天文事件

天文事件(てんもんじけん)は、1851年3月9日、平城京内部で発生した惨殺事件。

概要

天文事件は、平城京内で発生した惨殺事件である。

経過

富士宮江哲(国頭)は、かつて侍従長として仕えた、屈指の宮中官僚であった。富士宮は、政治の世界から足を洗いながら、近衛府の「大長老」として天皇陛下への謁見も叶う立場にあった。富士派は、宮中官僚の中で軍事独裁を大々的に批判する大鳥百藝大学寮教授頭)が中心的人物となっていた。

富士派は、平城京政治に対する敵対勢力であるとして、保安司令部の監視下にあった。そのため、天皇陛下の案じるところであった。1851年3月9日、大鳥百藝を筆頭とする大学寮の7名が、保安司令部隊士に惨殺される。事件の場所となったのが大学寮天文方であったことから、「天文事件」と呼ばれることになる。

その後

あずかり知らないところで発生した「天文事件」によって、貴族出身の柳原資雅(大学寮総裁)は退陣を迫られる。空席となった大学寮幹部には、保安司令部近衛府の意向に沿った形で人事が組み入れられた。大学寮総裁には、再び貴族出身者の一条雅経が就任する。
この人事の中で、第二次平城事変によって名古屋府に左遷された室宗全(元大学寮文章方主教授)が、ひそかに復権を果たすことになる。この人事によって、8.3事変向田宣言が引き起こされることになる。
最終更新:2025年09月25日 10:34