある。


(どうする? ……って、ボクが決めていいのですか?)
(ん? そりゃあそうでしょ。気持ちはどうあれ契約で結ばれてる以上はしっかりとサーヴァントの務めを果たしますとも。今までそうだったでしょ?)
(あははー。そうでした。セイバーはボクが何か言う前に強そうな剣士さんに所構わず喧嘩を売っちゃうサーヴァントさんなのでした。にぱー)
(…………………………………………あー)
(にぱー)
(あー、あー、あー……うん、そうですね。そうでしたそうでした。イヤホントゴメンナサイ)

 姿勢を落として地面にちょこんと正座した武蔵が幻視される。こんなとこで奇蹟の無駄遣いをしないで欲しい。

 独りで行かせては腕試しとはいえ刃を交わせ、連れていても腕に覚えがある剣客を見つけては柄を上げる。
 人好きのする笑顔を振り撒いておいて、実際は自分でも認める人斬り包丁だ。
 強さも人柄もとうに信頼を置いているが、振り回されてるなと。本戦から一日と経たない内に梨花は自覚していた。

 サーヴァントを一種の兵器、自動機械として計るドライな視点で見るなら。
 今の梨花は振るった刀の重量と勢いを殺し切れず腕の筋を痛め、銃を撃った反動で持ち上がった撃鉄で鼻の骨を折るかもしれない有様だ。
 どんなに強力な武器でも使えなければただのお荷物。
 自分に何か足りないものがあるのか。マスターの資質? 魔力の保有量? 戦闘の心構えと戦う術?
 そうではない。そうではないのだ。
 きっと、この刀を取るに足る理由は、そういうものとは違う。
 彼女はもう、その答えを言っている。だから梨花も聞き出そうとはしない。
 この場で紡ぐ言葉で、意志で、形を示せばいい。

(じゃあちょっと言い方を変えます。
 ボクがこのままそのこわいこわいサーヴァントさんを見逃したら、セイバーはどうなると思っていますか?)

 選択の是非ではなく、その結果を問う。 
 戦いを回避し、大人しく逃げ帰って去った新宿で、剣士は何が起こるか見ているのか。
 武蔵は驚いた風もなく、ご明答とばかりに破顔した、ような気がした。

(梨花ちゃんの見立て通り。このサーヴァントはこれまでと違って会ったら仲よくお茶を飲める機会なんてないでしょう。
 この土地では極めてまっとうな、聖杯を刃をもって至らんという武闘派。
 だからいよいよ誰も誘いに乗って来ないとなって痺れを切らしたら───手当たり次第にって線も有り得るわね。
 例えばこの付近に居て、所用が立て込んでてすぐに離れられないかもしれないサーヴァントのところに)
(ライダー達を狙う、ですか)

 別れたばかりの、見た目は幼い少女でしかない梨花に対して、侮る事も慮る事もなく真摯に、対等な相手として扱った青年の英霊を思い返す。  
 その相手が、ほんの少し離れてる間に凶刃にかかるかもしれない。傍らにいた少女諸共に。

 焦る必要はない。疑心は浅慮の温床になる。
 何も襲撃されると決まったわけでもない。
 考えなくてはいけないのは、自分達次第でそれが実現に向かう可能性があること。
 周囲で起こり得る問題に即応できるものがいなければ、確率は高まる事だけ。

(なら、どうする? どうするの、梨花)

 ライダーとの同盟関係はただ敵勢力を打倒しながら出し抜く機会を伺う、期限付きの共同戦線とは違う。
 彼の宝具による界聖杯への介入、ただ一人のみしか生き残れない非情のルールを編集する奇跡を信じてのものだ。
 成功はおろか、発動できるかも怪しい。そんな危険な賭けにベットしたのは、ひとえに『そうしない』自分になりたくはなかったから。
 それはきっと出来てしまう。でもしたいとも、するべきだとも思いたくないから。

(そうよ。違うでしょう。私は何をしたいの。何を選ぶと誓ったの)

 疑うのはすごく簡単で、信じるのはとても難しい。
 いともたやすく惨劇は起こる。百年もの間、飽きもせず延々と。
 梨花は再び繰り返しに因われた。業の宴の中に放り込まれた。
 そして聖杯戦争という新たな惨劇。今度はもう戻れないかもしれないという恐怖は拭えない。
 それでも。そうそれでも──────。



(セイバー。マスターとしてお願いするのです。
 そのサーヴァントさん、ここから追い払っちゃってください) 


 いつか、魔法を見た。
 呪われた運命を解き放つ、奇跡のような魔法がかけられた。 
 けれど。魔法が授けるのは機会だけ。未来に続く未知の答えは自分の手で探し求めていた。
 何もしないまま、ただ待っていただけで何もかも救われる、そんな魔法はただの一度だってなかった。

 だから梨花は選ぶ。殺す為ではなく、生きる為の戦いを。 
 血を流さなければ帰れないと憂いた道に見えた希望の灯は絶やさせはしない。縋り付くのではなく、固い意志によって。
 それは武蔵という刃を離さず強く握りしめる力となる理由。
 指針を示せず、向ける先が定まらずに持て余していたサーヴァントへの、梨花の最初の命だった。

(……芯の入った、気持ちのいい言葉です。応とも。それならばこの剣を振るうのに不足なし。
 ならば後は任せなさい。あなたの見せた意志に見合う剣としての働きをご覧に入れてみせましょう!)

 快なり、おお快なりとと請け負う声。
 ……武蔵は一度も語ることはなく、梨花もまたわざわざ掘り起こす真似はしてこなかったが。
 彼女が唯一のマスターと仰ぐ人間は、主従としてではなく、友人のように隣り合って進むような人だったのではないかと思う。
 共に並び、共に進み、共に傷つき、共に笑う。どんな人でなしでも思わず剣を預けたくなってしまうような、眩い善性を持った子に。
 不思議と、名も顔も知らない前任者の輪郭が、梨花のかけがえのない仲間達の影と重なる様が幻視された。  

(あ、あくまで追い払うまでですからね。戦わずに済むならそれが一番。無闇に深追いなんてしちゃ駄目なのです。
 もし帰ってこないようでしたら、もう今日は頭なでなでさせてあげないですよー)
(そんな殺生な! 分かりましたさくっと切り上げてきますねだからお風呂に入るのは待っててね!!)

 うおお待ってろシャンプーで泡だらけになった長髪ー! と奇声を上げながら移動する。
 気配が遠ざかっていくのを感じると同時に、肩に張っていた力が抜けた。
 後悔はない。僅かな昂揚すらもある。きっと自分は最善を選んだ、正しい道に進んだと信じられる。
 武蔵が吉報を持って無事に帰ってくるのを祈って待っていればいい。となると。

(結局、振り出しに戻ったわね……私はどうすればいいのよ)

 直接的な支援が行えるわけもない梨花が一緒に戦闘に参加するわけにいかないのは道理だ。 
 サーヴァントへの魔力供給は非我の距離が遠ざかるほど減衰すると武蔵は言っていた。
 今回は小手調べ腕試しとは一線を画する、本気の戦いだ。一人だけで家に帰るルートは削除された。

(暑いわね……)

 東京に来て何度漏らしたかも分からない所感。
 暑さだけならまだどうにもなるが、この数がいけない。この街の人口密度の濃さにはいつも圧倒される。
 新宿に集まってる人だけでも、雛見沢の総人口を越えかねないのではないか。
 百年の知識も経験も、その殆どはあの村の中で培われた分だけでしかない。御三家の一角、オヤシロ様の化身も蓋を開けば狭い世界で生きてきた小娘だ。
 世界は思ってる以上に広くて、多くのものがあって、その数だけ自分が成長できる機会に溢れてる。
 運命を打ち破ってくれた彼らの持つそれぞれの強さ。憧れを憧れだけで終わらせない、自分もそうなれるのだと言われたみたいで、胸が高鳴ったのを覚えてる。
 まあ……かといって、未来への展望とこの暑さはまったくもって関係ないのだが。

(ていうかほんとに暑いわねこれ……まずいわ、ちょっと休もうかしら)

 頭がふらつき、足元が覚束ない。慣れない冷房がガンガン効いたホテルで話したのがまずかったのか。
 根が深いものではない。少し休めば落ち着く軽度の貧血だ。
 世田谷から電車を乗り継いで新宿への道程でこの有様。不養生をした覚えはないが、

 目を指で押さえ立ち止まる梨花に、すれ違う人は素通りして行く。
 横目で見やる様子は親を連れてない子供を心配する素振りであるものの、声をかける事のリスクの方が手を出すのと憚らせた。
 ベンチにでも腰掛けていればすぐ楽になるだろう。そうして雑踏から抜け出そうとのろのろと足を動かすが、早足で過ぎ去るスーツのビジネスマンと肩が掠れるぐらいに接触して膝がくず折れてしまう。
 薄情だと白眼視はしない。自分の立場を考えれば余計な世話をかけて近づいたりしないのはありがたいぐらいだ。
 惨劇はいつだとて唐突だ。そうなるだけの背景があっても、当事者が知っているとは限らない。
 本格的に界聖杯の脱出に乗り出すとなれば、どうしたって危険がついて回る。それが今でないとどうして言えよう。
 もう少し暗がりが増せば、流石に怪しんだ警察なりが保護に動くだろう。だがそんな頃にはとっくに体調は復帰して帰ってる。つまり意味がない。



「あの……大丈夫……?」

 伏した顔と同じ位置から、誰かの声がかけられた。
 こちらを気遣うのが伝わってくる、心から優しい言葉。
 顔を上げれば地平に消えかける太陽。そして光を背負い朱に染まる───白い服。白い髪。白い肌。
 梨花のいる場所だけ夜に落ちたと錯覚させる、月を思わせる幽き白女。

「ケガをしたの……? それとも、脱水症状かな……お水はちゃんと飲んだ……?」

 手首や額に触れ、てきぱきと症状を診る手には包帯。額や腕にも白い帯が巻かれ、自分の方を心配しなさいと言いたくなる痛々しい格好。
 梨花は知っている。雑誌で読んだインタビューでこうして体のどこかに包帯を巻くのが日頃のルーティーンなのだと。
 梨花に提案を申し込んだ凛々しい彼女と在籍を同じとする、一緒にユニットとして活動するメンバーの一人だと。
 というか後ろのビルにかけられた大看板に描かれた写真の5人組と瓜二つ、いやそのものであり。

「幽谷……霧子?」 

「え……? ふふっ……知ってくれてるんだ……ありがと……」

 自分のファンだと思ったのか、名を呼ばれて嬉しそうに微笑む。
 まだ目が回る梨花はそれどころじゃなく、霧子に手を引かれるまま介抱を受けるしかない。

「あら、霧子ちゃん? その子……」
「あ、あの……そこでふらついてて、少し辛そうにしていたので……」
「そう……救急車呼ぶ? なんなら皮下先生のとこまで直行って手もあるけど」
「いえ……そこまでしてもらわなくても……。熱もないし、ちょっと休ませてあげたくて……ごめんなさい……」
「いいわよ。海岸から帰ってきたばかりだし休憩には丁度いいでしょ」

 いつの間にか、霧子と対照的に全身を黒い服で包んだ、美しい長髪の妙齢の女性が傍に立っていた。
 引率にも姉妹にも見える女は、項垂れる梨花の様子を窺って、薄く、唇を綻ばせた。



 ◆



 ───繁華街の路地裏で、二つの影が対峙する。
 剣士の影。鬼の影。英霊の影。
 人理より投射された絵に過ぎぬとしても、存在感の重さは些かも希釈されない。  

 剣士は花である。
 編纂された汎用の歴史から弾かれて剪定され落ちた茎。しかして枯らす事なく風に流されるまま数多の世界を渡り歩き、武辺者すら見惚れさせた天元の花。
 新免武蔵守藤原玄信。纏めて宮本武蔵

 鬼は月である。
 夜にのみ現れる朧。人を喰らいし怪異。彼方にて鈍く放たれる光輪は四百の間死の象徴を齎してきた、鬼を狩る剣士すら震え上がらせる月の天辺。
 上弦の壱・黒死牟。かつての亡き名を継国巌勝。

「来たか……待ちかねたぞ……」

 三対の凶眼を開く黒死牟
 明らかな異形であるが、全身から溢れ出す重厚な様は悍ましさよりも威厳が勝っている。

「えぇ。来ましたとも。あれだけ剣呑な殺気を当てられちゃね。おちおちごはんも食べられません。
 私が言えることじゃないけどさ、ここでそれやるの、危なっかしいからやめといたほうがいいわよ?」

 一方の武蔵はのらりくらりと、圧に呑まれる筈もなく落ち着き払っている。
 己に向けられる、今にも斬り裂かんとする全霊の殺意を涼風と受け止めてこそ剣士。粟立つ肌も、昂ぶる鼓動も肴にして楽しむもの。
 常時気を孕むのは息苦しいが、こうも明け透け浴びせられるとどうにも懐かしく感じてしまう。虚空に至り無を斬ったとて血の烟りは晴れないと見える。

「異な事を……我等は共に願望の成就がため剣を交わすのみ……。
 所詮は仮初の虚構……芥と変わらぬ無価値…………厭う理由が何処にある……」

 来る前から分かっていた事だが、やはりこの男は聖杯戦争に意欲的である。それも騙し討ち上等の陰険派でなくガチガチの武闘派の。
 まああのライダーみたく非戦かつ穏健の脱走プランをしたためるなんてのは希少も希少なのだろうが。武蔵とて双方どちらが向くかといえば断然勝ち抜き側だ。 
 そう。予選で組めず仕舞いだった知己の船長から始まって、件のライダー、そして光月おでんと、好戦的でない主従と出会い続けてきた武蔵達にとって。
 抜き身の殺気を放ち、戦い以外の道はないと突きつけてくる『正統派』のサーヴァントとの邂逅は、これが初めてなのだ。
 誰も傷つけずに生還など甘い幻想は知らぬ。通じぬ。是こそが本懐、聖杯戦争の在るべき形態だと。

「そうですね。その通り。貴方が言う事はとてつもなく正しい。ぶっちゃけケチのつけようがありません。
 ようは斬って斬られるか。それ以外は眼中になし。それが聖杯戦争のルール……いや、そもそも殺し合いなんてみんなそんなもんか」

 黒死牟は正しい。
 彼は聖杯戦争の定めに何の違反もなく乗っている。
 どう色をつけようが誤魔化そうが、戦いはどこまでいっても血生臭いもの。
 国同士の争いならお互い妥協点を見出してほどほどに治められるが、個による試合は一度始まってしまえばどちらかの首が落ちるまで終わらない。
 切実な願いがない、ただ巻き込まれてしまっただけの民草であっても、戦場では何の名分にもならない。与し易い餌だと喜々として喰いつかれるだろう。
 まして元締めがそのあたりの保護法をまるで定めてない以上、あるのはひたすらに一方的な略奪のみだ。
 強いものが勝ち、殺せる奴が生き残る。そんなルールともいえない原始の闘争が聖杯戦争というものだ。
 あくまでその法に則る剣士たる武蔵に、これを否定する術はない。

「そこまで理解していながら……何故否定する……」
「そりゃあ、極めて個人的に気に食わないからよ。会う人みんなの首すっ飛ばしてたら、誰が美味しいごはん作ってくれるっての。
 この世界のおそば、もう食べた? あんな素晴らしい店屋物を消すなんて、界聖杯が許しても私が許しません!」

 それを 消すなんて とんでもない! 
 恐るべき事に、本音(マジ)である。

「それにそんな狼藉、私の主(マスター)も決して許したりはしないでしょうし。
 なのであなたはここで止めます。斬るか改心させるかは……まあ、その時になったら考えるけど」

 照れを隠すように付け加えつつも、これも本心。
 剣の修羅道、等活地獄も承知の上、大いに結構。究めたければ行くが宜しい。自分が至った限りは咎める法はないだろう。だが私が許すかな。
 正義は語れないが、非人間なりに正義感は持ってるのだ。そのなけなしの正義が胸の裡を衝き動かす。
 正義を語れないのだから、ガキ大将めいた理屈で迷惑に黙らせてもらう。
 正義を語れずとも───信じた誰かの正義の力になってやる事は、出来るのだ。

「そう言う割には……柄の指から禍福が漏れ出ているようだが……。
 そも……私が此処に陣取ったのも……朝方にあった戦いの残滓を追ったが故……。
 その場を直に見てこそいないが……片方は貴様であろう……」
「げ」

 武蔵、まさかの藪蛇。
 まさか見逃していれば本当にライダーが狙われていたかもしれないとは。しかもそれを招いたのが他あらん自分の剣だとなれば、流石の武蔵も顔が青くなる。
 鬼の生態、日光に炙られる体質がなければホテルに殴り込まれていたかもしれなかったのは、武蔵の預かり知らぬ幸運だった。

「取り繕うな……そのような小理屈なぞではなく……語りたくば剣を取れ……。よもや今更になって逃げるとは……言うまいな……」 
「……」

 冷や汗が流れる。ニアミスの件、梨花やライダーにどう説明したものかしらという懊悩が背筋を垂れる。
 これやっぱ怒られるかな? でももう済んでしまった事だしいくら悩んでも時は戻らないっていうか。
 ならもう、いいのでは? ライダー自体には気づかれてないし、ここで精算してしまえば後腐れなく終わってくれるのでは?

「よーし、いいでしょう! 私が蒔いた種です、後始末も引き受けるのが筋ってもの! その凶刃、我が剣を恐れぬものならかかってきなさい!」

 大見得を切って、二刀を手に取り気を貼り直す。開き直りともいえる。
 さんざ台無しになりながらもすぐ気持ちを切り替えられるのが武蔵の強みである。

 黒死牟も無駄な追求をせず構えを取る。
 それだけで、武蔵はこの剣士の格好が虚仮威しでないと確信した。
 腰を落とし、足の位置を組み換え、柄に指を這わせる。所作の一つ一つに無駄がなく、体の動きを活かす意味がある。
 肉体を鍛える武道が、呼吸と同一の生態に身に付くまで鍛錬を重ねた事がすぐに分かった。
 息遣い、肺の動かし方にすら意識が行き渡った運動をしている。生まれつきならともかく、肺機能まで操れるとはいったいどんな修行法なのか。
 そこに至るまでの意志、至れるだけの才に惚れ惚れする。元は丹精な顔立ちだろうし、人であった頃に出会っていたなら一席設けたかったぐらいだ。
 ……それが叶わない事は、素直に悲しい。武蔵が会いたいと思った剣士はもう此処にはいないのだ。 
 人でないなら剣士でなしとまで言わないが、相対した鬼はあまりに血の臭いが濃すぎる。ただ膨大に斬り捨てただけでは染み付きようのない濃度だ。
 ああ、喰らってしまったのか。そう認識するのに時間はかからなかった。
 そうしなくては生きていけないのか、必要がないのにそうせずにはいられないのか。どちらにしても外道の誹りは免れまい。

 ふと、生前(むかし)の記憶を回顧する。
 武蔵が武蔵として英霊に成るより前の事。異聞平行世界の下総国にて零の境地に辿り着いた旅路にて討った、七の悪鬼。
 魂を穢し、骸を弄んだ生き絡繰にされたいと高き英霊達の顔が、目の前の士と被った。


「……ねぇ。始める前にちょっといい? ここでの召喚か、もしくは生前の頃でもいいんだけど。
 2メートルぐらいの背丈で、ワラビみたいな髪の毛して、胡散臭くて、顔も声もやたらに良いけど台無しにするくらい性格最悪で、如何にも拙僧こそ外道ですな顔マシマシのクソ坊主に会ったこと、ない?」
「…………」
「ああ、いいのいいの。知らないなら忘れて。そうよね。あんな際物が世に二人といてたまるもんですかっての」

 はたと立ち止まり、不可解に顔を顰める黒死牟の顔を見て杞憂だと安堵する。
 もしあの怪僧がここでも外道働きに精を出してるとしたら、いよいよ武蔵の憤怒は爆発しかねない。それならそれで年貢の納め時と叩きつけてしまえばいいのだが。


 先程のお転婆な喚きは何処へやら、抜刀した武蔵の表情が引き締まる。
 快活な笑みが消えたといっても美貌は損なわれたりはしない。むしろ精悍さが増す事で剣士の顔つきに中性的な美丈夫ぶりが顔を出し、花にまた新らしい魅力を引き出してすらいる。
 だがその顔を真正面から受け止めてなお顔の良さの感想を抱けるのは、山を切り崩す豪傑程の磊落さがなければ無理だろう。
 それに満たぬ剣士なら、顔から下にある腕に握られた凶器が自分の素っ首を落とす想像ばかり溢れ出て怖気走るに違いない。
 斬ると決めたならどんな手段を経由してでもそこを斬ると定める、武蔵の天眼。相手は斬られる部位が理解できても防げるという気がしない。
 時間空間をねじ伏せる一刀に対する黒死牟の顔は───笑っていた。麗しさに依らない武蔵の強さの根源を見透かし昂揚していた。

「名乗りはいるかしら? 生憎真名は語れないけど、クラス名ぐらいは明かす?」
「不要……その出で立ちを見れば……自ずと知れよう……」

 衝突する剣気は可視化されるほど分かりやすいものではなく、だが間違いなく空間に変異を呼び起こしていた。
 生物の寄り付く事のない異界。人の心象が形作る、隔絶の魔境。
 空を見通せぬ天上には、今にも落ちてきそうな血の滴るが如き赤い月が昇って、この試合を観覧しているかのような。

 武蔵の懸念は正しい。
 確かに黒死牟というサーヴァントはキャスター・リンボの手による異形には非ず。彼の嘲弄の指先一つも及んではいない。
 だが触れていれば。一切鏖殺の宿業背負う悪鬼を生み出す秘術に人であった頃の彼がかかっていれば。
 恐らくはこうなっていたであろうと言えるほど、鬼の性質は似通っていた。
 心臓を貫かれても死なず。首を刎ねても死なず。死する条件はただ一つ。
 英霊剣豪。始祖が人を糧に生み出す生み出す鬼と、背負う業は等しく同じだった。

 ああ、ならば。
 この口上が述べられる事に、一切の矛盾はない。
 ルチフェロなりしサタンの名は遠くとも、屍山血河の死合舞台は顕現せり。
 血華咲き誇る極地を形作るのに妖術師の手などいらぬ。ただ剣士二人がいれば事足れり。



 いざ───

 いざ───

 いざ覚悟めされよ新免武蔵!



「いざ、尋常に───」



「───勝負!!」

 ◆


【新宿区・路地裏/一日目・夕方】

【セイバー(黒死牟)@鬼滅の刃】
[状態]:健康、苛立ち(大)
[装備]:虚哭神去
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:強き敵と戦い、より強き力を。
0:いざ尋常に───
1:夜が更けるまでは待機。その間は娘に自由にさせればいい。
2:皮下医院、及び皮下をサーヴァントの拠点ないしマスター候補と推測。田中摩美々七草にちか(弓)はほぼ確信。
3:上弦の鬼がいる可能性。もし無惨様であったなら……
4:あの娘………………………………………
[備考]
※鬼同士の情報共有の要領でマスターと感覚を共有できます。交感には互いの同意が必要です。
 記憶・精神の共有は黒死牟の方から拒否しています。


【セイバー(宮本武蔵)@Fate/Grand Order】
[状態]:健康
[装備]:計5振りの刀
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]
基本方針:マスターである古手梨花の意向を優先。強い奴が見たら鯉口チャキチャキ
0:───勝負!!
1:梨花の命を果たす。おっかない鬼には退散してもらいましょうか。
2:おでんのサーヴァント(継国縁壱)に対しての非常に強い興味。
3:アシュレイ・ホライゾンの中にいるヘリオスの存在を認識しました。
4:櫻木真乃とアーチャーについては保留。現状では同盟を組むことはできない。
武蔵ちゃん「アレ斬りたいいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ。でもアレだしたらダメな奴なのでは????」



【新宿区・/一日目・夕方】

古手梨花@ひぐらしのなく頃に業】
[状態]:軽度の貧血(少時間で回復)
[令呪]:残り3画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円程度
[思考・状況]
基本方針:生還を目指す。もし無ければ…
0:セイバーの帰りを此処で待つ。
1:白瀬咲耶との最後の約束を果たす。
2:ライダー達と組む。
3:咲耶を襲ったかもしれない主従を警戒、もし好戦的な相手なら打倒しておきたい。
4:彼女のいた事務所に足を運んで見ようかしら…話せる事なんて無いけど。
5:櫻木真乃とアーチャーについては保留。現状では同盟を組むことはできない。
6:戦う事を、恐れはしないわ。

幽谷霧子@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:健康、お日さま
[令呪]:残り三画
[装備]:包帯
[道具]:咲耶の遺書
[所持金]:アイドルとしての蓄えあり。TVにも出る機会の多い売れっ子なのでそこそこある。
[思考・状況]
基本方針:もういない人の思いと、まだ生きている人の願いに向き合いながら、生き残る。
0:咲耶さんが遺してくれたものを探すため、もう少しだけ海を見ていたい。その後は……………………
1:色んな世界のお話を、セイバーさんに聞かせたいな……。
2:病院のお手伝いも、できる時にしなきゃ……
3:包帯の下にプロデューサーさんの名前が書いてあるの……ばれちゃったかな……?
4:摩美々ちゃんと一緒に、咲耶さんのことを……恋鐘ちゃんや結華ちゃんに伝えてあげたいな……
[備考]
※皮下医院の病院寮で暮らしています。
※皮下の部下であるハクジャと共に行動しています。
※"SHHisがW.I.N.G.に優勝した世界"からの参戦です。いわゆる公式に近い。
 はづきさんは健在ですし、プロデューサーも現役です。
※摩美々たちの元へ向かうのか、皮下医院に戻るのか、それとも別の場所を目指すのかは後続の書き手さんにお任せします。




時系列順


投下順



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058:霽れを待つ 古手梨花 075:で、どうする?(前編)
セイバー(宮本武蔵) 066:凶月鬼譚
055:追・追・輝・憶 幽谷霧子 075:で、どうする?(前編)
セイバー(黒死牟 066:凶月鬼譚

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最終更新:2021年12月02日 14:39